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8.3万人の生活が共存する場所で「定義に捉われない」3日間 - Clockenflap Music & Arts Festival 2023 in 香港

2023年3月3日~5日の3日間に渡って香港のCentral Harbourfrontで開催された『Clockenflap Festival 2023』(以下 Clockenflap)。2008年にスタートした都市型フェスだが、2019年は香港の民主化デモ、2020~2022年は新型コロナウイルスの影響により中止が続いており、今回の開催は2018年以来5年ぶりだ。また今年は12月1~3日にも開催されることがアナウンスされており、開催場所や出演者の発表が待たれるところである。今回は本フェスティバルに3日間参加してきたという、日本のカルチャーを世界に向けて発信する活動を行なっているライターのTakahiro Kanazawaにその模様をレポートしてもらった。

MUSIC 2023.05.09 Written By Takahiro Kanazawa

「パリピ」という言葉があまり得意ではない。

 

クラブ音楽に身を委ねて朝まで踊る行為にまとわりついた社会的なイメージが先行した結果、なんとなく決められた「いけないこと」を揶揄する手短な表現という印象が未だに拭えないからだ。

 

クラブ音楽にもジャンルの差異はあるにせよ、経験してみないとわからない感覚はたくさんある。全てを忘れて踊ることや友達とひたすらお酒を飲んで後悔する翌日の昼間と空っぽの財布。それでしか救われない感情もあるはずだ。簡単なレッテルで蓋をしてぞんざいに扱うにはあまりにももったいない世界だと思う。

 

部屋でひとり、ヘッドフォンからお気に入りのアルバムを聴くのが好きな人も、大勢で音楽を楽しむ時間が好きな人も共存できる環境があればいいのになといつも思っている。

そんな居心地のいい場所は、香港にあった。

5年ぶりの開催。欧米とアジアのアーティストが集結したアフターコロナの祝祭

3月の第一週に香港で3日間開催された都市型のフェス『Clockenflap』。コロナ禍を経た5年ぶりの開催に、同月からマスク着用義務の撤廃も重なり、アフターコロナの到来を本格的に感じられるイベントとしてチケットはソールドアウト。最寄りの中環駅を降りると、足早に会場へと向かう人で溢れていて、誰もがこの日を待ちわびていたことが伝わってきた。

 

ヘッドライナーのArctic Monkeys、The Cardigans、そしてWu-Tang Clanを始め、欧米とアジア各国からジャンルを横断するさまざまなアーティストがラインナップに名を連ね、日本からはCHAIや羊文学、milet、そしてMONOが参加していた。

 

< わざわざ香港まで足を運んだ理由は一つ。大学生の頃に訪れたイギリスの『Reading Festival』で味わったあの光景をもう一度観たかったから。アーティストの歌声が霞むほどのオーディエンスの大合唱、肩車された熱狂的なファン。そこらじゅうに散らばっているゴミでさえも、今この瞬間を楽しんでいる証と思えるあの空間。かつてイギリス領だった土地である香港でArctic Monkeysのライブを観れば、もう一度あの空間を味わえるはずだと思った。

 

空港から乗った特急電車を九龍駅で降り、市街地へ出ると目に飛び込んできた漢字だらけの広東語。飛び交う言語も広東語と英語が混ざり合っている。古いビルも新しいビルも見上げるほど高くひしめきあい、窓にはたくさんの洗濯物が干されている。日本と比べると、3月上旬にしては暖かい亜熱帯気候の香港の風に吹かれる洗濯物を見て、カネコアヤノならなんて歌うだろうかと考えた。

 

自分自身も数年ぶりの海外で解放感に浸りながら、長い入場列に並んでいると聞こえてきたPhoenixのギターリフ。死んだ細胞が生き返るような高揚感に初日から包まれた。浮き足立ったままでいると、あっという間にArctic Monkeysがステージに現れた。

Arctic Monkeysの熱狂、垣間見えた生活

中央に吊るされたミラーボールに当たる光が乱反射するステージは、ロックバンドのセットというより、ジャズが聞こえてきそうな雰囲気。スカーフを首に巻き、ジャケットにティアドロップのサングラスという色気ある装いのアレックス・ターナー(Vo)を筆頭にメンバーがそれぞれの楽器を手に取り披露したのは、デビューアルバム『Whatever People Say I Am, That’s What I’m Not』(2006年)の1曲目“The View From The Afternoon”。キャリアを重ねた渋みの中にもガレージロックバンドとしてデビューした当時の勢いに衰えはなく、そのまま2ndアルバムの1曲目である“Brianstorm”へ。どのアルバムのどの曲でもいたるところから聴こえてくる大合唱は、彼らの初の香港ライブに立ち会ったオーディエンスの熱量そのものだった。

 

デビューアルバムから最新アルバム『THE CAR』まで、新旧織り交ぜた90分のセットはあっという間に終わりを迎えた。次に見るときは“Why’d You Only Call Me When You’re High?”“Four Out Of Five”も歌えたらもっと気持ちよさそうだなと思ったが、「香港で『Reading Festival』さながらの体験をできるはず」という自分の仮説に間違いはなかった。

 

大合唱は絶えなかったが、周りを見渡してみるといろんな楽しみ方があった。隣り合った人と打ち解けている人、並々と注がれた人数分のビールを手に持って人混みをかき分けながら進むうちに半分くらいこぼれてしまっている人、演奏して欲しい曲を叫ぶ人。さらには、はぐれた仲間に電話しても聴こえなくて諦めている人。待ち焦がれたアーティストのライブでも、楽しむ方法は「ステージの光景を目に焼き付ける」以外にもこんなにある。目の前の人が肩車されてステージが見えなくなったことさえ気にならない。それぞれが自由で、楽しむことにひたむきだった。

Arctic Monkeysのライブも忘れがたいが、彼らの演奏中に印象的な出会いもあった。たまたま隣に居合わせたイギリス人のグループは、全曲の歌詞を歌える生粋のアクモンファン。グループの誰かが入れ替わり立ち替わりお酒を買ってきては飲んで、歌って終始楽しそうな様子。そのうちの一人の女性に声を掛けられ話していると、彼女はArctic Monkeysと同じシェフィールドの出身らしい。10年ほど前に仕事で香港に来たものの『Clockenflap』は今回が初めてで、いわくArctic Monkeysを観るのも初めて。ようやく観ることができた地元のスーパースターに喜びもひとしおといった様子だった。

 

自分の国を離れ、香港で過ごしたArctic Monkeysを観るまでの10年間。期待を裏切らない「香港のオーディエンス」の一端を担った彼女にも生活がある。少しだけ異世界の住人のように思えていた海外のオーディエンスも自分と同じ人間だ。そんな当たり前のことについて考えながら、彼女のグループと別れ、いいライブだったと噛み締め初日の帰路についた。

あらゆるアクトの音楽が聴こえる会場設計。見えてきたClockenflapの全容

2日目は会場を散策。入口の目の前に背中合わせになっているメインステージと2番目に大きいステージは、昨夜はPhoenixやArctic Monkeys、今日はMen I TrustやGinger Rootなど、バンド系のアクトが多く演奏する場所だ。

 

日本のフェスの倍くらいあるサイズのビールを求めるバーの長い列を横目に、さらに奥へ進むと、会場の一番奥にあるCHAIや羊文学が登場するステージと繋がっている。

 

途中にはDJのアーティストが出演するステージが両脇に2つあり、また雰囲気の違ったお客さんが思い思いに踊っている。バンド系がメインのステージに挟まれたクラブ音楽のステージ。一人ひとりの目当てのアーティストは違えど、耳に入ってくる音楽に自然と誰もが反応している。

たまたま通りかかった時に観た香港のアーティスト・DJ Menzyがとてもよく、予定を忘れて彼女の90分のセットを踊り通した。レイヴにいそうな人も、両親に連れられた小さな子どもも、Arctic Monkeysファンの自分も等しく踊る空間がとても心地よかった。

 

この日は、バーやステージ後方の芝生のエリアで、声を掛けたり掛けられることが多かった。印象的だったのは、中国から来た自分と同世代ぐらいの二人組。芝生のエリアに腰を下ろしネイルをしていて(山手線で化粧をする、みたいな感覚だろうか)、中国語の会話に時折混ざる日本語が気になり声をかけた。

 

二人は大学の同級生で一緒に日本語を学び、日本への留学経験もあるという。一人は日本の音楽フェスにも毎年参加していて、今年も参加予定とのこと。もう一人の、ネイル格闘中の方は中国で公務員をしているため日本に行くことが難しいのだそう。仕事の都合上、日本への観光ビザが簡単におりないと言っていた。

 

もちろん彼女たちに会うまで、中国の公務員というだけで生活に制限があることなんて知らなかった。個人として話していると国なんて気にならないのに、一歩、行政に近づくとニュースで聞くような二国間の緊張関係を感じた。日本を離れた今でも日本語で会話するほどの二人が、一緒に日本にいけないなんてあまりにも悲しい。自分にできることがないのもやるせなかった。せめてこの瞬間だけは二人にとって楽しいものであってほしいと願った。

1日目の夜のアフターパーティーで会ったバンコクの女の子から聴いた話も忘れられない。タイから入国するには、仕事の証明書と滞在場所、滞在期間に最低限必要な現金を持っていることを入国審査で確認されるという。性産業が国内GDPのおよそ1.5%も占めるとされている国(日本のおよそ1.5倍)からの入国は、非合法的な目的で来る人を防ぐために審査が厳しくなっているのだそう。

 

「しょうがないんだけどね」と、笑いとばす彼女の表情を見てなんとも言えない気持ちになった。タクシーくらいでしか現金は使わないのに、わざわざ彼女が一定の現金を下ろす手間をとる必要性は本当にあるのだろうか。「タイの女の子」として一括りに判断されてしまう不自由さ。誰にだってフェスに行く権利も自由もある。

 

ギターサウンドの轟音とLaujan(Vo)のポエトリーリーディングが印象的だったバンド・David Boringや2番目に大きいステージの2日目のトリを飾ったバンド・Kolorなどの香港のローカルシーンで活躍するアーティストを観たり、いろんな国の人たちと話すうちに『Clockenflap』の印象が変わってきた。この土地にもアーティストがいて、それを享受する人がいる。浮世離れした理想郷なんかではなく、人々の生活の集まりなのだ。そんな当たり前のことに、訪れて初めて気づいた。話した人はみんな、日本に行った時の思い出や日本の好きなものを、日本から来た自分に嬉しそうに語ってくれた。帰国したら自分も香港の思い出をこんな風に語るのだろうか。

人種や国籍を超えて鳴り響いたCHAIの「NEO Kawaii」

日が沈み始め日中の暑さがだいぶ和らいだ頃、一番奥のステージではCHAIが始まろうとしていた。Daft Punkの“Get Lucky”をサウンドチェックで披露し、早くも超満員のオーディエンスを踊らせていた。さすがアメリカを横断するツアーを成功させたバンド。オーディエンスの心をあっという間に掴む、圧巻のパフォーマンスだった。

 

本編ではバンド形態はもちろん、ユウキ(Ba)とユナ(Dr)のB2Bなど、バンドだけに留まらないエンタテインメントとでも言うべき完成度のパフォーマンスを披露。“ACTION”では、全員でダンスグループさながらに踊りながら「Everything is ok」と歌う。大きな愛をもって自分を自分のまま受け入れることの素晴らしさを掲げるメッセージは、CHAIを観に来た人で埋め尽くされたアットホームな空間にあっという間に浸透していた。

 

終盤に差し掛かり、MCで香港での初ライブの感謝を伝えるとそのままラストスパートへ。三方礼のようにステージから「You are neo kawaii!」と声高に叫ぶCHAIとそれに応えるオーディエンス。そのまま代表曲“N.E.O.”が始まると、オーディエンスの熱も最高潮に。

 

ありのままを肯定する日本のバンドの楽曲が、言語や国、人種を超えてこれだけ多くの人に受け入れられている。涙が止まらなかった。前日に会ったイギリス人の彼女や中国の二人組、そしてタイの女の子。一人ひとりの生活の延長にこの空間がある。そして、世界中のオーディエンスが音楽を通してひとつになることー海外のフェスティバルでしか観たことがなかった光景が日本の音楽でもできるという希望。この瞬間に立ち会えて本当によかった。 CHAIがステージからいなくなっても、誰一人動こうとせず、トリでもないのにアンコールを求める声が聞こえた。忘れたくない景色だった。

「定義に捉われない」Clockenflapの居心地のよさ

日本の生活を離れ、香港で目にしたのもまた、生活だった。そして生活の中に音楽がある。ロックも、ヒップホップも、エレクトロも干渉せずに共存していた。

 

3日で約25,000円というチケットの安さが可能にする敷居の低さとロケーションの良さ。特別なものは何も必要なくて、週末友達と出かけるようにおしゃれして「非日常な空間」に気軽にアクセスできる。メインステージ越しに見えるビル群の夜景は圧巻で、香港というさまざまな人種が行き交うグローバル都市にいる感覚をより鮮明にしてくれる。アジアと欧米の文化が合流し発展した土地だからこそ、程よい距離感で違いを受け入れながら他人同士がひとつの空間を共有できているのではないだろうか。

 

そして何より、「定義に捉われない」という『Clockenflap』のコンセプトを体現するオーディエンスが、このフェスでの経験を代えがたいものにしている。『Clockenflap』が目指すもの、それは音楽とアートに囲まれた3日間を経験することでしか生まれない一体感。好きなアーティストを観る目的を果たす場所ではなくて、音楽とアート、そして人が集う場所での「経験」を重んじているイベントなのだ。どれかひとつでも欠けたら成立しない。ただ音楽が好きで、人種や国籍のような社会的な属性を放棄した、素の姿の人たちに会えたからこそ、彼女たちの生活を垣間見ることができたのだと思う。

 

香港を離れ帰路につき、日本の生活へと戻る。相変わらず些細なことにうんざりするし、気が滅入るニュースも山積みだ。違うのは、自分の半径500mの生活がこの世の全てではないと知っていること。あの場所で出会った人たちも今日を生きている。次の『Clockenflap』は12月。それまで、自分なりにどうにかやっていこうと思う。

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