COLUMN

【作家センセーショナル】第3回:和田ながら

ART 2015.03.25 Written By 上杉 創平

僕がこのコラムを連載させていただくにあたって一番初めに決めたことがある。等身大であることだ。僕の身の回りで、身の丈に合ったことをしようと思った。その為に近くの気になる人、というキーワード設定をしていたわけだが、今回は少しいつもと違う繋がり、言うなればちょっとした番外編である。

 

ここで少し僕の話をすると、今の市立芸大に行く前に短期間だが京都造形芸大に在籍していたことがある。久々に前の大学の友達である竹宮から連絡があったのは3月にさしかかり、春を迎えようと最後の冷え込みをみせはじめたころだ。竹宮は出不精の僕が会いに行く程には、”気になる人”の一人だ。バリバリと仕事をこなす彼女のキラキラした目が見つめているもの、今回は彼女が制作として関わる舞台を、さらにはそれを生み出す人に焦点を当ててみようと思う。

 

その舞台というのは2011年第26回国民文化祭・京都2011で行われた『すごいダンスin府庁』の企画の流れを汲みつつも、場所にもダンスにもとらわれない”すごい”ことをやるという企画だ。

竹宮の紹介で、このpunto (普段はシェアアトリエ・アートスペースとして使われている至って普通のビル) の公演の『肩甲骨と鎖骨』の演出をされている和田ながらさんとお話しさせて頂けることになった。 (男性だと思い込んで、初対面に緊張する僕はコーヒー屋での待ち合わせの時なかなか気が付かなかった。大変失礼しました!) ながら、という素敵なお名前は一度拝見したら忘れないだろう。岐阜、愛知、三重に渡る一級河川”長良川”からとった、良いことが長く続く、という意味らしい。 (ちなみにお姉さんも同じく一級河川から名付けられている)

和田ながら

 

京都造形芸術大学芸術学部映像・舞台芸 術学科卒業、同大学大学院芸術研究科修士課程修了。2011年2月に自身のユニッ ト「したため」を立ち上げ、京都を拠点に演出家として活動を始める。ユニット名の由来は手紙を「したためる」。主な作品に、俳優の日常生活からパフォーマ ンスを立ち上げた、したため#1『巣』、 太田省吾のテキストをコラージュし用いたしたため#2『はだあし』など。ほか、 KAIKA「gate#11」、「芸創 CONNECT vol.7」などでも作品を上演。 2013年よりDance Fanfare Kyotoの運営に携わる。

【blog】
http://shitatame.blogspot.jp/

僕には見覚えがあった。造形大で一回生だった時、和田さんの演出した卒業公演を観たことがあったのだ。恥ずかしながら当時からあまり変わらず不勉強の僕だが、在校時の数少ない観劇経験の一つだった。和田さんが率いるユニットの名前にもなっている卒業公演『したため』。3人の登場人物が手紙をしたため続ける姿が徐々に歪んでいく光景は、もう何年も前になるのに今でも鮮烈に覚えている。

 

そんな記憶に強く残った彼女のやり方は少々特殊だ。今回、ジョルジュ・ペレックというフランスの作家のテキストを参考にはしているが、彼女の作品に厳密な意味での脚本は存在しない。そして演技が上手いか下手かだけではなく、たたずまいに無理をしていない「イイ」部分と、無防備な魅力を兼ね備えた出演者を選ぶ。その俳優達に重きを置いて、彼らの日々の生活を編集する作業をパフォーマンスに昇華するのだ。稽古の仕方も面白い。例えば俳優に質問をする。

 

「部屋にどんなゴミ箱がありますか?」
「それはあと何年使いますか?」

 

一見突拍子もない質問が普段と違う角度を与える。質問すらあまり前もって準備はしないらしい。考えたいトピックから思いついたことをその場その場で投げかける。今回の作品はそんな日々の”記憶”がトピックだ。そこから生まれる質問たち。

「一番古い記憶は?」
「昨日やったことは?」
「絶対にやったけど忘れたことは?」

 

その俳優の応えから日々の営みを抽出する。いつもの自分達との違いや気付きを観客と共有する為に、パフォーマンス化した時に何かが起こりそうな”おもしろい方法”を提示し、シーンに起こすのだ。

 

観客にも出演者のパーソナル性をまるで彼らの部屋にいるかの様に体験させ、観客自身のプライベートな体験にアプローチする。そこにあるのは不要な飾りをされていない自分にもあり得ることなのだ。新しくはない。しかし当たり前の生活の再発見となる。当たり前の生活。身近な日常。舞台は非日常だとよく言うが、和田さんの言葉を借りると”非”日常というのを簡単に言ってしまうのはチャラいのだ。足下がおぼつかず、地に足が着いていないというのだろうか、フィクションにのめり込む前にまだ考えなければいけないこと。それが”日常”なのではないだろうか、と彼女は考える。

 

舞台を観る時に多くの日々の複雑なことは簡略化される。ムダで、大量で、細かい、その整理されてない情報量はとても豊かなものなのだ。それは舞台上だけではない。日々の生活で、僕達は一々感動することも少なくなり、感覚を簡略化してしまってはいないだろうか。知っているつもりで、身近にあるものの多くを僕達はまだ何もわかっていない。それを記憶の想起と、眼前の演者の肉体や声で導き出す。人や物の見方に新しいチャンネルと思考を持たせることが、彼女のアートなのだ。身体の細部まで余すことなくゆっくり注目してみてほしい。

 

お話をする最後に和田さんが先輩としてくれた言葉が印象的だった。学生の内は刺激的な大人達に囲まれ、話をするだけではなくいろんな現場を見て体験したらいい。自己責任でどう考えてどう出すのか、やりたいことが全てできる貴重な時期。そのストックの全てが今の自分を支えているし、どれが一番かを決める必要はないのだ。派手なことばかりではなく、地味なことこそコツコツと。日常の蓄積が無駄になることは決してない。

 

2015年はいっぱい作品をやる、とのこと。1月に既にひとつ、3月はこのpuntoでの『肩甲骨と鎖骨』、5月に福岡で演出家コンペの上演審査、10月にはアトリエ劇研で本公演。したためとしてはめずらしいこの活発な1年。やりきった時にみえる次のことが、今から待ち遠しい。

村川拓也×和田ながら×punto

公演日時】
2015年3月

27日(金)19:00-(満席のため予約受付終了)

28日(土)14:00-/19:00-(満席のため予約受付終了)

29日(日)14:00-

【会場】
punto
〒601-8011 京都市南区東九条南山王町6-3

【上演作品】

『終わり』

演出:村川拓也
出演:倉田翠・松尾恵美

『肩甲骨と鎖骨』

演出:和田ながら
出演:穐月萌・高木貴久恵・田辺泰信

【料金】
一般:1500円/高校生以下:無料 ※要予約

【HP】
http://mu-wa-pu.jimdo.com/

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