INTERVIEW

音楽フェスにおける「緩さ」と「自由」とは? 山中の祝祭『MACHIFES. 』が生み出す小さな連帯

2013年、群馬県在住の若者を中心に立ち上げられた『MACHIFES.(マチフェス)』は、いわゆる商業的な音楽フェスとは一線を引いたDIYのイベントだ。今年で10回目の開催となるが、2日間の通し券および1日目のチケットはソールドアウト。外部の協賛や後援、宣伝などがないにも関わらず、ファンを獲得し続けている。その秘密が何なのかフェスの中心人物である、下北沢のライブハウスBASEMENTBARのブッキング担当を務める片山翔太に話を聞いた。

MUSIC 2025.07.30 Written By 青木 里紗

2013年、群馬県在住の若者を中心に有志によって立ち上げられた『MACHIKADO FES.』。同県みどり市の小平の里キャンプ場にて産声をあげ、翌年は休止したものの2015年からは再開し現在に至る。

 

2017年には『MACHIFES.』と改名し継続する中で、口コミでじわじわと評判を高めてきた。そのフェスを取り仕切る中心人物の一人が片山翔太だ。群馬大学在学中にライブハウスへ通うことに熱中し、県内で自主企画を打っている中で誘われたのが『MACHIFES.』実行委員への加入だったという。

 

その頃から現在も『MACHIFES.』は、有志の実行委員やボランティアスタッフの力だけで運営され、資本を企業などに依存しないインディペンデントな体制で行われている。なぜ、外部の協賛や後援、宣伝や制作サポートがないにも関わらず、『MACHIFES.』はここまでファンを獲得し続けられるのだろうか。そんな疑問を胸に片山に話を聞いてみた。

 

写真:pei the machinegun

「これはしないでください」みたいなルールを決めたくない

──

片山さんが『MACHIFES.』 に携わるようになったきっかけを聞かせてください。

片山

大学生の時、群馬にいながら県内や東京のいろんなライブを観に行っていたんですけど。ライブハウスに通う中で「群馬県内でライブを観たいから自分でイベントをやります」、ってお客さんに出会ったんですね。その方が企画に呼んでいたのがシャムキャッツやSEBASTIAN X。「うわ、いちお客さんがこんなライブを群馬で企画していいんだ」とすごく感動したんです。それに影響を受けて「今度は自分も企画をやりたい!」ってなって、自分も群馬で企画を打つようになった。そうしたらある時『MACHIFES.』主宰のオカダケイシからDMが来て「ちょっと相談があるので会えませんか?」みたいな。それで2012年のクリスマスに、彼が働いているカフェに会いに行って。

──

オカダさんはもともと知り合いではなかったんですね。

片山

知り合いじゃないです。僕が当時企画したイベントに呼んだMOJAっていうバンドのことを、ケイシも好きだったらしくて。それで僕のことを知ったみたいなんです。お互い同い年だし何か一緒に企画できるんじゃないか、と思ったんじゃないですかね。当時、『MACHIFES.』の実行委員が7、8人いてみんな同い年だったんですよ。だから実行委員に入ってくれないか、みたいな感じで誘われて入りました。

──

オカダさんは群馬の出身なのでしょうか。

片山

群馬の桐生っていう街で生まれ育って、街のことをよく知ってるし知り合いもいっぱいいて。多分、彼が子どもの頃はカッコいい場所とか遊び場がいっぱいあったのに、自分が大人になってみるとそういう場所が減ってしまった、みたいな感覚がずっとあったんだと思うんです。だったら自分たちで遊び場を作った方がいいっていうのが『MACHIFES.』の始まりだったんじゃないかな。

──

最初はどんなフェスにしたいとイメージしていたのでしょうか。

片山

最初は『MACHIKADO FES.』っていう名前で、小平の里(キャンプ場/※みどり市は、桐生市に隣接している)を軸に、桐生の街中でもどんどんイベントをやっていく予定だったんです。内容もライブだけじゃなかった。最初の2013年はマジックショーとかやってたし、いろんな要素を取り込みすぎていて。でも初年度は運営管理がまったくできてなかったんですよ。フェスがスタートしたら受付とかバーカウンターに誰もいない、とかざらにあってグダグダで一日中走り回ってた。それで結果的にケイシが燃え尽きちゃったので2014年はお休みして。そのあとケイシ以外の実行委員の何人かが「音楽フェスやりたい!」と集まって再開してカタチになったのが今の『MACHIFES.』です。で、自分が再開のタイミングから中心で仕切るようになって。当時の実行委員で、ライブの制作経験のある人が自分以外いなかったから。

──

そうなると自然と片山さんが運営の中心になっていくのは理解できます。ただ、主宰のオカダさんの思いを引き継いで運営していくのはプレッシャーも感じそうですね。

片山

自分のことをやるしかないし、やらなきゃいけないことが多くて。最初は本当に精いっぱいだったんですよね。でもプレッシャーに感じたことはあまりないかな。なんだかんだ伸び伸びやっていたから。大体のことは自分で決めていましたけど、「ここわかんねえな」みたいに悩んだ時にはケイシに相談したりして。

──

自由に考える裁量が大きかったんですね。でも資金や予算面で苦労はありませんでしたか。有志で運営するとなると大変ですよね。

片山

今はもうチケットの売上だけで出演者のギャラだったり会場費が賄えてます。でも最初は実行委員の中で資金を出し合ってなんとかやっていたので、マジでお金はなかったです。自分たちにやれることを大事にしていくなかで、自然と人と人の気持ちを一番に考えるようになったんです。フェスにいる人全員を、ルールで縛りたくなかったんですよね。

──

会場にいる人たちの気持ちを尊重したいと。

片山

例えば昔、ネバヤンが出てくれた時って安部ちゃん(安部勇磨/never young beach)は客席とか会場内を普通にうろちょろ歩いてて。そうやって自由に楽しんでくれるアーティストのことも守りたいし、そのアーティストに話しかけたいっていうお客さんの気持ちも守りたい。「これはしないでください」みたいなルールで決めるんじゃなくて、お互いの思いやりというか気持ちでやり合いたい。相手が喜んでくれるならそうしてもいいけど、嫌がることはしないようにしよう、みたいな。

お客さん用のリストバンドは、手づくりのミサンガ

──

そういったルールで縛りたくない、という思いは初期から今もずっと続いているのでしょうか?

片山

それはあります。例えば運営についてもそうで、ライブ制作のスタッフを外注すると、その分ルールを決めなきゃいけないし、みんなそれで動いちゃうじゃないですか。だから外の人に制作をお願いするのはやりたくない。『MACHIFES.』に当日参加してくれるボランティアスタッフって、事前にミーティングをするんですけど、10回近く集まる。事前に何回も会う中で、俺ともそうだし、スタッフ同士も遠慮しないでお互いにものを言える関係性を築けたらいいなと思っています。一人ひとりがその人らしく働ける空気感を作ることで、お客さんに対してもすごく柔らかく接することができるようになったりするなって感じていて。それでお客さんも緩い空気感になって(フェスを)楽しんでくれるんじゃないかな、と思うんです。当日緊張したまま一日が終わったり、仕事に慣れようとしたままその日が終わっちゃう、みたいなのはなるべく避けたい。

──

ちなみにボランティアスタッフの方は今、何人くらいいるんですか?

片山

50人ぐらいいるんですけど、ずっと手伝ってくれている子もいますね。実行委員は今3、4人なのでボランティア含めてこの人数で500人規模のフェスを運営するのって、まあめっちゃ大変。『MACHIFES.』は今のキャパが限界だし、これより人数を増やすと今のやり方はできない。

──

今のキャパが限界だな、と感じるのはどういった時でしょう。

片山

お客さん用のリストバンドは手づくりのミサンガで、スタッフ全員で編んでるんですけど、2日間開催でそれぞれ500人来場するとしたら1000本編まなきゃいけなくて。めっちゃ時間かかるんですよ。よく見る普通の紙のリストバンドってあるじゃないですか。あれって発注すると大体1本10円とか15円なんですね。でもミサンガになると1本作るのに40円ぐらいかかるんです。どう考えても非効率なんですけどやめられなくて。お客さんも楽しみにしてくれている人が多いから、ミサンガを編むためにもこれ以上キャパを増やせない(笑)

事前ミーティングの様子

人間の良心みたいなものを信じている

──

売り上げを立てることや資金面に関して苦労する部分はありませんか?

片山

今、自分たちが大事にしている『MACHIFES.』を続けていけば、売り上げは自然とついてくるかなと思っています。継続してきて口コミで広まってくれたおかげで、ここ数年チケットも売れてますし。今年は500枚チケットを販売してるけど、220人ぐらいが通し券を買ってくれているんです。チケット全体で通し券が占める割合って、他のフェスに比べるとめちゃくちゃ高いと思う。

──

リピーターがついてきている。

片山

なので今はどっちかっていうとやっぱね、集客より運営の方が体力的に大変で。『MACHIFES.』のクオリティをちゃんと維持しつつ、お客さんが来た時にがっかりさせないための最善の方法を考えてますね。実行委員の中にも結婚して子どもが生まれたり、仕事が忙しくなるとか生活の変化が出てきているので、そういう中でどうやりくりするかっていうところがあります。

──

自分たちの手が回る範囲で工夫していくと。そこでも今まで通りの規模や出演者数を保つために、少しだけスタッフを外注する、みたいな選択肢はないんですね。

片山

今のところはないですね。

──

協賛も必要ないですか?

片山

うん。やっぱり自由度の高さがよくて。例えばビール売るにしても好きな銘柄を売れるじゃないですか(笑)。(協賛側に)気を遣わなくていいのはフェスをやるうえで楽なんです。やっぱり自分たちが目指す景色というか、気持ちよくやれる空間にしたいので。そこで第三者の意見が入って、やりたいことができなくなるのは違うと思うから。

──

目指す景色っていうのは具体的にどういうものですか?

片山

演者もお客さんもスタッフも同じものを聴いたり見たりしているけど、それぞれの感覚で過ごしている。ただ単に『MACHIFES.』という空間を共有している。それが自分にとってすごく理想というか。今までシート敷いて読書する人もいたし、将棋してる人も見た気がする。『MACHIFES.』のお客さんって、ライブを観に来てる意識よりあの空間で遊んでる感覚の方が強いんじゃないかな。

──

ライブやフェス、というよりも、公園のような空間になっていると。

片山

世の中のフェスって、ライブを観るためにそこに行って非日常を味わう、みたいなことの方が多いんじゃないかと思っていて。『MACHIFES.』はそうじゃなくて日常の延長にあってほしい。地域のお祭りみたいな感覚の方が強いから、ステージの装飾も派手にしたくないし、お客さんの目に入るところに、例えば協賛の企業のフラッグが立っているとか、そういうお金の匂いがするものを置きたくなくて。

──

商業的な部分を極力出さないようにしたい。

片山

日常から離れすぎたくないんです。もしも規模が大きくなったら、その日常感も薄れてきちゃうんだろうなと思ってますね。だから今はいいバランスでやれてる。でも僕らからお客さんに向かって「好きなように過ごしていいんだよ」みたいに発信したことってほぼないんですよ。だけど自然とその空気感が共有されて、破綻せず過ごせている。これはみんなのおかげだと思う。だって言ってしまえば、ミサンガのリストバンドって外して別の人に渡せば誰でも入場できちゃう。そのぐらい緩いところは緩い。だから、人間の良心みたいなものを信じている、っていうことでもあって。

写真:小川哲汰朗

『MACHIFES.』での出会いは、ずっと続いていく人間関係

──

ルールを決めなくても、一人ひとりが考えて節度を守って楽しんでくれると。

片山

あとはコンパクトな空間の中で、全員お互いの顔が見えるっていうのもいいんだと思います。もうどこで誰が何をしているかが目に入ってくるから。大型フェスとかだと人も多いし、会場内ですれ違う人ってなんか他人って感覚じゃないですか。でも(『MACHIFES.』は)もうちっちゃなコミュニティみたいになっていて、顔が見える分、多分みんなちょっと優しくなってると思う。前にお客さんから「自分は(『MACHIFES.』の空間の中なら)どこで何してもいいんだって肯定された気がしました」みたいな感想をもらったりしたこともあって。

──

知らない人同士が集まるけれど、お互いの顔が見える距離で同じ音楽を共有している。それが自然と仲間意識につながったり、安心感をもたらすのかもしれないですね。

片山

あと、ボランティアスタッフの話になるんですけど、友達が増えてめっちゃ楽しそうなんですよ。フェスが終わったあとも、みんなで一緒にライブに行ったりしていることもあって。『MACHIFES.』での出会いって、多分ずっと続いていく人間関係にもなると思う。でも僕がこのイベントを続けようと思う一番の理由は、みんなが楽しそうにしてくれてることもあるけど、自分が楽しいからで。毎年終わるたびに「来年はこうしよう」みたいなアイデアが自然と出てくる。やっぱりあの場所に戻りたいっていう感覚がすごく強いんです。だから、「もうやれないな」って思った瞬間もあったけど、お客さんとか周りから「『MACHIFES.』って他のイベントとちょっと違うよね」みたいに言ってもらえるようにもなったしなんとか続けたいとは思ってますね。

──

片山さんやスタッフのみなさんが伸び伸びと楽しんでいる空気感が、お客さんや演者にも伝播して、結果的に温かいコミュニティが築かれたんだろうなと。それが『MACHIFES.』の個性になって今につながっているんだと思います。

片山

ほんとに、みんなの気持ちが『MACHIFES.』を支えてくれているな、っていうのが強いですね。『MACHIFES.』に関わることで、みんなの日常が豊かになってほしいなと思っているし。自分自身にとってもそうなってるんで。ただ、自分も30代半ばだし、これからは今の若い子の感覚も取り入れてあの空間を作っていけたらいいなとも考えてます。あとは、もっと群馬と密接に関わってやっていきたい。僕は東京に住んでいるので、群馬の人がうまく地元と連携して、毎日の生活とイベントをつなげてくれたらもっと面白くなってくるんじゃないかなと。

──

次の展望や課題もあるんですね。

片山

まあでも、やれることは増えたらいいですけどみんなが無理しないっていうのが大事なので。その中で『MACHIFES.』が培ってきた精神を維持して続けていきたいなと思っています。

「緩さ」は振りきってしまうと、エゴや遊びの延長にとどまってしまうこともある。それでも『MACHIFES.』は、自分たちの遊び場をカタチにするために、意思疎通という手間に何よりも時間をかけてきた。ただ仕事をする、イベントを作る、という目的以上に、相手との関係性を大切にし一緒に過ごす時間を作りあげていくこと。そうした信頼の積み重ねが、結果的にコミュニティを生み出し、その中で利益を循環させることにもつながっている。そうした顔が見える世界で生まれる安心感や自由な雰囲気が、また人を呼び寄せ、小さな祝祭が続く理由となっている。

MACHIFES. 2025 SUMMER

詳細はこちら👉️

https://antenna-mag.com/machifes-2025-summer/

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