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『どうせ死ぬなら、最後にミーアヤム』が映しだす、ジャカルタの風景と「生き方」としてのスーフィズム

インドネシア初のグローバルポップ・ガールズグループno naや2026年4月10日から全国ロードショーを予定している国内で大ヒットしたホラー映画『サトウキビは知っている(原題Pabrik Gula)』など、日本でも注目が高まっているインドネシアのカルチャー。ANTENNA読者の中にも、気になっている人は多いのではないだろうか。とはいえ、インドネシアは非常に複雑で多様性を持つ。

 

現在、インドネシアをフィールドに研究を行っている大学院生のANTENNA編集部 阪口が、さまざまな観点からインドネシアを「文化が息づく場所」として、身近に感じてもらうための記事をお届けしていく。本稿では、同国で大ヒットした小説『どうせ死ぬなら、最後にミーアヤム』を通して、首都ジャカルタのリアルな情景と人々の生き方に迫った。

2026.03.10 Written By 阪口 諒祐

本書『どうせ死ぬなら、最後にミーアヤム(原題Seporsi Mie Ayam Sebelum Mati)』(著 ブリアン・クリスナ、翻訳 西野恵子 / 春秋社)は、2025年に刊行され、本国では発売から1年足らずで10万部を超える売り上げを記録し、映画化も決定した話題作である。

ミーアヤムとは汁なし麺の上に、甘辛く煮た鶏肉や青菜、肉団子が乗った定番屋台メニュー

著者であるブリアン・クリスナはあとがきにてこんな言葉を綴っている。

本書は、深刻なうつ状態を生き抜いた仲間たちのストーリーを織り交ぜて捜索したものです。彼ら・彼女らは、辛い状態を乗り越える過程で見つけた、もう一度生きようと思わせてくれる小さな理由をたくさん教えてくれました。

目まぐるしさの中にあるもの

「どうせ死ぬなら」、そんな言葉をつぶやくのは、巨漢で嫌われ者、家族関係も最悪で、挙句の果てにはうつ病にかかってしまい、生きる意味を失った主人公アレだ。本書は、アレが死に際に出会うさまざまな人々との出会いを通して、生きる意味を見出す物語である。事実、近年のインドネシアでは、教育格差や貧困などさまざまな背景から、自殺が社会問題として可視化されつつある。こうした「生きづらさ」を抱えた人たちは、日本と同様にインドネシアにも同じようにたくさんいるのだ。

 

「生きづらさ」と一口に言っても多くの要因があるが、ここでは本書でも描かれているジャカルタの風景と、目まぐるしさに少しフォーカスしてみたい。実際、私がジャカルタに数カ月滞在して感じたことの一つに、「息苦しい」という感覚があった。終わらない交通渋滞と満員電車の風景は日本と遜色がなく、まさにビジネスの中心地。アレもまた、ジャカルタのサラリーマンとして、そうした忙しない社会の中で消耗していった一人であった。

ただ一方で、路地に少し入れば、高層ビルとは裏腹に、インドネシアの日常が途端に垣間見える。作中でアレが「今までぼくの目には映らなかった他人の人生を見ることができた」と言うその場所は、線路の近くに立ち並ぶ集落であった。皮肉にも、ジャカルタのスカルノ・ハッタ国際空港から市内へと向かう電車の車窓からは、こうした風景を数多く目にすることができる。インドネシアはこうしたギャップをまざまざと見せつけ、心を打たれることが多い。

私が滞在していた最寄り駅のデポック・バル駅(Depok Baru Station)には、まさに線路沿いに市場が立ち並んでいた。この日は雨上がりで、野菜や魚の匂いが混ざり立ち昇る。初めてだとなかなか立ち入るのに勇気がいる雰囲気で、住み慣れてからもここだけは少し身構えてしまう。結局ここで何かを調達する日はなかった。それが今では少し悔やまれる。彼らの本当の日常がそこにはあったはずだからだ。

神様、これも、あなたの計画に含まれているのですか?

アレは死にたいと願いながらも、それとは裏腹にさまざまなトラブルや出会いが舞い込んでしまう。直前にある見出しのセリフは、もみくちゃにされたアレが空を見上げて放ったセリフである。本書では、こうした「神様と私」に関する発言がしばしば登場する。そこで、ここからは少しインドネシアのイスラームの話、そしてその先に見えるものを考えてみたい。

 

インドネシアは人口の約87%がイスラームの信仰者「ムスリム」である。「イスラーム=中東」というイメージとは裏腹に、インドネシアは世界最大のムスリム人口を擁する国である。本書でも、朝の始まりにアザーンと呼ばれる礼拝の合図が街中に鳴り響く様子が描かれているなど、いたるところにイスラームの日常が埋め込まれている。こうした描写に触れると、イスラームはしばしば戒律に厳しい宗教だというイメージを持たれがちだ(一日五回の礼拝や断食など)。しかし戒律を重視するとともに、心の内面を重んじる思想や実践も存在する。それが「スーフィズム」と呼ばれるものである。

 

スーフィズムは、その内面性への探究から「自らを見つめ直す修行」ともいえる。修行では「ズィクル」と呼ばれる神の想起、すなわち神の名を繰り返し唱える実践を通じて、神への近接(あるいは合一)を目指すことが一般的だ。そのため、スーフィズムはしばしば「イスラーム神秘主義」とも訳される。ただし現在では、神秘主義的な思想を核の一つとしながらも、日常社会に広く浸透した実践・運動として理解されるのが通説である。現代では自己啓発やスピリチュアル文化と結びつきながら展開しており、インドネシアでも身近な実践として受け入れられている。

筆者が訪れたズィクル集会の様子。偶然電車で知り合った家族と打ち解け、会場の中を案内してもらった。インドネシア最大のモスク(イスティクラル・モスク)でカリスマ的指導者の呼びかけにより開かれ、約5万人が集まったとされる。ここまでムスリム同士の一体感を感じた経験は、ほかにない。

本書でスーフィズムが直接語られるわけではない。しかし物語の核にあるのは、信仰や規範の是非を論じることを超えて突きつけられる、登場人物たちの「今をどう生きるか」という「自らを見つめ直す」問いそのものだ。彼らは、信仰に対して一度は距離を取り、懐疑をにじませながらも、時に「神様」という存在へ思考を引き戻していく。この往復的な運動に、彼らの「神さまをめぐる思索としての生き方」が立ち現れており、スーフィズムが重んじてきた「心の内へと向き合う実践」と響き合っている。

規範は残り、情報は増える——その狭間で生きる人たち

インドネシアは2000年代の民主化以降、イスラーム的価値観を打ち出す作品が大きな支持を得てきたことが指摘されている※(野中 2013)。しかし、人々がスマートフォンを持ち始め、あらゆる情報を得られるようになった2010年代以降、多様なカルチャー、あるいはエンタメが流入した。TikTokは、2025年初頭の推計で18歳以上の利用者が約1.08億人に達し、ユーザー規模は世界の国の中でも最大級とされている。筆者の肌感覚として、インドネシアの街の最新情報(イベントや火事、些細なことなら「大きな蛇が出た」といった話題)は、もはやTikTokなどのショート動画を介して知ることが多い。

 

こうした状況を背景に、近年のインドネシアでは、イスラーム的価値観が社会の重要な基盤であり続ける一方で、それだけでは整理しきれない多くの情報・現実が、街の速度や人々の表情のなかに存在する。この小説は、イスラーム的な規範を前面に押し出すのではなく、不安やトラブル、偶然の出会いといった、より身近なところから生まれる「今をどう生きればいいのか」という問いを静かに投げかける。

 

アレにとってのその答えは、「複数の価値観を抱えたまま、答えを固定せずに生き方を模索し続けること」だった。しかし物語は他人事の感想にとどまらず、多くの読者の経験に触れながら、「神様」と「私」との関係を見つめ直すことを促す。そうした価値観が交差する現代を、軽快な文体で鮮やかに描き切った本作は、現代のインドネシアを知るうえでも重要な一冊である。

※野中葉「イスラーム的価値の大衆化―書籍と映画に見るイスラーム的小説の台頭」倉沢愛子(編)『消費するインドネシア』慶応義塾大学出版会、269-290頁


インドネシアのカルチャーをひも解く上で、まずは首都ジャカルタの空気感、そしてそこに暮らす人々のイスラーム・スーフィズム観という、より根源的な部分を考えてみることにした。本書で描かれるのは、インドネシアの今を生きる人々の姿である。この「生き方」の表象こそが、カルチャーのなかでも最も力強く、人を惹きつけるコンテンツなのだと思う。本書の中には今回書き切れなかったことも含め、インドネシアの今が詰まっているので、ぜひ手に取って体感してほしい。そして本企画ではこれからも、「インドネシアの文化が息づく場所」を丁寧に追っていきたい。

どうせ死ぬなら、最後にミーアヤム

 

著者:ブリアン・クリスナ 著、西野 恵子 訳
出版社:春秋社
発売:2026年01月16日
価格:¥2,420(税込)

Webサイト:https://www.shunjusha.co.jp/book/b10154128.html

 

内容紹介

巨漢で嫌われ者、友だちもいない会社員のアレは37歳の誕生日、24時間後に死ぬことを決めた。最後の一杯を食べるために行きつけの麺屋に行くも、店主は不在。その後も次々に災難が降りかかり、自殺計画はどうしても実行できない。気が付いたら冤罪で留置所に入れられ、そこでマフィアの親玉に気に入られてその右腕になるが、行き着いたスラム街で様々な人と出会ううちにアレの人生に変化が訪れる……。原書は刊行半年で50刷、13万部以上の発行部数を記録し、インドネシアではまれに見る大ヒットとなったヒーリング小説。

 

「自分自身を褒めることを忘れないでください。あなたの人生は、すでに難しい。その足を、無理に歩かせ続けないでください。一度くらい休憩してみてください。たまには外に出るのです。人生でやり遂げたことを大切にしてください。それがたとえ、小さな成果だとしても。なぜなら、あなたはそうして当然だからです。疲れているのなら、怒ってもいいし、それを爆発させてもいい。我慢し続けないでください。」(本書より)

 

装幀:佐野裕哉 装画:小泉理恵

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