西洋の文化にアジアの音楽をどう取り入れるか。幾何学模様のGo Kurosawaに聞くローカリティと音楽の関係性。
トランスナショナルな移動とその経験は、アイデンティティや表現活動のあり方に、どのような影響を及ぼすのか。ローカルとグローバルを行ったり来たりしながら表現活動をする意味や葛藤について、日本人5人組のサイケデリックバンド「幾何学模様(Kikagaku Moyo)」のメンバー・Goさんに、アムステルダムの自宅兼スタジオで話を聞いた。
世界中を越境しながら活動する5人組のバンド「幾何学模様」。Goさんを含めた2人のメンバーは現在、オランダ・アムステルダムを拠点としている。2015年には、アジアの音楽シーンを世界へ発信するレーベル「Guruguru Brain」も設立。東京出身、アメリカで音楽ビジネスを勉強し、現在はヨーロッパで活動するGoさんは、移動やローカリティ、その間で生まれる表現活動について、どのように考えているのだろうか。
日本を出る前は日本人でも、アジア人でもない。東京を出る前は、自分が東京人という感覚もなかった
Goさんはアメリカの大学に行かれていますが、そもそもなぜ日本を出ようと思ったんでしょうか?
東京にいると「いつか他の場所に出て何かやりたい」という感覚が、あまり周りにないことに気づいた。東京で生まれ育つと、そのまま東京で一生過ごす人がほとんどだよね。
自分は高田馬場で育ったので、地元の早稲田大学の学生の姿を小さい頃から見てたんだけど、「日本の大学ってこんな感じなんだな、自分もこうなるのかな」、とぼんやり考えてた。でも、小さい頃から周りに外国人が沢山いて違う世界があるんだなと気づいたのと、このまま日本の大学に進学するのは違うな、と思った時に選択肢は海外しかなかった。結局、アメリカ・コロラド州に行き、そこでミュージックビジネスを勉強しました。
東北のど田舎生まれの私には、「いつかここから出ていく」という感覚や他の都市への憧れは、周囲のムードとして少なからずありました。だから、「いつか違う街に行く」という考えがない東京の人の感覚を聞くのは新鮮です。ちなみに音楽を仕事にしていきたい、と思ったきっかけなどはあるんでしょうか?
音楽でやりたい、と思ったことは特に今までもなかった。母が小学校で音楽を教えていたので、音楽の仕事は学校の先生ぐらいしか思いつかなかったし、ミュージシャンになるなんて思ってもいなかったよ。そういう意味で、原風景はなかったな。
ただ、アメリカで音楽やっている人見たら、意外に下手な人も多くて(笑)。日本で音楽やっている人はめちゃくちゃうまい。これくらいできると、欧米では「私、音楽できます」ってむっちゃ主張するよね。私たちのOKレベルと向こうのOKレベルは違うというか。
小さい頃から英才教育を受けた才能のある人しか音楽業界に行かないのはもったいないような気もしますよね。日本、アメリカ、ヨーロッパに住んで、自分のアイデンティティの変化を感じますか?
アイデンティティは常に変わってるし、毎週変わってる。アメリカにいた時は、あまり外国人扱いされなかった。日本人、というのはあくまでサブジャンルのカテゴリー。ヨーロッパだと、「まずどこから来たの?」と聞かれる。一番初めに外国人とカテゴリー化されるイメージ。ヨーロッパだと、日本のことむっちゃ話させられるけど、アメリカはそこまでじゃなかったかな。
今まで周りにアジア人があまりいなかったこともあるかも。たまにアジア系の人に会うと親近感湧くよね。そういう経験は、自分がマイノリティになった、ということなのかな。
日本を出る前は日本人でも、アジア人でもない。東京を出る前は、自分が東京人という感覚もなかった。海外に出てはじめて、自分が「外国人」になったよね。
アジアの音楽って、そんなにしっかりとジャンルが分かれていないのが面白い
そういった感覚は、Guruguru Brainがアジアの音楽を紹介するレーベルとして活動することにつながっていますか?
そうだね、初めて幾何学模様でツアーをした時に、非白人のバンドがあまりいないことに気づいたんだよね。フェスに出ても自分たち以外は大体アメリカ、イギリス、オーストラリア出身の白人バンドという感じで。インターナショナル・フェスティバルと言ってても、全然インターナショナルじゃないな、と思うことが多かった。インタビューを受けても「わびさび」とか、ありふれたことを聞かれて、アジア人ってエキゾチックに見られてるんだろうな、と。
でも、一口にアジアといっても広い。そしてアジアの音楽って、そんなにしっかりとジャンルが分かれていないのが面白いんだよね。普通、音楽って「ヒップホップ」「ジャズ」とかジャンルにフォーカスするけど、そうじゃない。欧米のジャンルにあてはめて「サイケバンド」と分類されるけど、全然違うタイプの音楽が出てきたりする。
海外のインディーや若者文化のなかに、どうやってアジアの音楽を取り入れるか。実際に海外でツアーしている自分たちだからこそできることがあると思ってる。
GuruGuru Brainのリスナーも白人系であることが多いんでしょうか?その存在を意識することはありますか?
将来的に、白人は白人の音楽を、日本人は日本人の音楽を聞く、みたいな世界がもっとぐちゃぐちゃになるはず。他の地域の文化に触れることが、これからはかっこいいとされる時代になるだろうなと思う。
日本人として洋楽を初めて聞いた時に、”違うもの”感があるよね。歌詞もわけわからないし、日本語訳を読んでもよくわからない。よくわからないけど格好いい、そんな感覚があった。でもこの感覚が、なんで逆だと通用しないんだろうと思って。アメリカやイギリスの英語圏の人は、そんな努力をした経験はない。他の言語から訳されたものを頑張って読む経験もない。全部自分のところで解決するようになっている。そういうのも、どんどん変えていきたいな、という思いはあった。
頑張って解読したら、歌詞やべえ、みたいな経験、確かにあったなあ。そういえば最近、パキスタン人の友達と話していて。彼女がスーフィズムの音楽について教えてくれて、Youtubeとかで一生懸命調べてみたんですけど、でも、ライブで聞かなきゃダメなんだよ、とか言われて、ああじゃあいつか行って見たいなとか思ったり。そうやって頑張って掘っていく感覚が、Spotifyなどで音楽にアクセスしやすい今、あんまりないなと思っています。
白人視点だと、結局エキゾチックの視点でディグる、というので終わってしまうことが多い。最近80年代の日本の音楽、例えば山下達郎とかアンビエントなどが流行っているけど、これも、アメリカのレーベルが再発見して、それがトレンドの火付けになったし、日本人もそれで逆に日本の音楽を聞くようになった。自分たちの持ってるものだと、良さが分からない。
一方で、俺らは伝統音楽をやっているわけではない。ヨーロッパやアメリカの音楽を聴いて育ったキッズが、そういう音楽を真似した後に、それだけではなくオリジナリティを試行錯誤して生まれたのが、今アジアから出てきている。
文化の違いを隠すんじゃなくて、出してくのがかっこいい
Goさんはアジアのアーティストをどうやって発掘しているんですか?
現地のレーベルや、レコード屋さん、アーティストと繋がっているので、その人たちから情報が送られてくる。日本で売れた人を俺らが取り扱ってもあまり意味がないし、レコード出してないけどいいアーティストってむっちゃいるからね。
アジアの場合、国内需要がそのまま海外需要に直結する、というケースはK-popくらいしかない。それがアメリカやイギリスだと、国内で1位だったら世界中のフェスに自動的に出れる。これは特権だよね。
何をもって美しいか、という音の聞こえ方も世界によって違いますよね。例えば、スーフィズムの音楽を初めて聞いたら、ほとんどの人は最初は良さが分からないはず。耳もコロナイズ(植民地化)されているというか。
耳もコロナイズされているし、舌もコロナイズされている。醤油の塩分高すぎ、とかね(笑)。
最近、黒人映画を集中的に見る機会があって。僕たちが小さい頃から見てた洋画は白人中心で、黒人で言うとエディ・マーフィとか、コメディ系しかなかったよね。そういう意味で、黒人の描かれ方、黒人の愛の表現の仕方とかを、俺らはあまり知らない。白人のラブコメには慣れ親しんでても、黒人の愛の伝え方はもっとポエティックだったりとか。日本で生まれ育つと、こういうことに気がつくことは難しい。俺自身、80年代~90年代の黒人の映画とか、全然知らなかった。
60年代・公民権運動の時期を舞台にした映画『Guess Who’s Coming to Dinner(招かれざる客)』という映画、面白いよ。白人女性が、黒人の彼氏を実家に連れて行く話。彼は医者なので、彼女は両親にその話をしてたんだけど、ドクターって聞いたら白人って思うよね。アメリカのリベラル派の白人が、自分の娘が黒人と結婚するときの心の葛藤みたいなのを描いてる。
最近の映画でも、『Get Out(ゲット・アウト)』も、黒人の彼氏を実家に連れて帰る、というところからストーリーが始まりますよね。
そうそう。日本だと、そういう文脈があまり理解できないよね。
最後に、これからやりたいことなど、ありますか?
分かんない。あるけど精一杯だよね。来年どうなるか分からないし、長期プランがたてにくい。
レーベルに関しては、NPOにしようかなと思っていて。プロフィットを取るのがもういいかな、というか。取らずにできる方法があるなら考えてみたいなと。
日本人としてアジアの音楽を出すとき、白人と同じ立場になってはいけないと思って。他の団体を見ていて、白人主導のオーガナイゼーションって、絶対限界あると思った。白人主導でアンチレイシズムとか、マルチカルチュラルとかやろうとしたとき、最終的に、「どこまでそれやるつもりなんですか?」と疑問がある。特にプロフィットを取ってやってたら、資本主義のなかでお金が白人や男性に集まりがち。そういう構造を、無視できないんじゃないかと思って。NPOにしたら、もっとバンドそのものにお金が入る仕組みができるかもと思っている。
コレクティブ的な考え方で良いですね!
そう。僕らが今までやってきたのをツールとして使えれば、アジアのバンドやアーティストが聞かれる状況はもっと増えると思う。彼らをヨーロッパに呼ぶこともできかもしれない。
ストリートの素地があるアメリカやイギリスに比べて、大陸ヨーロッパの音楽やファッションはまだ権威的。ヨーロッパのバンドマンは、みんな音大行ってるからね。エリーティストでうまいけど、かっこよくない。ファッションも綺麗だけどコンサバで、正解だけど面白くない。
だから、文化の違いを隠すんじゃなくて、出してくのがかっこいい、という世界にしたいよね。今までは、日本から海外に出たときに、馴染むように、ばかにされないように、振る舞いを合わせてきた。でもそうじゃなくても良いよね。異人種が来たときに、あれ、こいつらのこの感じすげーいいじゃん、という風にしたい。変さがかっこいい世の中に、もっとなってほしいな。
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都市・建築・まちづくり分野における執筆や編集、リサーチほか、文化芸術分野でのキュレーションや新規プログラムのプロデュース、ディレクション、ファシリテーションなど、幅広く表現活動を行う。都市に関する世界の事例をキュレーション ・アーカイブするバイリンガルWebメディア「Traveling Circus of Urbanism」、アーバニスト・イン・レジデンス「Bridge To」を運営。一般社団法人「for Cities」共同代表・理事。
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