次世代ジャパニーズシューゲ界の”しんせい”現る
みなさん日々シューをゲイズしていますか?シューゲと向き合った生活を送っていますか?人生の答えはNowhereですね。
そんなラヴレスな方々にお送りしたい、とっておきのバンドがこの”Amsterdamned”(アムステルダムド)だ。
前身バンド”ラヴモーテル”の活動休止後、2015年より残ったメンバー3名で始まったアムステルダムド。現在、大阪・京都を中心とした関西圏での活動を平日/休日問わず精力的に行っている。
まず”日本のシューゲイザー”と聞くと、どうだろう。どこか陰湿で引き篭もりがちで暗く、病的なイメージを持つ人が多いかもしれない。ガリガリに痩せこけたマッシュヘアーの青年が、歪んだギターを掻き鳴らして、なにやら絶望的なリリックを淡いメロディに乗せて歌っている、そんなステレオタイプを持っている人もいるかもしれない。それはそれでかっこいいし、そういうイメージを根付かせたレジェンドバンドやミュージシャンも多いだろう。
しかし、アムステルダムドはそうしたイメージとは少し異なってくる。特にギターボーカルを担当する滝口遼の出で立ちは、むしろ健やかなナイスガイであるからだ。近年、こんなに革ジャンが似合う青年がいただろうか。アメリカの青春映画に登場してきそうなキャラである。そして会えば大体RideかDinosaur Jr.のバンドTシャツを着ている気がする。とにかく、気のいいお兄ちゃん、という印象を強く受けるし、実際そうだ。そこから音楽の趣向も垣間見えるが、バンドサウンドについては一貫して浮遊感を纏いつつも、バックボーンに”男らしさ”や”芯の骨太さ”が感じられる。シューゲイザーの上澄みだけを汲み取った、雰囲気バンドとは一線を画する存在だろう。
自主企画のアンコールでは、New OrderのCeremonyをカヴァーしており、フェイバリットにポストパンクや90年代オルタナの影も見え隠れする。
かと思えばドラムの加藤卓也はアイドルへの造詣も深い。テイストや好みは洋楽に趣が深そうだが、楽曲の骨組みはむしろ日本的なしっかりとした作りで、聴き応えのある曲が多いような印象だ。そんな面白いバランスで成り立っている彼らの最初の作品”Carnival e.p.”が2017年6月にリリースされたので、紐解いていきたい。
M1”Tiny Dancer”では、いきなりドラムとベースのリズムセクションによる”お祭りビート”から幕開けする。さながら和太鼓のようなこのリズムは、クセが強い上にマヌケな感じが出やすい為、敬遠されがちだが、かっこ悪くならないラインを見極めてサラッと楽曲に消化されており、展開に引き込んでいく。
サビでは浮遊感のあるパートに突入し“麗しのタイニーダンサー””うかぶアトランティス”等、祭りの持つ一種の非日常性がリリック・メロディ・コーラスで描写されており、ひと夏の胸の高鳴りを想起させてくれる。
M2”しんせい”は今作のリードトラックにもなっている珠玉の一曲だ。打って変わってシューゲサウンド炸裂、ウォールオブノイズとはまさにこのこと。
曲が始まった瞬間のアンセム感は、シンプルなコード進行と口ずさみやすいポップなリフがギターサウンドを引き立てている側面が強い。弾ける爽やかな炭酸飲料のような、青春の味がするお手本のようなシューゲサウンドに、どういうわけか「ありがとう」という気持ちすら芽生えてくる音だ。リリックも甘酸っぱい。
“ハローグッバイ、繰り返すそれで良いさ / それじゃあまたね、君とならそれで良いさ”
“触れ合ったら宇宙までとべるような気がした”
“ハローグッバイ、繰り返すそれで良いさ / ハローグッバイ、思い出には生きられない”
儚いリリックが爽快な楽曲にのせられ、初期スーパーカーにも引けを取らない「青さ」やそれ故の「淡さ」が表現されている。また「繰り返す」「環状線」「繋がっている」等、単語の意味をリンクさせるテクニックもサラリと盛り込まれている。中盤の炎のギターソロののち、一旦クールダウンを挟んでコード進行の妙でリフレインを引き立たせる最後の大団円へと向かっていく。
M3”trichro”は今作で唯一ドラムの加藤卓也が作詞作曲・リードボーカルを取っている楽曲だ。開始早々ライドよろしくな8ビートにのせて、再び爆裂ギターが炸裂する爽快さ。間奏では細かいアルペジオとカッティングワークから7拍子の展開へと昇華され、混沌とした形で曲が終わる。中盤のギターやドラムの細かいフレージングも、メリハリのついたベースワークがあってこそだ。力強く輪郭を出すところは出して、遊ぶところは遊ぶという徹底したチームワークの結晶を感じる。
最後のM4”Carnival”では、まさに祭りの後を彷彿とさせるエンディングに相応しい一曲に仕上がっている。怪しげなギターカッティングがポストパンク的でもありながら、抜いた様子のAメロ・Bメロを経て、ドカンとサビの大きい展開へと導かれる。どこか退廃的な味付けになっており、段々と「祭りの幻想」から「現実」へと引き戻されていくような締めくくり方だ。どことなく「幽々白書」のエンディングに使われていそうな、そんな儚くも美しい荒廃した終幕にて、この作品は終了する。
意識的かどうかは分かり兼ねるが、今作の楽曲は全て日本語詞で作られている。ジャケットもカーニバルということで、阿波踊りがモチーフとして採用されており、楽曲のリズムパターンやリリックからも随所に”日本的”な空気を感じられる仕上がり。そして、一貫して「祭り」という題材に徹底してのっとった作品づくりを、最初のリリースから出来てしまっている事実にも、彼らのストイックさが伺える。
淡いテイストや曖昧な音像を重ねて輪郭を表現するというシューゲイザーの王道を踏襲しながらも、雰囲気だけに終始せず、しっかりとオリジナリティも刻まれている今作。
是非、次世代を担う”しんせい”の、フィードバックの洪水に溺れてみてほしい。
WRITER
-
パラメヒコというバンドのギターボーカル担当、The Tigersのギター担当。西宮市出身、
OTHER POSTS
立命館大学卒、大阪在住の「三都物語」達成者。幼少期からのジュビロ磐田サポーター。隠れ帰国子女にして、元ミランジュニアの右サイドバッカーでもある。