INTERVIEW

なぜ今閉店なのか?寺尾ブッダ、台北月見ル君想フとこの10年の肌感覚を語る

東京のライブハウス〈青山月見ル君想フ〉の台北支店として、レストランとイベントスペースを展開していた〈台北月見ル君想フ〉が2025年9月21日をもって閉店した。日本とアジアの架け橋として重要な役割を果たしていた店舗からの突然の発表に際して、代表の寺尾ブッダに語ってもらった。

MUSIC 2026.01.07 Written By 東 成実

2025年6月25日に発表されたニュースによって、台湾のインディ―・ミュージックリスナーたちの間に衝撃が走った。それは台湾と日本をつなぐ重要な拠点であった〈台北月見ル君想フ〉が閉店するというニュースだった。

 

2014年11月のオープンから現在に至る10年と少しほどの間に、日本でもアジアの音楽はずっと身近なものになった。〈台北月見ル君想フ〉、〈青山月見ル君想フ〉をはじめ、アジアと日本の音楽の架け橋的存在になっている《BIG ROMANTIC RECORDS》の寺尾ブッダが潮流を作ったひとりであることは間違いがない。

 

時を同じくして関西という場でメディアを立ち上げ、台北にもおおよそ2年弱ほど暮らしていたANTENNA編集長の堤を聞き手に、〈台北月見ル君想フ〉と10年の間に変化したアジア音楽を取り巻く環境について話を伺った。

みんな本当のところ(アジアの音楽)興味あるの?という悩み

堤:

ANTENNAでブッダさんに初めて話を聞かせてもらったのが2015年の初頭。〈台北月見ル君想フ〉ができた直後のタイミングでした。

 

なぜ今台湾なのか?月見ル君想フ台北店オープンについて迫る

寺尾

そのANTENNAが取り上げてくれた記事から〈台北月見ル〉が広まった可能性はありますよ。いろんな人が「ANTENNAの記事を見た」って言ってくれてました。

堤:

それは嬉しい。そこから約10年間で、アジアのインディーバンドが日本の音楽フェスティバルに出演したり、ライブイベントで来日することも徐々に増えてきたように感じていて。その大きな流れを最初に作ったのは間違いなくブッダさんだと思っています。日本から台湾に飛び出して、場所を作ることまでやった人はインディー・シーンでは当時いなかったし、その存在感はあまりに大きい。

台北月見ル君想フの地下イベントスペース。ステージが低いので基本座りでした
寺尾

実際コロナ禍に入る前まではお店の調子もよかったんですよ。大安区にあった〈台北月見ル君想フ〉の周辺にはアートスペースやゲストハウスもあって、サブカルが好きそうな日本人たちのコミュニティがあったんだけど、コロナで全部なくなっちゃった。自分もコロナをきっかけに日本に戻って、それ以降は台北に住むところもないままで、あんまり台北にいなくなったから最近はどうなっているかすらわからない。それで今回店も畳むことになったから、すべて仕切り直しです。一旦この店の役目は終わったんだなとも思いつつ、残念な気持ちは大きい。

堤:

この10年間のブッダさんの台北での取り組みは、自分たちANTENNAの活動とも重なる部分を感じているんです。インディー・カルチャーの価値観は常に変わっていく中で、我々ANTENNAの中核メンバーも30代になって、そこにコロナ禍も来たことで、一つ下の世代と途切れた感触がある。そこに加えてずっと京都でやっているので、マネタイズ面も含めて生き残っていくことが相当難しい。

寺尾

アジアのインディーズ音楽の情報も珍しくなくなっちゃいましたよね。積極的に発信している人やメディアも徐々に少なくなってきたし。関西もそうですけど、我々が扱っているものってみんな本当のところ興味あるの?って思っちゃいます。初期は地方の小さい場所で人を集めてライブをして回っていたのがすごく楽しかったんだけど、もの珍しさもだいぶ落ち着いてきて、アーティストによっては集客が難しいこともあったり。今はなかなかそれでやっていくのも難しい。

堤:

ブッダさんは最初からインディーを取り扱いつつ、いろんな方法でビジネスとしても成立をさせてきたわけですよね。〈台北月見ル君想フ〉もそうだし、ブッキングエージェンシー〈浪漫的工作室〉や、アジアの音楽を扱うレーベル《BIG ROMANTIC RECORDS》しかり。

寺尾

そうですね。 組織を維持するためにむしろビジネスしすぎてるかもしれない。だから今は純粋に自分が面白いと思うことだけをやるんだって取り組んでる人が羨ましいと感じる。でもそこは次世代に託したいと思います。

台北月見ル君想フのサヨナラ公演シリーズに出演し、さらにレコーディングまでしてくれたMIZ

盛り上がる台湾インディー・シーンと、まだある余白

2025年6月25日、Instagramに投稿された「台北月見ル君想フ 閉店のお知らせ」

堤:

こうやって自分と直接じっくりお話させていただくのは約5年ぶりくらいなんですが、コロナ禍以降のブッダさんの状況ってどんな感じだったんですか?

寺尾

いやもうね……まずコロナ禍で日本に帰ってきたんです。やっぱり過ごしやすいし、子どもも大きくなってきたし、正直「日本やっぱりいいな」って思ってしまった。台湾にずっといるとあんまり日本の人とも会えないし、シーンの細かい情報も入ってこないんですよ。その中で常に日本に対する反骨精神みたいなものをモチベーションにして、台湾バージョンの寺尾ブッダとして色んなことに取り組んでいたんです。「俺は台湾でいろんな新鮮なものを摂取してやる!」みたいな(笑)。その勢いで進んでいったら台湾経由で東南アジアのアーティストや場所も巻き込む方向に行った。でもいざ帰ったら、どこかで日本にいる人たちをずっと羨ましいと思ってたんだなぁって。

堤:

まずブッダさんの気持ちの変化があったんですね。

寺尾

でもコロナが落ち着いたら、お店自体の状況は回復したんですよ。そこから今年の春までは穏当だったんだけど、飲食営業の方の2代目の日本人シェフが、卒業することになったんです。次も日本人を周りの知り合い伝手で探そうとすると、みんな日本でキャリアを重ねていて、海外で働けるようなフットワークの軽い人を見つけるのはなかなか難しい。若くて深い関わりがある人が、もうあまりいなかった。そこに加えて店を借りている大家さんに「契約更新はしない」って言われる。「あ、終わった」と思いましたね。交渉も無理そうな感じだったので、割とすんなりしょうがないと受け入れました。それですぐに次の場所を探すかはちょっと待とうかなと。今のチーム編成で、「台湾でやっていく」という荒波を超えていけるのか?と思っちゃったんです。みんないい人たちなんですけど、ここは一区切りつけて、しばらくイベント制作とレーベルだけやっていこうという判断をしました。そしたらまた新しいこともできるかなと思って。

台北月見ル君想フスタッフやその友人たちとの団欒タイム
この日は台北月見ルレジデンス DJ2300。誕生日のウィッシュ
堤:

トリガーは契約更新でしたが、色んな要因が重なったんですね。やっぱりイベントだけじゃなくて、飲食も含めた施設にしないと経営が厳しいんですか?

寺尾

飲食も重要だけど、全体を維持しているのはやっぱりイベントです。スペースとしての売り上げがないと難しい。

堤:

なるほど。そのイベント部分の企画制作もずっとブッダさんご自身でやっていたんでしたっけ?

寺尾

今までいろんな台湾のスタッフがサポートしてくれました。今イベント部門を担当してくれているスタッフは台湾人で、真面目ですごくいい方。コロナが明けて入ったんですけど、お店のイベントも、お店以外で企画する日本人アーティストのイベントもいい感じに回してくれました。今年のトピックとしては、〈台北月見ル君想フ〉の店長だった人が道でピアノを拾ってきて、修理したら結構いい感じに鳴ったんです。そこで1階のレストランフロアでピアノショーを始めて。土日のランチとバータイムの間とか、レストランが定休日の月曜にやっていたんですけど、とてもいい雰囲気だった。台北ってフラットな空間でピアノ演奏を楽しむような場所があんまりないから、シリーズ化していたんですけど、それもできなくなりますね。

堤:

自分もおおよそ2年弱台北に住みましたけど、いわゆるエンタメの選択肢は多くないですよね。日本が異常に発達しているとも言えますが。

寺尾

台北はいい感じのお店やイベントもあるにはあるけど、まだまだ娯楽が発展する余地がある。だからこそ、このチームで面白くしていこうっていう共通認識をみんなが持っていたと思います。

堤:

その一方で台湾の若者の中でインディー・カルチャーが、最近ようやく自国のものとして根づき始めてるんじゃないかとも感じていて。当時働いていた会社の20代半ばのアシスタントの子が、台湾のインディー・アーティストにとてもプライドと愛着を持っていたんです。日本だと1990年代後半ごろから起こってきた自分が住まう地域に愛着を持ってそこで活動するインディー・シーンの盛りあがりが、台湾でも育まれている気がしました。

寺尾

でも日本でいうところのインディーズのムーブメントと、今の台湾の若者たちが落日飛車 Sunset Rollercoasterや草東沒有派對 No Party For Cao Dongなどに持っている特別な想いは、ちょっと種類が違うと思う。『FUJI ROCK FESTIVAL』に彼らが出た時の我がことのように熱狂する様子は、台湾人のアイデンティティとも直接的につながっている気がしています。

堤:

なるほど。だから落日飛車を輩出した後に次のインディ―・スターは誰だろうという、自国のものへの期待も大きいんでしょうね。

寺尾

一方でインディーなものだけじゃなくて台湾にはパーティー好きな人はすごく多くて。〈台北月見ル〉には主にはインディ―・ロックやポップスが好きな人がくるけど、テクノやクラブっぽいパーティーにもすごく人が集まる。逆にオリエンタルでエスニックなサウンドの海外アーティストや、民族色の強いアフリカ系アーティスト来日公演、つまり東京でのライブはあるけど、台湾ではあまりやらない。マーケットがないんです。そこのニーズが開拓できて、色んな人が呼べるようになればもっと台湾の音楽シーンはおもしろくなると感じています。

台北月見ル君想フさよならパーティーでの一コマ

インディーって「お客さんの期待を裏切る」こと

堤:

〈台北月見ル君想フ〉を畳んだブッダさんは、今後どうしていく予定ですか?

寺尾

台湾では、オーディエンスからの期待を裏切るようなこともたまに混ぜながら、みんなを熱狂させるようなイベントをやって来れたと思う。普段と違う体験をプレゼントできるところは自分の強みなので、色んな場所でライブは作っていきたいですね。せっかくだから台湾以外の場所で増やしていきたい。でも台湾だとお寺でレイブパーティーを企画するとなったら「任せろ」となりますが、タイとなるとどのお寺ならやらせていただけるかわからない。それぞれの国や地域をリスペクトしながら、現地にもっとコミットして信用を得ないといけませんね。やっぱりインディーってお客さんの期待を裏切っていかないと。真っすぐはつまらない!

堤:

そういう意味では今回お店をなくして、身軽になったのはいいかもしれないですね。でも30代以上になると日常の引力が強すぎるじゃないですか。家族や生活がある中で、身を削ってもう一度立ち上がることのハードルがとても上がっていく。

寺尾

それは間違いないです。〈浪漫的工作室〉でやっているイベント制作業に専念するとある程度規模を伴うものを選ばざるを得なくなるし、食べていくという意味ではもう一度台湾でお店をやるのも選択肢としてはありますね。でもこれまでの〈台北月見ル君想フ〉と全く同じようにはできないし、 形を変えてできれば良いなと思っているけど。こればっかりはまだわからない。

台北月見ル君想フ日本人最多出演の原田茶飯事。この日は近藤康平(live painting)とのスペシャルライブ
地下スペースではマーケットイベントも多数開催しました。写真は高円寺ネグラカレーとのイベント『チリチリ酒場 in 台北』
堤:

今までとはアプローチは変わるのかもしれませんけど、アジアの中で地域や人をつなげていくというブッダさんの活動の根幹は変わらなさそうだなと思いました。

寺尾

そうですね。自分が常に意識しているのは、日本のいいところを取り入れて、台湾のものを刺激したいということ。自分が介在する上で、日本的な視点を交えていくことで新しいものが生まれたり、ワクワクするようなことが増えたら嬉しい。《BIG ROMANTIC RECORDS》で扱っているレコードそのものが、アジアでは日本の音楽産業が持つ歴史と影響力のイメージがあるので、日本的なメディアとも言えます。だからレコード文化を通してアーティストが発見されることも多いから、この流れをアジア全域に広めたい。だから台湾で日本の文化を交えて面白いことをやりたいというのが、今までも今後も根底にあり続けるんだと思います。

堤:

やっぱりまだ台湾にはこだわるんですね。

寺尾

まだ全然何も成し遂げられていない感じもするし、ライブのプロデュースに関しては色んな工夫ができる環境がこの10年でだんだんと形成されてきたので、もっとエグいことができるんじゃないかな。もちろん他の国でも少しずつ繋がりができてきたので、日本と現地のものがぶつかる機会を作ってトライはしたいですけど。

堤:

それこそタイのバンドYONLAPAが2025年5月に『MUSIC AWARDS JAPAN』のオムニバスライブに韓国のイ・ランと共に選出され、〈磔磔〉でくるりとの対バンが組まれたのも、意識的にアジアのアーティストを日本に伝えたいというブッダさんの意志があってのものでじゃないですか。YONLAPAはブッダさんがずっと関わってきて、〈青山・台北月見ル君想フ〉という場所がタイから外に出ていく足掛かりになったと思います。ブッダさんが日本と東南アジア全域を結びつけてきた取り組みが、結実した出来事だと感じました。

寺尾

あれは棚ぼたでしたね。いろんな方のサポートの積み重ねのおかげで結実しましたが、自分としては割と早めに結果がついてきちゃったと思っていて。あそこでピックアップされて、その後に『FUJI ROCK FESTIVAL』への出演も決まっていたから、レーベルのマネジメント力を評価してくれる人もいた。ありがたかったです。

堤:

今の「結果が早すぎる」という一言がリアルだし、冷静ですね。

寺尾

自分のイメージしていたシナリオがいきなり現実のものとなってしまった感じもありますね。『FUJI ROCK』みたいな本当の弱肉強食な場所に、アジアのアーティストを送り込みたいとはずっと思っています。2019年に初めて落日飛車をブッキングできて、その時の〈RED MARQUEE〉のオーディエンスのかっさらい具合もすごく良かったし、忘れがたい思い出です。それで2025年はYONLAPAの出番。いい流れできてるのかなとも思いますし、毎年誰かを送り込みたい。それは難しい目標だけど、日本だけではなくアジアの音楽シーン全体への影響力もすごいし、本当にヒリヒリする場所だから、みんな絶対に目指すべき場所。

堤:

『FUJI ROCK』は歴史も長いのでアジアのフェスティバルの中でも存在感を増していますよね。

寺尾

そこに出られるのはやっぱりありがたいし、『FUJI ROCK』以外にもアジアのバンドに興味を持ってくれるフェスはここ数年ですごく増えた。日本のフェスのラインナップにもいい化学変化が起きていると思います。でも出演することだけでそのバンドの集客が増えるかというと、 なかなか難しい。 さらには本国ではもうどこでライブをしてもお客さんでパンパンな人気のバンドでも、日本のフェスだとその時間のステージには人が集まってこないこともあって良くも悪くも、日本は難しいなぁと感じることもありました。

堤:

成功体験を得に行くだけではなく、自分を試しに行く機会という意味では今の時代、価値があるかもしれませんね。

寺尾

そうですね。 他のアジアの国では無双していても、じゃあ日本ではどうなんだって。誰しも自分の曲が海外でどういう人たちに聴いてもらえるのか、ライブにどういう反応があるのか気になっていると思うし、自分の目の届く範囲の外に出ていくことで、アーティストの本能を呼び起こされる感覚があるんじゃないかと思います。

堤:

それは日本のアーティストにとっても言えることですね。海外に行けば違ったリアクションが得られることを期待するし、そこでも受け入れられるためにどうすればいいのか試行錯誤しながら、自分を真剣に試す機会になる。

寺尾

そうそう。だから海外でやってやるぞと腹を括っているアーティストのライブは良いライブになることが多いですね。呼ばれたからやるんじゃなくて、自国とは違うヒリヒリとした感覚をどう受け止めて演奏するかが重要なんですよね。

知る人ぞ知る台北月見ル君想フ内の名物スポット

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