INTERVIEW

マドナシが語るキツネの嫁入りの新作と 企画イベントの歴史

「京都の番犬」。キツネの嫁入りのリーダー、マドナシのことを半ば冗談でそう呼ぶと、彼は苦笑しながらこう切り返してくる。「やめてくださいよ、先輩」。もちろん私はマドナシの“先輩”ではなく、むしろ京都生活はマドナシの方が長い。私が二度目の京都生活を始めたころ、既にマドナシは京都で『スキマ産業』『スキマアワー』といったイベントを開催していて、バンドとしても堅調にキャリアを進めていた。土方の作業着のようなパンツにオールバック、グラサンをかけて黒づくめの格好で、色々なライブの現場にヌッと現れる様子は「番犬」以外の何モノでもなかったとは思うが、それはさておき、そんなマドナシも40代を迎えてまさに「不惑」さながらに、一人の人間としても、キツネの嫁入りとしても次のステージへと駒を進めつつある。キツネの嫁入りのニュー・アルバム『Just scratch the surface』は、京都で暮らすようになって15年以上、様々な人間模様の悲喜こもごもを見てきたそのマドナシから届いた新たなステイトメントのような作品だ。

MUSIC 2021.12.27 Written By 岡村 詩野

サックスで北村信二(元Djamra)、ドラムに伊藤拓史(CHAINS)を迎え、マドナシ、ひさよ、猿田健一と合わせた新5人編成となったキツネの嫁入り。コロナ禍で迎えた結成15年という節目は、しかしながら、バンドを停滞させるどころか大きく改革させることとなった。デジタル・リリースされたばかりの通算5作目『Just scratch the surface』を聴いてみるといい。マドナシの朴訥とした歌と人懐こいメロディを軸とする曲は、明らかに彼らがこれまでの文脈(キツネといえば変拍子、というイメージとか!)から離れようとした成果であり、サックスや鍵盤とドラムやベースとの過不足のないアンサンブルは、無闇な暴発・破綻ではなくしなやかな跳躍・協調を伝えるものであることに気づくだろう。変化すること、改造していくこと、立て直すこと、リセットすることの豊かさ、それを恐れない勇気をそこに見ることもできるはずだ。

 

以下、マドナシのロング・インタビューで“ヒューマン・ルネサンス”たる心意気をぜひ確かめてほしい。

──

マドナシさんが自身のウェブサイトで、これまで企画された『スキマアワー』『スキマ産業』などのイベント(https://madonasi.com/kitsune/event/)をまとめています。これ、壮観ですね。今日はまずこの歴史を辿りながら話を進めていきましょうか。自主企画の第一回目は2005年開催です。

マドナシ

これちなみに……そのときぼくはドーマンセーマンっていう、よう分からんバンドやってたんですよ(笑)。ドラムがモーモールルギャバンのヤジマで。この中にnewlowってありますやん。これってFLUIDのボーカルのNahoちゃんが別でやってたバンドなんですよ。ドラムはビンゴでした。

──

〈CLUB METRO〉(以下、METRO)周辺人脈バンドですね。

マドナシ

そうそう。で、そのビンゴが何年後かにギター/ボーカルのバンドを始めましたって、それがOUTATBEROだったんです。当時は〈METRO〉でうちらみたいなただのよそ者がイベントやるのなんてとんでもないって感じでしたね。そもそも集客が出来ないし(笑)

──

ちなみに、この「Vol.0」の企画のタイミングでドーマンセーマンは結成からどのくらいだったのですか?

マドナシ

3年ぐらいやってたんちゃいますかね? でも、ほんまに泣かず飛ばずで、3年、2年ぐらいかな。〈OOH-LA-LA〉とか〈ネガポジ〉でブッキングライブをしている人たちっていう感じでしたね。僕が上半身裸でのたうち回るっていうバンドやったんですけど。歌もありましたよ。CD-Rで2枚ぐらいつくりました。その頃仲良かったのはaudio safariとかですね。彼らは、『みやこ音楽祭』出たりとか、くるりの岸田(繁)さんと交流があって人気でした。僕はというと、大学とか行ってへんし、知り合いがほとんどおらんわけですよ。マジでライブハウスを巡って、クソダサい手書きのフライヤーを配って……でも、このVol.0の時には〈OOH-LA-LA〉で80人ぐらい入ってぐちゃぐちゃになって。こんなこと起きるん?っていうのが最初のファーストインパクトというか。京都に住み始めてすぐバンド始めたから、住んで2~3年目くらいの時でした。ロスとシアトルにしばらくいて、そこから帰ってきて、東大阪で土方のバイトしてた、みたいな生活のあと、京都に引っ越しました。なんで京都やったのか……土方で仲良かったやつらが京都と滋賀の人で、やんちゃな人たちやったんですよ。そいつらが、「京都のクラブおもろいで」っていうから、ちょいちょい遊びにきてて、朝まで遊んで適当にその辺で寝て帰るっていうのをやってたときに、たまたまJEUGIAでメンバー募集っていうのがあるんやっていうのを知って、僕その時ベース弾いてたんですけど、ギター/ボーカル探してますっていって、ani difrancoとかToolとかMassive Attackとか好きです、ってぐちゃぐちゃな感じの張り紙したら、とあるギタリストの人から電話がかかってきてちょっとやろうやって話になって、引っ越したっていうのがきっかけですね。その人とは一瞬でポシャッったんですけどね(笑)。でも、さっき名前を出したヤジマもJEUGIAのメンバー募集で知り合いましたし、当時の他のメンバーもたまたま張り紙見て連絡してきてくれた人たちでした。

──

でも、企画イベントはいきなり大成功。2回目(Vol.2)になるとZUINOSINとMONG HANGといった人気バンドがすでに出演しています。

マドナシ

そうですね、ZUINOSINは同じくらいの年代で〈難波ベアーズ〉(以下、ベアーズ)とかに出てはって。ドラムの砂十島NANIくんとかに挨拶はするぐらいの間柄でした。MONG HANGは今のWUJA BIN BINの前身みたいなバンドですよね。MONG HANGもFLUIDが〈METRO〉でやってたイベントで見て大ファンやって。このとき石橋英子さんが参加してはったんです。で、たまたまツアーで大阪きて京都もきたいねんけどって相談があって。最初はLimited Express (has gone?)の飯ちゃん(飯田仁一郎)とか、ゆーきゃんとかFLUID周辺に相談あったらしいんですけど、彼らがそのとき軒並みタイミングが合わなくて、そう言えばマドナシって最近イベントやってるやつおるなってことになったみたいで。FLUIDのJxCxとはその時、話すような間柄やったんで、「そんな話あるけど良かったらやる?」みたいな連絡があったんです。で、「やるやる!」って、なんも考えんと食いついたのがきっかけでした。そしたらこのときもネガポジが90人ぐらい入ってソールドアウトしてぐっちゃぐちゃやったんですけど。そこでケイタ(イモ)さんとか英子さんとかとめっちゃ仲良くなったのがのちのちの繋がりになっていった感じですね。

──

関西勢だけではなく、東京からもバンドを呼ぶというのが素晴らしい。その後のマドナシさん人脈の原点ですね。

マドナシ

そうですね、斬新でしたね、当時はね。

──

東京のアグレッシヴなバンドと、関西のエッジーなバンドとを出会わせる、今のマドナシさんの思考がこの時点で既に完成されてる感じもします。

マドナシ

よく言うと完成されてて、言い方変えるとそこから変わってないっていうか、進歩も発展も特にせずにずっと同じことをやってるだけなんですよね(笑)。この時Limited Express (has gone?)は『食いしん坊バンザイ』っていうイベントをやっていて、FLUIDは『HAVE A LOST KEY』っていうイベントをやってたんですよ。その2つのイベントとかは本当にめっちゃ面白くて、山本精一さんとか間近で観たのもそれが初めてやった。『HAVE A LOST KEY』ってFLUIDのイベントにはPANICSMILEとか越後屋ってバンドとかも出てた。溺れたエビの検死報告書も当時そこで初めて観たし。こんな人らおるんやって驚いて。その2バンドのイベントはすごかったですよね。

──

いわゆるオルタナティブですよね、本質的な意味での。

マドナシ

そうなんですよ。正直学生さんが主でやってるイベントって、僕らみたいなよそからきた人間は入りづらいんですよ。彼らは特に意識してないと思うんですけど、仲間で盛り上がってはる感じがして。メンツもそんなに面白いかねぇ? って感じやったりもしてね。そういう意味でいくとLimited Express (has gone?)の飯ちゃんも立命やし、FLUIDは精華大っていうのはあるんですけど。それにしては彼らはやっぱり面白いイベントやってはったんで。それがやっぱり「個人でもこんなイベントできるんや」っていう自分でもイベントやろうというきっかけにはなってましたね。

──

この時点で2005年、すでに『ボロフェスタ』が始まっていました。そして『みやこ音楽祭』や『京都音楽博覧会』……京都では新しい世代のイベントが始まっていました。『京都大作戦』などもスタートしていきます。そんな中で、敢えて「スキマ」っていう言葉を使う。それでもどこにも引っかからないような。そこは狙いとしてあったということですか?

マドナシ

ああ、そうですね。『ボロフェスタ』もお客さんで観に行ったりとか普通にしてたと思いますし、1回ぐらいはスタッフで手伝ってたりもしてるんですよ。当時、カイトランドっていうフリーペーパーがあったんですよ。そこに京都中のイベント情報とか載ってたのでピックアップされてたイベントとか片っ端から一人で観に行ってました。でも、どんなバンドやイベントが盛り上がっているのかっていうのは分かるんですけど「そんなに面白いかね?」っていう印象やったんで、僕が思うもうちょっと面白いやつをやろうかなっていうところが出発点ですね。そういう意味でも、京都のスキマっていう感じで始めたわけです。正直、京都のバンド、音楽シーンは面白いというか変わった人が多いってイメージがあったんですけど、実際観に行くと、結構普通で大したことあらへんなっていう印象がありました。で、学生OBさんが主宰っぽいイベントにDMBQの増子さんとか山本精一さんとかが出てて観にいっても、お客さんがシーンとしてる。精一さんめちゃくちゃかっこいいライブしてるのにシーンとしてて。何でシーンとしてるねんって。お客さんはパンパンに入ってるのに。で、こんなにかっこいいのになんでやって感じで僕一人で暴れ狂ってたら、どーも先輩バンドが登場したらわーきゃー言い出すんですよ、お客さんも。なるほどな、って思いましたね。友達とか先輩が出てるから観に来て盛り上がるわけです。なんてしょうもないシーンなんやって、これは打破せんとアカンなってそのとき思った記憶があります。ただ、今思えば周りが勝手にやってただけやと思うんですけどね。でも、大学も出てへん、知り合いもあんまおらへんって人間からしたら、え、何これって思ったのが印象的でした。

──

その企画イベント『スキマ産業』はコンスタントにやっていきますが、次第にペースも早くなり、今となっては驚くラインナップ……group_inouなども出演しています。

マドナシ

このときね、nhhmbaseをこのちょっと前にFLUIDのイベントで観てめっちゃ好きになって呼びたいなって思ったんですね。第2回のときの、MONG HANGは向こうから相談があったんですけど、第3回で初めて調子に乗って、次は〈METRO〉を借りて、呼びたいバンドを呼ぼう!てことになったんです。で、nhhmbase呼びたい、P-shirtsさんもなんか当時〈(CLUB) QUATTRO〉でdownyと2マンやったりして、ぴあで取り上げられてたりしてすごい人らやなと思ってたんで、突然電話をして、ボーカルの中島さんに連絡取って、出てもらうことになって……みたいなね。

──

それ、ずっと伺いたかったんですけど、東京からバンドを呼ぶにあたって、宿泊や足代はどうしてたんですか?

マドナシ

このときはええ加減ですね。宿のことなんて考えてないんですよ僕も(笑)。友達の家とかね、僕の家はそのとき1Kやったからアカンくて。それこそFLUIDのJxCxのとことかに。結局は打ち上げで朝までぐちゃぐちゃやったんで、泊まるっていう概念あんまりなかったんですよね。足代に関しては、nhhmbaseがレンタカーで行くんやけど、あと2人連れていったら安くなるからgroup_inou連れていっていい?って言われて、来てもらったり。今考えたら、来てくれたバンドさんらにも負担かけてたなぁと思いますね。

──

なんとイージー・ゴーイングな。

マドナシ

でも、このとき、group_inouにとって初京都公演やったんですよ。6バンドとか出るから、group_inouさんターンテーブルとMCだけなんやったらフロアでやってくれます?って。んでFLUIDの前にフロアでやってもらおうと思ったらアホみたいに盛り上がって。何やねんこいつらって、その場にいた人々がみんな驚愕して。出演バンドみんな飲まれる勢いでしたね(笑)。で、この日もソールドアウト間近でしたね。それで調子に乗って「楽しいわ、人入るわ、うちらめっちゃ観てもらえるわ、なにこれ、イベント最高!」みたいな、そういう勘違いをしてました(笑)。ただ、ドーマンセーマンに関しては、アルバムを制作しようみたいな、そういうモチベーションがメンバーの中であまりうまいこと共有されなかったんで、まあそれで解散には至ったんです。結局、2006年にドーマンセーマンは解散しました。それで、次にキツネの嫁入りになるんです。

──

イベントとしては、あらかじめ決められた恋人たちへなども出演していくようになります。新しいフェイズに入った感じですね。

マドナシ

毛色が変わってきますよね。あらかじめ決められた恋人たちへ(以下、あら恋)の池永さんって〈ベアーズ〉でPAしてはったんですよ。だから僕らからしたら〈ベアーズ〉よう出てたんで、〈ベアーズ〉にいるあんちゃんっていう感じでした。あら恋に初めて出てもらった時は、audio safariと共催のような形になったんです。で、audio safariがゆーきゃんのとかスクイズメンとかに声をかけ、僕がHOSOMEっていうバンドに声をかけて。あと、笹倉洋平さんは書道家っていうか絵を描かはる人で。ライブペインティングとかそういうのも入れてみようかってことになって、ha-gakureのジャケットとか描いてたんで、彼にも声をかけたんです。で、〈METRO〉の壁面でやってもらいましたね。その後は、僕らがキツネの嫁入りを始めて、イベント自体は少し間が空いて。とうめいロボのレコ発として、ロボピッチャーの加藤さんとかビバシェリーとかも呼んでアコースティックな感じでやりました。キツネもまだこのときひさよと僕と2人でしたし。

──

その2007年8月の『スキマ産業』Vol.5がキツネの嫁入りとしては初のライブだったのですか?

マドナシ

いや、初はもうちょっと前ですね。多分5月ぐらいですね、確か。そのちょっと前にPANIC SMILEで(石橋)英子さんが〈OOH-LA-LA〉に来てたんですよ。で、昔ドーマンセーマンでお世話になりましたマドナシです、みたいな感じで話しかけて喋ってたら、最近こういうのをやってるって、「石橋英子×アチコ」のCDをくれはったんですよ。で、聴いたらなんやこれ!ってなって。めちゃめちゃええやんけって。で、キツネの嫁入りも当時ジャンベ担当のカギくん(鍵澤学)が参加したころやったんで、アコースティックやし、ピアノと歌の英子さんとアチコさんだったら〈UrBANGUILD〉とかでめっちゃ観たいなぁって思って企画したんです。すると、それやったら大阪編もまとめて企画しようじゃないかということになったんです。で、大阪編は〈南堀江knave〉を借りて。100人くらい入って盛り上がりました。ちなみにこの時の2日目は、サックスでキツネに加入してくれた北村(信二)さんが参加してたDjamraっていうバンドが出てくれたんです。

──

今に至る人脈がこの時点で出会っていると。

マドナシ

そうですね。そして、これぐらいの時期から、遠方のバンドさんらに、うちに泊まってもらったりし始めるようになりました。で、Vol.8でついにトクマル(シューゴ)さんまで呼んでしまうという。ちょうどトクマルさんが『EXIT』を出した直後やったんかな?ちょっと前に京都のイベントに出てはったのを観て声をかけて。そしたら、〈ベアーズ〉は速攻ソールドアウトするし、取材の申し込みはくるし……で、一気にイベント自体広がった感じがしましたね。今思えば、よう来てくれはりました。予算の兼ね合いで一人で来て下さいって頼んで(笑)、で、ひさよ(キツネの嫁入り)がアコーディオンでゲスト参加するとかそういう感じでしたね。考えたら、不躾かつ失礼極まりなかった気がします。

──

そして、ついに海外アクト、Malcolm Middleton(Arab Strap)も出演します。

マドナシ

そこはUHNELLYSからの繋がりで出てもらうことになったんです。そもそもUHNELLYSはライブを〈METRO〉で観て、めっちゃ良くて、声かけて、イベントやってるから3月出てくださいって。で、行く行くっていうからその場で〈ベアーズ〉と〈UrBANGUILD〉を押さえたっていうスピード感でした。そこから色々と繋がって、Malcolm Middletonも出てもらうことになった。で、Dead phonesっていう、P-shirtsの中島さんの新しいバンドと、エレクトロニカのmidori hiranoさんも出て。割と今までと嗜好が違うイベントにしてみたって感じでした。ただ、フライヤーをつくったんですけど、時間と金額入れるのを忘れてて(笑)。2000枚ぐらい刷ったあとで、ひさよと泣きながらシール貼った記憶がありますね(笑)。そんな感じで、内側は全然余裕なんかなくて、ひさよとかは振り回されっぱなしでした(笑)。僕は勝手にフライヤーつくってもうハコ押さえたし、ってどんどんやっちゃうから。

──

でも、そのおかげで多くのアーティストがとてもいいタイミングで出てますね。オオルタイチさんのウリチパン郡も一番いい時に出演しています。

マドナシ

このときはほんまに〈UrBANGUILD〉はスタンディングで150人軽く入って、ぐっちゃぐちゃでしたねほんまに。カオスでしたね。その後、ポイントになったのが、Vol.27。この時は日比谷カタンさんと2マン。それまでは大体4つとか6つのアクトが出てたんですよ。いつもバッタバタだったので、もうちょっとゆっくり味わうようなイベントもいいよねって感じで、2010年から2マンを始めて、そしたらそれがよくて。だからその次のVol.28はハセケン(長谷川健一)と2マン。あとはタテタカコちゃんと2マンやったりとか……2マンええなぁってなって、2マンがしばらく続いたんですね。その後くらいに、ジム(・オルーク)さんと石橋さんに出てもらったり、mmmちゃんと埋火のレコ発とかをやったりとか。山本精一さんともやらせてもらったりしました。あと、Vol.36のときに、Vol.0で登場したドラムのビンゴちゃんがOUTATBEROのギター・ボーカルで36回目にして登場するという、とても興味深い日でしたね。で、Vol.38で詩野さんDJで登場です。これ楽しかったですよね。吉田ヨウヘイgroupが出て。全員うち泊まりにきて、詩野さんも翌日また来てくれてランチ行きましたよね。で、Vol.41で、休んでいたひさよが戻ってきて。

──

東京方面では、京都で企画やるならマドナシさんに一声かけよう、みたいな感じになっていたと思いますよ。

マドナシ

確かに。このぐらいの頃がピークな気がします。この頃はよく声かけてもらってました。結局、今に至るまで『スキマ産業』が51回。ただ、あんまり自分から呼ぶみたいな体力はだんだんなくなってきてました(笑)。

──

でも、2011年に並行して『スキマアワー』が始まりますよね、元立誠小学校で。

マドナシ

廃校でやるっていうところがロケーション的にもそのテーマ的にも良かったんです。あと音の鳴りとかも良かった。加えて、立誠は裏方の方々が現場知ってる人たちで、めっちゃ親身になってくれる場所だったんですよね。だからこんなむちゃなイベントが実現できたんですよ。

──

『スキマアワー』第1回目に至っては、大友良英、高田漣、いしいしんじってすごいですよね。

マドナシ

この時は「P-hour」という偉大なイベントと共催でさせてもらいました。そして、いしいしんじさん、「その場小説」をやってくれまして。で、1日目やってその日の夜に〈UrBANGUILD〉に向井秀徳さん、王舟さん、oonoyuukiくんを迎えて、地元からたゆたうに出てもらい、そのまま王舟バンドとoonoyuukiバンド全員がうちに泊まりにきて、ぐちゃぐちゃのまま2日目に向かって、二階堂和美さんで大団円っていう感じでしたね(笑)。元・立誠小学校は校舎の中、結構たくさん使わせてもらいました。体育館の講堂と、職員室みたいなとこと、和室とを分けてやって。和室でoorutaichiくんにやってもらったりとか、カタンさんにやってもらったりとか。まあ楽しかったですね。楽しかったけど大変が過ぎましたけどね。このときチケットを全部手売りでやったんですよ。でも、2日で700人とかの集客……盛り上がりましたねえ。

──

翌年の第2回目はコトリンゴさん、bloodthirsty butchersの吉村秀樹さんとかも出演されています。

マドナシ

僕全然知り合いでもなんでもないのに、butchersのマネージャーさんに突然メールしたらすごく親身にやりとりしてくれはって。しかも、吉村さんの出演が1日目の夜の部やったからもう帰らはるんかなと思ったら、次の日もちゃんと残っててくれはって。うちらのライヴまで残っててくれたんです。で、ライブ、良かったです、って言って握手して帰ってくれはって。あと、このときGofishとか、トクマルさん、ジム・オルーク、石橋英子さんにもバンドで出てもらって、めちゃくちゃ良かったですね。でも、2014年、THA BLUE HERBの音デカすぎてクレームがきたり(笑)。あと、さすがに2日間やるのはしんどくて。3回目からは1日だけにしました。

──

そして、元・立誠小学校が改修工事で使用できなくなり、目下の最新回となる第6回目を京都精華大のアゴラホールで開催。

マドナシ

いやもうあの時は疲れすぎました。キツネの嫁入り自体が、ちょうど立て直しをはかっていた時だったし、僕自身子どもが出来たりとかして、割く時間っていうのが限界が出てきてて。イベントもええやつやりつつ、バンドもやりつつ、曲づくりやりつつ、仕事もやりつつ、家庭もっていうのはさすがに無理やった。まぁまずはバンドをちょっと立て直すというかええカタチにせんとな、っていうのもあったし。あと、反響、なくはないんですけど、色々削ってやっていた割にそれほどだったというか。達成感があんまりなかったんですよね。めちゃめちゃしんどい思いして、来てくれた人はめちゃめちゃ楽しかったです、またやらないんですか?って言ってくれる人もいたんやけど、それに相反して自分たちのバンドはそこでベストなライブが出来たわけでもないし、何かその後巨大な反響があったってわけでもなく……。しかも、京都のあっちこっちで色んなイベントが始まって、敢えてそこまで僕が労力をかけてやる必要があるんかなって、イベントをやるってことにモチベーションがなくなっていったっていうのはありますね。結局、僕、人付き合いが苦手なんで、ちゃんと予算を引っ張ってきたりとか、仲間のバンドを巻き込んだりとかそういう点と点をつなげて面にしてカタチにしていくっていうのがなかなか出来なくて。

──

でも、結果として色々なミュージシャンと繋がっていった。

マドナシ

そうですね。でも、京都で「仲間」と言えるバンドとかおったらよかったのになって思うことはずっとあったんですけどね。共闘できるような仲間がおったらもっと違ったんじゃないかとは思いますね。あと、イベントやってきたひとつのモチベーションの大きいところは、やっぱりメンバーに対する期待みたいなのがあったんですよね。単純に「こんなイベントでこんな人と対バン出来たらめっちゃ楽しいな」みたいなのもあったけど、それをきっかけにメンバーがもっとキツネの活動で頑張ってほしいな、みたいなのもあったんです。もっと化学反応……曲を持ってきてくれたりとか、アレンジをしたりとか、あと、まあ、細かいところでいうとスケジュールの調整を積極的にしてくれたりとか(笑)、なんかメンバー間の化学反応みたいなんをもっと起こしたい、っていうのもあったんです。このイベントをやってきた裏テーマとして。

──

気持ち、すごくよくわかります(笑)

マドナシ

そういう意味でいくと、コロナ禍っていうのはある意味でちょうど良かったんですよ。コロナがなかったら、イベント企画はないにしても、引き続き前のメンバーで1ヶ月に1回どっかライブあるし、新曲も定期的になんとなくつくるし、みたいなんがずっと続いてたと思うから。ただそれがコロナでスパっと活動が止まったときに、ちょっと考えたんです。もう一段階、僕的にはこのタイミングで、ある種の上に行きたかった。新しいアルバムつくるってタイミングで、イチから見直さなアカンなぁと思いまして。なので、メンバー一人一人に相談してまわって。俺はアルバムは次つくろうと思ってると。コロナ禍やけど、スタジオは定期的に絶対入るし、新曲も今まで以上のスパンで作るし、ライブも、配信なり、ちょっと落ち着いたらレコ発もやっていくしって。僕はもう42歳やけど、そんなん関係なく、理想の形を追求しながら活動していくっていう、ある種のエゴを、僕の中で改めて明確にしたんですよ。で、商売にならない、押し付けられない、インディーズのバンドやし、それについて来てこれるっていう人とやらざるを得ないと思い、「どう思う?」って、一人一人にLINEやったり電話やったり聞いてまわりました。で、そしたら東京に住んでるギターの西崎と佐藤香ちゃんってVibraphoneのメンバーとは、ひとまずお別れすることになり、ずっとやってきてくれたドラムのカギともほんま残念やったんですが、お別れすることになりました。で、ひさよはそもそも脱退とかの選択肢はないって感じで(笑)、サックスの北村さんも、「てっぺいちゃん(マドナシ)がやるんやったら俺やるで」って感じでノッてくれた。ベースの猿田くんも自分ちに防音室つくるような人だし、単純にあの人はベースのプレイをするのが好きな人なんで、「仕事はめっちゃ忙しいけど調整するしやりましょ!」って感じやったんですよ。で、そこからは僕も気を入れ直しましたよ。今更ですけどガレージバンドとかちゃんと覚えて。そういう今までやってなかったこともやるようになったし、そうやって一人一人とやりとりをしたってことで、自分がバンマスであるという再自覚をしたっていうのもありますね。曲のアレンジとかもみんなに伺いながらも、最終的には「俺バンマスやし、これで決めるわ」みたいなスタンスを再自覚してやるようになった感じです。

──

でも、その結果、新作は確実に新たなフェイズに入った格好が、音に現れていますよね。歌に軸が置かれている作品でもあるし、演奏面でも音を乗っけ過ぎない、乗っかってはいるのかもしれないけど、乗っかってるように感じさせないような演奏だったりって明らかに過去の作品にはないシャープな感じになっている。

マドナシ

そうなんです。リセットするにはちょうど良かったのかもしれないですね。だから、ニュー・アルバムに入っている“loopgirl”みたいにコロナ前からあった曲も、だいぶ変わりましたね。新しく加入してくれたドラムのイトチュウ(伊藤)さんの存在も大きいですよ。あの人のドラムめちゃ歌いやすいんで。

──

そういえば、そのイトチュウさんのいるバンド、CHAINSは京都の先輩格にあたるバンドですけど、スキマ関係のイベントには一度も出ていないんですか。

マドナシ

出てません(笑)。すんません(笑)CHAINSさんにはイベント呼んでもらったりとかはあるんですけど(笑)。何回か候補にあがって、っていうのはあるんですけど。やっぱりね、難しいんですよね。やっぱ大先輩やから、妙なバンドとは当てられへん(笑)。MUSIC FROM THE MARSを呼ぶときに一緒にやったりしたら面白いなとかは思ったんですけど。ただ、CHAINSさん自体はそりゃもう好きです。『みやこ音楽祭』のコンピに入ってる“紅い女”とか特に好きで、よう『スキマ産業』のSEとかで使ってますよ。バンドとして化物ですよね。クオリティが段違いじゃないですか。ラリー(藤本)さんのベースなんか言わずもがなですけど、みんな生活基盤がちゃんとあってマイペースにやろうぜっていうバンドなのに、あんだけのクオリティで続けてはるのがすごいなって思いますよ。そうCHAINSのような存在を考えるとね、イベントを頑張るんじゃなくて、僕らもキツネ自体をもっと頑張らなあかんよな、って思うんですよね。実はイトチュウさんは加入してもらう前に、サポートで2回ぐらい叩いてくれたことがあって。その時の感触がすごくよかったんです。2017年~18年ぐらいかな、NATSUMENとFLUIDとうちらっていうイベントで叩いてもらったのが最初。あと、2019年の2月かな、その時の感触が決定的でした。その時にもう新作の曲“dodone”とかもデモであったんですよ。で、イトチュウさんに、「次こんな曲をやろうと思うんですけど、一応デモ聴いてもらっていいですか」みたいな感じで渡したら、1週間で結構仕上げてきはって。で、しかもその時にやった感じが「これこれこれ!」って、こういうドラム欲しかってん、っていう感じだったんです。それが、後々考えると結構デカかったっていうのはありますね。ベースの猿田くんとかもこの人とやりたいかもっていうのが、その時に産まれたみたいです。

──

バンドを立て直すタイミングとイベントをお休みするタイミングとがコロナ禍に合流した。

マドナシ

そうですね。バンド15周年にいいタイミングやったと思います。あと、実はソロも最近つくってるんです。フォークです。

──

へえ! いいですね。

マドナシ

今まだ5曲ぐらいしかないんですけど。変拍子とかなくて、普通のやつですね。

──

いいですね。

マドナシ

それはそれで来年また出そうかなって思うんですけど。実はキツネの新作に入っている“standardboy”、これ弾き語りでつくったんですよ。

──

すごく前向きな曲ですよね。割とマドナシさんって「奴ら」と「我々」の関係性じゃないけど、敵対する何かと自分たちという関係性の上で、どうやって自分たちを立脚させるのか?。 その二項対立みたいなところの上にモチベーションがある曲、歌詞が多いじゃないですか。

マドナシ

よくご存知ですね(笑)

──

でも、“standardboy”の良さは、そうした二項対立構造を乗り越えたっていうか、そこを超えてなにか次の場所、次の感覚みたいなところに行こうとした曲のように思えます。

マドナシ

なるほど。そうっすね。確かに敵だなんだみたいなものは、どうなんかなあっていうのはありますよね。ちなみに、“worth”っていう3曲目は「ああ飲み込まれる 無関心の波に」って言うんですけど、これはむしろ、当時のバンドメンバーに対して歌ってた気がしますね、。こいつら全然LINEの返事よこさへんやんとか(笑)。言わんくても分かるやん、みたいな以心伝心ってかっこいい言い方でフォローするシチュエーションありますけど、思ってることって言わんと伝わらへんしな!みたいな気持ちが現れてます。ただ、前半の方のそういうやるせない気持ちもだんだん変わっていくんですよね。”standardboy”で「昨日みた風景が 目の前に影を落とす」というような表現してるんだけど、結局それを糧としてやっていくしかないな、って感じを、終盤に向かって「新しい体温」って言い方で表現してます。

──

“dodone”に始まって、3曲目の“worth”、“考えないバード”と続き……。

マドナシ

このあたりイラついてますよね(笑)。“loopgirl”では考えてもしょうがないことを考えて、怒りを超えて虚しくなっていって、ずっとこの繰り返しやなって気持ちになって。考えてもしょうがないなって、思いながら。でも「俺もあのときあんな言い方せんかったら良かったのにな」みたいなのを、何年も前から繰り返してずっとずっとやっとるなあ、ってある種自戒の念もありつつ歌詞は書いた気がしますけどね。

──

“黒に近いブルー”はそうした思いが反転するきっかけになるような曲ですね。そこから最後の2曲、“prizm”、“standardboy”と続きます。この2曲で無気力無関心への虚しさみたいなものを経て、次の段階に行こうとしてる感じがします。

マドナシ

意図せずやったんですけど“prizm”の歌詞が一番最後に出来たんですね、そう言えば。レコーディングの本当に直前の歌録りのときに歌詞がやっと完成した感じやったんで、確かに最後の「生まれるよ」ぐらいのくだりは、最初違うかったと思いますね。最初はもっとネガティブやったと思います。確かに最後の“standardboy”“prizm”あたりの歌詞は結構悩んだ気がしますね。何回も変わった気がします。で、結局、割と前向きなものになったと。そういう気持ちの変化のグラデーションが今回のアルバムに出てますね。

Just scratch the surface

 

アーティスト:キツネの嫁入り

仕様:CD / デジタル

発売:2021年10月27日

 

収録曲

1.dodone
2.swimmingman
3.worth
4.考えないバード
5.loopgirl
6.dwell 
7.黒に近いブルー
8.prizm
9.standardoy

 

https://friendship.lnk.to/Jsts

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