【実は知らないお仕事図鑑 P4:小説家】 土門蘭
「人生終わったな」って本当に思ったんです
現在土門さんは独立して本格的に書くことに専念されていますが、それまでは会社勤めをされていたんですね。
昔から小説家にはなりたかったんですけど、そんなことは言っちゃダメだと思っていました。自分に才能があるとも思えなかったから、そんな夢みたいなことを言っている暇があったら一文字でも多く書いた方がいいと思っていたんです。
それで、とにかく食べていくために会社員になろうと決め、本作りに携わりたかったので出版社に入りました。編集部を志望していたんですが、入社してからずっと配属は営業のまま。
早く編集に行きたいという気持ちが募って、だんだん心身のバランスを崩していきました。もともと自分に自信がないので「営業の仕事もちゃんとできない私には編集は無理だ」という感じで自分をどんどん下げてしまって、結局鬱になっちゃったんです。そのとき「人生終わったな」って本当に思ったんですよね。
そのとき28歳かな、苦手な「営業」というキャリアしかないし子供もできていた。SNSなどで、同期たちの仕事ぶりを見るのがとても辛かったです。
そういう葛藤の中、お仕事されている間も文章は書いていたんですか?
そうですね。営業の仕事が終わってからコツコツ、ずーっと書いていました。小説を3作品書いて3作品とも新人文学賞に送って、ひとつは最終選考に残ってたんですけど、本当に散々な評価でした。やはり文学賞って難しいんですよね、何千作と集められた中の1,2作品しか選ばれないので。実力はもちろんのこと、運や相性の要素もかなりある。それで「このままだと誰にも読んでもらえないまま終わるな」と思ったんです。じゃあ自分で作っちゃおうと思って、友達と『音読』というフリーペーパーを作りました。
『音読』は音楽をテーマにしたフリーペーパーですが、どんな活動をされていたんですか?
『音読』では人に読んでもらうための文章を書くように努めました。そしたらそれがすごく喜ばれて、全国各地から「私も読んでみたい」とか、「お金を払ってでも読みたい」という人が現れて、「すごいなあ、やればできるもんなんだなあ」って。
自分が生き延びるための文章から人に喜ばれる文章に切り替えられたんですね。
はい。営業の仕事はそのあと退職したのですが、薬を飲みながら療養していると「やっぱり、私は仕事がしたいなあ」って思ったんです。「仕事って嫌い、月曜日大嫌い」っていう人生を送るよりも、やっぱり仕事って人生のほとんどを占めるものだから「好きな仕事をしたい」ってすごく思ったんです。もう一度挑戦してみようと思って、今度はそれこそ、人に喜んでもらう『音読』みたいなことができないかなと思って、『音読』編集長の会社に入社しました。
その会社ではどのようなお仕事をされていたんですか?
そこでは紙とか文章にこだわらないで、ウェブとかディレクションとか、いろんな領域で私にできることを探して色々やり始めました。
書くことは好きなので書き続けてはいたんです。『音読』はもちろん、ブログを書いたり、個人的なインタビュー連載を始めたりもしていました。ただ、小説を書くのはあきらめ始めていました。だけどそうしているうちにだんだん読んでくれる人が増えてきて、私の子育てブログを見てくれた柳下さんという、いま「京都文鳥社(注記:以下「社」は旧字体)」という出版社を一緒にやってる編集者の人に「小説を書いてみませんか」と声をかけてもらったんです。それで、今に至ります。
思いっきりやれるチャンスがそこにあるなら思いっきりいくしかない
では、土門さんの担当編者であり、京都文鳥社の共同経営者でもある柳下さんとの出会いはその子育てブログだったんですね。会社を辞めて専業作家として独立するのは勇気がいることだったと思うのですが、決め手はなんだったのでしょうか?
柳下さんの「君はもっともっと書くことに集中して、もっと作品を生み出すべきだ」という言葉です。これはギャンブルだなということはわかっていたんですが、思いっきりやれるチャンスがそこにあるなら思いっきりいくしかないなと思って、会社を辞めて、書くことを決めました。
柳下さんのそういう言葉や姿勢がやはり大きかったんですね。
大きいですね。柳下さんがいなかったらこんな風に24時間書くことばかり考えてはいられない。お金のことも、柳下さんに「書くことしか考えるな」と言われるので、考えていません。私は京都文鳥社の共同創業者ではあるけどまったく経営にタッチしていないし、柳下さんに頼りっきりなので、柳下さんがいなくなったら私のこの生活は終了です。マジです。
土門さんが4の付く日に更新していらっしゃるブログ『柳下さん死なないで』を土門さんの人となりを知る前から読んでいたんですが、ずっと創作だと思っていたんです。現実の作家と編集者がこんな関係になることがあるのかという。公私がきっぱり別れているわけではない、だけどベタベタしているわけではない、なんというか、本当に得難いご関係だなと思っているのですが。
そうですね、最初の頃は「ベタベタしないように」っていうことを本当に気をつけていました。絶対に甘えちゃダメだ、ベタベタしたら全てが終わるって思ったんですよね。
柳下さんは私のことを信じてくれているから、そこに甘えているとしょうもない文章を書いてしまう。私は「文章だけで勝負する」と思っているので、この生身の自分が柳下さんに甘えては絶対にダメで、とにかくいい文章を書き続けなくちゃいけないっていうプレッシャーを自分にすごく与えています。見限られたらそれでおしまいだけど、それまではやるしかないと思っているので、とにかく良い文章を書くことが全てだと思っています。
土門さんにとって柳下さんは、柳下さんがいるから安心して書けるというのはもちろんあるけれども、柳下さんを突破するような文章を常に書かなければならないというプレッシャーを与えられる存在なんですね。
ええ。だから『柳下さん死なないで』は柳下さんの期待をきちんと無視するトレーニングにもなっているんです。彼に褒められるような文章を書こうとするとそれは全然面白くないし美しくない。やっぱり柳下さんと対等でいなきゃいけないんですけど、そしたら柳下さんを書かなければいけなくなっちゃう、それが『柳下さん死なないで』なんです。
土門さんは、そんな柳下さんと立ち上げられた京都文鳥社から歌集『100年後あなたもわたしもいない日に』を出版していらっしゃいますが、短歌を詠むときは散文を書くときと比べて周りの物の見方や開ける引き出しが違ったりするんでしょうか?
違いますね、短歌は写真みたいに、パッと撮る感じです。キラキラしたかけらを自分の宝石箱に入れておくのが短歌で、小説はもっともっと大きい疑問についての答えを自分の中にある言葉で探す作業です。
短歌って走馬灯みたいだなと思っていて、死ぬ時に見える走馬灯には綺麗なものだけ残ればいいなって思っているんです。私の歌集を読んだ人から「辞世の句みたいですね」って言われることがあるんですが、確かにそうかもしれないなと思います。
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書くことでようやく世界と対等になるんです
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1997年土曜日生まれ。結果オーライの申し子。言葉と、人々のそれぞれの暮らしを愛しています。
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