INTERVIEW

個として存在できる街とは?『街は誰のもの?』阿部航太監督インタビュー

ブラジルのストリートカルチャーを文化人類学とデザインの視点から眺める『街は誰のもの?』が2月11日(金)から京都みなみ会館、2月12日(土)からシアターセブンで公開される。

グラフィテイロ(グラフィティを描くアーティスト)やスケートボードなどを通じて公共空間における街と人との距離を描くドキュメンタリー映画の本作。公開に先立って監督の阿部航太さんにお話を伺った。

MOVIE 2022.02.09 Written By 太田明日香

阿部航太

1986年生まれ、埼玉県出身。2009年ロンドン芸術大学セントラル・セント・マーチンズ校卒業後、廣村デザイン事務所入社。2018年同社退社後、「デザイン・文化人類学」を指針にフリーランスとして活動をはじめる。
2018年10月から2019年3月までブラジル・サンパウロに滞在し、現地のストリートカルチャーに関する複数のプロジェクトを実施。帰国後、阿部航太事務所を開設し、同年にストリートイノベーションチームTrash Talk Clubに参画。アーティストとデザイナーによる本のインディペンデントレーベルKite所属。一般上映としては本作が初の監督作品となる。

グラフィティと共存するブラジルに衝撃を受ける

グラフィティは基本的には私有地や公共施設の壁面に違法に描かれる絵やサインのことをさす。映像に映し出されるのは、ビルの壁面や高速道路の橋桁、おそらくは私有地の壁。

 

そこに描かれる絵柄は多様で、細密で実写的なものから、スタイリッシュなイラスト的なもの、オリジナルのキャラクターのようなポップなものまでさまざまだ。阿部さんはこのブラジルのグラフィティに衝撃を受け、最初はコミックをつくる予定でグラフィテイロたちにインタビューを始めた。同時に残していた記録映像をまとめたものが、映画『街は誰のもの?』となっている。

阿部

話を聞いていくと、聞く前と後で街を見る感覚ががらっと変わったんですよ。グラフィティだけではなく、街にいる人たちがみんな好きな居場所を見つけて、好きなように振る舞っていることが結構衝撃的だったんです。それが街の風景をつくっている存在に見えて、彼らの公共性みたいなものの捉え方に感銘を受けました

映画ではグラフィティだけでなく、路上に椅子を出してくつろぐ人たちや、電車の中でギターの流しをする人、ホームレスになって困っていると公園で演説する女性など、日常を過ごす人々のふとした一コマも写し出されている。これらはブラジルではごく当たり前の風景のようだが、日本の街ではほとんど見かけることのないものだ。阿部さんはこの違いが何を元に生み出されたのか気になるという。

阿部

日本では街にずっとフラストレーションを感じていました。僕は東京に住んでいるんですけど、この街では自分の手の届かないところで経済主導でどんどん景観が変わっていきますよね。それが本当に良くなっているのかどうかはわからなくて。でも、同時にそういうものなのかなとも感じていて、しょうがないよって諦めてたんです。ところが、ブラジルに行って彼らの話を聞いたりすると、そんな簡単に諦めていいんだっけ?みたいな気持ちになりました

日本とブラジル、公共性をどうつくるか?

街を自分たちの手でつくっていく感覚の強いブラジル。とはいえグラフィティはもちろん違法で、描いているところを発見されると、罰金を支払わなければならない。だが、ある程度、住民や行政に受け入れられ、社会の中で存在を許されているものもある。

 

映画と同時に発売された『街は誰のもの?:プロダクションノート』では、そんなブラジルのグラフィティを理解するための3つのカテゴリーが紹介されている。

 

一つ目は認可・許可があり、ギャランティが発生している「プロジェット(Projeto)」。これは合法で多くの市民に受け入れられているものだ。

 

次に認可・依頼なしに描かれるグラフィッチ(Grafite / Grafitti)。これは違法だが、街の人にはカラフルで綺麗だとポジティブに受け入れられている。

 

最後がチーム名を書いたピシャソン (Pichacao / Pixacao)。これは違法で街の人からも消した方がいいと思われている落書きのような扱いのものだ。

 

 

街の人たちはこれらグラフィティを違法・合法だけにとらわれずに、街の景観の一部として多様な受け入れ方をしているようだ。ブラジルではどうしてそのような受け入れられ方が可能なのだろうか?

プロジェット
グラフィッチ
ピシャソン
阿部

大きく感じるのは、平和な状態のつくり方が日本と違っていることですね。日本ではどっちかというと上から降りてくるシステムにその平和を委ねてるところがあると思うんです。トラブルが起きないように、なるべく友好的に接するとか、違う種類の人同士が接することがないようにゾーニングするとか。

 

だけどブラジルは、基本的にいろんな人種や文化背景の人がいるんで、ある意味、直接話して細かくいろんなことを解決しないとままならない世界。だからこそ、対人でコミュニケーションを取ることが、必要不可欠なものとなっている。彼らはめちゃくちゃ優しいんですけど、それはそのときのマナーみたいなものなんです。社会的なマナーとして、優しい

さらにそこにはブラジルの歴史や政治も関わりがあるのではないかと、阿部さんは推察する。

阿部

ブラジルは歴史が浅い国で、なおかつラテンアメリカというのは、国ができる過程から先進諸国による搾取の構図ありきで、政治が安定することがない。

それもあってみんな基本的には政府や政治を信用してない。だからこそ自分たちで自分たちの権利を行使して、生活をつくっていくんだっていう意識がものすごく強いのかもしれないです

景観条例は街の景観を守るのか?

ブラジルではグラフィティがその街らしさとなっているが、その「らしさ」はどのようにつくられるのだろうか。『街は誰のもの?:プロダクションノート』には、サンパウロではビルの壁面が広告として利用されてきたとある。

 

ところが2006年に環境美化条例という条例ができて、ビルの壁面広告は全部禁止になった。それまで広告用のスペースとして使われていた窓のない大きな壁面の広告がなくなったため空白となった。その空白を埋めるように違法も合法も含めたグラフィティが描かれ、それがサンパウロのらしさとなっていったという。それを京都のような古い街のあり方と比較してみるとどうだろうか。

阿部

たとえばサンパウロはグラフィティをブランディング的に使っていますが、サンパウロはできて60年くらいのすごく新しい街で、だからこそグラフィティがブランディングとして使われやすい面はあると思います。

 

一方で京都は景観の歴史的な価値が高い。条例が景観を保護するのは、経済的なブランディングの面もあると思います。ただ、僕はブランディングの側面に疑問を持ってはいます。それが歴史的保護の観点ではなくて、広告的に場所を統一化、ビジュアル的に統一化して一つのイメージをつくる意図があるとしたら、そこには何かうさんくささを感じてしまいます

コミュニケーションできるアート、できない広告

そもそも、どうしてグラフィティがブランディングとして機能するのだろうか。広告と何が違うのだろうか。

阿部

僕が思うグラフィティの良さは、商業とか経済に支配されないものが街中にもあるところですね。絵って好き嫌いがあるじゃないですか。絵柄が綺麗かどうかっていうのは二の次で、街の中に好きな絵も嫌いな絵もあるのが結構重要だなって思います。

 

でも、広告には好き嫌いはなくて。何かのサービスを売って、購買を促進させるための一方的なコミュニケーションでしかないから、それに対してこちらからコミュニケーションを交わすことはないわけですよ。でも、絵は描き手や描かれたモチーフに対して何か意見を交わせるんですよね。そういうものがデフォルトで存在する街は魅力的だと思うんです

一方、日本でもよく街中にアートが設置されたり、壁画が描かれたりする。お金をかけていたり、有名なアーティストが関わっているはずなのに、何か画一的でつまらなく見えるときがあるが、違いはどこに由来するものなのだろうか。

阿部

日本で壁画が描かれるときって小学生とかが動員されるじゃないですか。でも彼らに主体性があるわけじゃなくて学校によって描かされているわけで。それって意味がないのかなって思うんですよ。でもグラフィティはグラフィテイロが主体的に描いている。そこがポイントなんじゃないでしょうか

街は誰のもの?

ところで、この映画のタイトルは『街は誰のもの?』だが、結局阿部さんはどのように考えているのだろうか。

阿部

タイトルで『街は誰のもの?』という問いかけをしていますが、『所有』として考えると解決できない問題がたくさんある気がしています。ブラジルのグラフィテイロたちの街やグラフィティの捉え方は、そのヒントになるのではと思います

それを考えるヒントになるのが、あるグラフィテイロが語った、「絵はストリートのものだ」という言葉だ。その絵を描いたのはグラフィテイロたちでそこには彼らの個性が刻印されているが、その絵を所有しているのは彼らではなく、ストリート、もっと言えば街やみんなのものという意識があるようだ。

 

個を活かしながらも、グラフィティが街全体で調和していると感じたのはそのせいもありそうだ。日本に戻ってきてから、阿部さんは画一化や均一化が進む日本の街に居心地の悪さを感じるという。かといって、個人店舗が入るために「つくられた」商業施設や「デザインされた」余白にも違和感を感じるそうだ。そこにはブラジルのような個を活かした調和が見つからないと感じるという。

阿部

日本は意味なく街に留まることが難しいですよね。ブラジルではオープンな場所に佇んでいられたんですけど、日本だと暗がりや囲いがいるのかもしれません。

 

でも実際にそういうスペースがあったとして、用意されている感を感じてしまって、そこで自分が佇めるかはわからないです。僕はデザイナーで、デザインするときは歪みとか余白とか隙間が大事とは言いますけど、あえてつくられたものにはわざとらしさを感じてしまう。そういう難しさを感じます。そこはめちゃくちゃジレンマがありますね

阿部さんの言葉からは、街は自分たちのものであるはずなのに意図的にデザインすることでしかその余白をつくれず、結局は「つくられた」動線によって動かされることでしか、街を自分たちのものとして感じられる瞬間がないというジレンマが感じられる。

 

それはもっと言うと、個人ではなく「消費者」としての行動しかデザインされていない街へのいらだちのようなものだろうか。そのような街で個が引き出されるとしたらどういう形でだろう。

阿部

僕は多様な個が共存していることが感知できるところで人は個として存在できると思うんです。こういうやり方があるんだとか、こういう生き方があるんだとか、そういう場所とかものに触れると勇気がでます。だから、自分がそういうアクションができるような練習をスタートすることからかなと思います。単純に道に腰掛けたりとか、コーヒー飲んだりするとか。そういうことから始めたらいいのかなと。いきなり大きいことを求めちゃうとそんなに成果を上げられないと思うから。

 

多分サンパウロではグラフィティがその役割を果たしていると思うんです。グラフィティって好き嫌いにかかわらず、ほぼ自動的に目に入ってきて、お金を払わず自分の世界観にないものと出会う体験なんで。一方的に暴力的に目に飛び込んでくるものでもあるけど、街にそういうものがあるのは街の人にとって良い効能を示しているように見えたんですよね

自分たちの街に居心地の悪さを感じる人は一度この映画を見てほしい。何かヒントが得られるかもしれないから。

※記事の写真はすべて阿部航太監督によるもの

上映情報

2/11(金)〜 京都みなみ会館

2/12(土)〜 シアターセブン

 

トーク

2/11(金)京都みなみ会館 17:30の回 アフタートーク ゲスト:家成俊勝(建築家)

2/12(土)シアターセブン 16:20の回 アフタートーク ゲスト:川瀬慈(人類学者)

2/13(日)シアターセブン 16:20の回 アフタートーク ゲスト:原田祐馬(デザイナー)

 

 

街と景観についてさらに興味をもった人は、こちらの記事も参考に。


街並みを守っているのは誰?今知りたい、景観のはなし

 

この記事は、京都のとあるライブハウスに描かれた壁画をめぐる行政とのやりとりから、京都の景観保護条例について考えるもの。行政主導による景観保護のあり方に疑問を抱き、街に住む人たちの声を行政に上げていこうという動きについて取り上げている。

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