2010年結成、岡山の3人組、Revolution For Her Smile(以下レボハー)の1st Album。
リリース文には「LIVE CLEAN STAY YOUNG・WHAT’S WHAT生まれ、UKメロディック・HER SPECTACLES育ち、USインディー経由フーファイターズ行き」と記されてはいるものの、マニアックなメロディックパンクサウンドというよりはより広い意味でメロディックなロックバンドということが出来るような懐の深いサウンドが展開されている。
岡山にはidol punchや手水、Test Patternといったベテランから現在はロンリーやaapsなど、パンク・ハードコア〜インディーロックの間を自在に駆け抜けるバンドが精力的に活動をしている。less than TVの谷ぐち一家に迫ったドキュメンタリー映画『MOTHER FUCKER』においても岡山でのMETEOTIC NIGHTの映像が重要なポイントとして大きくフィーチャーされていたことからもわかるように、地方から全国へとその魅力を広げられるポテンシャルを持つバンドが数多く存在する土地なのである。
また、京都や大阪には車で3時間程度で来ることが出来るため、関西のバンドとの深い交流が窺えるのも特徴だ。レボハーのこのアルバムは、ロンリーの濱井慎太郎によるロードトリップレコーズからリリースされており、そのことからもジャンル的嗜好を飛び越えて愛されていることが窺える。
「サッドメロディック」とも称されているように、どこかにやるせなさや切なさを湛えたサウンドながらも疾走感と焦燥感、美しいアルペジオ、そしてしっかりと耳に残る強いメロディーラインが同居しているところがこのバンド最大の魅力だろう。
10曲18分という短い収録時間に驚くほどのバラエティーにを詰め込んだ楽曲群。M.1 『Small Riots』の少し跳ねたビートで聴き手の心をぐっと掴み、M.3『Waking Life 』のシンコペーションするリズムとささくれだったボーカル、M.4『At the End』では一筋縄ではいかないコード展開をしっかりとした歌で受け止め、懐の深さを見せつける。90年代〜00年代初頭のUSインディー、ポストパンク的なマニアックさを覗かせる部分もあるが、まだ20代前半であるという彼らならではの蒼さやフレッシュさはキープ出来ているのも見事だ。
絶妙なバランスで構成された楽曲を2分足らずのショートチューンにまとめ上げるセンスと潔さは特筆すべきものがある。僕は聴きながら「このリフもっと続けてくれ!」とか思うのだが、そうはさせず容赦無く駆け抜けていく、だからこそ印象に残るし、あっという間に過ぎていってしまった、一瞬だったけれどとても大切な瞬間を思い起こさせてくれもする。
M.7『Her Spectacles』は同郷の3ピースバンドfolksとのスプリットにも収録されていた曲だ。敬愛しているという同名バンドへ捧げた曲だろうか。飛びっきりキラキラとしたギターリフにつんのめるような蒼いビートとメロディー。
この物語の結末に君の言葉は要らない 君の涙も必要ないよ
でも今夜 君の姿を見て今にも泣きだしそうな気分でいる
という歌詞があまりにも切なく、美しい。
M.8『New Martini』、初めて聴いた時は選曲センスに驚いたが、アメリカはボストンのバンドkarateの2nd Album『In Place Of Real Insight』からのカバーである。karateは1993年〜2005年まで活動したAOR、ジャズやプログレ、ポストハードコアサウンドをバークレー音楽院出身という出自もあいまった高い技術とセンスで融合、再構築してみせたバンドである。解散までに6枚のオリジナルアルバムやEP、ライブアルバムをリリースしているのだがそのサウンドは作品を重ねるごとによりプログレッシブでテクニカルな方向へと進化していった。レボハーがカバーしたこの曲が収録されているアルバムは、karateがまだヒリついた衝動的なサウンドを鳴らしていた時期の作品であり、特にこの『New Martini』は最もその時代を象徴する曲である。原曲の儚さを活かしながらもさらに勢いと哀愁漂う見事なカバーに仕上がっている。
思い出話になってしまうが、僕が初めてkarateを聴いたのは2002年頃。尊敬していたup and comingというバンドのメンバーが影響を受けているということを知り、手始めに5thアルバム『some boots』を聴いたのだが、あまりにAORに接近したそのサウンドが当初はイマイチ理解出来ず、もう少し理解を深めたくなったので過去作に手を伸ばし、この『New Martini』を聴いた時にバンドの流れみたいなものに気づき、そこから一気にのめり込んだ思い出の曲なのである。今作の歌詞カード等どこにもkarateのカバーということは記載されていないのには何か事情があるのかもしれないが…。もう一つ余談を挟むと、今作のジャケットを手がけているfolksのドラマー安東賢治氏は学生時代京都に住んでおり、僕とバンドを組んでいた。そのバンドでkarateの来日ツアー京都公演(2004年)にも出演している。
筆者はレボハーをfolksとのスプリットを通じて初めて知ったので、何かミッシングリンクのようなものを感じてしまったのだ。安東賢治氏がこの作品のジャケットを依頼された時、感慨のようなものを感じたのかは知る由もないが、僕は大いに感じ入ってしまった。レボハーが単なるメロディックパンクバンドという枠に収まらない魅力を発しているのはこのカバー選曲センスを見ても明らかであろう。
アルバムは、タイトルだけでグッときてしまう疾走パンクチューンM.9『Revolution Must Begin At Home』、アコースティックな響きが印象的なM.10『How Cheap My Words Are』であっという間に幕を閉じる。若さこその蒼さと、若さを感じさせないバラエティ、懐やセンスの深さには苫小牧のNOT WONKとの共通点を感じる部分もある。世代特有の軽やかさとローカルにしっかりと根差した足腰の強さは頼もしい限りであり、これから歳を重ねて成熟したときにどのようなサウンドを鳴らしていくのかも楽しみになってしまう会心のアルバムだ。
ジャンルやスタイルなどに構わず音楽をとにかく咀嚼しアウトプットすることを知っているバンドは恐ろしく厚みがあり、強い。豊穣な岡山のバンド達の中で確かな存在感を放つレボハーも相当強い。ふと目を離しているうちに置き去りにされてしまいそうな勢いすら感じる彼らにこれからも注目したい。
WRITER
-
2005年に京都で結成、以後関西を中心に活動しているbedというバンドでギターと歌を担当
OTHER POSTS