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煌びやかな非日常ではなく、役所広司が見せる地味でつまらない丁寧な生活『すばらしき世界』―考察しない映画評 #1

映画、テキスト、考察——。
世はまさに大考察時代!

 

しかしながら、吐きそうなくらい中途半端な品質の「考察」がネットの海に捨てられているのが現実だ。いっそのこと「考察」とやらを手放して、極めて私的な感想文を書き綴れ! というのがこの連載の趣旨である。

 

「俺の主観か?欲しけりゃくれてやる。探せ!!!!」

MOVIE 2026.03.12 Written By 千田

(C)佐木隆三/2021「すばらしき世界」製作委員会

考察しない映画評 #1
『すばらしき世界』(2021年)

 

断言しよう。「丁寧な暮らし」を演じさせて役所広司の右に出るものはない。

 

古い古いアパートの2階。せいぜい六畳程度の狭い部屋で彼は慎ましく暮らしている。早くから朝食を自分で用意して静かに手を合わせたり、汗を流しながら必要な道具をこしらえたりするのだ。年季の入った畳を裸足で行ったり来たり。ともすれば滑稽に映るほど一生懸命だ。背中を小さく丸めて、自分の暮らしを全うしようとしている。

「暮らし」は透明にならない

元受刑者。生活保護。役所広司の演じる三上は「最低限の生活」をしているが、ヒステリックなほど何もない部屋で得意げに暮らすミニマリストとは違う。

 

ミニマリストを気取った連中の言い分はこうだ。「服を選んだり、献立を考えたり。そうした無駄な時間から解放されて、価値ある生産的なことに集中したい」……だとかなんとか。最適化。そんなことして何になんねん。

 

そのうえ、奴らの「最適化」はあらゆるインフラを上限いっぱいまで使い倒し、他者を無視することで成り立っている。お前が冷蔵庫を空にしても生きていけるのは街にスーパーやコンビニがあるからだ。その向こうで生産・流通する人間が身を粉にして働いているからだ。圧倒的にマキシマムな消費社会のスポンサーのくせに、涅槃の境地に辿り着いた自分に酔いしれてるのが気に入らない。都市空間のおんぶにだっこのくせして、自分の足で立っているような顔すんなよ。

(C)佐木隆三/2021「すばらしき世界」製作委員会

私情が散らかってやや話は逸れたが、とにかく言いたいのは三上は真正面から「生活」をしているということ。冒頭では便宜的に「丁寧な暮らし」と表現したが、彼自身にはそれが丁寧だという自覚も無いだろう。

 

そこに実在している以上、日々の些事を透明にすることはできない。してはいけないのだ。自分自身に対する責任感を畳の上で全うする。そういう暮らしを僕は心の底から羨ましく思う。

 

以下、引き続き本編とはあまり関係のない話が展開されます。
ご承知おきください。

生粋のセルフネグレクター

偉そうなことを並べ立てたが、僕自身の毎日はそれはもう散らかりに散らかっている。整然と清潔を保ち自分をいたわることができない。1秒後の自分をもてなすことができないのだ。

 

袋の粉をきっちり最後まで出し切ることが面倒で、幸の薄いカップ麺を口に押し組むハメになる。インスタント食品さえ満足に食べることもできない自分が恥ずかしい。そう思うなら最初からきちんとすればよいのだろうが、いざその瞬間になると気が滅入ったり癇癪を起こしたりしてしまう。

 

バスタオルを畳めないから、必要な時に常に絡まっている。1枚だけ取りたくてもティッシュの要領でその次が勝手に出てくる。無論これはティッシュケースのように図面上で計算された工業製品ではなく、劣悪怠惰の産物。結局すべて何から何まで収納カゴから溢れてしまい、全裸で立ち尽くすことになる。さっきまで培養液に浮かんでいた綾波レイのいれ物が大量に幾重にも積み重なるのに似ている。しかし我が家のバスタオルが死んでも代わりがいくらでもいるわけではないので、膝をついてせかせかと拾うことになる。

 

靴だけで30足あり、それ以外の衣類は数える気が起きない。本棚は嘔吐してぐったりしている。床に散らばっているものを別の箇所にどかし、掃除機をかけ、もとあったように散らかし直す。ビレバンとかカルディの上澄を掬って乱雑さを良しとしてきたが、モノで溢れてとうに限界を迎えている。

 

モノの過剰さだってある種のセルフネグレクトなんだろうなと思う。いまここにある自分に対して誠実に向き合うことができないから、つい新しいモノを買い求めてしまうのだろう。横文字4つでばっさり説明がつきそうな話でもあるが、生活への態度が問題の核なのだ。

 

ミニマリストへの罵詈雑言もいわば同族嫌悪だ。生活を透明にしたふりをして、自分の暮らしに向き合ってない。

神経質でなくて構わない

三上は違う。

 

「今度の娑婆では挽回して更生したい」という一時的なパフォーマンスめいた加速とはまた別軸の、生活に対する実直さがあるように思える。

 

役所広司の演じる一人暮らしを見て、日々を整えることの重要性に気づく。生活なんて神経質な人間の病的な自己満足ものだと思い込んでいた。そんなのは吊り目の銀縁メガネのババア(もちろんチェーンを垂らしている)が裏声で怒号を上げながらやることだと勘違いしていたが、どうやらそうではないらしい。

 

性格の如何に関わらず、身の回りを整えなければ自立的な人間にはなれない。生活保護の世話にならず一人前に働きたいんだと声を荒げる三上の主張は、「自立」への意欲の象徴だ。

(C)佐木隆三/2021「すばらしき世界」製作委員会

彼自身がそんな清貧だったのかといわれるとそうでもない。別にカップ麺だって食べるし、そもそも彼は元受刑者で仕事に困っているからこそ結果的にそうなっているだけで、お金があれば贅沢だってするだろう。バブルだって経験した世代だ。なんせアウトロー。ヤクザのバブルだ。ウニいくら丼にバカほど金粉をまぶして、さらにその上からのりたまを2袋かけるくらいのことはしているに決まっている。もちろん切れ目のお姉さんがノーパンで給仕する。そうした過去も経て、三上はいまここにある何もない日常を肯定的に受け入れる。

 

もしこれが自分だったら——?

 

想像するだけで腹痛がする。ガクンと下がった生活水準を受け入れ、再挑戦するだけの馬力が自分にはあるだろうか。しかも今度の三上は犯罪ではなく娑婆の仕事を目指している。従来に比べて圧倒的に非効率だ。それでも彼はやり遂げるだろう。誰も監視していない私生活を自律的に整えることができるのだから。

 

義務でもなく自罰でもない、ゆるやかなポジティブを原動力に彼は日々を前に進めている。この絶妙な塩梅を表現できるのは、世界に役所広司ひとりと断言して構わないだろう。

 

三上の生活ぶりが羨ましい。決して煌びやかではないが、自分自身の責任から逃げない、その態度が眩しいからだ。

▼余談のさらに余談

生活をさせるなら役所広司!という着想からのコラムでした。映画を観る人になら結構共感してもらえるのでは? と思っているのですが、実は「役所広司生活モノ」は本作を除けば『PERFECT DAYS』(2023)くらいしかありません。むしろこっちのほうが真骨頂かも?

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