INTERVIEW

アーティスト(野性)、ディレクター(理性)、父。3つの立場を行き来する―塚原悠也インタビュー

どつきあいのパフォーマンスを繰り広げるcontact Gonzoでアーティストとして活躍しながら、自治体が実行委員に加わる国際舞台芸術祭のディレクションも手がけ、さらには3児の父でもある塚原悠也。3つの立場を長年同時進行させる生活なんて、容易ではなさそうだ。インタビューしてみると、生活と活動の持続のために選択してきたことがあり、またそこには、少年時代の遊びやバイト経験も少なからず影響していた。

ART 2025.07.30 Written By 山本 佳奈子

アートNPOで働きながらHEP FIVEでバイト

──

大学生の頃から〈DANCE BOX〉(※1)に関わっておられたとのことですが、当時から「自分もアーティストとして活動したい」と思っていましたか?

塚原

思ってなかったです。今でもそうなんですけど、僕はどちらかというと「観たい」人。「アーティストって、特別な人だけがなれるんやろう」「人前で踊るとか無理や」と思ってました。

※1 コンテンポラリーダンスや身体表現のプロジェクトを行う劇場・NPO法人。塚原の在籍時は大阪市にあった。現在は神戸市長田区。

──

大学では美学専攻でしたよね。アートの世界でどうキャリアを築いていくか、計画は立てていました?

塚原

修士課程に進んだので、ゆるく考えてましたね。教授は「真面目に授業を全部受けるよりも、ライブや演劇を観に行って遊ぶのが大事」「とりあえずゼミだけは来なさい」と言っていたので、僕は忠実に、ゼミには出て、梅田でバイトして、帰りにクラブで遊んだりしてました。堂山の〈エクスプロージョン〉で、ドラァグクイーンのショーを観たり。

──

バイトは何をしていたんですか?

塚原

厨房です。梅田のHEP FIVEの観覧車乗り場の目の前にあった、ビュッフェスタイルの店で。

──

塚原さんの学生時代、2000年代前半のHEP FIVEってすごく流行ってましたよね。

塚原

そうですね。大学生で芸術を学んでると「ウィリアム・バロウズが云々……」みたいなニッチな世界で調子に乗ってしまって、HEP FIVEみたいな商業施設に批判的な視線を向けてしまいがちじゃないですか。そうじゃなくて、そっちの世界も知っとかなあかんと思ってました。

──

すごい!大学生の頃から、世界を相対的に見てたんですか。

塚原

HEP FIVEの職場にはギャルみたいな人もいっぱいいたし、大学にはいないタイプの人たちがたくさんいました。話してみると、実は変な遊びをしてる人もいるし、話が合う部分ももちろんある。その経験で、世界が広がりました。

──

〈DANCE BOX〉では、主に制作を?

塚原

最初はボランティアスタッフとして関わって、後に「運営スタッフ」としていわゆる制作みたいなポジションで働いていました。〈DANCE BOX〉の現場が、面白かったんですよ。打ち上げも楽しいし、アーティストと呼ばれる人たちが出入りしていて、直接話を聞ける。アーティストが作品をつくるとき、どういうところで迷って、どう何を判断するのか。それを間近で見れる。大学院では教授から学術の道に進むことを勧められてたんですけど、現場のほうが絶対面白いやん!と。

でも、アートの現場にいる人たちがどうやって生活しているか、わかってなかったんです。それで当時、文さん(〈DANCE BOX〉事務局長)に企画ごとの予算書を見せてもらって、どんなお金がいくらかかっているのか教えてもらいました。そこでやっと、舞台監督や各スタッフのギャラの相場を知り、アーティストが自主公演を打つ時のアーティスト自身のギャラの低さなどもわかってきました。

──

助成金の仕組みとかも。

塚原

そうです。当時〈DANCE BOX〉は主に文化庁の助成で運営していました。

タダで遊べる公園で始まったcontact Gonzo

──

contact Gonzoの始まりはいろんなインタビューで答えられてると思うんですけど、ダンサーの垣尾優さんとの出会いがきっかけですよね。

塚原

僕が〈DANCE BOX〉に関わり始めたのが2002年、垣尾優さんとcontact Gonzoを始めたのが2006年です。2004年に〈DANCE BOX〉が開催した『泉北アートプロジェクト』で、垣尾さんが泉北ニュータウンの公園を自由に歩いて、思いついたことを全部やる、それを僕が撮影して記録するというプロジェクトをやってみたんです。「アーティストが公共空間や公園に行ったら、どういう発想で、どういうことをするんだろうか?」ということを知りたくて。大阪のニュータウンの公園はだだっ広くて、遊具などがないから遊びを考える必要がある。
プロジェクトの初日、公園に着いた垣尾さんは、とりあえずベンチに座ってぼーっとする。しばらくしたら、「落ち葉を、キャッチするわ」と言うんですよ。垣尾さんは木の下で、葉が落ちてくるのをずーっと待ってる。ぱらぱら〜って葉が落ちてきたら、垣尾さんがぶわーって走ってキャッチしようとする、でも取れない(笑)

──

それは、秋だから、葉が自然と落ちてくるってことですよね?

塚原

はい。そのうち、冬になったらやることなくなって。

──

冬!?

塚原

あ、長くやってたプロジェクトなんで。葉が全部落ちたら、やることなくなって(笑)。そこで垣尾さんは、公園の中の坂を転がったり、疏水の水が流れていないところに入っていったり。僕は「これ、お金かからへん遊びやなあ」と思ったんです。
ちなみに、HEP FIVEのバイトで出会って昔付き合ってた人はスノーボーダーで、冬になったら3ヶ月ぐらい信州に行って住み込みで働きながらパウダースノーを滑るような人だったんですよ。でも、スノボってめっちゃ金かかるじゃないですか。スノボのあのスピード感とかコントロールできる/できないみたいな感じ、別に都会の公園でも似た経験はできるんちゃうかと、垣尾さんのプロジェクトで気づいたんですよね。スノボも公園も一緒で、こういうのって、脳に対する刺激。斜面を転げる、ジャンプして降りる、走って駆け上がる。しかも公園でやったらタダ。

和歌山県有田市とcontact Gonzoのタイアップ映像。いつも通り走りまわるcontact Gonzoそのままの姿が、市のPR映像になった例。

塚原

タダでやれることに、昔から興味あるんですよね。中学校になったらみんなカラオケとか行くようになったじゃないですか?

──

はい、カラオケボックス流行りましたよね。

塚原

ボウリングも流行ってたり。「その遊び、金かかるねんなあ……公園でチャリ乗ってたらタダやのに」と、子どもの頃よく考えてました。うちはおこづかい制じゃなかったから、お金がいるなら親にお願いしないといけなかったんですよ。友達がゲーセンで『ストリートファイターⅡ』をやってても、僕はお金ないから横で見てるだけ。だから「タダで遊べる何かを考える」っていうのはよくやってました。それが、垣尾さんの動きと重なって、面白いなと思ったんです。それに「これやったら僕もできるかも」と。

──

そんな垣尾さんと一緒に、塚原さんも舞台に出るようになるきっかけは?

塚原

その後、垣尾さんから「コンタクト・インプロヴィゼーションを応用するダンスを考えてて、練習したいから一緒にやらへん?」と誘われたんです。僕は「あの公園で遊ぶ延長やったらできるな」と思ったんですよね。それで垣尾さんと夜中の扇町公園でいろいろ試して一年ぐらい経った頃、大阪市が開催していたパフォーミングアーツのアワードに出してみることにしたんですよ。応募用紙取り寄せたら、団体名を書く欄がある。そこで僕が考えてきた名前が「contact Gonzo」でした。

──

そのアワードへの参加で、なしくずし的に塚原さんも出るようになったと。

塚原

垣尾さんに「これ、一人じゃできないよ」と言われ、「じゃあ僕もやりますか」と。でも、contact Gonzoの方法は、お客さんと向き合わなくていいから緊張しないんです。ボクシングとか格闘技に近いんでしょうね。お客さんの存在は意識してるけど、基本的には舞台の中でルールをつくって、そこで起こる結果をお客さんが外から観るという構造。いわゆる「表現」じゃないから、緊張しない。

アーティストの野性のアイデアを削らないために

──

contact Gonzoは塚原さんにとって「仕事」ですか?

塚原

仕事になるのかな?まあ、結果的に仕事になってるんですけど。日本で実験的なコンテンポラリーダンスをやってても仕事にならへんというのは、〈DANCE BOX〉で予算書を見せてもらった時からわかってました。日本中のダンス企画を全部contact Gonzoでやったとしても、メンバーは4〜5人、そうしたら一人年収300万円いかないです。そもそもcontact Gonzoで日本中の企画を獲るとか無理。関西で実験的なダンスの世界にいても、一般的に日本社会で暮らしていけるだけの仕事としてはなかなか成立しない。でも、「美術という世界もあるよな?」と気づいて、そっちにも行ってみたんです。それでも生活できるかどうかわからんけど行ってみようと。マーケットを倍にするような感覚ですね。

美術界にも行ってみようと考えたcontact Gonzoは、具体美術協会の中心人物である吉原治良を記念した『吉原治良賞美術コンクール展』にエントリー。ファイナリストに選ばれ、大賞を受賞。その際フィンランドで行った滞在制作についても語ってもらったが、文字にすることをためらうほど、ゲリラ的で破天荒だった。

──

しかし、そのcontact Gonzoの無茶な動き方と、KYOTO EXPERIMENT共同ディレクター(※2)としての動き方、全然違いますよね。

塚原

全然違います。

※2 塚原は、京都市で毎年開催されるパフォーミングアーツのフェスティバル『KYOTO EXPERIMENT(京都国際舞台芸術祭)』の共同ディレクターを2020年から務めている。

──

例えば塚原さんがKYOTO EXPERIMENTでアーティストを招聘して新作公演をつくってもらう場合、そういう無茶な動きをどれぐらい許容してますか?

塚原

アーティストが何かピンと思いついてたら、それはやってみた方がいい。ディレクターって基本的には理性的な人間なので、アーティストを超える発想はできないんですよ。フェスティバルの面白さは、アーティストの発想頼み。それを規制していくのはもったいない。ただもちろん、ほんまの野性のアーティストのアイデアって、一番やばいんですよ。例えば「廃墟を爆破したい」というアイデアを出されても、一般的には「できない」となってしまう可能性の方が高い。でも、抜け道を探るというか、「これやったらできるかも」というバランスを探る。そのバランスを探るとき、アイデアを削ってしまってないかどうか。そこが結構大事かな。これは極端な例ですが。

──

これまでに「アイデアを削ってしまったかな」という反省はありました?

塚原

KYOTO EXPERIMENTに関してはないはずです。ただ、contact Gonzoとして活動している中で「NO」が出て悔しい思いをしたことも結構あって、それがディレクター業に生きています。大事なのは、主催や主体は誰なのかということ。例えば、contact Gonzoが自分らのお金で自分らの責任でやるなら、廃墟の持ち主と近隣住民からOKもらったうえで「廃墟を爆破」もできるかもしれない。でもKYOTO EXPERIMENTは、いろんな組織や自治体も関わっている実行委員会が主催なので、物事の判断のロジックや文脈も異なる。アーティストがやりたいアイデアを実現することを目指しますが、とはいえ、主体や責任の所在がどこにあるかで現実社会では当然やれることは変わってくる。せっかくなら、その枠組みの中でできる最大限のことを実現させていくのが大事なんじゃないかなと。そうしていくことが、今後の日本のアートを面白くすると思います。

市職員や専門家でない人との対話も面白い

──

KYOTO EXPERIMENTでは、共同ディレクターとしてスポンサーや京都市と協働されてます。アーティストはこういったことが苦手な人が多い印象ですが、塚原さんはどうでしょう?「しんどい」と感じることは?

塚原

いや、めっちゃ勉強になるんですよね。共同ディレクターとして、京都市の職員の方やサポートしてくださる皆様に「こんなことをやりたいんです」と説明して、作品の面白いポイントを伝えるのは大事な仕事の一つ。がんばって伝えても、作品を鑑賞して「全然わかりませんでしたわ」という感想もあるし、「なんか面白かったです」という反応もある。KYOTO EXPERIMENTで扱ってるようなパフォーマンスアートの世界は、コアなファンだけでは成り立たないから、常に新しい観客を増やす必要がある。じゃあ、初めて観る人は、こういうパフォーマンスを観ることにどういう不安を抱えているのか。専門家じゃない人と話すことで、それを知ることができるし、そこには理解できる部分もあるんですよ。

──

でも、「わかってる者同士でこそ盛り上がる」みたいな感覚もありますよね。わかってる者同士の心地よさに陥ってしまうことは、ないですか?

塚原

たぶん僕は両方の感覚を持ってて、切り分けてるんかも。

──

そうか、HEP FIVEの厨房でバイトして、他の世界の感覚を知ろうとしていたのも、切り分けていたということですよね。

塚原

そうかもしれない。厨房で働いてた時、同僚にcontact Gonzoを説明する場合こう言ってました。「殴り合いしてるねん。殴り合いしてるねんけど、海外に呼ばれるねん。おもろない?」って。そうしたら、「は?わけわからん」って返ってくるんです(笑)

──

(笑)。アートをわかってる人にとっても、それは「わけわからん」ってなりますよね。

塚原

contact Gonzoを始めた頃は、関係者からでさえも「アートじゃない」とか「ダンスじゃない」とか言われてました。あと、一般的に「普通」に見える人も、ある方面からは「わけわからん奴」に見られているかもしれないですからね。もちろん自分自身も。

子育てできる年収・労働時間を考える

──

SNSに、お子さんの話題をたまに投稿されてますよね。男性のアーティストやアート従事者で子どものことをSNSに書く人が少ない中で、塚原さんは、あえて書いているのかなと。

塚原

子どものことは、わりと意識的に投稿してます。理由は、アートに関わる人たちのギャラがほんまに低いので、上げていかないとあかんと思ってるからです。子ども育てるなんて、ある程度収入がないと怖いじゃないですか。アートの仕事しながら、共働きで子ども育てていくとしたら、年収は最低いくら必要なのか、300万円なのか、いや400万円なのか?そういう話題をしやすくするために、僕は「子どもいてます」「うちは3人おるねん」と言うようにしてます。

──

3人育ててるってすごいですよね。

塚原

面白いですよ。ただ、アートの世界にかかわらず、日本の人たちってめっちゃ長時間働くじゃないですか。その働き方をしてたら共働きで子育てなんて無理です。僕らの次の世代が、表現とか文化が好きでアートに関わりたいと思ったとしても、「遅い時間まで働かないと成り立たない」「土日は全部イベント」とかだったら「この世界に入ったら絶対子どもは育てられないな」ってなるでしょう。この業界を避ける要因になる。今の若い人は、僕がアートの世界に入った20年前と価値観が全然違います。これ、この世界の持続性にずいぶん関わる話だと思うんですよね。

──

そうですね。でも、contact Gonzoのパフォーマンスの現場になると、仕込みを含めて一週間家に帰れないとか?

塚原

問題は海外の現場ですよね。ただ、作業量という面では、contact Gonzoは一般的なカンパニーの50%ぐらい。リハーサルを含めた事前準備にいたっては、25%ぐらいじゃないかな。パフォーマンス自体は激しいですが、数日間や一週間の公演が終わっても疲労は溜まっていない。リハーサルも、だいたい19時には終わらせて現地のテクニカルチームを解放してます。これは日本でもそうしてますね。

──

見せていただいたcontact Gonzoの関係者向け資料に書いてありましたね。技術や制作スタッフいない、パフォーマー3〜5人でできる、照明は蛍光灯でOK、公園でもライブハウスでもできる、リハも長時間不要等。その条件だと、海外からも呼びやすくなりますよね。

塚原

だいたい4人いたら、僕らが思う表現ができるんですよ。照明のデザインもなしでできる。最軽量パックでつくるようにしてます。だからcontact Gonzoは海外からよく呼んでもらえているというのもあります。これ、最初の予算書の話が繋がってるんですよ。リハーサル代、場所代、衣装代、技術スタッフの人件費とか、全部積んでいくと、経費がバーンって跳ね上がるでしょう?それを、「もうゼロで!ゼロでやれることやろう!」っていうところから始めてますから。

──

そうか。予算書の話もそうですけど、それはきっと塚原さんが子どもの頃おこづかい制じゃなかった経験も生きてますよね?

塚原

そう、「公園でやったらタダや」みたいな(笑)「公園で2時間パフォーマンスして、そのあとビール飲めたら楽しいんちゃう?」という。予算をかけない分、メンバーにフィーを多く還元するようにしてます。

──

持続可能なやり方ですよね。表現の内容が、たまたま身一つでできちゃう、っていうことの強みだとも思いますが。

塚原

オーケストラを移動させるのと、パンクバンドを移動させることの違いですよね。パンクバンドならもっと少ない人数で「ドラムセットは現地で用意しておいて、リハも最低限の時間でがっとやれる」という。そういうのって、やっぱかっこいいじゃないですか。

家族での創作活動

──

いいですね。ただ、KYOTO EXPERIMENT開催期間中はさすがに日々忙しいですよね。

塚原

そうですね。でも、フェス期間中も家には帰れています。僕、家では食事係なんですよ。昼ごはんは給食なりみんな外で食べてくるんですけど、朝食と夕食は僕が準備してます。さすがにKYOTO EXPERIMENT開催中は、夕食が作れなくなってくることはもちろんありますね。

──

家族といえば、塚原夫妻による演劇作品『Future Diaries 001』をVimeoで拝見しました。もともと沙代子さんも演劇をされてたんですか?

塚原

妻はフィジカルシアターと呼ばれる演劇をやっていて、HMP Theater Companyの立ち上げメンバーだったんです。演劇やダンス作品に出演していて、〈DANCE BOX〉で知り合いました。

──

この作品は、火星でアーティスト活動している孫を思って、地球から鹿肉ジャーキーを送り続ける祖母が主役です。テーマはまさに、「アートと家族」ですよね。

塚原

そうですね。妻も子どもを3人産むあいだ現場から離れてしまって、どのタイミングでどう復帰していくのか考えていました。あと、僕がcontact Gonzoで外に出ていくことが多かったので、僕のせいもある。ちょっとずつ、何か一緒にできたら面白いかなと。

──

台本も拝見しましたが、あれは沙代子さんが書かれたんですか?

塚原

僕が書きました。直前までできあがらなかったから、妻はヤキモキしてましたね。場面ごとに「こういう設定」ということしか書いてないので、ほとんど即興です。

──

示唆的に、アートシーンの問題を匂わせるようなセリフも出てきますよね。

塚原

でしたっけ(笑)そういうのがあれば、僕の場合は天然で言ってるんだと思います。

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