【ウサギバニーボーイが見た広島】第4回
連載4回目にしてとても大事なことを思い出しました。
京都のフリーペーパーさんに記事を載せてもらっておきながら、個人の紹介もほどほどに自身のバンドの紹介を全くしておりませんでした。記事の下に「興味があったら、こちら」というリンクと、「さらに興味があれば、ツイッターで検索を」などと「そんなこと誰がするんや」っていう自分で書いておいてなんですが、
「お前、誰や」
という基本的な質問に全く答えていないことを反省し、4回目にして僕が所属するバンド「ウサギバニーボーイ」の紹介をしたいと思います。
音楽については第1回目のカングルと同じく全く触れず、ウサギはその生い立ちと生態をご紹介させてもらおうと思います。
ウサギバニーボーイの歴史は古く、結成の日に生まれた子は多分高校生くらいです。
もともとはギターボーカルの僕は福岡の大学に行って福岡でバンドがしたかったのですが、偏差値という壁に阻まれ、広島のあまり勉強を得意としない人たちが入る大学に入学したことからこのバンドは始まります。大学に入って、サークルに入り音楽活動を開始するのですが、当時は元来の性格の悪さがさらにこじれてて、今よりもっと痛々しく、自分のことを才能あふれるすごい奴だって本気で思ってましたからね。かなり危ないです。危険すぎます。
今でいう自撮りを満足げにアップしている人たちのもう2歩くらい先を進んでるような精神状態です。
そんなやつなので、友達はおろかバンドメンバーなんか見つかるはずがありません。当時のサークルの同級生バンドはもう解散しましたがメジャーデビューして、時代の花道の中央よりほんの少しだけ脇道寄りを爆走しました。
そのような成功事例をすぐ近くで見ながら、自分のクソみたいな行いや思想は改善することなく棚上げしていろんなもののせいにしていた頃に、バンドという形でなにかを学内で発表する義務みたいなイベントごとが生じ、危険すぎる自己顕示欲の塊(僕)とバンドが組めなかった面々でライブをすることになり、そこで単発もののバンド名として「ウサギメジ
ャニー」という名前をつけました。
これは、そろそろ学内発表に登録するバンドの締切か何かの日にバンド名を今日中に申告せよという上級生からのお達しが届いたときに読んでた本が灰谷健次郎の「兎の眼」、同時にBGMで流れてたのが、UAの「悲しみジョニー」だったので、併せて「ウサギメジョニー」ジョニーから漂う高橋真理子臭に違和感を感じたので、適当に一文字変えて、「ウサギメジャニー」としました。
そして、その名前で数年間活動しました。
バンド名は数年後にラーメンズのコントを見たタイミングで「ウサギバニーボーイ」にしようっとと軽い感じで変更しました。そのときはまさかこの名前でずっと活動するとも思ってないですしね。
当時の活動内容としては、当時?今も?かも知れませんが、ライブハウスの養分としてせっせとノルマを払い、特に目標もなくライブを月に1本くらいしていました。
今、考えるとこの「特に目標もなく」っていうのが、ウサギにとっては重要だったと思います。
目標がないってことは、誘われればライブハウスの養分としてせっせと何も考えずにお金を払うのです。メロコアやミクスチャー全盛期に性格の悪いやつが性格の悪いポップソングを受けもしないのに音楽性も変えずに続けれたのは目標がなかったからです。もし目標があったら、速攻で解散するか、流行を一生懸命取り入れようとして失敗するという思い出を作ってたと思います。
運がいいのか、悪いのか目標がないので、音楽性も変わらず誘われるままライブハウスに養分をもたらす使い勝手がいいバンドをしていたら、いつの間にやらメロコアやミクスチャーのブームも落ち着き、少しづつですがウサギの音楽に耳を傾けてくれる方が出てきました。
その頃も目標はないので、せっかくいろんな方が「いいね」と言ってくれても「ほう」とか「どうも」くらいの受け答えですべての会話のお茶を濁すような人見知りと性格の悪さでしたが、このくらいから少しずつ性格が矯正されてきたように思います。
理由はおそらく「田舎者」という自主イベントをはじめたおかげだと思います。
ここで自分よりすごい人たちが世の中に広島にあふれていることを心底認識したのがよかったのではないかと過去を振り返って思います。
広島にはすごい人が10人くらいいます。
(=音楽商業的に成功してる人って意味ではないです。)
そして、そのすごい人たちは皆、いい人たちでした。
すごい人で性格がいい人を見ると、凡人で性格が悪い自分は、とても恥ずかしくなります。
それが一番性格の矯正に役に立った薬かもしれません。
少しづつ性格矯正薬が効いてきたある日、「企画でCD出しません?」と聞かれ、
「ありがとうございます。出します。」って答えたあたりから段々今の形に近づいてきます。
僕の考え方の推移としては、
■A 「CDを出す」→「売れる」→「誘ってくれた人の面子がつぶれない」(これ、最低条件)
■B 「CDを出す」→「売れない」→「誘ってくれた人の面子丸つぶれ」(だめ、絶対)
ということで、なんとしても誘ってくれた人が社内で面子を保てる程度には頑張らないと
いけないと思いました。
※補足
こないだCD企画に誘ってくれた人はその会社辞めました。今は毎日ビールを飲んで過ごしています。腹が出ています。非常にお世話になっていますが、このままだとあの人は地獄に落ちるんじゃないかな?と最近心配しています。(2015/3/上旬)
そこで選んだ策が「誘われたライブはなるべく断らない。さすれば、多くの人にライブを見てもらえる」
という策でした。もともと自分のことがすごいと思えるくらいの痛い思想の僕なので、「ライブ見て知ってもらったら、なんとかなるじゃろ?」って思ったのだと思います。
CDを出す直前くらいからちょこちょこライブのお誘いをもらってたのですが、多くても月2本くらいでした。そのくらいでも当時もう子供がいたメンバーには時間の調整をつけてもらうことが難しかったので、上記の策を実践するために用いた策が「シフト制」です。
ギター4名、ベース4名、ドラム4名といった感じで各パートに複数のメンバーに入ってもらい、誘われたライブをなるべく断らないようにしたのが、もう4年くらい前ですね。
ただ断らないことをいいことに養分としての参加をもとめられるライブも結構ありましたが、当時は「CD出さん?」と誘ってくれた人の面子を潰さないという目標があるので、これまでとは逆に養分ライブはお断りさせていただきました。
そして年間60本(月平均5本くらいですかね?)以上のライブを総勢20人近くのメンバーで4年近く廻すという不可思議なバンドが出来上がりました。
また「誘われたライブはなるべく断らない。」は今でも実践しているので、たまに京都行った次の日に福岡行って、次の日に大阪行くとかメンバー内では「ガイキチスケジュール」と呼ばれる全くもって計画性のないライブの組み方もウサギの特徴かと思います。
そんな感じでこれからもどこかでずっとライブしてると思います。
4回目にして筆者のバンド「ウサギバニーボーイ」を紹介させていただきました。
WRITER
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名前 タカミヤ
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広島でウサギバニーボーイというバンドをしています。
ライブが多くしたいと思ってたら、メンバーが20人くらい在席するちょっとした会社組織みたいになりました。
ほとんどの方は、「なにを言っているんだ?」と思うと思いますので、usagibunnyboy.comがバンドサイトとなりますので、そちらをご覧もらえれば幸いです。さらに興味が出てきたらツイッターでusagibunnyboyと検索してフォローなんかをしてもらえたら、嬉しいです。