Like A Fool Recordsが放つ鋭く、深く突き刺さる、東京インディーズ四つ巴。Kidder / Forbearリリースパーティー『Lesson No.1』
東京都世田谷区、新代田にあるレコードショップ兼立ち飲み居酒屋、インディーレーベル《Like A Fool Records(以下、LFR)》。国内外のインディーミュージックを揃える同店らしく、独自の審美眼で選び抜かれたエッジーなバンドの音源をリリースしている。そんな《LFR》から今年の春に新譜をリリースしたForbearとKidderのダブルリリースパーティー『Lesson No.1』が2024年4月9日(日)、吉祥寺〈DAYDREAM〉にて行われた。
4バンドが生み出す息つく暇もない緊張感
「Tokyo Emo Gaze」を標榜し、物悲しくも美麗なメロディと重厚感あふれる骨太なサウンドを鳴らすForbearと、ドロドロとしたサイケデリックなグルーヴに荒々しく無駄をそぎ落としたタイトで金属的なポストパンクサウンドが持ち味のKidder。音楽的に好対照な2組が共演するということもあり、果たしてどんな化学反応が生まれるのかが見所だった。一見音楽的に振り幅があるようにも見えるバンド同士の組み合わせは、レーベルの魅力やシーンの空気、バンドとリスナーの間で生まれる熱といった「生」の体感が強烈に印象に残りやすい。全く違った音がどういった空間を創り上げるのか、それぞれのアーテイストを知っている者であっても、蓋を開けてみなければわからないからだ。
結論からいえば、上記2バンドに加え、共演したTexas3000、CONGRATULATIONSも含めた4組すべてが別のベクトルへ振り切った緊張感あふれる4つ巴戦が繰り広げられた。後述の通り、音源の時点で既に一筋縄ではないかないバンドであり、パッケージングされた既存の音楽とは一線を画している彼ら。そんな4組だからこそ、それぞれの持ち得る凄みが空間を支配した狂気は凄まじい密度を持っていた。そして、このような尖った個性を持つバンドが限られたスペースと時間の中でも最大限に暴れることができる空気にこそ《LFR》というレーベルの魅力が集約されているように思う。
開場は夕方の17時半。まだ外も明るく、会場の〈DAYDREAM〉が雑居ビルの最上階で大きな窓があることも手伝って、通常のライブハウスとは一味違う開放感ある空気の中で幕を開けたこのイベント。ビール片手に開場してから徐々に人が集まりだす様子からは、とてもこの後繰り広げられるストイックな音のぶつかり合いは想像できなかった。ステージはなく、フラットのフロアにオーディエンスを入れる所謂「スタジオライブ」のような状態だったこともあってどこか和やかな空気が漂っていたからだ。
しかし、このクローズド且つバンドとオーディエンスの視点が同じ高さで交錯する距離だからこそ誤魔化しが効かない緊張感とむき出しのリアリティ、再現不能の生々しさが実現していた。
創造と破壊の過程を見せつけた、Jojoの確信犯的ノイズ
トップバッターを飾ったのはTexas 3000。メンバーの体調不良により、急遽Jojo(Vo / Gt)がソロでの出演に変更。このアナウンスがされたのは、当日の朝だった。
本来はJojoに崎山(Dr)とkirin(Ba)を加えた3ピースバンドで、2023年11月15日にリリースされた1stアルバム『tx3k』も記憶に新しいオルタナティブロックバンドだ。90sエモを思わせるパンキッシュなサウンドとセンチメンタルなメロディを軸としながら、マスロックのような複雑な曲展開とどこか人を喰ったようなコミカルで不条理な世界観が同居した、既存の枠組みにはまらないエクスペリメンタルな音楽性を特徴とする。
結成は2019年と決してキャリアの長いバンドではないが、その独創的な楽曲群は既にインディーミュージックシーンで存在感を放っており、今回の一癖も二癖もあるラインナップの中でトップバッターを飾るに相応しい強烈な色を持ったバンドであることは間違いない。
とはいえ、その屈折したアンバランスな音楽は3ピースというそれぞれのパートによる化学反応を持ってこそ生まれていたのは紛れもない事実だ。アクシデントによりJojoのソロ出演となった今回、果たしてどのようなライブになるのか。
Texas 3000の曲で演奏されたのは2曲のみで、ほとんどの持ち時間はJojoによる即興のギター演奏。彼らの複雑で予測不能なグルーヴ感は、リズム隊との絡み合いがあってこそ生まれる。それでもJojoは、そのヒリヒリとした緊張感を自らの即興演奏で再現してみせた。
ギラギラとした眼差しでエフェクターを凝視しながら、自ら掻き鳴らした音をぐちゃぐちゃに変形させていく。まるで己の分身を操っているかのように躍動する音を聴きながら、時折いたずらっぽくニヤリと笑うJojoの姿にオーディエンスは釘付けとなっていた。
そして、終盤に2曲だけ演奏されたTexas 3000の曲が“Hirime 2D”と“Here”。それぞれギター一本とJojoの鬼気迫る歌い口は、危うさと繊細さを凝縮した仕上がりで、メランコリックでどこか温かみすら感じる抒情的なメロディの魅力が原曲以上に感じられた。この楽曲が持つ“別の魅力”といえばそれまでだが、筆者の個人的な感想としては「メンバー3人で破壊する前の姿」という印象を受けた。
それはこの日のステージ全体から浮かび上がったことでもある。Texas 3000の音楽はメンバーそれぞれが通過したオルタナティブミュージックを一度バラバラにしたうえで再構築したものなのかもしれない。一度完成されたものを粉々に砕いて、その残骸をつなぎ合わせた異形のオブジェ。他のバンドと似ても似つかぬ強烈な個性は、その創造と破壊のオペレーションを経て生み出されているのだろう。
Jojoのステージはまるで、そのことを居合わせた者に見せつけているかのようだった。呆気にとられるオーディエンスを前に、照れくさそうに引き上げていったJojo。これから彼らが世に生み落としていくであろう音塊は、やはりこちらの想像を裏切る異形であるはずだ。
CONGRATULATIONSが吐き棄てるエネルギッシュな毒気
「これから何が始まるんだ……?」
ステージに立っただけでそう思わせるバンドは、一定数存在する。真似してできることではなく、明確に共通項がある訳でもない。ただ、観る者に「このライブはただでは済まされないぞ」と身構えさせる、ある種の“オーラ”というべきか。
Jojoが圧巻の一人舞台を終えた後に淡々とスタンバイを済ませた3ピースバンドCONGRATULATIONSもそういうバンドの一つだった。それぞれが別のバンドでのキャリアを持つ3人は、並び立った時点でもどこか風変わりな印象を受ける。
鋭い眼光が遠目にも印象に残る貝本菜穂(Vo / Ba)。その隣で穏やかな佇まいでどっしりと構えている魚頭圭(Gt)。蓄えた髭と超然とした佇まいがミステリアスな空気を持つ根本歩(Dr)。果たしてどんな音楽を鳴らすのか。初見の人であれば想像もつかないであろう。
端的にいえば、ハードでメロディアスなギターロック。3ピースでイメージする音よりもずっと重厚で、哀愁漂うアルペジオがドロドロとしたグルーヴ、妖艶ながらも鬱屈とした貝本のヴォーカルと合わさった余韻、味わいのあるサウンドが脳裏に焼き付いて離れない。
この日の中でも、中盤に演奏された“25”を特筆したい。どこか影がある世界観は一貫していながら、緩急が効いていて実に表情豊かな一曲だ。クリーントーンのメランコリックな旋律を奏でるアルペジオとローテンションなヴォーカル、ドラムが刻む骨太なグルーヴ感。バンドの構成要素が凝縮されている。
音源では苦悩に満ち、感情を押し殺したような閉塞感がある印象だったのに比べ、生の演奏を目の当たりにすると全く違う感想を持った。非常にエネルギッシュで生命力に満ちている。吐き出される言葉にも、刻まれる音にも怒気がこもっているかのような、観る者を震わせ、突き動かす力強さが感じられた。
感情を爆発させるようなスクリームがある訳ではないし、聴く者へ向けて訴えかけるようなアプローチのバンドでもない。むしろ、徹底して内向きで、後ろ向きな世界を表現する自己内省型の音楽だ。そういう音がこれだけのエネルギーを持っているということがCONGRATULATIONSというバンドの凄みへと繋がっている。
冒頭に述べた通り、「何が始まるんだ……?」と思わせるような独特の佇まいを裏切らない存在感のあるライブを見せてくれた。それぞれが別のバンドでの活動をしており、貝本が京都在住ということもあって、なかなか生で観られる機会は多くないのかもしれないが、多くの人の脳裏に強烈に焼き付いているはずだ。
Forbearが曝け出す、繊細さと背中合わせの暴力性
2024年3月1日、Forbearが久々にリリースした2ndアルバム『8songs』は、これまで核としてきた要素を踏襲しつつも、今までにないバンドの側面を顕わにした意欲作といえる。
「Tokyo Positive Emogaze」を標榜し、物憂げで凛とした響きを持つWhisky Yoko(Vo / Gt)のヴォーカルと重厚なギターのアンサンブルが創り上げる儚くも刹那的なシューゲイザー / ドリームポップサウンドを鳴らす彼ら。『8songs』は、そんなエモーショナルでメランコリックな魅力を大いに堪能できる一方で、サウンド面はより荒々しく、生々しい味付けだった。そのパンキッシュな仕上がりからは、シューゲイザー以外にも90sのエモインディーやグランジといった要素が強く感じられる。
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リリース後、間もないタイミングとなる今回は、『8songs』収録曲が披露されるであろうことは想定していた。注目していたのは、過去の楽曲と同じライブの中で演奏された際、果たしてどのような形で表現されるのかということだ。振り幅を強調するのか。それとも、『8songs』に接近したサウンドなのか。
結論からいえば、この日のステージは限りなく『8songs』を最初に聴いたときの感覚を思い起こすようなソリッドで肉体的な手に汗握るものだった。それと同時に、アルバムでこれまでと角度が違うアプローチをとったように感じられたForbearというバンドの本質が、その荒々しさ、生々しさの方にあったのかもしれないと、ハッとさせられる時間でもあった。
『8songs』と同じ“Open Up”で幕を開けたライブは、ザクザクと刻まれるリフと骨太なベースラインが躍動し、地鳴りのような迫力で瞬く間にフロアを支配する。緩急のあるサウンドはライブ感にあふれ、オーディエンスもそれに呼応するのが伝わってきた。続く2曲目はForbearの2nd EP『4songs』から“Discharge”。どちらかといえばポップでキャッチーな印象が強く、音源で聴いた際には直近の彼らとかなりギャップを感じる曲かもしれない。しかし、実際にこの日のライブを目の当たりにすると切れ味鋭いサウンドが強靭なグルーヴに乗って襲い掛かる、かなり凶暴な音だった。これだけ硬派な音だからこそ、持ち前の美しく儚いメロディや繊細なヴォーカルに凛とした力強さが感じられ、深遠さ、荘厳さといったある種の超現実的な世界観へと繋がっていく。
後半のハイライトには、『8songs』から演奏された“Sinking”を挙げたい。所謂、シューゲイザーやドリームポップといった音楽とは別のベクトルを向いた曲であり、どちらかといえばミッドウェストエモのような後ろ向きで閉塞感に満ちたスローナンバーだ。Yoshigazer(Vo / Gt)による独白ともいえるような抑え込まれたイントロダクションと、堰を切ったようにヘヴィなディストーションギターが唸りを上げるコーラスパートと、両者のコントラストが音源以上に強烈に浮かび上がってきた。
鳥肌が立つほど、暴力的なほどの凄みを見せつけたForbear。MCでも、あまり多くを語らない朴訥な彼らの姿は、そんなストイックな音楽ともどこか通じるものがあるように思えた。
破壊的初期衝動を呼び覚ます、Kidderの爆発力
狂乱の一夜、最後を締めくくるのはこのイベントを企画したKidderだ。シリアスなライブが続いた今回のイベントにおいて、終始マイペースな佇まいが印象に残っている。
2024年3月1日、《LFR》から初のEP『Ki001』をForbearの『8songs』と同時にリリースした彼ら。無機質でタイト、切れ味鋭いパンキッシュなサウンドがドロドロのサイケデリックなメロディを奏でる毒気たっぷりな音楽を鳴らすバンドだ。その荒々しくも無駄がそぎ落とされた音は初期のポストパンクに通じるが、手に汗握る緊張感と共にどこか脱力を誘うユーモラスなポップさが同居するあたりに強い独自性を感じさせる。自由に、肩の力を抜いて気楽に、そんな開放的な空気が直前のForbearと対照的といっていい。
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ライブが始まると、それまで会場を支配していた空気を突き破るかのような、ある種の破裂音、爆発音のような狂騒の時間が繰り広げられた。ここまでステージを固唾をのんで見守ってきたオーディエンスも何かの糸が切れたかのように踊り狂う。バンドの四方をオーディエンスが囲う構図となった今回だからこそ、その狂気が炎のように、空間を呑み込み、色を変えていく様子が鮮明に見て取れた。
冒頭、ノイジーなギターが軽快なドラムに乗ってナンセンスな酩酊状態を演出する“Stone in Soak”でがっちりと流れを掴んだ後は、1曲あたりが短い(ほとんどの曲が3分未満)こともあり息つく暇もなく進行していく。2曲目に演奏された疾走感あるガレージロック“boring flower”が終わる頃には、オーディエンス、そしてメンバーは汗だくになっていた。
ノイジーなサウンドの中でもはっきりと耳に残る声でまくしたてるTANABE(Vo / Gt)は、楽しそうに身体を揺すりながら、穏やかな笑みを浮かべていた。ドラムスティックがボロボロになり、木片を周囲に飛び散らせていたMARU(Dr)、キレのあるアンサンブルで空間を手玉に取ったEDA(Gt)とYASUKO(Ba)。それぞれの様子が観る者を惹きつけるのと同時に、パートが出す音一つ一つがはっきりと際立っていた。Kidderのライブには、ある種即興のセッションを見ているかのような、それぞれが自由に楽しんでいるからこその緊張感がある。そのエネルギーはあまりに破壊的な力を持っていて、どんな空気のライブであっても一変させてしまうほどのインパクトがあった。
最後に演奏された混沌のノイズロック“Count Pylon”は、ひりひりとした余韻を残して締めくくるうえでベストな選曲だったといえる。ノイジーで不穏なギターフレーズが複雑に絡まり合う中、どこか飄々とした歌声がとびきり不穏な味付けを添える空虚感に満ちた一曲だ。
終演後、まだ騒然としているオーディエンスを尻目に何事もなかったかのように引き上げていく様子がこれまたシュールだった。彼らの鳴らす狂気は、観ている者の中で自分を抑えていた感情、無意識のうちに我慢していたことを解放してしまう破壊力がある。いらないものをこの場所にかなぐり捨てたような、清々しく思えるくらいのパワーは、この場に居合わせたすべての人に届いていたようだ。
インディペンデントな音楽に触れる醍醐味が詰まった、過密空間
ライブが終演して、ふとある映像を思い出した。2023年3月16日、アメリカ郊外のスーパーマーケットでインディーロックバンド4組によるフリーライブ『LIVE FROM FRIENDLY RIO MARKET』だ。明らかにライブ会場ではない空間で繰り広げられたこのイベントでは、それぞれが鳴らすエッジ―な音楽が場を飲み込んでいく様子がリアリティたっぷりに収められている。それぞれの鳴らす音楽にはかなり振り幅があり、いずれもメインストリームからはかけ離れている。それがごく普通のスーパーマーケットで演奏されるという異様な光景の中で、その場にいる人の感情が強く揺さぶられていく。
この日の〈DAYDREAM〉を訪れた人たちにも、同じようなインパクトが届いていたのではないか。それぞれのバンドが実現したい表現のためにどんなアプローチをとるのか、それが時として意表を突くようなものであったり、これまでのイメージを覆すものであったり、あまりに強烈なインパクトを残すようなものだったりする。いずれにせよ、アーティスト自身の意思やアティテュードが強く作品やパフォーマンスに影響することこそ、インディーミュージックの醍醐味といえる。
次はどんな音楽が聴けるのだろう。探求心や好奇心をそそられることがこの場へ足を運んだ人にとっての大きなモチベーションだろう。それぞれ追究する音楽をとことん体現しているバンドが集まった時に感じさせる張り詰めた緊張感と先の読めないスリリングさが体感できる。この日はそういうステージが繰り広げられていた。
これは、KidderとForbearの同時リリースやこの日のライブを行うきっかけとなった《LFR》というレーベルの存在感を象徴していたともいえる。レコードショップと立ち飲み屋という、リアルなリスナーやバンドの交流の場を拠点としながら、ライブとフィジカル音源を主軸に置いた活動をすることで、まだ見ぬ強烈な刺激を味わえる音楽と出会うきっかけを提供してくれる。この日出演したバンドがそうであったように、インディペンデントなバンドが徹底的に自己実現を突き詰めた作品を創り続けている場。それは、アーティストへの自由さと妥協を許さないある種の緊張感があってこそ成立するはずだ。
東京のインディーミュージックシーンのディープで、ニッチな“最深部”を堪能できる内容となったこのイベント。今、この街のどこかでこんな刺激的な音楽がなっていること、それだけでニヤニヤしてしまうようなリスナーがいる限り、まだまだ新たな音楽は生まれていくことだろう。
撮影:yasuhiro ono
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後ろ向きな音楽、胡散臭いメガネ、あまり役に立たない文章を愛でています。旅の目的地は、何もないけれど何かが起こりそうな場所。
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