【川端安里人のシネマジプシー】vol.8 マカロニウェスタン
はい、みなさんこんにちは。実は私事なんですけど、最近本屋に行くのが前よりも楽しみになりました。どうしてかというと、こういうの (http://publications.asahi.com/mw/) が売ってるんですね。今回は自分と同世代や若い世代の馴染みがない人たちのために、マカロニウェスタンという映画ジャンルの魅力を届けたいと思います。
「そもそもマカロニウェスタンとはなんぞや」、という話なんですが、早い話が1960年代70年代のイタリアを中心にヨーロッパで製作された西部劇のことです。本国アメリカ産の西部劇と区別するためにマカロニと呼んでるんですね。ちなみに、日本ではマカロニですが、海外ではスパゲッティウエスタン、もしくは単純にヨーロピアンウエスタンと呼ばれています。
だからイタリア人からはよく「マカロニってなんだよ」って言われたりもするのですが、マカロニウエスタンと命名したのは昔の日曜洋画劇場で解説をされていた、(故) 淀川長治さんです。スパゲッティウエスタンは日本語的に語呂が悪いからということでマカロニと名付けたそうですが、「マカロニ=中が空洞=中身がない」という揶揄も含まれているんじゃないかという説もあります。
それは何故かと言うと、元々アメリカの西部劇というジャンルはアメリカ合衆国建国の歴史という側面を備えた娯楽映画でした。ところが1960年代のベトナム戦争で状況が一変。ヒッピー文化などのカウンターカルチャーから西部劇はネイティブアメリカン虐殺を美化している悪しき風潮だという風説になり (実際にはそうではない作品が多いんですが) 、ジェノサイドとしての開拓を描いた映画やアウトローたちの破滅を描いた映画が増えたんですね。つまりドンパチを楽しむためだけの西部劇も、その巻き添えとして作られにくくなってしまったわけです。
そしてそこで登場したのがマカロニウエスタンです。
マカロニウエスタンの特徴として、
①イタリアの俳優だけでなくクリント・イーストウッドやリー・ヴァン・クリーフなどの若手や個性派俳優をアメリカから招いて彼らがイキイキと演じる個性的なキャラクター
②ガトリングガンが入った棺桶やオルガンや傘の形をしたライフル、といった奇抜なアイデアや小道具たち
③エンニオ・モリコーネやリズ・オルトラーニといった名作曲家によるエレキギターや口笛などを多用した耳に残るサウンドトラック
これらの特徴だけでなく、男対男のストーリーをごり押しする (アメリカの建国神話的部分がごっそり抜け落ちて)純粋な娯楽に特化した作品群だったために、ベトナム戦争や学生運動などによって暗い影を指していた時代の中、数少ない純粋な娯楽映画として世界中で大ブームを引き起こしました。
60年代、70年代の間に何百本も作られるほどの、大ブームになったマカロニウエスタン。ところが時の流れとともに徐々に飽きられ、今では完全に寂れた過去のジャンルになってしまいました。どれくらい寂れたかというと「マカロニウエスタン人気なくなりすぎ!」をテーマに一本映画が作られるほど…… (『マカロニ・ウエスタン 800発の銃弾』)でもね、その世界観に、そのキャラクターに、そのカット割に影響を受けた映画やアニメやゲームなんかは未だに作られてます。
そして実は日本は未だ根強いマカロニファンがいる国でして、あのクエンティン・タランティーノが来日した際にはアメリカでは手に入らないからとDVDなどを買い漁るくらいコアなマカロニウエスタンでもソフト化されている国なんです。これは見ないともったいない!というわけで時代も何も考慮せず、自分が劇押しするマカロニ傑作群の中から入門として3本ピックアップします!
『夕陽のガンマン』
はい、この人無くしてマカロニを語れないのがセルジオ・レオーネ監督です。今年新作も公開されるクリント・イーストウッドをスターにしたのもこの人です。元々黒澤明の『用心棒』を勝手にリメイクして訴訟問題が起きた『荒野の用心棒』が今でいう炎上商法みたいな感じで世界中で大ヒットしたのがきっかけになって世界中にマカロニウエスタンが広まったことを考えると今や完全にマカロニの立役者といったところでしょうか (ちなみに訴訟問題は円満に解決してます)。
そのレオーネが『荒野の用心棒』に引き続きイーストウッドを主役に撮ったのがこの『夕陽のガンマン』です。相手役にはリー・ヴァン・クリーフ、2、30代の人なら「メタルギア・ソリッド」のリボルバー・オセロットのモデルになった人って言ったら少しはピンとくるでしょうか?
”インディオ”と呼ばれる極悪人を追う二人の賞金稼ぎの友情ともライバルとも言える丁々発止の追跡劇なんですが、おそらく”西部劇”という言葉からイメージされるすべてが詰まっている、そんな一本です。当時はイタリア産のウエスタン⁉︎なんて言われていたはずですが、今改めて見直すと全く風化していない娯楽性に魅力的なキャラクター、モリコーネの名曲によってなんとも風格のある作品だと思えるはずです。マカロニとしてだけでなく西部劇入門にもオススメな一本。
『ガンマン大連合』
レオーネに対して第二のセルジオとも言われるセルジオ・コルブッチ監督作品。コルブッチの名前を知らなくても「DJANGO(ジャンゴ)」という名前に聞き覚えはないですか?三池崇史監督作品の「スキヤキウエスタン ジャンゴ」とかクエンティン・タランティーノ監督作品の「ジャンゴ 繋がれざる者」あるいは「スターウォーズ」のジャンゴ・フェットとか。
どういうことかというと、コルブッチ監督が作った『DJANGO 続 荒野の用心棒』という映画がありまして、この映画の大ヒットのせいで世界中で勝手にその映画の主人公、無敵のガンマンの名前ジャンゴにしちゃえというムーブメント (?)がありまして、その影響が未だに健在ということです。
そんな元祖ジャンゴコンビ、コルブッチ監督と主演のフランコ・ネロのおそらく最高傑作がこの『ガンマン大連合』です。このコルブッチ監督、鬱に放り切った作品か躁に振り切った作品かの両極端な人なんですが、この作品は完全に躁に振り切ってる作品です。
マカロニウエスタンにはメキシコ革命を背景にした作品が多いんですが、これはその中の最高傑作の一本といっていいでしょう。「やっちまおうぜ同志たち!」と高らかに歌うなんとも頭悪そうで過激な歌詞のテーマソングとともにとことん楽しく利益至上主義の武器商人である主人公が少しづつ革命に感化されていくさまに熱くなること間違いない少年の心を持ってる人には是非見て欲しい一本です。画面のかっこよさ=レオーネ、画面の面白さ=コルブッチと思ってもらえれば問題ないです。
『怒りの荒野』
最初に紹介したレオーネの愛弟子、トニーノ・ヴァレリ監督作品です。マカロニウエスタンのスターと言えばイーストウッド、そしてリー・ヴァン・クリーフ、フランコ・ネロ、そして忘れちゃいけないのがジュリアーノ・ジェンマです。基本マカロニウエスタンは渋メンが泥まみれになって硝煙撒き散らしてナンボの世界ですがその中でほぼ唯一爽やかイケメン系で通したジェンマはスズキ ジェンマの名前の由来になるくらい当時は人気だったんですよ。そんなジェンマ主演作の中で自分が一番好きなのが、この『怒りの荒野』です。
タランティーノが好きすぎて先ほど名前が挙がった『ジャンゴ 繋がれざる者』内でテーマソングを使っちゃった映画です。いわゆる師弟ものでガンマンに憧れるジェンマがリー・ヴァン・クリーフにくっついていく話なんですが、そこで教わる教訓a.k.a.ガンマン十戒はマカロニウエスタンだけじゃなくアクション映画や漫画、その他ももろもろにも言えるこの手のジャンルの根幹をなすと言ってもいい格言なんで、知っておいて損はないはず!そんなウンチクなしにしてもガンマンに憧れる青年が師匠を超えるまでの分かりやすい成長物語でもあるので時代を超えて楽しめる内容になってますし、何より元体操選手でジャグリングのプロであるジェンマのトリッキーなアクションとクリーフのいぶし銀演技だけで目が幸せになれる一本です。
マカロニウエスタンの魅力を一言で説明するのは中々難しいです。本当は『血斗のジャンゴ』における善と悪の入れ替わりや”最後のマカロニ”と言われている『ハチェット無頼』における実際にほぼ廃墟とかしたオープンセットの醸し出す終末観などなど語りたいことがまだまだ山ほどあります。
実際圧倒的に駄作の多いジャンルなのは間違いないのに、なぜ今だに熱狂的なファンを生んでいるんでしょうか?
言うまでもなくアメリカという国はそこに憧れて移住した人々によって築かれた国です。それから何百年経ってもなおアメリカの荒野に憧れを抱き続けたヨーロッパの映画人たちによって”俺の考えたかっこいい西部”として作られたのがマカロニウエスタンです。セルジオ・レオーネが監督した傑作に『ウエスタン』という作品があります。この映画の原題は「Once Upon a Time in the West」で、Once Upon a Time という言葉は日本では「むかしむかし」と同じようにおとぎ話の文頭にくる言葉です。
マカロニウエスタンというのは終わったジャンルです。ブームが何十年も前に過ぎた今もう作られることはありません。それでも、まるで大人向けの童話のように時代を超えて童心に帰って楽しませてくれるし、廃墟のように現在から剥離したなんとも言えない魅力を放つジャンルなんです。
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1988年京都生まれ
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小学校の頃、家から歩いて1分の所にレンタルビデオ屋がオープンしたのがきっかけでどっぷり映画にはまり、以降青春時代の全てを映画鑑賞に捧げる。2010年京都造形芸術大学映像コース卒業。
在学中、今まで見た映画の数が一万本を超えたのを期に数えるのをやめる。以降良い映画と映画の知識を発散できる場所を求め映画ジプシーとなる。