
郊外で文化的な自営業を。誰もやらない場所で誰もやらないことを―Void(兵庫県加西市)の場合
兵庫県の都市部ではなく郊外、加西市に位置するアートギャラリー〈Void〉。先鋭的なアートや音楽が集まるこの空間には、近畿一円はもとより、全国各地や海外から人が訪れる。地元の加西にUターンして〈Void〉を立ち上げ、複数の自営業を生業としているのがオーナーの伊藤大悟だ。都会と郊外のあいだの距離や差をものともせず、地元で文化的に暮らしていくためのアイデアがあった。
Void
〒675-2312 兵庫県加西市北条町北条142-9 大正生命ビル3F
営業日時
・各展覧会やイベントごとに異なる
WEBサイト:https://voidkasai.com/
SNS:Xのアカウント/Instagramのアカウント
大阪や神戸三宮から西に向かって高速バスで約1時間半。あるいはJR加古川駅から粟生線、北条鉄道と乗り継いで約1時間。兵庫県加西市北条町にあるアートギャラリー〈Void〉は、都市部から近いとは言えない距離にある。〈Void〉の窓からはイオンモールが見え、その向こう側には美しい山並みが連なっている。まさしく「郊外」や「地方」と呼ぶにふさわしい風景だが、そこで繰り広げられる展覧会はストリートに根ざした表現が多く、先鋭的。また音楽イベントを行う際には、ライブハウス並みに大きな音量でハードコアや電子音楽が鳴っている。そして、中国・四国地方、九州、関東、海外からも人が訪れる。郊外なのに、まるで都会のアンダーグラウンドを思わせる場所だ。
のどかな郊外の加西市で、どうしてこのようなギャラリーが生まれたのだろうか。〈Void〉のオーナーである伊藤大悟の半生を振り返りつつ、そのアイデアの源泉を探る。
カバー写真:壁のドローイングはNAZE & KENJI SAKAI、手前布のドローイングはCOOLによる
終バスは20時 ― 音楽や映画に没頭した学生時代
1986年生まれで加西市出身の伊藤は、大阪や横浜での暮らしも経験したうえで地元の加西市にUターンしている。現在は妻および子ども3人と、加西市内の田園エリアに暮らしながら、〈Void〉といくつかの自営業を生業としている。
2000年代前半、高校生だった伊藤は音楽に夢中になっていた。ライブハウスやレコード屋へ行くため、高速バスに乗って大阪ミナミまで足を伸ばすことも多かったという。その頃のエピソードは、まさに都会との距離を物語っている。
「ミナミへ行っても、大阪から加西へ戻る終バスが20時ぐらいだったんですよ。だからライブは最初の1〜2バンドぐらいしか観れない。それでも観たいから、行ってました。こっそりリハーサルを観せてもらったこともありましたね。ライブハウスの人によっては目をつぶってくれたりもして。あと、レコード屋巡りもしてました。大阪に出る時の1回の予算は5,000円と決めていたので、買い物はあんまりできない。だから〈KING KONG〉の安い中古レコードコーナーを漁ったり。〈TIME BOMB〉のフライヤー置き場には絶対行ってました。フライヤーは無料で持って帰れますから(笑)」
とはいえ、都会ばかりが情報源だったわけではないらしい。加西市の中心地である北条町には、新刊書店の〈西村書店〉や商業施設〈アスティアかさい〉、そして〈アスティアかさい〉の中には加西市立図書館がある。これらが加西市にいながらにしてカルチャー情報を得られる貴重な場所だった。
〈西村書店〉には、一部マニアックな音楽や映画関連の書籍を並べた棚があり、加西市立図書館には豊富な音楽CDや映画DVDが貸出資料としてある。また、同図書館の階下では有志による自主上映会が開催されることもあった。上映作品は、ヴィム・ヴェンダース監督作や、都会のミニシアターでしか上映されないようなインディー映画。観客はたった3〜4名のこともあったが、高校時代の伊藤にとってその自主上映会の鑑賞体験はとても重要だった。伊藤は熱心に通い、映画の道を志すようになった。
音楽と映画に没頭し、映画への道を志した伊藤は大阪芸術大学へ進学。加西を出て、大阪で暮らすようになるが、大学在学中に映画の道は諦めることになる。
「『もう映画の道しかない、映画監督になるしかない』と自分に強く言い聞かせる感じで、大阪芸術大学の映像学科に入りました。加西から引っ越して、いざ大学でいろんな人と話してみると、自分ほどマニアックに映画に没頭している人がいなかったんですよね……。それで一回食らっちゃいました」
苦痛のサラリーマン時代から独立まで
さらに映画の仕事では食べていけないと知り、卒業後は、稼ぐための仕事を割り切ってやると決めた伊藤。横浜で建築系の会社に就職する。
「音楽とか映画とかアートとか、カルチャーに親しんで過ごしてきたからか、会社に入ると全然馴染めなかったんですよ。結構大きな会社だったんですけどね。ゴルフとかキャバクラで接待しているおじさんたちの世界にいきなり入ってしまって、価値観が合わなかった。上司からは『お前もゴルフしろよ』とか『マンション買えよ』とか言われてて。より高い年収を目指す、強い上昇志向を持った人たちばかりでした。話も合わないし、ここにいたら人格が変わってしまいそう……と思って、3年で辞めました」
とはいえ、サラリーマン時代の実務には、今に役立っていることもある。
「建築系の会社の中で、僕は営業とか接客にあたるような業務を担当していました。お客さんを案内したり、接待に付き合ったりもしたので、各所への予約や手配、スケジュール管理をこなせるようになりました。そういう地味で面倒な作業を行うスキルが身について、今に生きてますね」
建築系の会社を3年で退職した伊藤は、実家のある加西市へ戻る。
「苦しい3年間を過ごしたんで、1年ぐらいぼーっとしようと思ったんですよね。アメリカに留学しようかとか考えたんですけど、父親に『今すぐ働け』と言われて。3月末に退職したばかりだったのに、翌月4月には、父親の会社で働いていました」
伊藤は休息する間もなく、建築や内装も手がける父の材木店で働きはじめた。サラリーマン時代も建築系の会社で働いていたが現場に携わることはなかったため、何もわからない状態でのスタートとなった。父の会社の現場にいる職人から、規格や寸法、現場の作業を直に学んでいく。そして大学時代に出会っていた妻と結婚し、妻と共に建築や内装を手がける会社を設立して独立したのが2018年だった。その事務所を構えたのが、現在〈Void〉のある大正生命ビルだ。
大正生命ビルは、イオンモール加西北条の真向かいで、北条駅から徒歩5分。郊外とはいえ好立地だ。ちなみにイオンモール加西北条の敷地は、かつて松下電気、のちに三洋電機(SANYO)の北条工場があった場所だ。しかし今もこのビルの屋上に掲げられているのは、2000年に破綻した保険会社の看板。伊藤と妻が散歩中にこの物件を見つけた時は、廃墟と呼ぶにふさわしいビルで、非常に安価で売りに出ていたという。まずは4階を整備して、自分たちの事務所を置いた。
伊藤らが独立して立ち上げた木立(こだち)株式会社では、父の会社で得た繋がりや人脈から仕事を広げつつ、美容室や店舗の内装、住宅の建築、加西市立図書館のエントランス、リフォーム、そして不動産仲介も手がけてきた。辛かったサラリーマン時代に取得した宅地建物取引士の免許は、独立後の仕事に役立っている。
「坂口恭平が『建てない建築家』を掲げていて、僕もその考えがいいなと思ったんです。自分も、新しい建物をつくるよりも古いものを直して補修していきたい。それで、空き家や物件情報を教えてもらうために頻繁に加西市役所などに通っていました。そうしたら職員の人に顔を覚えてもらえて、加西市の空き家バンク制度を紹介してもらい、今は市から登録を受けた不動産事業者になっています。加西市に移住したい人への物件紹介や相談も行っていて、周りの音楽家やアーティストで実際に僕の紹介で加西に物件を見つけて移住してきた人もいます」
〈Void〉のはじまりはコロナ禍と共に
〈Void〉は後に大正生命ビル3階にオープンするが、そのきっかけは、木立の事務所で行っていた小さなイベントだった。
「建築や内装の仕事って、波があるんですよね。毎月コンスタントに案件があるわけではない。一つ案件が終わったら、少し途切れる。人を事務所に呼んで出会いをつくっていくことが営業活動になって、仕事がコンスタントに続いていくといいんじゃないかと思って、事務所で小さなイベントを開催しはじめました。周辺の音楽好きやカルチャー好きを集めて、みんなで映画を観たり、DJやってもらって音楽聴いたり、ゆるくやって。地元の同級生で音楽家のhakobuneは当時東京に住んでいて、彼が加西に帰郷する時にライブしてもらったりもしていました」
hakobuneはアンビエント系の音楽家で、レーベル運営も行う。hakobuneと伊藤は、中学校時代の同級生だ。現在hakobuneも加西にUターンし、大正生命ビルの2階で〈Tobira Records〉を営業している。
そんな木立での小さなイベントを経て、伊藤はアート関係者とつながりを持つ友人二人とギャラリー〈Void〉を構想した。大正生命ビル3階で運営することを決めて、半年ほどかけて準備したが、オープンしてわずか1カ月で事情により二人は去ることになった。〈Void〉での展覧会は、その二人が企画していく予定だったという。
「本当にノープランになってしまって。どうしようかなと思ったんですけど、せっかく展覧会ができる空間に整備したし、ロゴも作家の角田純さんに書いてもらったし、やめたくはない。とにかくやってみようと決めました。展覧会は3カ月程度の会期も一般的なので、年間4本ぐらいの企画ができればいいだろうと、焦らず、楽観的に捉えるようにしました」
また、〈Void〉がオープンしたのは2019年末だった。ちょうどその直後、新型コロナウイルスが流行する。
「元々たくさん呼ばないといけない立地でもないですし、売上のために絶対何かをしないといけないというわけでもない。コロナが流行った時期に始まったからこそ、自由にやろうと思えたんですよね。それで、建築や内装の仕事の合間にちょっとずつ出かけて展覧会を鑑賞して作家を知って、〈Void〉に呼びたい作家のリストをつくりました。その中から一組ずつ声をかけて、展覧会を一つずつ開催して、〈Void〉が形になってきたという感じです。僕は建築業界にずっといて、アートの仕事なんて一切経験がなかった。〈Void〉を始める少し前まで、自分でアート作品を買ったこともなかった。この展開は予想しなかったですね」
現在〈Void〉で開催される展覧会の多くは伊藤が企画し、妻がWebやSNSでの宣伝を担当している。さらに、二人の周囲にいるクリエイターや作家たちが〈Void〉の展覧会運営や受付業務を支えている。今後、伊藤はそういったクリエイターや作家たちがやりたいアイデアや企画も〈Void〉で開催していくという。オープン当初から伊藤自身が強いこだわりを持って始めた場所ではないだけに、他者のセンスが入り込むこと、また他者が自由に〈Void〉を活用していくことを、楽しむ姿勢だ。
誰もやらない場所で誰もやらないことを
「僕は経験したことのない仕事に興味があるんです」という伊藤。ここ半年ほどは、木立での業務量を減らし、加西市内の田園エリアに位置する一棟貸しの宿泊施設〈YASURAGI〉を妻と運営している。
「建築や内装の仕事の場合、関西一円をあちこち移動して仕事することになるんです。移動したくない、ずっと加西にいたいという気持ちになってきて。子供が増えた(第二・三子が双子)というのも、移動したくない理由の一つで。もともとゲストや家族を泊めるために持っていた家を改装して、旅館業の許可も取って、一棟貸しの宿を始めてみました。ありがたいことに、毎週末宿泊客が途切れず続いていますね」
加西市内では一棟貸しの宿泊施設は珍しく、〈YASURAGI〉にも全国から宿泊客が訪れる。BBQや休暇で訪れる家族客だけではなく、リモートワークで仕事をする一人客の滞在もあれば、加西市近隣での試合に出場するゴルフ選手の滞在などもあるという。
「こんな田舎でも、いろんな人が来てくれて、いろんな人と出会えるんです。〈YASURAGI〉に宿泊しに来てくれたお客さんとしゃべると、世界を知ることができて面白いです。一部、アートや音楽が好きで〈YASURAGI〉を選んでくれている人もいます。そういう人とはすごく会話も弾んで楽しいです」
とはいえ、〈Void〉で開催しているような先鋭的な表現や、ストリート由来の尖った表現は、郊外よりも都会のほうで受け入れられやすいということはないだろうか。人口密度が都会と比べて圧倒的に低い郊外では、やわらかい印象のアートや、当たりさわりのない万人向けのアートを扱ったほうが、売上にも直結しそうである。
「売上でいうと、そういう当たりさわりのないアートをやった方がいいでしょうね。その感覚はわかります。ただ、僕はサラリーマン時代に自分が自分じゃなくなるような経験をしているから、自分がやりたくないことをやるのは嫌なんですよね。何かを狙うと、やっぱり不自然になります。あと、自分が『この人の表現いいなあ』と感じた人に声をかけているので、無意識だし、尖らせようと思ってやっているわけでもないんです」
では、〈Void〉自体を都会に移した方が収益が上がるのでは?と考えることはないだろうか。郊外には郊外の良さもあるが、集客の面では都会に比べれば厳しいはずだ。
「都会では、もう他の誰かがやってますから。自分がやる面白さの一つは、誰もやっていない場所でやること。加西という地域もそうですが、こないだ屋上でパーティーを開催した〈アスティアかさい〉も、音楽やアート関係の人は使わない場所です。そういうところをとっかかりにして、面白がってくれる人が増えることを大事にしてます。あと、どこかですでにやっている組み合わせをこっちに持ってくるだけでは失敗する。『この人とこの人、意外と同じイベントに出たことがないよな』とか、そういう新鮮なブッキングをするようにしてます」
〈Void〉では展覧会会期中に音楽ライブが開催されることが多い。2025年の3月には、音楽家で陶芸家でもある工藤冬里の展覧会を記念して開催されたライブに、Maher Shalal Hash Bazに加えてKK mangaやodd eyesが出演した。都市部では意外と見られなかったブッキングだ。そして子連れの来場者が非常に多く、親たちが気を使わずに済む状況が当たり前にあった。これも、都市部ではなかなか見られない光景だ。ここ〈Void〉では、ベビーベッドと幼児向けのオモチャが空間の「端」ではなく「中央」に配置されていることもポイントかもしれない。
〈アスティアかさい〉の屋上で開催された「Kasai Rooftop Party」でのKK mangaの演奏
都会にあって郊外にないものは多い。ということは、郊外では、まだ誰もやっていないことがある。伊藤は、自分が経験したことのない仕事にも挑み、その土地にないものを生み出している。文化的な生業は、「ない」ことに気づくことから、まず始まるのかもしれない。
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ライター・編集者(バイトと兼業)。1983年生まれ、尼崎市出身。2015年から約5年間那覇市に暮らし、2020年より神戸市在住。アジアを読む文芸誌『オフショア』の編集・発行人。共編著書に『ファンキー中国 出会いから紡がれること』(灯光舎)。
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