ちゃんと怒る|魔法の言葉と呪いの言葉
言葉。それは、心の中で生まれるイメージを自分や他人に伝えるために生まれた“道具”だと言われている。人が使う道具は、誰がどのように使うかでその様相を変えてしまうもの。例えばヒガンバナのような薬用植物が薬にも毒にもなるように、だ。言葉も使い方次第で、魔法のように自分自身のチカラを引き出してくれることもあれば、呪いのように作用して身動きがとれなくなってしまうこともある。思い返せば、誰しもがそんなチカラのある言葉に翻弄された経験があるのではないだろうか。あなたにとって、「魔法の言葉」「呪いの言葉」ってなんですか?
実は結構怒りっぽい。「仕事を手伝ったのに一言もお礼がなかった」とか「ほとんど飲んでないのに割り勘だった」とか、そんな些細なことで一人で怒ってしまう私は、短気なタイプだと思う。まあ、ひとしきり怒ったあとはすっかり忘れちゃうことも多いのだけど。
昔からそんな自分があまり好きではなかった。「確かにひどいけど、そんなに気にすることかな?」「相手も悪気はなかったんだし」と、もう一人の自分がいつも私に問いかける。でもそう言われてもなかなか怒りが収まらないのが現実だ。見た目や雰囲気もあってか周りからは穏やかな人と思われることが多いのに、実は短気だなんて悪いギャップで嫌だなあだと思っていた。でも、ある日オセロみたいにパチンとその認識がひっくり返った。
きっかけは職場の先輩に言われた一言だった。「松原さんって、ちゃんと怒るから健康的だよね」。「ちゃんと怒る」のが「健康的」?先輩曰く、怒りを嫉妬や誰かを貶めるための手段として使うのではなく、間違っていたり嫌だと感じたことに対して真っ直ぐ怒るのは、とても健全なことらしい。怒らないように自分自身をコントロールするのがベストで、それができるのが大人だと思っていたけど、そうではないらしい。
あとから知ったのだが、私が怒りにふたをするために心の中で唱えていた「確かにひどいけど、そんなに気にすることかな?」や「相手も悪気はなかったんだし」は、『10代から知っておきたい あなたを閉じこめる「ずるい言葉」』(森山至貴、WAVE出版)によると、怒りの原因を矮小化する言葉なんだそう。確かにそれを内面化した結果、必要以上に自分を責めたり、負の感情にふたをしてしまって、自分が本当に嫌なことがわからなくなってしまうこともあった。でも、先輩にこれまで短所だと思っていた部分を肯定してもらったら、「なんだ、このままでもいいんだ」と気持ちがすっと楽になった。
この一件があってから、「すぐ怒る私って嫌じゃない?」と親しい友人に聞いてみたことがある。すると「いや別に。素直だなって思うよ」と笑われた。呪いのように自分を縛る言葉で、知らないうちに自分を追いつめてしまうこともある。でも、他人から見ればそれは意外と大したことではなかったりするのだ。呪いを解いてくれるのは、魔法の呪文でも偉人の名言でもなくて、周りの誰かの何気ない一言なのかもしれない。
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千葉出身、東京在住の天然パーマ。いなたい古着と辛すぎないカレーを求めてうろうろしています。旅先で本屋さんと喫茶店に入りがち。ごはんをおいしそうに食べます。
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