COLUMN

京都暮らし2度目のリアリティ

コロナで止まった足を再び闊歩させるために

2013年4月、私は京都に再び引っ越してきた。「再び」と書いたのは、その時が人生2度目の京都暮らしの始まりだったから。前回は小学校3年から高校卒業後までの約10年。ちょうど70年代後半から80年代後半という、京都の音楽の現場が一層ヴィヴィッドだった時代に、私は多くの音楽体験をした。京都で舞台照明の会社を立ち上げたばかりの従兄弟に連れられて京大〈西部講堂〉にも行ったし、高校生くらいになるとクラブやディスコのようなところにも足を踏み入れた。2日に一度くらいは四条河原町界隈のレコード屋をハシゴし、週末には3本立て1,000円の映画館にもよく通う、そんな日々。あの頃の体験がすべて今の自分に活きている。

 

だが、そこから約40年。京都にいる私の生活はその頃とあまり変わらない。そういう生活をまた送りたくて、京都に戻ってきたのかもしれないと思うほどに。かつて、そうしたカルチャー漬けの生活の中で出会った音楽は自分の土台になった。その後の(今の)自分の指向する音楽の指標となった生涯一の音楽家、Lou Reed(ルー・リード)に夢中になりオリジナル・アルバムを買い集めたのも、坂本龍一を通じて知ったEP-4と佐藤薫の活動を追いかけはじめたのも、10代、京都でのことだ。そして、いみじくも、Lou Reedが亡くなった2013年10月27日、既に居を再び京都に移していた私は、ちょうど『ボロフェスタ』に出演するため京都に入っていたEP-4の佐藤薫と打ち合わせをしている最中にその訃報に触れた。ひとしきり訃報に号泣したのち、ふと、不思議な縁だな、と、ぼんやりこの40年ほどを振り返りながら、今再び京都にいるのも、もしかすると、そうして自分の土台を今一度つくりたかったからなのかもしれない、と、思った。

 

東京や横浜で過ごし、20数年ぶりに京都に戻ってきた正確な理由は自分でも正直わからない。もちろん、仕事上のあれこれがあったからではあったものの、今思うと、かなり衝動的だったし、まるで晩御飯を食べにいく予定だった店を唐突に変えてしまうくらい、存外あっさりとした決断だったと自分でも思う。そして、京都に再び戻ったことが“成功”だったのかどうかも、正直わからない。京都に移ってから思いがけない展開が訪れたこともあったし、思うようにいかないジレンマも数々味わってきた。大概の方によくしてもらってきたが、嫌な思い、寂しい思いもそれ以上にたくさんしてきていて、それは自分自身にも理由があるのだろうと戒めた上で、簡単に拠点を変えることの難しさを思い、そのやるせなさを反芻する。

 

今もこれでよかったのかどうか結論を出せない。町中生まれの京女である母親が高齢であることから、もうおいそれと東京に戻ることができなくなっていることはどうにもならないことながら、音楽をベースにした仕事を京都で継続させていくことの難しさを実感する毎日で、加えて、東京出身の父親の血を半分引いている私は、いかに町の様相がひどく変化しようとも熱気溢れる東京のスピードが恋しいとも感じている。もっとも、2021年現在、大学の仕事から私の拠点の半分は東京だ。今、これを書いている夏休みは京都に戻っているが、秋になればまた出たり入ったりになるだろう。ただ、どこにでも簡単にアクセスでき、文化的な躍動が多い町の中に川や山や緑が多い京都はやっぱりすごく過ごしやすい。

 

コロナ禍以降、京都……に限らずほとんどライブには足を運ぶことがなくなってしまった私は、しかしながら本書に書く資格などあるのだろうか、とも思う。当初、編集長のT氏から本書のアイデアを相談された時、そこに並んだ掲載予定のアーティストの名前にいくつものクエスチョンマークを覚え、なぜこれがないのか、なぜこれが入っていないのかと激しく疑問をぶつけた。だが、その後しばし考えるにいたり、まあ、それはそれでいいのではないか、と気持ちが収束するに至ってしまった。なので、結果として、私が書いたこの文章には、おそらく本書にはほとんど登場しにくい名前をそこに見ることができるだろう。ここに挙がっていない名前や場所でも大切な、重要なものはまだまだある。それらをしっかり掬いあげていかねば……という使命感は今もある。しかし、そうなったらなったで今度は執筆が思うように進まない。自分がこれまで京都で感じたこと、やってきたことは果たして何だったのだろうか、何を残してきたのだろう、そもそも全く意味がなかったのではないか、とさえ思うようになった。

 

本当に私は京都で何もやってこなかったのだろうか。

2017年9月2日土曜日。京都に来てから不定期で始めていたイベント企画『Groomy Satueday!』を〈磔磔〉で開催した。出演は、曽我部恵一、スカート、台風クラブの3組。自分が観たいと思うイベントを自らブッキングするという、あまりにも当たり前の情熱から始めたこの自主企画シリーズは、他にも「空間現代/本日休演」(2017年4月10日 @磔磔)、「カーネーション/台風クラブ」(2018年4月1日 @磔磔)、「中川五郎/オクノ修/西洋彦/河内宙夢」(2019年2月27日 @Bonjour現代文明)などを企画してきていて、いずれも大勢のオーディエンスの方に来場いただいたが、中でも曽我部くん、スカート、台風クラブが揃った2017年9月2日は、さまざまな追い風が一気にここに集中したような奇跡的な夜になった。そして、今思えば、ここ10年ほどの……少なくとも私が京都に居を移してから体感してきた「音楽を通じて感じられる京都の町の息吹」を一つの形にすることができたと自負している。

 

言うまでもなく、その時の出演者のうち曽我部くんとスカートは東京から招いたアクトだが、その2組に「京都でやることに意味がある」ともちかけ、また両者がそこに賛同してくれたからこそ実現したものだ。企画の端緒はそこから約1年前、2016年の秋。その年の『ボロフェスタ』に出演していたサニーデイ・サービスのステージを観ている刹那、近くで一緒に観ていた台風クラブのドラムの伊奈昌宏くんが大泣きしていたのに驚き、これは何とかしないといけないと思ったことがきっかけだった。いや、私に限らず、もうその時点で誰もが望んでいたことだったと思う。まだアルバムも出していない状況ながら7インチ・シングルをいくつかリリースしていた台風クラブに対し、スカートの澤部渡くんと曽我部くんが既にレコードを買うなどのファンになっていたこと、その澤部くんはもちろん曽我部くんのファンで、そして当然ながら、台風クラブの連中も曽我部くんとスカートが大好きだったこと……。あるいは、台風クラブの石塚淳くんが東京のレコード・ショップ〈ココナッツディスク吉祥寺店〉店長の矢島和義さんのブログの読者だったこと、スカートの澤部渡くんもその〈ココ吉〉の常連だったことなども3者が顔を合わせるのに十分な理由だった。相思相愛のその3組がライブの対バンで揃い踏みとなるのも時間の問題であることは私もわかっていた。わかってはいたものの、その最初の場が京都であってほしい。そう思ったが最後、いてもたってもいられずに『ボロフェスタ』のライブを終えた曽我部くんに会い相談をしてしまったのだ。曽我部くんは二つ返事で快諾してくれた。「やろうよ!」と。

 

そこからは割と丁寧に進めていった。場所を〈磔磔〉とし、日程を決め、フライヤーを漫画家/イラストレーターの本秀康さんに描いてもらい……と時間をかけて開催にまでこぎつけた。カクバリズムの角張渉さん、ローズレコードの金野志保さんには本当にお世話になり、特に、最初は予算の都合もあり澤部くんのソロで……と考えていたのに、「バンドでいきますよ!」と逆に提案してくれた角張さんの協力がなければ実現しなかっただろう。台風クラブの石塚くんも、ファースト・アルバム『初期の台風クラブ』のリリースが見えていた時期に、「会場でアルバムを売りましょう、そこに合わせますよ」と乗っかってくれた。京都で知り合った年の離れた若い友達(ぽっぷちゃんとまおちゃん)も物販などの手伝いをしてくれるというし、こちらも若き友人の本田さんはフライヤーの本さんのイラストをあしらったオリジナルTシャツをつくって販売することを提案してくれた。なにより、曽我部くんは復活させたサニーデイ・サービスでの活動も順調、ソロやプロデュースなどで90年代当時以上に再び輝き、スカートもメジャー・デビューする直前、かように台風クラブも初めてのアルバムが控えていて……という、時代の流れも味方をしてくれた、そんなタイミングだったのだ。

 

フタを開けてみれば実に330人もの動員。磔磔は身動きがとれないほどギュウギュウの満員になった。それぞれのライブが素晴らしかったのはもちろんながら、終演後、会場の外に出ると、来場者全員に配ったフライヤーそのままのデザインのミニポスターを広げ、磔磔の入り口で記念写真を撮っている一団がいた。私はただの企画者に過ぎなかったのに、「いいイベントをありがとうございます」と声をかけてくれた人も少なくなかった。中には遠方から来てくれた人もいた。イラストを描いてくれた本秀康さんもわざわざ東京から足を運んでくれた。ああ、これだ。これがやりたかったんだ。自分の手でその渦を起こせたことがたまらなくうれしかった。

 

あそこまでの行動力と情熱が、なぜあの時一気に沸き起こったのか。私が再び京都に暮らすようになってから出会ってきた数々のアーティストたちや知り合い、音楽に関わる人たちが、それぞれの持ち場で生活の中において当たり前のように音楽に向き合っていたことが、結局のところ、時間をかけて私の背中を押したのだろうとは思う。つまり、日々の暮らしの中で、仕事とは関係なく出会った人々との交流というものを、私はどこかで欲していたのかもしれない。どこに行っても“関係者”という位置付けになってしまう、東京での仕事の在り方に疑問を持っていた、その反動が原動力になったということなのだろう。

 

実際に、私の書き手としてのそれまでの仕事や活動のことをほとんど知らないという連中と京都で最初に仲良くなったのは、偶然とはいえ象徴的なことだったかもしれない。本日休演というバンドだ。当時彼らはまだ現役の大学生。取材や仕事を通じたつきあいに始まったわけではないため、親子ほども年の離れた私に対しても自由というかフラットだった。だからなのか、にも関わらずなのか、京大の部室(ボックス)で録音するような場面にも声をかけてくれたし、逆にリーダーの岩出拓十郎くんからはお勧めのアーティストを多数教えてもらったり紹介されたりもした。メンバーとは一緒に飲みに行ったり、ライブに行く機会も多かったが、2017年7月、キーボード担当の埜口敏博くんが亡くなった時、いち早く訃報の知らせを電話で伝えてくれた岩出くんの、いつになく沈痛な声のトーンは今も忘れられるものではない。

 

その本日休演とは彼らが拠点としていたライブ・ハウス〈陰陽〉で知り合ったが、そこのブッキング・マネージャーで渚のベートーベンズのリーダーでもある江添恵介さんと、自身もエンペラーめだか(当時)などのバンドで活動する店長の有本秀右くんには、私が京都に移ったばかりの頃、本当にいくつもの大切なことを教えてもらった。シャラポア野口くん、ハロゲン木下くん、西洋彦くん、そしてもちろん渚のベートーベンズの面々……そこで顔馴染みになったミュージシャンも多い。ここでのつながりから、「Helga Press」という屋号のもとで京都のそれら若いアーティストの曲を集めた『From Here To Another Place』というオムニバス・アルバムの制作販売を思いつき、そこからくだんのイベント企画へと発展していったことを思うに、私の2度目の京都暮らしは〈陰陽〉なしには語れないと言えるかもしれない。

 

ライブ・ハウスでいうと、〈磔磔〉〈拾得〉〈UrBANGUILD〉〈CLUB METRO〉そして〈livehouse nano〉などそれぞれの場所でそれぞれに違った場面での出会いが思い出される。〈磔磔〉〈UrBANGUILD〉〈CLUB METRO〉にはイベント企画で再三力を借りてきたが、客としてもよく足を運んだ。山本精一さん、オオルタイチくん、ムーズムズ、数えきれない、senoo rickey、中川裕貴さん、児玉真吏奈さんとSawa Angstrom、長谷川健一さん、仙石彬人さん、suzumenba……彼らの勇姿は主にそれらのライブ・ハウスで目に焼きつけてきた。そして、もちろんいつも現場には水島浩司さん(磔磔・2代目店長)、林薫さん(CLUB METRO・プロデューサー)、福西次郎さん(UrBANGUILD・店長)や須藤亮太郎さん(同ブッキング・マネージャー)らの姿が。京都のライブ・ハウスやクラブは、店長の顔が“見える”のも大きな魅力だ。

 

そういえば、ある雑誌で〈拾得〉店長のテリーさんに取材をした際、涙をポロポロ流しながら大切な宝物を一つひとつ見せてくれるように話をしてくれたことがある。彼らにとって、こうした音楽の“場所”は、ビジネスの場所ではなく、生活そのものなのだ。ライブや取材、打ち合わせなどに赴くことをよく「現場に行く」という、刑事ドラマのような言い方をする人がいるが、この表現がどうしても好きになれない私は、他の人の会話などでこの言葉を見聞きするたびテリーさんの涙を思い出す。というか、思い出すようにしている。同じ京都に暮らすメディア寄りの大先輩、石橋正二郎さん(F.M.N. Sound Factory)はライブハウスを「ハコ」と呼ぶことを徹底的に嫌っているが、そうしたテリーさんの涙を思い出し、彼らお店の方々の思いを慮るにつけ、まるで要らないものでも仕舞い込むような「ハコ」という言い方など到底できるはずもないのだ。

 

〈拾得〉といえばマンスリーでイベントを開催している(現在はお休み中)吉田省念くんの拠点だが、その省念くんの九条山の自宅スタジオにお邪魔するたび、京都にいることの豊かさを実感する。「すぐ裏の山に鹿がいて、外でタバコを吸っていると目があったりするんですよ」という省念くんの何気ない一言もまた、「現場」だの「ハコ」だのといった表現が京都には全く似合わないということを教えてくれるものだ。その省念くんの7インチ・シングルをリリースしたこともあるSecond Royal Recordsというレーベル、そしてショップを運営する小山内信介さんの町との関わり方も同じ。HALFBY、Turntable Films、Homecomingsなど数多くのアーティストを送り出し、底辺で支える小山内さんの出発点が、京都での大学生生活をそのまま発展させたような〈CLUB METRO〉でのイベント企画だったことはよく知られた話だが、小山内さんこそ2000年代以降、長く活動を継続させていくことでそこに芽吹いた新たな音楽文化の躍動を新しい世代へと橋渡ししてきた立役者の一人だ。

 

そして、そうした「ハコ」「現場」という味気ない概念を一切寄せつけない、情熱の人=〈livehouse nano〉の店長、西村雅之(土龍)さん。彼と『ボロフェスタ』の役割と功績の大きさはもはやここで改めて執筆するには及ばない。決して若くはないオーナーの「まーこおばちゃん」を入り口の受付に迎え、自分は小さなPAブースの中で音響を操作しながらステージに立つ若いバンドたちにエールを送る。その迸るパッションは、いいライブだった日には終演後の最初の1曲にOasis(オアシス)「Whatever」をかけるという伝説(定説)にもそのまま現れているだろう。彼を頼り、慕って〈livehouse nano〉に出演し、そこから活動に弾みをつけたバンドは本当に多い。Homecomingsもそうだし、バレーボウイズもそうだろう。この〈livehouse nano〉でスタッフをやっていて、現在は同じビルの2階でバー〈□□□ん家(ダレカンチ)〉を経営しているミノウラヒロキさんの、アットホームな笑顔とマジックショーに癒された人も少なくないはずだ。

 

そんな京都に「ハコ」ではない、「現場」でもない拠点〈外〉を新たにつくった空間現代の3人は、ほぼ同じ時期に東京からやってきた者同志、個人的にも心の支えにしているいる仲間だ。市内に暮らす者にとっても決してアクセスが良くない場所で、しかもかなりエッジーなアクトたちを全国……いや世界中からブッキングする“攻めた”姿勢こそ、本来、革新的な町であってきた京都の真髄を改めて伝えるシンボリックなもの。他のアーティストたちに出演場所を用意するだけではなく、そこで自分たちも自由に練習をして、レコーディングもするという柔軟な考え方を実践するには、土地価格の高騰が止まらない東京ではなかなかに難しいことだが、京都においても決してたやすいことではない。それでも彼らは曲げない、妥協しない、おもねらない凛としたスタンスで、コロナ禍以降もやれることをやっている。音楽を鳴らすだけではなく、録音し、音源として残していくことも視野に入れているという意味では、小泉大輔くんによる〈music studio SIMPO〉、ラリー藤本さんによる〈マザーシップスタジオ〉、吉岡哲志さん、和田直樹さんによる〈studio INO〉などなど、京都の音を刻み続けている京都市内の録音スタジオと、あるいは共鳴するところもあるのかもしれない。

本当に私は京都で何もやってこなかったのだろうか。やっぱり、わからない。こうしてつらつらと書き残していることを誰かがキャッチし、この時期に岡村というやつが京都でウロウロしていたということを覚えてもらえればそれでいい、とも思う。〈100000t アローントコ〉〈JET SET〉〈ART ROCK No.1〉〈WORKSHOP records〉〈ヒト族レコード〉……たくさんのレコード店で買った品々が、今、夏休みを利用して荷物を整理している中で一つひとつ私に向かって声をかけてくる。「このレコードはあの店からやってきた」「これをあなたが買ったのは4年前の夏だった」「またあのお店に行ってみて」などと。ここ2年ほどの間に知り合った、京都の秘宝・Isayahh Wuddhaさんにも言われたことがある。「またイベント企画してくださいよ」。コロナがそうさせたのか、腰はまだ少し重いままだが、窓が大きく開け放たれる日が来る前に、私もそろそろ靴を履く準備をしよう。「たましいの置き場所」である、この町のどこかに向かうために。

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