INTERVIEW

郷土芸能の継承と経済性はどう両立する? ツアー型イベント『遠野巡灯篭木』がもたらす新たな価値

400年以上続く岩手県遠野市の郷土芸能「シシ踊り」に大きく息を吹き込んだ人がいる。それが、2016年に都内の広告代理店勤務を経て遠野市に移住した富川岳だ。ひょんなことからシシ踊りにどっぷりとなった彼は、踊り手として毎シーズン「シシ」になりながら、シシ踊りと現代的なパフォーマンスを組み合わせて郷土芸能の魅力を最大限に引き出すイベントを行うなど地域文化の旗振り役をも担う。そこに暮らす人が担う郷土芸能の世界は、これからどのように継続を考えればいいのだろうか?

OTHER 2025.07.30 Written By 青木 里紗

 

河童、ザシキワラシ、天狗、死者の魂――目には見えない神々や妖怪などの伝承が記録され、日本民俗学の夜明けを告げた歴史的名著『遠野物語』の舞台であり、シシ踊りなど独自の文化が今も色濃く残る岩手県遠野市。

 

そんな土地で2021年から繰り広げられてきたのが、遠野の民俗、芸能、食、音楽などのカルチャーを織りまぜた体験を生み出すツアー型イベント『遠野巡灯篭木(トオノメグリトロゲ)』だ。 イベントで大きな目玉となるのは、シシ踊りと現代のアーティストによるライブセッション。郷土芸能と、現代的な音楽や価値観が融合した新たな祭礼は、他では見られない唯一無二のパフォーマンスとなっている。

 

富川岳は、『遠野巡灯篭木』を立ち上げた中心人物の一人だ。都内の広告代理店勤務を経て、地域おこし協力隊として2016年に縁もゆかりもない遠野市へ移住。以降『遠野物語』やシシ踊りに触れ合うきっかけを得て、遠野の文化振興に携わりながらシシ踊りの踊り手としても活動していくこととなった。

 

そんな中、東京の編集者である塚田有那や、映像作家の坂本麻人らとともに立ち上げたのが『遠野巡灯篭木』だ。なぜ、地域に根付く文化や芸能へ、現代的な価値観を取り入れたイベントを開催し、継続するのか。郷土芸能の世界において「継承」をどのように考えているのか。そんなことを新著『シシになる。ー遠野異界探訪記ー』を刊行したばかりの富川に聞いてみた。そこで見えてきたのは地域における文化振興事業の枠を超える、個人の価値観を揺るがす豊かな気づきだった。

写真:Daisuke Murakami

何百年も続く遠野の文化と都心部で暮らす人々を接続させたい

──

著書『シシになる。ー遠野異界探訪記ー』を刊行されたばかりですが、富川さんはこれまでも『本当にはじめての遠野物語』を自費出版されるなど、遠野で暮らしながら、積極的にご自身が得てきた知識や経験を発信してきました。その中でもとくに興味深いのは、遠野の郷土芸能であるシシ踊りの踊り手としても活動されている点です。

富川

僕自身、最初はまったく踊る気はなかったんですけど、シシ踊りの団体の一つ「張山しし踊り」の練習に通って写真や映像を撮ってるうちに「岳ちゃんも踊ればいいんだ」と地元の方から声をかけられて。しかも当時、『遠野まつり』っていう遠野で一番大きいお祭りを控えていたんです。本番まであと4日しかない。そんなプレッシャーを感じながら練習しつつ、いざ本番を迎えたらめちゃくちゃ楽しかったんですよ。普段のシシ踊りは神社への奉納などをメインに行われますが『遠野まつり』のように観客に囲まれる中で「いいぞ、いいぞ」「踊れ!踊れ!」なんて言われながら踊ると、半端なくアドレナリンが出るんですね。もっと踊りたくなるし、楽しいから練習もしたくなってくる

シシ踊りの練習風景
──

見られることがモチベーションになると。

富川

シシ踊りは、神社や山の神様に奉納するといった信仰的な側面と、いわゆるお祭りとして踊る娯楽性の両輪があるから何百年も続いてきたんだと思ったんですよね。でもそういった遠野の文化や芸能の面白さって、僕が東京にいた時の友人もそうですし、クリエイターの人たちには伝わっていないと思ったんです。だから主に都心部にいる人たちと、遠野の文化をどう接続できるのかっていうのはプロデューサー視点でずっと考えていました。それも今の時代に合わせた形でやっていきたかったんですよね。

──

そこからどう『遠野巡灯篭木』の開催に結びついていくのでしょうか。

富川

そんな時に友人を介して出会ったのが編集者兼キュレーターである塚田有那さんと、映像作家の坂本麻人さんで。2人が東京から遠野に来て、遠野における死生観などをテーマとしたフィールドワークを行って、地元の方々にインタビューをしたんです。その様子を麻人さんが映像に収めて短編を制作したのですが、そこに付ける音楽をアーティストの方に制作を依頼していたんですね。その短編の上映会、楽曲を作ってくださったアーティストさんのライブ、シシ踊りという郷土芸能と、遠野の歴史や文化をたどるフィールドワークを合体させてイベントとして企画できるのでは?という話が出まして、2021年に『遠野巡灯篭木』として初めて開催しました。

──

『遠野巡灯篭木』は、アーティストと地元のシシ踊りがコラボレーションするライブセッションが一つの目玉です。富川さんもそこで実際に踊っていらっしゃいますが、開催したあと地域からの反応はどうでしたか。

富川

まず地元の方々の多くは、シシ踊りを日々の行事の一つとして捉えていて。人によっては、みんなで集まって最後にお酒を飲むのが楽しみだから、という気持ちで踊りに参加している方もいるぐらい。ですが『遠野巡灯篭木』ではわざわざ東京や海外、遠野以外の方が来てくださって、踊りを観て涙する人もいました。アーティストと連携してショーアップした空間はいつもの奉納とは異なる空間でしたが、そうした光景を見て地元の方々も、「シシ踊りは今の時代でも通用する、強度の高い芸能である」と確信したのではないでしょうか。

──

自分たちの文化や芸能の魅力を再認識する機会にもなった。

富川

もともと遠野の文化やシシ踊りに対して誇りに思っていたとは思うんですが「あ、やっぱりかっこいいんだ。 自分たちの文化って」と捉え直した流れはものすごくあるだろうなと。だから一回踊ることを辞めた人が来年から「踊ります」と復帰を決めたり、自分たちも『遠野巡灯篭木』に出たいと言ってくださる方たちも出てきたんですよね。遠野市では郷土芸能を盛り上げていくワーキンググループも立ち上がりましたね。

写真:多田宜史
写真:鈴木 香菜子 『遠野巡灯篭木』ライブセッションの様子

地域に資金と担い手をどう循環させるか

──

遠野の文化や芸能が盛り上がるきっかけにもなったと。一方で、『遠野巡灯篭木』を継続していくには利益を生み出す必要もあるのではと思います。といっても文化をテーマにした活動はお金になりづらい側面がありますよね。

富川

文化と経済のバランスについてずっと考えています。というのは、地域の文化やそれにまつわる行事は、ボランティアとして行われることが多いんですね。そもそもお金を稼ぐためのものでもないというか。行事では地元のお母さんたちが炊き出しをしたりしますし、僕たちも別にお金をもらうために関わっているわけでもない。作った野菜を誰かに無償で分けたり、道具の貸し借りも普通に行われます。自分で作った商品を「そんな金額で売っていいの?」と思う値段で販売もしている。地域に入ってから僕もその恩恵をものすごく受けていますけど、僕ぐらいの世代やもっと若い人たちがこれからも無償で何かを続けたり、少ない対価だけで文化的な活動や仕事を続けられるかというと、もうそんな時代ではなくなってきていると思っていて。適切な価格や対価を設定したうえで、地域側に資金と担い手をどう循環させていくか、っていうのはすごく考えています。

──

『遠野巡灯篭木』を運営する中でもずっと考えている。

富川

はい。地域にお金をちゃんと落とすことをものすごく意識してますね。ただ、なかなか難しいですし、このやり方がいいというような具体的な方法や答えはまだ出ない。昨年の『遠野巡灯篭木』は助成金を申請せずに、内部で資金を出し合って開催したのですが、費用がとてもかかりまして。やっぱり継続する大変さはあります。ただ、経済的な指標を満たしたりそこで得る対価だけではない恩恵が大きくあるんですよ。資本主義的な見方をすれば漏れてしまう点だと思いますし、特に重視されないとは思うのですが。

──

それは具体的にどういったものなのでしょうか。

富川

僕が感じている文化を継承していく使命感であるとか、いろんな世代を超えた人たちとのつながり、そこで得られる安心感や日々みなぎる活力みたいなものですね。こういったものって例えば100万、200万、いや1000万円を積んだとしても簡単に手に入らないんじゃないかと思っていて。これだけ日々のめり込んで、自分が生きてるっていう実感を得られるものって、じゃあ東京にいた時にお金を払って得られたかっていうと、そうは思えなくて。

──

自分が受け取るまで文化を積み上げてきた先人たちとのつながりを感じられるものは、資本主義の世界には流通していませんからね。お金に換えられない。

富川

文化人類学者の石倉敏明先生から、シシ踊りは「内なる野生と魂を取り戻す踊り」だと教えられまして。日々生きていると目に見える人間社会がすべてだと思ってしまうじゃないですか。でもこの世界には植物やいろんな菌がいたり、山に行けば獣がいる。そして目には見えないけれど死者や魂の存在もある、っていうことを遠野の文化に触れて考えるようになって。そもそも、動物っていう言葉が出てきたのも最近のことだそうなんです。

──

人間と動物、という分け隔てが今よりも曖昧だった。

富川

なので人間という名前がまだなかった頃の、獣としての生命体に宿る魂。それをもう一回、インストールし直すことが大事なんじゃないかと思っていて。今、AIが発達したりテクノロジー偏重時代の中でその恩恵を僕ももちろん受けてるんですけど、それだけだと漏れてしまう、忘れている身体性とか、目に見えない世界の感覚を踊りながら、あとは文章を書きながら必死に取り戻している感じがあります。

存在意義を確かめ、生きている実感を得る

──

どうして、そこまで人間と動物が区別されていなかった頃の身体性だったり、感覚を取り戻したいと駆り立てられているんでしょうか。富川さんには文化を伝えたいというプロデューサー視点、つまり経済を介して生きる社会的な生き物としての人間性が強くありますよね。

富川

多分ずっと、振り子のように振り続けている感じなんですよね。もともとプロデューサー視点が強い分、その対極にあるものを欲していくというか。例えば広告代理店にいた時って、代理っていう言葉が付くぐらいなので、自分が主体ではないんですよね。僕も今、起業しているんですけど、自分の会社をやってみて初めて代理店時代にクライアントの愚痴を言ってた自分が恥ずかしくなったというか。例えば何かものを売るとして、そのネーミングを考えるのにすごく時間かかるし、一回決定したものでも覆したくなることがあったり。そういうのもわかるなって。

──

当事者としての「やむをえなさ」や「切実さ」、それらを乗り越えて得られる景色は違いますよね。

富川

やっぱり当事者にならないとわからないことがあまりにも多い。それはシシ踊りもそう。自分の身体を駆動させながらでしか感じ得ない喜びがある、っていうのを知ってしまったのはあります。踊るようになって、もう遠野のことを客観的に見れなくなったんです。土地のネイティブな人たちと一緒に、一体感を感じながら踊ってみて初めて遠野という土地に迎えられたというか、地域と接続できた感覚があって。やっぱりそれまでは頭で理解して、客観的にその対象を見ていたと思うんですけど。ただ、踊っている側の人たちの価値観とか考え方がわかったからこそ書かざるを得ないというか、今は自分の役割というか使命だな、っていうところと思い切りリンクしてしまって。

──

プロデューサー視点と当事者性がリンクして、結果的に他の誰も伝えられないことを伝えられるようになった。

富川

やっぱり踊り手になってまで何かを書いてる人って、例えば民俗学とか人類学の名だたる研究者たちの中でもほぼいないんですよ。それは遠野においても、全国的に見ても。

──

そこまで「コストをかけられない」と感じてしまう人の方が多そうです。頭で理解して満足してしまうというか。

富川

だから周りから見ると、僕ってシシ踊りにすごいのめり込んでいるように見えると思うんですけど、もうこれって自分の存在意義みたいなことで。純粋に芸能が好きでやっている部分と、僕の存在意義を確かめたり生きている実感を得る。その両輪が回っている感じなんです。僕の活動って遠野のためではあるんですけど、それだけじゃないというか。地域の方からいろんな期待をかけてもらいますし、遠野の未来のためにありがとうって言われるんですね。そういう気持ちもありますけど、極論を言うとやっぱり自分のためにやっているので。だからそこが自分の中のアマチュア性なのかもしれない。むしろそれがないとここまで続いていない。

──

プロデューサーというプロとして遠野に関わっていたら、今みたいにはなっていなかったかもしれないと。

富川

多分、プロとして遠野に関わっていたら、3年ぐらいしか住んでいなかったかもしれなくて。いい感じに仕事して、あとはもう違う場所でお金を稼いでいたんじゃないですかね。例えば地域活性とか地方創生という言葉がありますけど、それって思いっきり東京からのベクトルで見ていると感じるんですよ。

──

「経済的には、地方はうまくいっていないから、なにか作らなければいけない」というメッセージが暗に込められている。

富川

経済指標で見たらそうなんですよね。人口の規模もそう。東京の方が圧倒的に強いですよね。でも違う指標で見たら、創生しないといけないのってどっちなんだろう?とも思うんです。人生100年時代になった今、どちらが豊かに生きてるんだろうって。もちろん都市にも友人がたくさんいますし、何が正解っていうのはないんですけどね。ただ、あまりにも偏りすぎた指標で世界を見ているんじゃないかっていうのは思います。

遠野市の街並み
日本民俗学の夜明けを告げた名著

野性や人としての本能を取り戻す場に

──

世間で一般的に言われる、豊かさとか幸せの定義から考え直さないといけない。遠野での活動によって富川さん自身の中にも新しい指標が生まれたんですね。

富川

ほんとにそうですね。新しい広がりや人脈っていう意味でもそうで。もしあのまま東京にいて、広告会社にいたら逆に会えなかった方もたくさんいますし。

──

具体的にどういった方なのでしょうか。

富川

例えば『遠野巡灯篭木』に出演してくださった、元水曜日のカンパネラのコムアイさんですね。自分が東京にいた頃はリスナーとして彼女の曲を聴いていたので、まさか遠野にわざわざ来て目を輝かせながらシシ踊りや『遠野物語』に興味を持ってくれるとは思わなかったですし、一緒にシシ踊りを踊ることができるとも思っていませんでした。『遠野巡灯篭木』以外でも、遠野をきっかけに出会えた方々がたくさんいます。地域の文化をひたすら深く掘り下げていったら(外の)世界と接続されていた、みたいな感じになっていて面白いんですよ。

写真:三田村亮
写真:三田村亮 富川とコムアイによる演舞
──

海外の方からも注目されたり、グローバルにも開かれた部分もありますよね。

富川

海外の写真家の方や映画監督の方ともつながりました。海外に目を向けると、芸能に使う仮面や被り物って各地にあるんですよね。シシ踊りも獣の仮面をかぶって踊るわけですから、そうなってくると人はなぜ獣を被って踊るのか?みたいな人間としての普遍的なテーマにもつながってくるんです。

──

想像していなかった、さまざまな方向に広がり新たなつながりが生まれていくと。富川さん自身にも大きな変化と可能性をもたらした『遠野巡灯篭木』ですが、今後の展望はありますか。

富川

自分がシシ踊りを通して生きる実感を得られたように、このイベントを通して観に来てくださった方はもちろん『遠野巡灯篭木』に関わるスタッフやメンバーも、そういう実感を得たり、さっき話した野性や人の本能を取り戻していく場になるといいなと思っています。シシ踊りに関して言えば、ライブ単体でもイベントとして展開できると思っていて。来年は助成金を申請しつつ、東京の大きな会場を借りて、音響が良い環境で披露できたらいいねと話しています。まだ遠野のことを知らない方、シシ踊りに触れたことのない方はたくさんいると思うので、遠野の外に出ながらこの文化や芸能を伝えて、新しい体験をしていただく機会も増やしたいです。

──

地域の文化振興におけるプロデューサーとしての挑戦も、まだまだ続いていきそうですね。

富川

正直に言うと、最近はプロデュース視点を度外視して、踊り手や作家に振り切りたい気持ちも強いんですけどね。やっぱり踊りっていう表現は、自分のため、地域に生きる自分たちのためにやっている部分が強いので。ですが表現活動を通してお金を稼ぐことも大事だと思いますし、文化や表現の追求とそこでの経済性をどううまく確立させるのか。それが僕にとってのプロデュースなのかもしれませんが、ずっともがきながら模索していくんだと思います。

富川さんの活動は、地方創生や文化振興の枠にとらわれていない。一人の生活者として遠野に暮らしていると、土地の文化や風習は否応なしに感覚を変質させていく。そうして少しずつ遠野に馴染む中で、都市化された心身がほぐれ、これまで捉えられなかった豊かさや、存在を受け止められるようになった。その過程と興奮が『シシになる。ー遠野異界探訪記ー』には鮮明に記されている。「自分のため、自分たちのためにやっている」という最後の言葉が印象に残った。その言葉はけっして利己的には響かない。そこにはシシ踊りを芸能として磨いてきた先人や、文化として育んできた地域とのつながりが多分に含まれているからだ。これからも彼が見据える都市との接続、その試行錯誤は続いていくのだろう。

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