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金田金太郎のアートウォッチメン!ステートメント04『DEATH DREAM』

この連載は、関西を中心に美術作家の金田金太郎が、開催されているアートな場所を訪れ、ステートメント(アーティストの声明文・展覧会のごあいさつ文)とともに、アーカイブしていくものだ。

ステートメント04:『DEATH DREAM』

九鬼知也さん

1. What is “DEATH DREAM”?

第4回目は、昨年に移転リニューアルオープンを迎えたばかりの「VOU/棒」の3Fギャラリースペースにて、2020年1月11日(土)から2月2日(日)まで行われていた九鬼知也さんによる個展『DEATH DREAM』を取り上げる。

皆さんにも、ある一つの物事に相反する二つの感情をもちあわせた体験が一度はあるだろう。大人になっていけばいくほど、そういうシチュエーションには縁が深くなっていくものだ。それは、九鬼にとっても同じことだった。出生した和歌山県で青年期を過ごした後、京都精華大学にて学位を取得。左京区を拠点として、現在バンド活動*1と作家活動という二足の草鞋を履く彼にとって、それはレオ・レオニの絵本*2に出てくる“ぶぶんひん”のごとく「自分自身とは何か」を問いかける長い旅路に他ならなかった。

“全然タイトルとか考えてなかったけど、まあなんか、作ってるうちにこんな感じかなって”

九鬼に展覧会名の理由を尋ねると、こう返答がきた。筆者にとって、今回ほど責任感の伴う対象もそう多くはない。なぜならば、本展にはステートメントのような読み物は一切ない。読み物らしき目星のつくものは、先ほどの質問で鮮やかに曖昧みを帯びて散った『DEATH DREAM』のみであったからである。

 

つまり、ある意味この展示は「What is “DEATH DREAM”?」という不確定なシナリオの短編推理であって、しかし彼自身、その結末を知らない。そこに我々が鑑賞体験の同席を許されることで展開されるある種の即興演劇のようなものではないかと筆者は捉えた。

 

そうすると、これはまたしてもコナン・ドイル的な〈ダイイング・メッセージ〉の連想ゲームの幕開けである。

*1:バレーボウイズ
2015年に京都精華大学の学園祭「木野祭」出演のために結成されたバンド。地元・京都を拠点とし、各地で積極的にライヴ活動を行なう。

*2:『ペツェッティーノ-じぶんをみつけたぶぶんひんのはなし』初版発行:1978年 レオ=レオニ・作 / 谷川俊太郎・訳

2. "叫び"としての「DEATH DREAM」

前年度に移転したVOU/棒の新大陸である棒ビル*3を三階まで上っていくと、以前印刷工場だった頃のオフィスとおぼしき開けた四角く白い空間に、ぎっしりと並べられた玩具・絵画作品が出現した。玩具・絵画作品と表したのは、筆者には、先ず正対する壁に対照的な展示が施されたように見えたからである。しかし、よくよく見ていくと、対照というには完全さを欠いていることも次第にわかってきた。次には、これは限りなくアンビバレントな展示だということがわかる。

*3:棒ビル
京都を拠点に、店主の川良謙太氏がセレクトしたアーティストの作品や、オリジナルのグッズを取り扱うショップ兼ギャラリー「VOU/棒」が昨年10月1日に元印刷所を改装した3階立ての新店舗。

展覧会風景1
展覧会風景2

“創作のきっかけっていうとさ、なんか懐かしくなったり思い入れがあるものってあるやん。例えば水色のふわふわしたもんとか見ると、肌身離さずもっていたいなって思ったり。(中略)その時の執着した気持ちって、すごい光ってるって言うか、希望っていうか。(中略)生きてて現実は真逆やんか。執着してるものと引っかかってるものが違って、でてくるものは内面的な絶望やったりさ。

この九鬼の話に拠れば、玩具の類は制作のための蒐集物であり、絵画とは内面性の反映だろう。広く知れ渡っている意味での一般的な態度から言えば、絵画の展示は、絵画という“もの自体”において、どれほど作家の試みが濃縮し達成できているか(つまり、絵画それ自体のみで展示を如何に構成して見せているか)を観たり、また、インスタレーション*4やレディ・メイド*5を使う場合、よりその思想や構成の純度が重視されたりする風習がある。そのため、九鬼の思惑がそうした鑑賞の形式において実践されたのであれば、この展示において筆者が書き残す言葉に意義などないだろう。

*4:インスタレーション
据え付け、取付け、設置の意味から転じて、展示空間を含めて作品とみなす手法を指す。彫刻の延長として捉えられたり、音や光といった物体に依拠しない素材を活かした作品や、観客を内部に取り込むタイプの作品などに適用される。(artscape公式サイトより引用)

*5:レディ・メイド
マルセル・デュシャンによって考案された作品概念。大量生産された既製品からその機能を剥奪し「オブジェ」として陳列したものをいう。(artscape公式サイトより引用)

展覧会風景3
展覧会風景4
展覧会風景5
展覧会風景6

しかし、そうではない。では、なぜ九鬼は、言葉の順序を変えて遊ぶワードパズルのように、この『DEATH DREAM』で読み手の恣意の受け皿にあずかるような余白を残しているのか。それは、次への手がかりでもある。

 

本展の題は、単純に「死の夢」と言ってしまえば「悪夢」のようにも感じるが、二語の間には接続語や句点もなく、ただ角張った括弧の中をふわふわと並んで浮遊しているだけに見える。

“バンドやり始めて、以前より描かへんくなって、(中略)絵に対する意識がかわってきてんな。それまでは外側で描いててんけど、より内側で描くようになったっていうか。(中略)外側っていうのは、美術に好かれたいっていうような。そう言うの憧れてたし。”

他にも、こうした言葉に反映されるのは、バンド活動の多忙さによって引き起こされたスランプの中で、九鬼自身の主眼がローマ神話にでてくる“ヤヌス”*6のように事象の内側と外側を同時にまなざす意識的な身振りとして絵画制作を捉えるようになったという変化の一面ではないだろうか。

 

つまりこれらの言葉は、九鬼の蒐集物と絵画の関係性が、互いに内と外のリレーションとして同時に立ち上がってくることを支持しているようでもある。それはかの有名なムンクの『叫び』のように、葛藤という心理の写し(絵画という叫び)でありながら、同時に、そこに(絵画に)回収され得ない叫びの不在(実存としての叫び)としても鑑賞者に提示されてしまうような多義的な意味合いをもった状況を想起させる。

 

それは本来、対義的であるはずの”DEATH”と”DREAM”が一つの皿の上で同時にばら撒かれるということである。私たちは、普段から発話のレトリックにその言葉の本質を委ねているが、そのことは、書かれた言葉の順番が読まれる言葉の順番を決定するという一つの権力の現れでもある。

 

そこで、本展をそうした話し言葉の秩序に従って読み解くことから開放し、羅列する言葉を同時的に脳内において発声するとすれば、もうひとつの『DEATH DREAM』の意味が次第に立ち上がってはこないだろうか。

展覧会風景7

*6:ヤヌス(Janus)
ローマ神話の出入り口と扉の守護神。 前と後ろに反対向きの2つの顔を持つのが特徴の双面神。 物事の内と外を同時に見ることができたとされる。過去と未来、歴史と認識(洞察)という全体性を表す。

3. まつりのあと

これまで本展での蒐集物の登場からここまでの役割は、作者と鑑賞者を単なる現実世界での絶望から救う希望への足掛かりとして導いてくれた。しかし、ここで我々はひとつの大きな問題に直面しなければならない。

 

もうお気付きかもしれないが、これは”展示”というひとつの”フィクション”からなっている。こうしたフィクションはこれまでに制作者をも動員し現実という名の監獄からの逃走経路の確保に尽くしてきた。おそらく、誰にとってもはじめの鑑賞を進めていくうちには、あるところまではそうした事実を忘れて没頭することができるが、やがて希望の代物であるはずの玩具がところどころで展示空間の”キワ”にアプローチされていることの法則性に遅かれ早かれ感づく時がくる。

展覧会風景8
展覧会風景9
展覧会風景10

そして物語は突如としてサスペンスドラマの最後に記される「これはフィクションです。」という暴露の言前に伏すのである。言い換えれば、展示空間がそれ以外の機能をもった部屋だということを、窓やコンセント、昔に打たれた釘などにアプローチすることで、報告されるのである。そして先ほどの言葉たちにも見られるように、九鬼自身もそうしたことには、展示を行う前には気づいてなかったと言うだろう。そうして訪れたまつりのあとは、何度目であれ、いつも充足感と侘しさを持ち合わせている。

“日々を慰安が 吹き荒れて

帰ってゆける 場所がない

日々を慰安が 吹きぬけて

死んでしまうに 早すぎる

もう笑おう もう笑ってしまおう

昨日の夢は 冗談だったんだと”

 

『祭りのあと』1982年

作詞:岡本おさみ

歌・作曲:吉田拓郎

此度、われわれは夢破れてというような経験を味わったものの、本展の構成は、ある意味で首尾一貫したテーマ性があったではなかろうか。これは肩を落とすにはまだまだ青い笑い事であるというのだろうか。その保証に、VOUのオーナーである川良氏に伺った、小笠原氏*7(同時期に一階で個展を開催していた作家)と九鬼との交流関係についての以下のような後日談がある。

同時期開催されていた、小笠原氏の個展メインビジュアル

そもそも九鬼はVOUの看板の元での個展は二度目であった。九鬼の一度目の展示が開催された背景には、前職で同僚関係であった小笠原氏が、絵を描いている九鬼に、「京都でやるなら、VOUさんに行ってみたらいい」といってVOUでの個展を打診した経緯があったという。そうして実現した初の個展を経た今日があるとすれば、本展覧会は川良氏をはじめとする暖かい視線によってじっと見守られていたように思う。

九鬼知也によるVOUでの初個展『i museum』会期:2016年10月14日〜2016年10月25日

人は育った家を出る時、一人でやっていけるかという事ばかりが気になるのが事実である。しかし、一歩外に出てみれば、そうしてやってきた幾人もの同士に巡り合い、支え合っていけるというのも満更に根拠のないものでもない。筆者にとってもそれは同じことであった。それ故に本展にはなにか、力強い励ましを受けるようであった。

*7:小笠原周 個展「アサンブラージュ」 2020年1月11日(土)- 2月2日(日)
“この度、VOU/棒では、1Fのメインギャラリーにて若手彫刻家・小笠原周による個展を開催します。「アサンブラージュ」と題された本展では、2019年12月に屋外公園にて発表された6体の石彫作品《尼崎の彫刻》を取り込んだ新作《アサンブラージュ: 裸の男達と伝説》を展示し、近代彫刻の先駆けとなったロダン作品をモチーフに新たな彫刻を提示します。”(VOU公式サイトより引用)

会期

2019年10月26日 (土)~ 11月10日(日)

13:00~19:00

定休日:水・木曜日

会場

VOU/棒

3階イベントスペース

 

〒600-8061

京都府京都市下京区筋屋町137

出展作家

九鬼 知也 / KUKI tomoya

公式サイト

https://www.instagram.com/p/B7I1KiyDcZH/

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