堤、インドへ行く  – 写真と音で巡る、北インドローカル旅 – 前編

堤、インドへ行く – 写真と音で巡る、北インドローカル旅 – 前編

堤、インドへ行く  – 写真と音で巡る、北インドローカル旅 – 前編

「堤さんの撮影は、自己満足的な、いわゆる観光客が行う消費活動ではないですか」

 

僕が旅先でスナップを撮影している最中、ある男の子にそんなことを言われた。少なからずこの言葉は僕にショックを与えた。おそらく自分の中では、「自分はそうではない」という無自覚な意識があったし、そういった旅のあり方を快くは思っていなかったからだ。だがどうやら傍目から見れば、僕はヨーロッパへ行き、所構わずiPhoneを取り出し“映える写真”を撮ってInstagramにアップするパックツアーのお客さんと変わらなかったらしい。

 

この時、僕は彼に反論する言葉を持ち合わせていなかった。自分の中でいくら違うと感じていても、その差をうまく説明することができなかったのだ。それからはしばらく、このもやもやとした感覚と向き合うことになった。

 

自分の写真は「消費活動だ」と言われてしまう。ただ、同じようにスナップで被写体の許可なく撮影をしているフォトグラファーの写真が、観光や消費活動と言われることがないのは何故なんだろう?それが仕事で、お金や名声を得られているから?でも、スナップを撮影する写真家が、誰しも最初から価値を見出されていたわけではないはず。では最初に個人の消費活動を越えて、生産的な活動に変化するボーダーはどこなんだろう……。

 

ソール・ライターやヴィヴィアン・マイヤーの写真の価値はどこから生まれているのだろうか?

 

そんな折、関西のフォトグラファー・桑原雷太さんがインドでの撮影アシスタントを募集していることを知った。彼は6年間、毎年インドの地方都市ブンディへ行き、ターバンを巻いている人や、街の人のポートレートを撮影しており、前年に撮影した写真を本人に渡すという活動を行っている。その旅に同行することで、上記のになんらかのヒントがないかと思ったのだ。そこで今回、彼にくっついてインドへ行くことを決めた。

今回同行した桑原雷太さん

と、ここまでイントロが長くなってしまったが、以上はあくまで僕の旅の目的であり、多くの読者には関係がないようにも思う。なので今回の旅レポでは、撮影した写真と、インドの街で録音した音を聴きながら、なかなか行くことがないであろうブンディ及びその周辺の街の雰囲気を感じ取っていただければ幸いだ。

移動日:チェンナイでインドへ入国。ジャイプールを経由し、ブンディへ

ブンディには空港がない。調べてもらえればわかると思うが、本当に小さな田舎の街だ。首都のニューデリーから南に280km行った場所にジャイプールという街があり、ブンディの最寄りの空港はここになる。ということでまずは日本からは二度ほど飛行機を乗り継ぎ、ジャイプール空港へ。ここまでですでに22時間が経過、そこからさらにタクシーで3,4時間かけて移動するらしい。そろそろシャワーでも浴びたくなる。

 

前の席のサリーが美しい

ブンディまではバスでも移動できるのだが、ジャイプールの街に一度出て乗り換える必要があったり、さらに+2時間ほどかかるようなので今回はタクシーを選択した。街にはタクシーは走っていないので、空港で手配する。

 

ここでこの旅の費用感を感じていただくためにも日本円とインドルピーのレートを共有しておきたい。この旅(2019年01月時)のレートは、約「1ルピー=1.55円」ほど、タクシー代は4,500ルピーだったので、約7000円ということになる。バスならひとり300ルピー=450円らしい。安い。空港を出て街らしき場所は一瞬で過ぎ去り、あっという間に茶色の荒野に。小さな街は点在するものの、3時間延々とその景色が続く。

ジャイプールの街は車も多ければラクダもいる
タクシーの運ちゃんと一休み
平原の先に建物が見える

ここまでの移動の疲れもありうつらうつらしていると、あっという間に目的地であるブンディに到着。ホテルに寄る前に軽く腹ごしらえということで、早速街で一番賑わっている広場に降ろしてもらった。とにかく人も車も多く、喋り声やクラクションで騒々しいイメージ通りのインドの世界があった。

 

雷太さんが「市場前の屋台のサモサが美味しい」、とのことでまずはサモサを購入。サモサはじゃがいもをパイ生地みたいなもので包み、揚げたあとにクラッシュしてチリソースを絡めて食べるもので、熱々ホクホクのじゃがいもにチリソースの辛味がきいていてめちゃくちゃ美味い。インドへ来るまでサモサのサの字も知らなかったが(みんな知ってるものなのだろうか……?)、日本に帰っても恋しくなりそうな味だった。ひとつ5ルピーと激安なのも素晴らしい。

屋台の前を通る度に食べた
牛さんも大好き

ひとしきり腹ごしらえを済ませた後は歩いてホテルへ。街で唯一の観光場所とも言える、山の上の城が見える素晴らしいロケーションのホテルだった。これで一泊¥1,500程度というのだから恐ろしい。ゲストホテルなどは一体いくらで泊まれるのだろう。そしてどのような環境なんだろうか。お湯がでないのは間違いがないだろう。

 

着いてから知ったのだが、ブンディにはホテルに併設されているレストランくらいしかないらしい。そのため、滞在中の晩御飯は基本的にホテルで食べることになる。レストランのご飯は屋台に比べ値段も高く、いわゆる観光客価格。ただそれでも日本に比べれば随分と安く、また結局一番美味いとのこと。実際カレーやビリヤニ、ライタ(酸味の効いたインドのヨーグルト、いろいろ混ぜて味を変えながら食べる)など、どれも絶品だった。海外へ行くと大体食が合わず、痩せる傾向にあるがインドでその心配はなさそうである。

屋上からの景色
ビリヤニがうまい

滞在一日目:ターバンおじさんを探せ

次の日から丸二日間、滞在中は雷太さんに同行して作品作りをアシスタントとして手伝うことになっていた。頼まれているアシスタントとしての仕事は2つ。「ポートレート撮影時に背景となる黒幕を持つこと」、また「ターバンのおじさんがいたら声をかけて連れてくること」で、「あとは好きに撮影していていい」と言われている。とは言え、まずは街の様子見も兼ねて朝の7時から一緒に街に出ることに。「朝早くて起きられるかな」、と心配していたが、6時過ぎからヒンドゥーの寺院でお祈りが響き渡り予定より早く起きる羽目になった。

 

砂埃舞う街の中心となるストリート
掃除は女性の仕事のようだ

街に出て朝からやっているチャイ屋で一服しながら、「どうやって、昨年撮影したターバンの人を探すのか」を雷太さんに尋ねた。事前に「小さな街だから、すぐわかる」と言われていたが、前日の広場のを見た感じ、思ったより人が多く探すのが困難に思えたからだ。だがその疑問はすぐに解消した。やることがなさすぎて、だいたい決まった時間・決まった場所に同じ人が出没するのだ。そのことはチャイ屋の前に、雷太さんのInstagramで見たことがあるターバンおじさんがいたことですぐに理解した。

馴染みに声をかける雷太さん
一杯5ルピー、多くの男性客で朝から賑わう

チャイ屋の前を移動して、ストリートへ出ると早速ターバンを巻いた人が多く見つかった。そこで黒幕を貼り出し、早速作品撮りを始める。驚いたのが、放っておいても人が集まってくるということ。そして撮影しているとあっという間に囲まれて、「自分を撮れ」という人たちに写真を撮らされるのだ。それほどカメラが珍しいのか、外国人が珍しいのか、それともどちらもなんだろうか。これまで海外で訪れたどの街でも、カメラを向けると嫌がられるか、恥ずかしがって隠れようとしていたので、今まで経験をしたことがない光景だった。

幸先がよいスタート
自分の写真をじっくり眺めるターバンおじさん
撮影されることがステータスになっている

一箇所に留まってと、延々と人が集まってきて、本当にキリがない。まるでトルネコや風雷のシレンで泥棒をした時のようだと感じた。どれくらい相手をすればよいかわからず戸惑う僕に、雷太さんは、「しつこかったら適当に相手すればいいけど、最初は丁寧に接してやって欲しい。撮影のためにも日本人は愛想が悪い失礼なやつって思われないようにしたい」と声をかけてくれた。

 

この言葉で、彼が被写体との関係を長い時間かけてこの街で作ってきたことを思い出す。雷太さんはヒンディー語が話せるわけではなく、街の人も英語はほぼ話すことができない。しかし、それでもそこに心地よい距離感の関係性が出来上がっているのが不思議である。

人だかりからターバンを探す

撮影を適度なところで切り上げつつ、街の中をいろいろと案内してもらいながら移動していく。観光地にはどう転んでもなりきれない、インドの普通の街。取り立ててなにかがあるわけではないのだが、ヒンドゥーとムスリムの文化が入り混じっていて、自分にとっては歩いているだけで目新しかった。“なにもない”など嘘のように感じる。この日は最終目的地を多くのターバンが集まるという野菜市場にし、そこで雷太さんとの撮影を終了した。

 

 

雷太さんと別れたあとは、まだ見ていないバイパス沿いから夕陽でも眺めようかと考えていた。そのため入り組んだ旧市街(そして見るからにお金のなさそうな)を通り、バイパスを目指して歩いていたのだが、道がややこしくてうまくバイパスに出られない。その間に見つかった子どもたちには写真撮影をねだられ、さらに撮影の見返りにペンやお金を求められる始末。「何故写真まで撮って、金まで渡さねばならないのか」と思いつつ、キリがないので無視をすると今度は石まで投げつけられる。治安がいい街ではあったが、言葉も通じず、加減を知らない子供がいつまでも追いかけてくるのは素直に怖い。

 

子供の声がしない方向へ逃げ、余計に迷った挙げ句、物静かそうな子供に声をかけると、黙ってバイパスまで道案内をしてくれた。そこから適当に撮影を行って、街へ戻る頃にはすっかり陽は暮れていた。

 

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EDITOR

岡安 いつ美
岡安 いつ美

昭和最後の大晦日生まれのAB型。大学卒業後に茨城から上洛、京都在住。フォトグラファーをメインに、ライター、編集等アンテナではいろんなことをしています。いつかオースティンに住みたい。

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