INTERVIEW

「アート・トランスレーター」田村かのこが語る、翻訳によってつくりだされる「つながり」が作品と世界に与える影響とは

作家の言葉を読者へ繋げる翻訳には、機械的な作業のようなイメージがある。特集『言葉の力』の企画「#創る翻訳」では、翻訳における創造性や、そこから生まれる表現の可能性に焦点を当てながら翻訳の魅力を伝えていく。「訳さない」選択肢もあり得るアートの現場で翻訳・通訳を行う「アート・トランスレーター」として活動する田村かのこさんに話を聞いた。

ART 2021.05.19 Written By 橋本 嘉子

大学時代には土木工学と現代アートを勉強していた田村さんが、アーティストの力になりたい、アートに貢献したいという想いで仲間と共に2015年に立ち上げたアート専門の翻訳・通訳、それに関連する企画の運営を行うArt Translators Collective(以下:ATC)。その仕事内容は、アート作品のキャプションや解説、展示会のカタログ、アート関連の記事を翻訳したり、海外アーティストのアテンドや講演、イベントでの通訳を担当するなど、多岐にわたる。ATCは、その理念のひとつに「翻訳・通訳を一つの表現として扱うことで、より豊かなつながりを作りだしていく」と掲げている。

 

「表現としての翻訳・通訳」とはなんだろう。
翻訳や通訳と聞くと、多くの人は原文に忠実に、機械的に言語を訳すことだと想像するのではないだろうか。私自身も通訳者として取材に同行した経験があるのだが、そんな時は話者の言葉を正確に訳すことに注力してきた。ところが、アートの現場では、あえて言葉を訳さないという選択肢や、日本語と英語で違う文章を書くことさえあり得るという。

 

では、表現としての翻訳・通訳からつくりだされる「豊かなつながり」とはなにか?
「自分から紡ぎ出した言葉に責任を持ちたい」と語った田村さんは、自身が作品に与える影響力を自覚していた。そして、よりよい作品を生み出すためには、作品が完成するまでの過程に携わるすべての人たちも、自分の影響力を自覚すべきだと続けた。きっと田村さんは、その人たちの間にある「つながり」が豊かになることで、よりよい作品ができる環境が生まれると考えているのではないだろうか。

 

インタビュー終盤での「今お話していることすべての目指す先は、よりよい作品がより多くつくられることです」という言葉がとても印象に残っている。翻訳や通訳、アートに従事している人だけではなく、あらゆる職業の人が自身の周りにある無数の「つながり」を意識することによって、よりよい世界が生まれるのではないか、そんな気持ちになるお話だった。

田村かのこ

 

アート・トランスレーター。Art Translators Collective主宰。現代アートや舞台芸術のプログラムを中心に、日英の通訳・翻訳、編集、広報など幅広く活動。人と文化と言葉の間に立つメディエーター(媒介者)として翻訳の可能性を探りながら、それぞれの場と内容に応じたクリエイティブな対話のあり方を提案している。非常勤講師を務める東京藝術大学大学院美術研究科グローバルアートプラクティス専攻では、アーティストのための英語とコミュニケーションの授業を担当。札幌国際芸術祭2020ではコミュニケーションデザインディレクターとして、展覧会と観客をつなぐメディエーションを実践した。2008年タフツ大学工学部土木建築科(米国)卒業、2013年東京藝術大学美術学部先端芸術表現科卒業。NPO法人芸術公社所属。

 

Art Translators Collective : http://art-translators.com/

4月に東京のスパイラルホールで上演されたTrue Colors DIALOGUE ママリアン・ダイビング・リフレックス/ダレン・オドネル『私がこれまでに体験したセックスのすべて』でトランスレーターを務めた田村さん。出演者の一人として舞台に上がり、来日できなかった海外アーティストと観客をつなぐ役目を果たした。
写真提供:株式会社precog 撮影者:冨田了平(写真1,2,3)吉本和樹(写真4)

アートにおける翻訳・通訳は作品そのものを左右する影響力を持っている

──

過去のインタビューの中で、東京藝術大学の先端芸術表現科に入学して恩師となる木幡和枝先生の生き方に刺激を受けて「現代アートに貢献するための手段として言葉を使いたいと思った」と話されていたのが印象的でした。そう思われたのはなぜですか?(木幡和枝:東京藝術大学美術学部先端芸術表現科名誉教授。芸術評論家、アートプロデューサー、翻訳家として活動した。2019年没。)

田村

アートを勉強したくて芸大へ入学して作品を制作していましたが、作品をつくることに自分の限界を感じ、アーティストとしてではなく別の形でアートに関わりたいと考えるようになりました。どんな方法があるのかを考えた時に、それまで「言葉」をテーマに作品を制作してきたことや、木幡先生に通訳の現場に連れて行ってもらったり、翻訳リサーチのお手伝いをさせてもらったりした経験から、言葉をひとつの手段にしたいと思ったことがきっかけでした。

──

アートの中でも現代アートに貢献したいと思われたのはなぜですか?

田村

「現代の状況にリアクションしていくこと」が現代アートだと思っています。今私たちが生きているこの世界に対して、アーティストたちが敏感に反応し、いろんな見方やアイデアや問いを、作品という形に変換して届けてくれる。一見するとわかりづらかったり直接的ではなかったり、すぐには届きづらいと感じるかもしれないけれど、そんな作品が突然もの凄い威力を持って体に入ってきて、自分の価値観をまるごと更新してくれることもある。その時に味わう奇跡のような感動を体験すると、やみつきになりました。

 

そんな体験をもたらしてくれる作品を生み出すアーティストたちの力になりたい、彼らのためによりよい環境をつくりたい、と強く思うようになりました。

──

大学で勉強されていた当時はアートを専門とするトランスレーターはいなかったのでしょうか?

田村

木幡先生のようにアート分野を中心に翻訳や通訳を個人でされている人はいましたが、それが確固たる職業として認知されているわけではなかったです。周囲を見ても、「アートに専門のトランスレーターが必要」という認識は低かったと思います。

──

でも田村さんは専門性のある翻訳や通訳の重要性を感じていた。そしてATCを立ち上げられたんですね。

田村

アートにおける翻訳・通訳は、作品制作の過程で重要な鍵を握るし、もしかしたら作品そのものを大きく左右するかもしれない。それなのに翻訳だけ制作プロセスから切り離して考えられることが多く、例えば2年間かけてつくり上げたプロジェクトの報告書を1週間で翻訳してくださいみたいなこともよくあって(笑)。

 

まずは、アーティストや作品制作に携わる人がもっと翻訳の重要性を認識しないと現状は改善されないと感じていました。だからATCを結成した時には、フリーランス同士で助け合う仕事のギルド的な団体をつくるだけではなく、アート専門の翻訳・通訳の価値と可能性を伝えていけるチームにできるといいよね、と話していました。

──

分業のように扱われてしまうことが多いということですが、アート専門の翻訳・通訳の価値や可能性を伝えるためには、作品とどう関わることが大切だと思われますか?

田村

理想はプロジェクトが始まる最初の企画会議をする段階から、アーティストもしくは企画を運営するディレクターや演出家のような立場の人たちと、翻訳の方針を一緒に相談して決めていけることですが、そういう選択肢があること自体をまだ多くの人が認識していません。でも本来はそうあるべきだと思っているので、お仕事の話をもらったら、なるべく早い時期からミーティングに入れてもらえるように提案するなど、地道な働きかけをしています。

 

始めから英語圏の人に伝えようと思ってつくる作品と、そこを想定せずに完成してから「海外に伝えたいんです」という状況とでは、作品のつくり方自体も変わってくるはずですから。

トランスレーターは「裏方」ではない。自分が紡ぎ出した言葉への責任。

──

他のジャンルと比べ、アート専門の翻訳作業の異なる点を教えてください。

田村

もちろんアートの現場でも、翻訳の正確さは大事です。医療や法律など他の現場と同じく、不用意な誤訳や情報伝達の齟齬は避けなければなりません。

 

でも表現の領域においては、企画の意図によって訳し方にクリエイティブな選択肢があってもよいと思うのです。例えば、日本のアーティストが自分の作品にまつわるテキストを書いて英語圏の人に伝えようという時に、単純に日本語テキストを一字一句翻訳するので本当に伝わるのか。英語圏の人は、日本特有の文化や文脈に根ざしたものはわからないかもしれない。そうであれば、英語の文章では日本語にはない説明を補足するべきかもしれないし、同じ作品について日本語と英語で別のことを書いて、それを「翻訳」と呼んだっていいかもしれない。

 

そもそも、日本語は文法的に主語が明記されていなくても読み取れたり、行間を読んだりすることで文章として成立する言語ですが、英語ではそれが成立しないことが多い。言語的な特徴を踏まえても、それぞれの言語でどう伝えるのか、工夫できることはたくさんあると思います。

──

クリエイティブな選択肢の幅についてもう少し詳しく伺いたいのですが、過去のインタビューで「表現の現場だと翻訳・通訳に0から100までのグラデーションがある」と話されていたのを読みました。0や100とはどのような状態なのでしょうか?

田村

0の状態とは、訳さないという選択肢のことです。通訳の現場のほうがイメージしやすいと思うので、いろんな国からアーティストが集まり一緒に作品を制作する場面を想像してみてください。そこでどんなコミュニケーションを発生させたいのかを決めるのは、その企画の演出家やディレクションをする立場の人です。その人が例えば、あえてこの現場では通訳をつけずに、それぞれが自分の母語でしか話してはいけない状況をつくり、その結果どんな作品ができるのかを探求しよう、とする選択肢もある。それが0の状態です。

──

言語でのコミュニケーションが難しい環境で作品を制作するということですよね。言葉が通じない人同士が集まる時には通訳が必要!とすぐに考えてしまいそうですが、そうではない可能性もあり得るのは、アートの現場特有の状況だと思いました。では、100とはどのような状態になるのでしょうか?

田村

言葉の一字一句に伴う文化的な文脈や、言葉を訳しただけでは伝わらない個人の感覚などすべてを、アーティストとトランスレーターが一緒に作品制作の中で話し合って理解していこうとすることです。これは120くらいを目指している状態かな。

 

このように、それぞれの現場で目指すコミュニケーションによってグラデーションがあることが、アートにおけるトランスレーションの特徴のひとつだと思います。そして現場に携わる人は、そのグラデーションの中から、必要なコミュニケーションのあり方を自覚的に選び取っていくことが大事です。

──

先程「アートにおいての翻訳・通訳は、作品制作においても重要な鍵を握るし、もしかしたら作品そのものを大きく左右するかもしれない」と言われていた意味がよくわかりました。こうしてアートの現場特有のクリエイティブなトランスレーションの方法について伺うと、トランスレーターも作品制作における表現行為の一端を担っているように感じるのですが、いかがでしょうか?

田村

表現が生まれる時にトランスレーターが持つ影響力は、とても大きいと思います。トランスレーターのことを「表現者」だと言うと、翻訳や通訳の技術的な部分やサポーターとしての役割を蔑ろにしていると考える人もいるかもしれませんが、むしろその役割がいかに大事なのかを、もっと認識できたほうがいいと思っていて。それはトランスレーターにスポットライトが当たってほしいということではなく、作品に携わるあらゆる仕事や立場の人たちが、各自の持つ作品への影響力や責任をお互いに認識したほうが、ものづくりの現場として健康的で自然だし、よい作品づくりにつながると思うんです。

田村

粒立って見えているのはアーティストやキュレーターなど、職業にわかりやすく名前がついていて、どんな仕事をしているのかが外側からでもイメージできる人。そういう人たちだけがものを作っているイメージを持つ人は多いと思うんですけど、本当はその間をつなぐ人が無数にいて、あらゆる仕事の専門性があらゆる方向でつながれた結果、ひとつの作品や形を持つものとなって昇華されていく。

 

それはアートだけではなく、社会の中では職業を問わずさまざまな人が、それぞれの立場で世界がよりよくなるように自分のできることをしているわけですよね。外から見ているとわかりづらい、ものごとの間にある形や名前を持たない部分にも常に意識を向けていたいです。

──

その重要性を理解することが、作品にはどんな影響を及ぼすと思われますか?

田村

それぞれの立場が発揮しうるクリエイティビティを、その人自身もまわりも、きちんと認識したほうが、できることや想像の幅が広がって、結果よい作品につながると思います。

 

例えばトランスレーターというと通常は「黒子」「ロボット」など、舞台上にいても見えない「裏方」として、そこにクリエイティビティは介在しない仕事であるかのように思われていることが多い。でも実際に私が翻訳・通訳する時は、私の中にある言葉でしか、話者の話を伝えられない。他の通訳者が通訳すれば、その人の言葉を使った表現になります。トランスレーター個人の持つ語彙や身体性や感受性に、翻訳表現が大きく左右されるのです。だからこそ私は、自分のクリエイティビティを最大限発揮してつくり出す翻訳表現に、責任を持ちたいと思っています。「裏方だから」と片付けてしまっては、その責任を放棄するようなもの。作品制作に携わる人たちの影響力と責任を認識すれば、それぞれのベストを尽くそうという意識が高まるし、お互いの専門性や創造性を意識できていれば、表現の可能性を広げるための対話も生まれると思います。

──

そこで広がる表現の可能性とは?具体的に教えてください。

田村

例えば翻訳の創造性が認識されていれば、「この言葉は英語だとこういうニュアンスを持つけれども、それはこの作品にとって適切」など、作品制作の一環として翻訳にまつわる議論を重ねようと考えるアーティストも増えるでしょう。なかには、翻訳には議論の余地などない、とでも言うように、翻訳者に丸投げをしてしまう人もいますから。議論を重ねることで、たとえそれがアーティストのわからない外国語に訳されるのだとしても、表現を工夫したり、その文化圏に合わせた言葉を選んだりと、より届けたい人に届く作品になる可能性が高まると思うのです。アーティストも、議論を重ねたあとなら、作品が別の言語になってもそれを自分自身の言葉であり、自分の作品だと感じることができますよね。

「トランスレーター」と常に名乗り活動する理由

──

最近では『札幌国際芸術祭2020』でコミュニケーションデザインディレクターを務められていましたが、これまでもアート・トランスレーターにまつわる公開講座を開かれたり、シンポジウムを企画されたりと、多岐にわたる活動をされていらっしゃいます。これらはアート・トランスレーターの重要性を周知させるための活動の一環でしょうか?

田村

はい。言い換えれば、私がアートにとって必要だと考えるコミュニケーションやトランスレーションのあり方をより多くの人と共有したいと思い、積極的に活動しています。そしていわゆる翻訳・通訳の枠組みから出る活動も「トランスレーター」と名乗って行うことによって、これまでの翻訳・通訳のイメージを更新していきたいと思っています。

──

多様な活動を伺っていて、これからはトランスレーターを名乗り続ける必要がないのではないかと思っていたのですが、あえて名乗られているんですね。

田村

日本語の便利なところで、カタカナにするとニュートラルで新しい言葉のように認識されますよね。「新しい職業らしいぞ」と思われたほうがいいなと考えて、あえて翻訳家や通訳者ではなく「アート・トランスレーター」とカタカナにしているんです。私の活動を見た人に「トランスレーションとは、言語から言語への変換以上のものなんだ」と認知してもらいたくて。文化や文脈などいろんなものが付いて回って初めて、言語は別の言語に変換されるので。

──

『札幌国際芸術祭2020』で務められた「コミュニケーションデザインディレクター」とはどのようなお仕事だったのでしょうか?

田村

芸術祭と観客の間をつなぐ部分をすべて監修する立場でした。札幌市民の方やこれまで芸術祭に行ったことのない方、アートに馴染みのない人たちに、どうすれば展覧会に来たいと思ってもらえるのか、芸術祭をよく知る人とそうでない人の輪をどうつなげて広げられるのかを考える役割でした。それも、置き換えれば広義の翻訳だと捉えて活動していました。

言葉の変換だけにとどまらずアート・トランスレーターとして「人と人」「文化と文化」「表現と表現」などのコミュニケーション環境を整える活動に従事してきた田村さんにとっては、広報、イベント、オンライン配信などさまざまな方法を通して芸術祭と観客とをつないだ「コミュニケーションデザインディレクター」の仕事も、広義の翻訳なのだ。

言葉の力や影響力を信じ、コミュニケーション環境を整えることがよい作品づくりにつながる

──

ここまで表現としてのトランスレーションについて伺いましたが、最後に本特集のテーマである「言葉の力」についてお聞きしたいと思います。アートにおいて「言葉」が持つ力についてはどうお考えですか?

田村

非常に重要であると思います。

 

「言葉で表せないものがアートになっているんだ」とイメージを持つ人もいるとは思うのですが、作品をつくるということはそもそも伝えることが前提なんですよ。伝わるか伝わらないかはあるとしても、アーティストには伝えたいことがあるはずなんです。しかも一方通行の伝達でなく、双方向の対話に開いている。訳さない選択肢もあるアートの現場では、必ずしも言葉を尽くすわけではないですが、言葉をどう使うのかについてはいろいろな可能性があると思います。

──

田村さんは「コミュニケーション」の重要性をとても感じていらっしゃるように思うのですが、トランスレーションとコミュニケーションの関連性についてもう少し詳しく教えてください。

田村

いい作品ができるために必要なトランスレーションを考えるうちに、必然的にコミュニケーション全体がうまくいかないといけないと考えるようになりました。言葉が書いてあれば自動的に相手に通じる、コミュニケーションは自然に発生する、と思っている人が多すぎて。でも実際は、きちんとした意識やディレクションが働いていないと、良質なコミュニケーションは自然には起こらない。本当はもっと努力が必要だし、相手のことをわかろうと思うから理解ができるのであって、単に言葉が書かれていただけでは誰もがそれを理解できるわけではないのです。

──

いかなる状況でも言えることですよね。アートの現場では更にどのようなディレクションが必要なのでしょうか?

田村

作品にとって、どういうコミュニケーション環境が必要なのかを、はっきり認識して選択することが大切だと思います。とくにさまざまな分野の人が自分のできることを持ち寄って共同でひとつのプロジェクトを進めるような現場では、自覚的に環境を作っていかなければなりません。更に国際的な現場であれば言語の壁もあるわけですから、トランスレーターだけでなく、その場に集まる人全員が言葉の力や影響力を信じて協働し、「コミュニケーション環境を整える=よい作品づくりにつながる」という意識で制作にあたるべきだと思います。

──

田村さんの精力的な活動の原動力はどこからきているのですか?

田村

死ぬまでに「たくさんのよい作品」に出会いたいんです。今つながっていない人たちがつながると、点と点が広がりネットワークが発生しやすくなる。そうなれば、そこに対話が生まれるきっかけとなり、よりよい作品ができることにつながる。そのためにトランスレーターの立場でできることがたくさんあると私は思っています。

──

今後アーティストとしてご自身で作品をつくる予定はないのでしょうか?

田村

自分一人で作品をつくる気はないですね(笑)。ただ、尊敬するアーティストたちの作品づくりにもっと関わっていきたいとは思っています。アーティストと共同でアイデアを考えたり思考を深めたりしながら形にしていくという作業に、より能動的に主体的に取り組むということです。そういう意味では作品づくりとも言えるのでしょうが、あくまでトランスレーターとして、コミュニケーションデザインの視点から考えていけると面白いかな、と。これまではいただいた機会の中でそういうことに挑戦してきましたが、自分から企画していくのもありなのかなと思っているところですね。

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