
ソウルでオーガナイザーとして食っていく。パク・ダハムの場合
ソウルを拠点にするパク・ダハムの肩書きは「オーガナイザー」。小規模な音楽ライブの企画制作を生業にしている。世界各地から韓国へやってくるミュージシャン、DJたちの来韓公演も多数企画しているとはいえ、インディペンデントで小さな音楽コミュニティの中で、オーガナイズで身を立てていくのは難しくはないのだろうか。どうやって食っているのか、率直に訊いてみた。
パク・ダハムは、日本のみならず東アジア各地のインディペンデントな音楽コミュニティで広く知られた存在だ。これまでに、日本のミュージシャンやDJの韓国公演も多数オーガナイズしており(例えば空間現代、テニスコーツ、角銅真実、Texas3000、食品まつりa.k.a Foodman等)、また近年ではアジアのみならずヨーロッパやアメリカを含め世界各地のミュージシャン/DJたちのソウル公演を担当している。東アジアにおける“ハブ”のようなオーガナイザーだ。
もしかしたら「オーガナイズ」という言葉が聞き慣れない人もいるかもしれない。大きな規模のコンサートであれば、その役割のことは「プロモーター」と呼ばれる。日本ではsmashやサウンドクリエーター、清水温泉、グリーンズ等が、コンサートを企画し実施するための作業全般を一手に担う代表的な法人である。
しかし観客数100名程度のコンサートや小規模な音楽ライブでは、その役割を個人で担うことが多く、プロモーターとは呼称を分けて「オーガナイザー」と呼ぶことが多い。規模は小さくとも、法人プロモーターと同じように、ミュージシャンや技術者との調整、広報、チケット管理や当日の運営まで全てを担うことになる。
パク・ダハムのオーガナイズ歴を、彼のblog「small shows in seoul」で一覧すると、会場は〈ACS〉、〈新都市〉、〈極楽〉、〈channel1969〉などが多く、ソウルでは比較的小さな規模だ。頻度は平均して月4〜5本ほど。ソウルに住む彼は個人オーガナイザーとして、これらの会場で毎週末ライブを打ち、身を立てているらしい。
小さな会場でも、これぐらい定期的にライブを打てば食っていけるんだろうか……と、下世話かもしれない疑問が浮かんだのが、今回の取材のきっかけである。彼が生業とするオーガナイズという仕事の内訳や方法を訊いてみた。
通訳・翻訳:清水博之(雨乃日珈琲店)
カバー写真撮影:シン・ドンヒョク
撮影:シン・ドンヒョク
オーガナイズの仕事とは?
今、音楽以外の仕事やアルバイトをしていますか?
今、〈新都市〉のバーで週1日アルバイトしてるんですよ。〈新都市〉はライブが入っていない日も、毎日バー営業しています。偶然辞めた人がいて、シフトに入れてもらえるようになりました。音楽を仕事にしていると、一般的な職場で働くのがなかなか難しいじゃないですか。だから音楽家やアーティストには、〈新都市〉のバーで働きたい人が多いんですよ。私は運が良かったです。生活が厳しい時期には週3〜4日入っていたこともありますが、今はオーガナイズの仕事が忙しくなってきたので、週1日ですね。
ダハムさんのこれまでのオーガナイズ仕事をblog「small shows in seoul」でざっと見ました。オーガナイザーとしてライブを打つ頻度は、だいたい月に4〜5本ですね。
月4〜5本のリズムをキープできるといいですよね。「small shows in seoul」に投稿していない仕事もあるんですが、それは、私一人ではなく、友人や会場と共同でオーガナイズしているものです。
「キープできるといいですよね」ということは、キープできないことも?
難しいこともあります。一人でやる仕事なので、ついやりすぎて、自分の作業キャパシティをオーバーしてしまうこともあって。
オーディエンスの数や規模についてはどうでしょう。最小何人ぐらい、最大何人ぐらいのライブをオーガナイズしてますか?
会場にもよりますが、最小では50名ぐらいです。最近よく使用する会場〈ACS〉や〈新都市〉だと、最大150名程度のキャパシティなので、150名集めるために工夫して宣伝しています。
オーガナイズと言ってもその中には細かい作業がたくさんありますが、具体的にどんなことをしていますか?
まず、どんなミュージシャンに出演してもらうか。どのようなミュージシャンを組み合わせるか。それを最初に決定します。次に、会場です。そのミュージシャンの音楽に、どの会場をつなげるか。次に、どのデザイナーにフライヤーをデザインしてもらうかを考えます。それに加えて、ミュージシャンの紹介記事やインタビュー記事を作ることもあります。韓国ではインターネットで宣伝することが一般的になってきていますが、私は、紙のフライヤーやポスターを作ったりもしています。そして最後に当日、リハーサルや会場での準備、そして本番を迎えます。
ということは、ダハムさんが行っているオーガナイズという作業には、広報が占める部分が多い?
そうかもしれないです。観客が音楽と出合うまでの過程をつくることが大事だと考えています。いろんな形で宣伝を行って、観客とその音楽が出合うためのお手伝いをしています。そうして、50人や150人が観に来てくれる。ライブ一本を成り立たせるだけでなく、このコミュニティのようなものをつくることがオーガナイズの仕事でしょうね。
撮影:Ranger Kepagian
自分の報酬もデザイナーの報酬も確保する
例えば日本だと、DJやミュージシャンが自分でライブを企画することは多いです。つまり出演者がオーガナイズを兼ねるパターン。出演者ではない純粋なオーガナイザーというのはそもそも少ないですし、そういう人がいても、ボランティアでやっていることが多いかもしれません。
自分もボランティアでやるしかない状況になっていた時期もありました。けれども、それでは続けられない。自分のポケットマネーをずっと使い続けるわけにもいかないですから。それで、自分に入るお金のことを考えないといけないと思うようになったんです。私はミュージシャンにも、自分自身にも、売上が残るようにしています。あと、私のように小規模でやる場合、デザイン費を削るため、オーガナイザーが自分でフライヤーをデザインせざるを得ない状況もあるじゃないですか。そうならないよう、きちんとデザイナーに頼み、そのデザイナーに入るお金もきちんと計算しなければいけない。そう考えるようになったんです。
そう考えるようになったきっかけや、具体的な出来事はありましたか?
もう、ずっと前のことですよ。日本でも上映したドキュメンタリー映画『パーティー51』(注1)の頃じゃないですかね。あの映画の中にも、そういったお金の話が出てきます。ちなみにソウルでは最近でも、「ミュージシャン募集してます、でも出演料は出せません」というライブハウスがあって話題になったりしました。私と同じく『パーティー51』に出ていたシンガーのタンピョンソンさんとは、今も顔を合わせたら、「相変わらずだなあ」と話したりします。
注1 チョン・ヨンテク監督による映画。韓国では2013年、日本では2015年に公開。『パーティー51』撮影時期は2009〜2012年頃。ソウルのインディー音楽の中心といわれた弘大エリアの再開発とそれに抗うミュージシャンたちの行動を追った映画で、「ミュージシャンとお金」についても焦点が当てられていた。
パク・ダハムのオーガナイズに欠かせないのは「デザイナーとの協同」だ。オーガナイズの背景や出演ミュージシャンの音楽をデザイナーに伝え、ポスターをデザインしてもらう。ポスターとそのデザイン・コンセプトも含めて、ひとつのライブをつくる要素になる。パク・ダハムはこれまでShin Shin(シン・ヘオクとシン・ドンヒョク)、マッカル[MHTL]、シン・ドクホなどにポスターのデザインを発注している。これらのデザイナーは後藤哲也編著『K-GRAPHIC INDEX 韓国グラフィクカルチャーの現在』(グラフィック社、2022)で紹介されており、クライアントワークを多くこなしてきた中堅デザイナーたちだ。
例えば、小さなイベントを大きくしてスポンサーと組んでみようとか、会社を立ち上げようと考えたこととか、ありますか?
スポンサーをつけるライブだと最低でも500名ぐらいの規模になるでしょうね。会社をつくってスポンサーを集めて、大きいコンサートを企画するようになった友人もいくらかいるんですけど、あまりうまくいかなくて辞めてしまった人が多いです。また、コロナ禍より前、「一緒に会社をつくるのはどう?」と提案してくれた友人がいて、検討していたことはありました。私がオーガナイズしている規模よりも少しだけ大きなライブを行う会社を想定していたみたいです。ただ、コロナ禍以降のライブハウスやクラブの話を聞いていると、やっぱり自分には、一人でできる規模のオーガナイズが向いていると感じますね。聞いた話では、映画監督のホン・サンスは、いつも10名程度の少人数チームで映画をつくると決めているらしいんですよ。デザイン業界の友人からも、少人数の方がうまくいくんじゃないかという話を聞いたりします。私も、小さい規模で回すのがいいんじゃないかなと思いますね。
「お金のための仕事」はストレスフル
けれど、小さくやっていくことは継続に向いていても、もちろん身入りも小さいわけで。そして不安定な暮らしだと思います。老後のことが心配になったりしませんか?
老後どころか、5年後、10年後、いったいどうなってるんだろうか……という話を常にしてますね。アーティストのイ・ランさんとも、よくそんな話をします。あと重要なのは、体力ですよね。体力がないとできない仕事じゃないですか。だから「運動しなきゃ」とか「健診を受けないと」とか……、周りの友人らとそういう話をよくしています。
ダハムさんのようなポジションでフリーランスでオーガナイズをする人、韓国にはいますか?
自分のようなポジションの人は、韓国にもほとんどいないですね。昔は、ライブハウスに雇われているブッキングスタッフがいました。日本も同じだったんじゃないかなと思います。月給をもらって、その会場でライブを企画する。今、私たちが行くようなライブハウスや会場では、そこのオーナーが企画することはありますが、企画専門のスタッフを抱えることはもうないでしょうね。
お金のために、あまりやりたくない仕事を引き受けることもありますか? それとも、自分のやりたい仕事だけをやっていますか?
生活するためと思って、やりたくないオーガナイズの仕事をやってみたこともあります。でも、やりたくないことをやると、めっちゃテンション下がりますよね?そうしたら、すごくストレスが溜まるんですよ。そして、そのストレスを発散するために、結局、余計にお金を使うことになる。だから、気が向かないオファーがきたら、どんな仕事になるのかしっかり把握するために、先方とたくさんやりとりをするようにしています。
パク・ダハムにとってキャリア最初のオーガナイズは2002年、彼がまだ16歳の頃だったという。当時、彼はパンクロックやアナキズムをテーマにしたZINE『WE ARE STILL ANGRY』を発行し、それを記念してライブをオーガナイズした。その後、2006〜2007年頃からソウルで頻繁にライブをオーガナイズするようになり、ジャンルも広げてきた。そして2010年代初頭にはレーベル「Helicopter Records」も立ち上げた。
自分の街で生まれている音楽を知らないと恥ずかしい
自分からミュージシャンに声をかけますか? それとも、ミュージシャン側から「オーガナイズしてほしい」と依頼があることが多いですか?
両方ありますね。最近は、北京の工工工(Gong Gong Gong)や、ジャカルタのWhite Shoes & The Couples Companyのライブをソウルでオーガナイズしたことから、中国やインドネシアからの連絡が増えています。とはいえ、自分のキャパシティには限度がありますから、全て受けられるわけはなく。自分ではできないなと考えたら、他のオーガナイザーや会場を紹介したりしています。
ソウルのミュージシャンについても、ダハムさんが声をかける場合と、ミュージシャン側から依頼がくる場合の両方がありますか?
両方ありますが、地元のミュージシャンの場合は私から声をかけることが多いですね。そういえば最近は、bandcampで知ったウルッグァプンガッジェンイドゥル(ハングル表記:우륵과 풍각쟁이들/英語表記:Ureuk and the Gypsies)という結成間もないバンドに声をかけて、コンサートに出演してもらったことがあるんですよ。
ウルッグァプンガッジェンイドゥル1stアルバム
ウルッグァプンガッジェンイドゥルの音楽は、韓国の国楽やフリーミュージックを取り入れた独特なサウンドで、パク・ダハムは強烈に気になった。周囲は誰もこのバンドのことを知らず、Instagramから直接、「今度私がオーガナイズするイベントに出演しませんか?」とメッセージを送ってみた。すると、「まだ私たちはライブをしたことがないんです。ライブのオファーがあるとは思ってもなかったので、ちょっと準備させてください」と返信があったという。パク・ダハムが定期的にオーガナイズするイベントに彼らは出演。これが、ウルッグァプンガッジェンイドゥルにとっての初ライブとなった。
メンバーらはまだ弱冠20代。インターネット上で知り合ったメンバーで結成したという。彼らはみな韓国の1944年生まれのサックス奏者カン・テファン(姜泰煥)に影響を受けており、さらに、メンバーらが初めて顔を合わせたのは、カン・テファンのライブ会場だったそうだ。
おもしろいエピソードです。ダハムさんは海外から韓国にやってくるミュージシャンのオーガナイズをたくさん行っていますが、実は、ソウルの新しいミュージシャンを探すことにこそ、熱を入れていますよね?
自分が住んでいるソウルという街でどんな音楽が生まれているか知ることが、重要です。それを知らなければ、恥ずかしいじゃないですか。海外から韓国にミュージシャンがきたときに、どのミュージシャンと一緒に共演してもらうか考えますから、ソウルにどんなミュージシャンがいるか、いつも気にかけています。
ソウルのミュージシャンを知るために、普段から意識して実践していることはありますか?
ライブに足を運ぶことですね。昔はインディー音楽専門のCDショップがありましたが、今はもうありません。だから、ミュージシャンの音源を買おうと思ったら、そのミュージシャンのライブ会場に行くしかないですからね。気になったらすぐにライブを観に行くようにしています。ライブを観に行くと、会場やミュージシャン、あと観客にも知り合いが多いですから「あれ、なんで来たの?今日週末だから忙しいんじゃないの?」って聞かれたりしますが(笑)、「気になったから来たんだよ」って言ってます。ライブを観に行くのも仕事のうちで、今のソウルでどんなミュージシャンがどんなことをやっているのか、知らないといけないですから。
ライブ一本一本をオーガナイズして集客するという小さな目標のもっと先に、パク・ダハムは、「コミュニティをつくる」という大きな目標を見ている。彼が言うコミュニティとは、単なる音楽仲間やファンの集まりを指しているのではない。それはおそらく、「新しい音楽文化を生みだす有機的な土壌」というような意味合いではないだろうか。食えるかどうかの計算式が、そこに入り込む余地はない。
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ライター・編集者(バイトと兼業)。1983年生まれ、尼崎市出身。2015年から約5年間那覇市に暮らし、2020年より神戸市在住。アジアを読む文芸誌『オフショア』の編集・発行人。共編著書に『ファンキー中国 出会いから紡がれること』(灯光舎)。
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