INTERVIEW

高円寺のカフェSUB STOREで触れる、インドネシアの音楽と暮らし

MUSIC 2023.11.24 Written By ivy

近年、アジアのインディーミュージックに対する関心が高まっている。来日公演も頻繁に行われているし、日本のみならず欧米のフェスでもラインナップに加えられているのをよく見かける。パンデミックによるロックダウンが終わり、物理的な距離が近いアジア諸国の音楽に触れる機会が増えていることからも必然といえよう。

 

その一方、アーティストや作品単体でフォーカスされることはあっても、アジアの音楽やその周辺にあるカルチャーの情報について、まだあまり解像度が高くないという感覚を筆者は持っている。創り手の日常生活や嗜好するカルチャー、普段見聴きしているものといった周辺情報はその音楽を理解する上で重要なファクターだ。レゲエには『Rockers』(1978年)が、UKロックやブリットポップには『Trainspotting』(1996年)が、ヒップホップには『8 Mile』(2002年)があるように、音楽やカルチャーが持つ背景を当事者の目線で遺した映画が強い影響力を持っている。

 

当事者としての実体験を伴う日本はもちろん、これらの膨大な情報のアーカイブがある欧米と異なり、日本に入ってくるアジア圏の情報はまだまだ作品やアーティストごとに「ぶつ切り」であり、類似する日本や欧米の例と無意識のうちに比較してしまうワンクッションが挟まる。

 

そこで、本稿ではアジア(特にジャカルタ)のインディーミュージックシーンが持つ空気、現地のアーティストの暮らしを紐解き、少しでも解像度を高めることに主眼を置いた。

 

実は、東京・高円寺には、日本にいながらインドネシアの生活風土や食文化と共に各国のインディーミュージックを体験できる場所がある。その名も〈SUB STORE〉。インドネシアの家庭料理やお酒、そしてアジアのインディーミュージックを含む各国のCDやレコードを扱っているレコードショップ兼カフェ・バーだ。週末にはライブやDJイベントも開催され、どこからかこの店の存在を知った音楽好きが海外から訪ねてくることもあるという。

 

店主のAndyさんはインドネシアの首都ジャカルタ出身。かつては自身もバンドを組み、国内外の音楽と触れて育ってきた、同地のインディーミュージックシーンの当事者だ。カウンターを挟み、家庭料理やアラック(インドネシア焼酎)に舌鼓を打ちながら、音楽談議に花を咲かせるうちに、現地の音楽が持つアーティストたちの生活、空気感が浮かび上がってきた。

SUB STORE

住所

〒166-0002 東京都杉並区高円寺北3-1-12

営業時間

17:00~23:00

(月火は別オーナーの間借営業)

お問い合わせ

substore.tokyo@gmail.com

Webサイト

substore.jimdofree.com

Instagram

instagram.com/substore.tokyo

高円寺のリトルジャカルタ、SUB STORE

──

Andyさんはインドネシアの首都、ジャカルタ出身ですね。日本へ来たのはどういった経緯だったのでしょうか。

Andy

私の妻は日本人で、彼女とはバリで出会ったけど、結婚することになったら「国へ帰りたい」と言ってね。そのまま一緒に日本へ移り住んだんだ。僕はすごくラッキーでね。バリ島で働いていた頃の上司が日本人だったのだけど、僕が日本へ移住するタイミングで彼も帰国したんだ。彼がアパレルショップを東京で始めて、最初はそこのスタッフとして働くことができた。〈SUB STORE〉を始めたのは2016年かな。だんだん日本が長くなって、もっとちゃんとサラリーマンとして働こうと思ったんだけど、日本語が話せて読み書きできることが条件の会社が多くて。僕は読み書きが苦手だから、仕事が見つからなくてね。それで妻に相談したら「よし、私たちでお店をやろう!」って言ってくれた。

──

〈SUB STORE〉は最初からライブやDJを行う店として始めたのでしょうか。

Andy

いや、かなり雰囲気が違ったね。最初はCDとレコード、お酒を出していて、それだけだった。今よりもっとカフェに近かったと思う。でもレコードプレイヤーを置いたら、常連さんがDJをやりだして、いつからかイベントをやろうって言い出したの。それがすごい盛り上がって、だんだん増えていっていつの間にか今みたいになったかな。

──

当初からイメージしていたというよりも、徐々に今のような姿に近づいて行ったんですね。今ではライブも行われている〈SUB STORE〉ですが、ライブはどういったきっかけで行われているのでしょうか。

Andy

バンドからSNSで「ライブをやらせてください!」ってメッセージがくることがほとんどだよ。この間もジャカルタからSillasっていうシューゲイザーバンドが来たね。僕はもうジャカルタに住んでいるわけじゃないから最近のバンドはそれほど知らなくて。彼らも正直知らなかったんだけど、すごくクールだった。やっぱり、Instagramで知ってくれることが多いのかな。僕も見つけてくれるように頑張ってるからね。あとは、日本のライブハウスと比べてコンタクトが取りやすいと思う。僕が日本語も英語も話せるし、奥さんは日本人だし。

90~00年代ジャカルタのバンドマンから見たシーン

──

Andyさんがジャカルタにいた頃、どういった形で音楽と関わっていたかについてお話を伺っていきます。

Andy

OK。まず、僕は1979年生まれで、90年代にティーンエイジャーだった世代なんだ。

──

オルタナティブミュージックの全盛期ですね!

Andy

そう。その頃は僕もバンドを組んでいたんだ。最初に組んだのは、『TOR(トル)』って名前だった。確か13歳の頃かな。1990~92、93年くらい。ちょうど、中学生の頃だよ。ロックンロールやパンク、後はカバーもたくさんしたね。メンバーは同じ小学校だったんだ。元々仲良しで、みんな音楽が好き。でも、それぞれ好きな音楽が違って。ギタリストのやつはブルースや、70sのブルースロックみたいなオールドスクールが好きだった。僕は最初からオルタナティブ。みんなで好きな曲を聴いてやってみての繰り返し。「やってみようよ」ってRamonesのCDを誰かが持ってきて、やってみたら「あれ、簡単じゃん!」みたいなね(笑)

──

人生で初めて、幼馴染と組んだバンドはどういった活動をしていたんでしょうか。

Andy

インディペンデントな小さいロックフェスティバルにも出た。だいたいはスケートの大会と一緒に開かれていて、客はスケーターだらけ。ジャカルタのシーンが詰まっていたから、そこで音楽を学んだといってもいい。スタジオだったり、ライブ会場だったり、ミュージシャンが集まる場所にも遊びに行っていた。バンドマンとたくさん知り合ったんだ。その中で“センパイ”、“コウハイ”もできて、違う音楽をやってるやつも集まってきた。

──

バンドをやっている同世代が当時のジャカルタにも結構いたんですね。小規模なフェス以外だと当時の学生バンドはどういった場所で演奏していましたか。

Andy

年に一度、学生たちが自主的にパーティーをやるんだ。日本にも学園祭があると思うけど、ああいうやつだね。インドネシアだとスクールフェア、っていうんだ。たとえば『Pl.Fair』(注1)ってフェスティバルが有名だね。『PL』は有名な高校の名前で、そこのお祭り。いろんな学校からすごい数のバンドが出て、メジャーバンドも出るんだよ。

注1:ジャカルタの高校、Pangudi Luhurで開催される生徒運営の総合芸術祭。高校を外部コミュニティと接続することを目的としたチャリティイベントで、音楽のみならず、ダンスや映画等様々なパフォーマンスが繰り広げられる。

──

日本の学園祭よりずっと規模が大きいですね(笑)。すごく楽しそう。とはいえ、今のように簡単に誰もが世界中の音楽にインターネットを通して触れられる時代ではなかった中で、最初はどうやって音楽へのめり込んでいったのでしょうか。

Andy

MTV Asiaの放送が95年に始まってから、みんな見ていたんだ。90年代、インドネシアのロックキッズにとってMTVはすごく重要な存在。メインストリームのポップやロックも流していたけど、アンダーグラウンドな音楽を知るきっかけでもあったからね。『Headbengers』っていうマニアックなメタルばっかり流す番組があったし、『Alternativenation』はずっとグランジとかジャンクとかオルタナティブなバンドを流していたし……。パンクやハードコアの番組もやっていたなぁ。

──

なるほど。海外からの音楽へ触れる機会が多かったんですね。Andyさんが当時から好きなインドネシアのバンドを教えてくれますか。

Andy

一番好きなのはPure Saturdayかな。どちらかというとUKのインディーロックに近かった。それもThe Smithsみたいにおしゃれじゃなくて、ちょっとナードなやつ。だけど、ポップでメロディアスなんだ。The Cureに似ているかもしれない。ずっと何年もインディペンデントで活動しているしね。インドネシアでは結構人気があったと思う。今も再結成して活動しているよ。

──

そういうインドネシア国内のバンドに関する情報はどうやって知っていたんでしょうか。

Andy

『Ripple』(注2)っていう雑誌を読んでいた。インディーミュージックを扱うハブみたいな雑誌でね。パンクやハードコア、メタル、シューゲイザー、インディーロック……アンダーグラウンドな音楽ならなんでも。ニューリリースとかライブの告知、レビューやインタビューが載っていた。

注2:インドネシア国内のインディーミュージックを取り扱う雑誌。1999年創刊。主に2000年代初頭に刊行されていた。数年に一度復刊したり、3年前にはYouTubeで配信番組を流したりしていたが、現在はSNSの更新も止まっており、再び活動を休止している模様。

──

『So Young Magazine』のインドネシア版みたいな感じですね。それは今もあるんでしょうか。

Andy

たぶん……もうないね。何度か復刊と休刊を繰り返しているんだ。今はSNSも更新が止まっているから、また休刊していると思う。インディペンデントなパブリッシャーが作っていて、値段もすごく安いから。インディペンデントで続けていくことって大変なんだよね。

大都会ジャカルタとヒップな中規模都市バンドゥン

──

ジャカルタのような都会だと、東京の下北沢や高円寺みたいにインディペンデントなアーティストやクリエイターが集まるエリアがあるのでしょうか。

Andy

それはいい質問だねぇ……。ジャカルタに限った話でいうと、街の南部にそういう場所が集中しているんだ。有名なライブハウスも南側に多い。たとえば〈Rossy〉とか〈cafe MONDO〉とか。あ、そうそう〈cafe MONDO〉は日本人がオーナーだよ。SHUNさん(注3)という人だ。

注3:佐藤マタ、またの名を『SHUN』として知られている人物。現在は日本国内でDJ、オーガナイザーとして活動している。

──

そういうエリアには、ライブハウス以外にもレコード屋とか古着屋とか、ミュージシャンが集まるような場所ってあるんでしょうか。

Andy

ある!えーっと……たとえば友だちが行ってた〈Hey Folks〉。CDとレコードとTシャツを売っていて、全部インディーミュージック。もうちょっとハードコアな音楽が好きな人が集まるのは〈Lawless Store〉だね。Tシャツのプリントや販売、それからCDも置いている。『Ripple』の編集長をしていたArian13と呼ばれている人がオーナーをしている。

──

やっぱり、そういう場所を拠点にシーンが創られていくんですね。そういえば、日本ではミュージシャンがスタジオに行ったりライブをした後、よく一緒に食事へ行きます。なんでかわからないけど、中華料理かラーメンが多い(笑)。あとケバブとか、牛丼とか。ジャカルタでもそういう、ライブとかスタジオ後に食事へ行くことってありますか。

Andy

あるねえ……。よく一緒に飯に行ったよ。ジャカルタには屋台がたくさん沢山あって、大体はそこで済ませていた。日本でいう“ヤキトリ”みたいなものがある。「サテ」っていう。あとはそれこそ、麺の屋台。日本のラーメンというよりは、チャイニーズスタイルだな。一番簡易なストリートフードでいうと、インスタントラーメンの屋台がある(笑)

──

え!?

Andy

日本じゃないでしょ?インスタントラーメンをそのまま出すんじゃなくて、チーズとか肉とかトッピングが色々あるんだよ。本当に安いし、インドネシアではポピュラーだね。

──

インドネシアのバンドやミュージシャンは、やはりAndyさんが生まれ育ったジャカルタに集中していたのでしょうか。

Andy

もちろん、ジャカルタにはたくさんいたけど、もう一つバンドゥンっていう街にもバンドがたくさんいたね。今でもバンドゥンはインドネシアのインディーミュージックの聖地なんだ。ライブハウスやレーベルもある。80年代のことはよく知らないんだけど、1990年代に『Ripple』が拠点を置いていたのもこの街。

バンドゥンのインディーミュージックシーンの重鎮、『Ripple』編集長のArian13が所属するバンド、Seringai。メタル寄りのハードコアパンクといった印象。

──

ジャカルタに比べて、バンドゥンはどういう場所でしたか。

Andy

うーん……。ジャカルタはすごく人がいっぱいいて、大都会だから東京に似ているね。あと、暑いんだ。それに比べてジャカルタから電車で2時間くらいのところにあるバンドゥンは山の中だから、ちょっと田舎で人がいなくて、涼しい。だから、長袖も着られてファッションが面白いし、古着屋やローカルブランドの服屋もたくさんある。音楽以外にも楽しいことがたくさんあって、本当にいい街だね。ティーンの頃は母ちゃんに「友だちの家に泊まる」って嘘をついて一人でバンドゥンまで遊びに行ったもんだよ。

インドネシア在住時代、音楽と仕事の話

Andyさんのグラフィックデザイナー時代の作品
──

Andyさんはずっとジャカルタで生活をしていたんでしょうか。

Andy

いや、大学を出てからバリへ移住したね。僕の仕事はグラフィックデザイナーだったんだけど、ジャカルタみたいな大都会で仕事をするのが辛くてね。

──

仕事はたくさんあった?

Andy

うん。観光地で広告や店の看板、ホテルのチラシとか、フリーランスの仕事を受けていたよ。

──

よかったら当時の作品を見てみたいです。

Andy

ぜひ!見てみて。これはハードコアバンドのジャケットだね。あとは……〈Hardrock Cafe〉からずっと継続して依頼を受けていて、メインの職場だった。僕以外にもそこで働いているミュージシャンがいっぱいいたよ。

──

他のミュージシャンは、具体的にどういう仕事をしていたんでしょうか。

Andy

まあ、一番ありがちなのはクリエイティブ関係かな。僕の周りだとグラフィックデザイン、雑誌編集、広告関係が多かったと思う。フォトグラファーは僕の周りにはいないかも。それから店をやっていることもある。Tシャツのプリント屋とかレコード屋とか、音楽関係の店だ。あとは……若いバンドだと大学生のこともあるね。それから銀行員とか、IT企業とか会社員としてフルタイムで働いて、バンドを続けている人ももちろんいる。

──

多くが仕事をしながら音楽をしている中で、インドネシアのインディペンデントなミュージシャンにとって成功の基準というか、目指すゴールって何になるんでしょう。

Andy

メジャーレーベルと契約して、フルタイムのミュージシャンになることだ。仕事をやめて、ずっと音楽をする。そのためのお金がほしければメジャーへ行くよね。ただ、音楽を好きにやらせてもらえなくなる。だから、自由にやりたくて僕ら世代でもまだインディペンデントで音楽をしているバンドもいるんだ。

──

それがさっき話していたPure Saturdayみたいなイメージですね。

Andy

そうそう。でも、やっぱり年をとれば生活が変わるからね。仕事があるし、家族がいるし、子どもがまだ小さいと夜遊びもあまり行けなくなるし、何よりメンバーが集まりにくくなる。だからインディペンデントだと音楽にコミットするのは、だんだん難しくなってくる。

──

ツアーが少なくなったり、リリース間隔が空いたり?

Andy

まさしく。インディーミュージックから成功したバンドもたくさんいるけどね。この前東京に来ていたWhite Shoes & The Couples Companyとかが代表的かな。インドネシア版レトロ歌謡みたいな。ジャカルタ芸術大学の出身だ。今やビッグになったよ。HMVでもレコードがあると思う。でも、彼らもまだインディペンデントでやってる。

──

他にインドネシアのインディーミュージックを代表するバンドはいますか?

Andy

あと、バンドじゃなくて2人組のユニットなんだけど、Gabber Modus Operandiかな。Bjorkとコラボしたんだよ。最新アルバム『Fossora』(2022年)にメンバーのKasimynが2曲(“Atopos”、“Trölla-Gabba”)参加していてね。この間来日して、渋谷の〈WWW〉でライブをやってた。


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──

既に海外で高い評価を受けているアーティストも多いんですね。メジャーだとどんなバンドがいますか。

Andy

うーん……。最近のメジャーどころは全然わからないなあ。あ、そうだSlankかな。インドネシアのローリングストーンズみたいな存在だ。ただ、結成は1983年と世代はかなり違うけどね。日本のTHE BLUE HEARTSと一緒にライブしたことがあるんだよ。

日本で一番インドネシアに近くなれる場所

Andyさんの話を聴いていると、どこか日本の90年代をリアルタイムで体験した世代のバンドマンとも共通するような話題が度々登場する。それはきっと、日常の中でなじみ深いとは言い難い異国の地においても、シーンの構造や音楽へ触れるきっかけが共通していることの表れだろう。音楽という共通のテーマを介して、Andyさん自身が東京のコミュニティで打ち解けている様子も納得がいく。

 

Andyさんが過ごしていた90~00年代のインドネシアと現在の事情は、経済的にも文化的にも大きく異なるかもしれない。ただ、現地の音楽を聴く上で、今の最新の情報とは別に、アーティストたちが送るベーシックな生活や音楽体験を伺い知ることで、より感情移入したり、理解が深まったり、楽しみ方が広がるはずだ。

 

その意味では、インドネシアに限らずアジア諸国のハードコアパンクやサイケデリックロック、エモ等多種多様なオルタナティブミュージックを現地の料理と共に扱っている〈SUB STORE〉は日本国内において非常に貴重な場だ。お酒を片手にAndyさんの解説付きで見たことも聴いたこともないような音楽との出会いを楽しむのもいいだろう。

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