
脱東京で実験的なスペースを―「わかりづらくても間口は広げる」鹿沼〈Center〉の模索とこれから
栃木県鹿沼市にある〈Center〉は、「模索する多目的スペース+宿泊」を掲げている。経営するのは、“実験的”な表現活動を東京で長く続けてきた二人の作家だ。二人が東京を去った動機の一つは、イベント過多で閉鎖的なコミュニティになりつつある東京に疑問を感じたことだった。二人には人口9万人の小さな街での模索の3年間を振り返ってもらいつつ、鹿沼市に住む他者の視点も交えたインタビューを行った。
Center
〒322-0052 栃木県鹿沼市銀座1-1273
営業日時
・1階多目的スペース:月金土の11:00-17:00
・2階宿泊:年中無休
Webサイト:https://center-kanuma.net/
SNS:Xのアカウント/Instagramのアカウント
浅草駅から日光行きの特急列車に乗って約1時間20分。新鹿沼駅で降車し、徒歩約15分。いかにも旧市街を思わせる「銀座」と呼ばれる通りに入って少し進むと、〈Center〉がある。1階が多目的スペース、2階が宿泊フロアだ。
〈Center〉を経営するのは、河野円(こうのまどか)と田巻真寛(たまきしんかん)。河野は“実験的”な音楽を演奏するサウンドアーティストで、田巻は“実験的”な映像を制作する映像作家だ。二人は多目的スペースで開催するライブや上映、ワークショップ、展覧会等のディレクションも手がける。二人が企画するイベントは、やはり実験的なものが多い。
いまどき「アート×宿泊×地方」という組み合わせの施設やスペースは珍しくないが、そのアートが絵画や立体作品ではなく音や映像で、しかも実験的であるとなれば、数多くはない。鑑賞者の数も、ポップでキャッチーなアートと比べるとぐんと減る。ちなみに鹿沼市の人口は、東京23区の約100分の1。実験的な表現を続けるなら、人口の多い東京の方が断然活動しやすそうだが、二人はどうして地方へ移住し、小さな街にスペースをつくったのだろうか。
河野円とPhilip Gayleによる演奏
田巻真寛による映像(音楽は秋山徹次+中村としまる)
東京のライブやイベント状況への疑問
公私ともにパートナーである河野と田巻は、もともと東京都練馬区に暮らしていた。二人とも会社員でありながら、それぞれ作家活動も並行させていたが、そこに第一子の子育てが始まった。2DKの部屋が狭くなり、近場で一軒家を購入することも考えたがとても予算には合わなかったという。「ローンを組んだら一生会社員を辞められない」「退職後もローン返済が残る」と気づき、移住先を探し始める。
東京で長く活動してきた作家として、東京を離れることに不安はありませんでしたか?
私は妊娠出産を経てそもそも演奏する機会が減っていました。授乳期が終わっても、21時や22時には寝る生活です。ライブは一般的には夜開催。夜に外出して演奏するのはハードルが高くなっていました。あと、東京はイベントが多すぎる。客席にいるのはほとんど音楽家、という状況も多かったです。
出演者のプロフィールが、告知ページに載っていないことも多かった。知っている人だけが来る、そういう閉鎖的なコミュニティになってしまいつつあったと思います。
「今日はお客さん少なかったけど、演奏は良かったよね」と出演者同士で励まし合うこともありました。東京では紙のフライヤーを作らず配らず、ネット上の告知だけで済ますことも当たり前でした。丁寧な紹介がなければ、知らない人が来てくれることはないと思うんですよね。
田巻さんは映像作家ですが、映像関係のイベントでも似たような状況でしたか?
映像は東京でも発表の場がなかなかないんです。それで、自分で機会をつくろうと、年に2〜3回国内外から映像作家を東京へ呼んで、音と映像の実験場「Sound Screening」というイベントを企画していました。でも東京は会場費が高い。できるだけ安い会場を借りても、赤字が怖かった。東京を出ると、自分たちのスペースを持つことができる。そうなると、会場費の心配をしなくていい。東京を出た方が活動がやりやすくなると考えていました。
移住後の生業は宿泊業でいこう!
タコツボ化していく都会の実験的な表現のコミュニティから脱出し、小さな街で、子育てに適したサイズの家で暮らし、自分たちのスペースを持ち、実験的で開放的な表現のスペースをつくりたいと二人は考えた。そしてそのスペースには、生業として宿泊施設を併設することにした。
どうして宿泊業だったんでしょう?
まず一番やりたかったのは、表現活動ができるスペースをつくること。ただ、それだけで食うのは難しい。
かといって、私たちは手に職があるわけでもない。じゃあ何ができるだろうと考えた時、私は会社員時代に人事部門で外国人の受け入れも担当していたので、英語が多少できる。田巻も、英語がちょっとできる。
僕は旅行が好きだったんです。バックパック背負ってアジアも周ったりして。
なので、「宿泊業ならできるんじゃない?」って(笑)
安易な考えでしたね(笑)
2020年、新型コロナウイルスの流行と同時期に、二人は湘南エリア(河野の出身地)と栃木県宇都宮市(田巻の出身地)で物件を探しはじめる。宿泊施設も併設するため、ある程度大きく、改装可能な物件が必要だ。湘南エリアは街のブランド化が進んでおり、早々に選択肢から外した。田巻の出身地である宇都宮市も、都市規模が大きいためか、安くて大きな物件がなかなか見つからない。
物件探しに苦労していた頃、〈Center〉のリノベーションをお願いした鹿沼市在住の若い建築士と出会ったんです。
その建築士に鹿沼市を案内してもらったら、空いている物件が意外と多い。それに、鹿沼市は東京から特急一本で来れるし、〈Center〉のある銀座通りまでは駅から歩ける距離。予算に合った2つの物件で悩みましたが、最終的にこの銀座通りの2階建ての物件に決めました。
でも全国的に空き物件が増えている地域は、その分人口も減少していますよね。そういう地域で、実験的な表現を軸としたスペースを始めることに、不安はありませんでしたか?
〈Center〉のコンテンツには自信があったんです。特に田巻による映像の企画は、日本で他に誰もやっていないユニークなもの。だから〈Center〉がどこであっても、来てもらえるだろうと。
さらに、鹿沼市は僕の実家(宇都宮市)が近い。自然も近いし、子育てもしやすい。僕らが鹿沼に最初に来たとき、歴史があるこの町の雰囲気が気に入りました。あと、宿泊業が生業として成り立つ地域かどうかも重視していました。ここ北関東エリアでは日光が巨大な観光地です。東京から日光に向かう場合、その途中に鹿沼がある。日光へ向かう旅行客が、手前の鹿沼で途中下車して〈Center〉に泊まってくれることがあるんじゃないかという読みでした。
でも、始めてやっとわかったのは、日光へ行く人は、だいたい日光で泊まるんですよね(笑)
稀に、「日光へ行きたいけど人混みは苦手、泊まるのは静かなところがいい」という人が、うちに来てくれることがあります。そういう人は、鹿沼の静かさと町の雰囲気にハマっていますね。
わかりづらくても、間口は広げる
河野と田巻と二人の子どもたち、計4名の一家が鹿沼に移住したのは2022年3月だった。それからたった3カ月後の2022年7月、〈Center〉のプレオープンイベントを開催した。2階の宿泊フロアはまず1室のみ稼働させ、正式オープン後も少しずつ改装作業を行った。大工に相談しつつDIYで施工した部分も多い。2023年には、宿泊フロア全3室の整備を終え、1階多目的スペース奥にはアーティスト・イン・レジデンスで滞在する作家向けのスタジオも作った。
プレオープンから現在まで、多目的スペースでは展覧会や上映、ライブ、トーク、ワークショップなどを開催している。全てのイベントフライヤーやWeb告知に、「どのようなイベントか」が明確にわかる説明があり、出演者の丁寧なプロフィールも読める。(〈Center〉WebサイトのEVENTページを参照)。
ただ、チラシや丁寧な告知が集客に結びついているかといえば、正直なところあんまり……。でも、やらないよりもやった方がいいですよね。来なかったお客さんにも「こういう作家がいるんだ」と知ってほしいですし。チラシをきちんと作成するのはアーカイブの意味もあります。
この動画で演奏する高橋朝(たかはしつかさ)は鹿沼市拠点のドラマー。鹿沼市の書店兼イベントスペース〈興文堂〉店主で(書店は閉店)、Maher Shalal Hash Bazにも参加している。
多目的スペースで行うライブやイベント、展覧会などに、近隣住民も訪れますか?
実験的な音楽や映像にまったく触れてこなかった人は、あまり来ない。やっぱり、わけのわからないものに飛び込んでくる人はあまりいないですよね。
〇〇屋さんではないという「わかりづらさ」があるかもしれないですよね。ここから〈Center〉は4年目ですが、このまま「わかりづらさ」がある状態でいいと考えていますか?
はい、わかりづらいままでいいと考えています。始めてすぐの頃は、こういう表現に触れてこなかった人に対しても、わかりやすく説明しようとがんばっていました。でも、明らかに興味を持っていない人に対して、伝える努力をしても……。
実験的な表現のイベントを、わかりやすく説明してまで来てもらおうとは思わないんですよね。3年間やってみて、そこにあまり力を注がなくていいんじゃないかと思うようになりました。ただし、間口だけは常に広くしています。普段は1階で実験的だったり尖った感じのイベントをやっていますが、「夏まつりセンター」等、年に数回、子どもの出店(でみせ)もある地域のお祭りイベントを混ぜ込んでいます。あと鹿沼市と連携して、〈Center〉を市のイベントに活用してもらったり。実験的なことばかりをやっている怪しい場所になってしまわないよう、敷居を下げる取り組みはしてますね。
実験的な表現となれば、鑑賞者数は当然減る。無理に表現を押しつけないというのは、自然であり重要な選択だろう。一方で、大衆に擦り寄って「わかりやすい」アートや表現を増やしていこうと考えたことはなかっただろうか。
やっぱり自分たちがやりたくないことはやりたくない。自分たちが「面白い」と思っていることをやりたい。そこは、はっきりしています。
ライブを企画する場合は、わかりやすくするのではなく、出来る限り栃木県や近隣の音楽家もブッキングするようにしています。そういう工夫はしますが、だからといって誰でもいいわけではない。自分たちもその人の音楽や表現を知ったうえで「この人に出てほしい」と思う人に出てもらうようにしています。
一方で〈Center〉は、鹿沼市役所と積極的に協働している。鹿沼市の移住体験事業と連携したり、多目的スペースを市主催のイベントに活用してもらうこともある。過去には、鹿沼市長と教育長と市民の座談会が〈Center〉で開催された(鹿沼市生涯学習課青少年係による「はたちの座談会2024〜Kotatsu Talk〜」のこと。この様子は鹿沼市の広報誌『広報かぬま』No.1283で見ることができる)。東京や都心の実験的なスペースが行政と連携することはなかなか想像できないが(スペース側から働きかけない限り)、鹿沼市の市職員は「わかりづらい」かもしれない〈Center〉をどのように見ていて、またどうして選んだのだろうか。〈Center〉におためし宿泊事業を委託する、鹿沼市総合政策部地域課題対策課で移住・定住事業を担当する佐藤由季子さんに聞いてみた。
確かに〈Center〉は一般的な飲食店やギャラリーではなく、そこで行われている表現はキャッチーではないかもしれません。でも、宿泊、カフェ、物販など、複数の機能を持っているので、訪問しやすいですよね。それに〈Center〉は、実験的な表現のイベントを継続しながら、地域のためにお祭りイベントを自主的に開催したりして地域にも開いています。ここで行われる表現は尖っていても、間口を広げてくれている。市としては協働のお声がけもしやすく、助かっています。
佐藤由季子さん
ちなみに、佐藤さんへの取材と〈Center〉への取材は別で行っており、両者は同席していない。そのうえで、市職員である佐藤さんの側から、間口の広さについての評価が自然と出てきたことは興味深い。
移住後の作家活動へのモチベーションは?
〈Center〉が鹿沼に誕生して3年経ち、鹿沼市内外で少しずつ認知度が増してきた。個々の作家活動については、どうだろうか。
作家活動は、ストレスなくできていますか?「やっぱり東京の方が作家としては活動しやすかった」というようなことはないでしょうか。
僕は今の方が可能性が広がってます。〈Center〉で実験映像のイベントを開催して海外から映像作家が来てくれるようになり、さらにその作家が帰国した後、〈Center〉を周囲に広めてくれています。そのつながりが発展してきて、「こんなにすごい映像作家が鹿沼に来てくれるなんて!」と驚くことも起こっています。
私はコロナ禍も経て音楽活動へのモチベーションが少し下がったまま鹿沼に移住しました。そうしたら、こちらでは「一緒にやろう」と誘ってくれる音楽家が少ないので、演奏の機会が減ってしまっていますね。東京だと音楽家が多いので誰かが誘ってくれたり、自分も「この人と一緒に演奏したい」と思う人がいました。でも、機会が減ったことが嫌ではないんです。今は、自分で演奏はしなくとも、イベントの企画ができています。もしかしたら東京にいた頃は、「周りがやってるから自分も演奏しなきゃ」と焦っていたのかもしれないです。
ライブの数が多ければいいというわけでもないですよね。
ただ、昔のように頻繁にライブをしないことで、演奏する感覚は鈍っていますね。まあ、またいつか、自分から演奏したいと思うようになるのかもしれない。
副業も検討しつつ、生業の柱を増やす
生業としてはどうでしょう。宿泊業で収益が出ている状況でしょうか?
宿泊業だけでは、まだギリギリやれていないですね(笑)
去年までは二人とも交互にバイトをしてました。ただ、副業がフルタイムだと〈Center〉の仕事が進まなくなるので、バランスが難しい。
二人とも会社員だったから、いざとなれば組織でも働くことができるというのは強いですよね。
会社員って、毎月お給料が振り込まれるのが普通ですよね。自営業になってから、毎月決まって振り込まれるものがないという感覚に慣れなくて。
河野は心配性なんで。
心配しなさすぎだって(笑)。私は数字を見るのが好きなんです。
(笑) 今、生業での計画や目標はありますか?
当初は、宿・飲食・物販の3つを柱にして事業計画を練っていました。でも飲食は、労力を考えると収益を出すのが難しい。宿泊だけでやっていくのも大変で。最近は、「まちづくり事業は違うよね」「鹿沼から発信する文化芸術のメディアを立ち上げてみる?」「でもメディアって収益を出すのは難しいよね」とか会話しながら、新たな柱となる事業を考え中です。
柱をもう少し増やしたいですね。やりたくないことはなるべくやらずに、どうやったら生業として成立するか。大都市以外の場所でこういうスペースをやる例も増えてきていると思うんですけど、「鹿沼の〈Center〉っていう場所は、こういうふうに3年4年5年……と続けてきているぞ」という例は、広く見てもらえたらいいなと思っています。僕らが実験台になって、どうやってこういう場所を維持していくのかを、見せられたら。
「実験台」とか、カッコつけちゃって(笑)
いいじゃん(笑)
〈Center〉の常連客は多くはないが、個性的だ。海外赴任先で現地のノイズ音楽を探求してきた猛者もおり、小劇場の演劇シーンで活動してきた人もいる。常連客で鹿沼市在住者のうちの一人に、今、どのようにこの場を見ているのか、聞いてみた。
わけがわからない表現を、「難しいな」と受け取る人もいますが、「面白いな」と受け取る人もいます。〈Center〉は、わけのわからないものを、わけのわからないまま受け取れる場として、鹿沼にあってほしいです。
また、実験的ではないもの――すでに有名なものや、すでに権威あるもの――だけがいつも感動を与えてくれるわけではありません。人が深い感動に出合う瞬間は、そういった有名性や権威から離れて自由な状態にあります。〈Center〉は、そういう自由な感動と出合える場です。ただ〈Center〉も、継続して積み重ねていくことで、いつか有名になって、権威ある存在になっていくのかもしれませんよね。それも過程で、運営する人たちが、どの方向へ進むか考えて決めていくことなんだろうなと思います。
鹿沼市在住の常連客
「模索する」という言葉を自ら掲げた〈Center〉。二人と対話していると、試行錯誤を恐れない姿勢を強く感じる。完成させてしまうことなく、模索をひたすら続ける姿をこれからも見せてくれるだろう。二人の問題意識や日々の経験が生々しく綴られた〈Center〉のnoteを読んでいると、ますますそう思う。
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ライター・編集者(バイトと兼業)。1983年生まれ、尼崎市出身。2015年から約5年間那覇市に暮らし、2020年より神戸市在住。アジアを読む文芸誌『オフショア』の編集・発行人。共編著書に『ファンキー中国 出会いから紡がれること』(灯光舎)。
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