【作家センセーショナル】第2回:佐藤健
雪が降って、寒さも大詰めといった感じ。そして雪が溶ければ、春が来る。出会いと別れの季節の中で、僕が心寂しいしばしの別れを迎える前に、書き残しておきたい密かな憧れの人の話をします。
この人を知ったのは演奏する姿が先だった。VJを使ったパフォーマンスもすこし。単身東京から京都へ来ても、関西人に負けず劣らずのバイタリティにあふれていて、チャーミングな人という印象。あと飼い猫がいる。だから好きなものは猫。初期の作品は猫がモチーフになっているものもちらほらある。猫なんてみんなが好きだからありきたり、ではなくて、おもしろいものができるから好きなものは好きだと大切にする。その考えが彼に柔軟なインスピレーションを与えているようだ。
佐藤健 SATO Takeshi
1993年生まれ。2011年京都市立芸術大学入学後、染織専攻にて染織技法や繊維造形を学ぶ。身体に関するテーマの作品を多く作る。
[2014]
・personal space (大学内展示)
・染織専攻四回生前期展 (大学内展示)
・京都市立芸術大学2013 年度作品展 (京都市美術館本館)
・Collection/Connection – マヤ・アンデス染織につらねる新しいカタチ- (ギャラリー@kcua)
[2013]
・1×1×1×1×1×1×1×1×1×1×1=11 (ギャラリー16)
・次世代工芸展 (京都市美術館別館)
・きるもの展 (大学内展示)
・ 京都市立芸術大学2012 年度作品展 (京都市美術館本館)
[2012]
・四方連続展 (大学内展示)
・SQUAT (新京極商店街)
・ポストカード展 (ギャラリーふう)
・京都市立芸術大学2011 年度作品展 (京都市美術館本館)
[2011]
・彩展 (大学内展示)
・うい展 (大学内展示)
僕がそんなサトケンさんこと佐藤健さん(しかし下の名前はケンではないしタケルでもない。タケシ) と大きく関わったのは一年前。彼の映像作品にダンサーさんを紹介したのがきっかけだった。そんな『結晶時間』は僕の中でも印象に残っている作品の一つである。
モチーフとして使われた「結晶」は時の経過とともに成長し、風化していく。その時間的概念はさながら人間のような儚さを持っている。その「生命性」のようなものを紐解いて、ルーツを辿ってみると、その作品からさらにちょうど一年前にさかのぼる。
工芸科で染織を学ぶ彼が進級制作で選んだ材料は「糸」、表現した物は「血管」だった。等身大のパネルにピンを打って、身体に走る血管と同じように真っ赤な糸を張りめぐらせる。まるで身体の血管をそのまま切り出したかのように打たれた糸は、普段は見えないエネルギーを物語り、それこそ僕の鼓動にドクドクと直接訴えかけてくるようだった。42.8秒で地球二週分にあたる90,000personal spaceキロメートル分の全身の血管をかけめぐる。
『42.8秒と90,000キロメートル』
幼い頃に見た人体の不思議展でのすさまじさが身体に関心を持つ最初のきっかけだったらしい。血管をモチーフにするに辺り医学書に目を通す事もあった。そこから身体に対する関心は大きくなり、人の身体、ひいては五感にとどまらず、五感以外の身体に潜む目に見えない流れや感覚というものに作品性を繋げていくようになる。
『循環するフォルム (Blood vessel dress) 』
彼が「人が身に纏う」ことを意識し始めたのもこの頃だ。”結晶時間”ではダンサーが衣装として身に纏える物として。また、内在する『42.8秒と90,000キロメートル』を外在化し、身に纏う物としたのが第89回装苑賞ファイナリストにも残った作品、”循環するフォルム (Blood vessel dress) “だといえるだろう。生命を宿す血管独特の形状を素材にグルーガンを用いて立体化したそれは、内に感じていたエネルギーを纏う事で自覚する、そんな思いが込められている。
『結晶時間』では葉脈や根のような、『42.8秒と90,000キロメートル』では毛細血管のような、拡がりを持ち、そして収束する物。
そして今年度の夏に行った展示では感覚そのものの拡がりに目を向けた。真っ暗な展示室の真ん中にポツンとたたずむ人型はさらに足下から地面一面に葉脈状の白い物を拡げている。パーソナルスペースを表すそれは、先に述べたのと同じくグルーガンの踏めばパキッと音がするもろさの特性を利用した。実際に暗がりで意図せずに踏んで貰う事で作品の本質を表す。それはまるで人の心に踏み入れてしまったような、何かをむげに踏んづけてしまった気持ちをあおる。でもそんな事をお構いなしに拡がるパーソナルスペースの感覚は人の形の範囲を超えて、地面や建物にまでずっと伸びていく。直に触れるわけではないのに感じる感覚を伸ばしていく。これもまた一つの「目に見えない流れ」だ。
『personal space』
さながら無限大のように拡がる感覚に対して、佐藤さん本人は無限小的な人物だ。決して器の小さな、という悪い意味ではない。美術に触れ始めた頃は手探りで平面作品を多くやっていた。細かなところに惹かれて、気になってしまう部分を密に描写し、点描などで表現していた。点が集まって一つの絵になるように、肉眼では捉えられない小さな物が集まって大きな物になる。物事は何で構成されているのか、まるで科学のようにわからないことに目を向ける探求心が彼の作家性を生み出しているのだ。本人はそれを「考え過ぎかもしれない」と語る。考えすぎるのかもしれない部分は人に言われないとわからない。言われても素直に受け止めきれない時もある。しかし一方向だけを見続けるだけではおもしろいものは作れない。だから人の言葉に耳を傾ける余裕を持って、問い続け、作品として導き出さなければ、物作りをするという意味はどこかに消えてしまうのだ。
そして細やかに問い続けた一つの通過点を卒業制作として発表する。人間の皮をはさんだ内と外の流れはどうあるのか。ここで紹介しきれない彼の作品をぜひ間近で感じてみて欲しい。
京都市芸術大学作品展
2015.2.11(水)~15(日)
開場時間:午前9時~午後5時(入場は午前4時30分まで)
会場:京都市美術館本館(左京区岡崎円勝寺町124)・別館(左京区岡崎最勝寺町13)、京都市芸術大学構内(西京区大枝沓掛町13-6)※佐藤さんの作品は京都市芸術大学構内に展示
京都市立芸術大学作品展詳細
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京都市立芸大総合芸術学科総合芸術学科二回生。いまを生きております。
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人を繋げるものに興味をもって、研究をし、たまに文と絵をかき、遊んでもらってます。