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ロシア総領事館がクラブ化!?ソビエト時代の文化を紐解く『CLUBソビエト』イベントレポート

MUSIC 2019.08.30 Written By 油井 康子

台風接近のニュースが流れる7月27日、『CLUBソビエト@在大阪ロシア総領事館』が開催された。「大阪のロシア総領事館が1日限定でクラブ化」とは、なかなかのパワーワードだ。Web上での突然の告知に「一体何が起こるの!?」とSNSで話題となり、チケットはわずか1時間ほどでソールドアウト。謎に包まれたイベントの全容をお届けする。

 

この日のタイムテーブルは以下のとおり。

【第一部:音楽・映画の部】

  • トーク「映画を通してみたソビエト時代とは?」アントン・ミルチャ
  • ライブ「ソビエト映画音楽~日本スタイル~」短冊&田中良太
  • トーク「ソビエト・ディスコ」四方宏明&Veronika Kazantseva

【第二部:食・DJの部】

  • 本日のロシア料理とロシア式乾杯
  • CLUBソビエト [DJ]安井麻人、四方宏明、吉本秀純 [映像]吉村寛興

厳重な警備とゆるいおみくじがお出迎え

会場となる在大阪ロシア総領事館があるのは、大阪・豊中市の静かな住宅街の一角。徐々に強まる風と雨の中、建物周辺には数人の警察官が配備され、物々しい雰囲気が漂う。警察官に入口の門扉を開けてもらい、少し緊張しながら入場した。

開場までの間、ロビーで待機する。「セキュリティに関わる部分以外は撮影自由」とのことだったが、警備室に控えるロシア人男性の鋭い眼光が気になり、カメラを出すのがしばらくためらわれた(要は小心者なのだ)。床や壁に使われているのは大理石だろうか。豪華で、ちょっと冷たい質感が漂う空間で、ふと「ロシア語おみくじ」なるものが目に止まる。

 

箱の中には、たしかに神社などで見慣れているような紙のおみくじが入っていた。ご自由にお取りくださいと案内が貼ってあったので引いてみると、筆者も同行者も漢字で「中吉」。同行者が引いたものはアニメのようなイラストが描かれていた。占いの詳しい内容はロシア語のようだ。スマホに入れていたGoogleの翻訳アプリにかけてみたところ「あなたの周りには人が集まる。自信を持って行動すると運気アップ。友達との旅行が吉。ラッキーアイテムはセラミックティーカップ」といった内容らしい。ちゃんと占いだったことと、翻訳アプリの精度に驚く。何より、少々緊張感のある空間でいきなりゆるい仕掛けがされていて、思わず笑ってしまった。

ちょっと気持ちがほぐれたところで開場の案内があり、2階へ。壁いっぱいのレリーフやシャンデリアなど、ここでも豪華な調度に目を奪われるが、この空間と「クラブ化」という言葉がやっぱりまだ結びつけられないままでいた。

最初に、駐大阪ロシア連邦総領事のリャボフ・オレグさんからの挨拶。「総領事館が豊中市にあるのは、当時は土地が安かったから」とのコメントに笑いが起こる。総領事館の普段の仕事の内容や、文化交流の取り組みについて説明があり、「今日はソビエト時代を知らない若い方もお越しいただいていると聞いています。イベントを通じて、ロシアの文化や音楽、料理を知っていただけたら嬉しいです」と締めくくった。いよいよイベントがスタートする。

戦争に悲劇、SFも。厳しい検閲の中で独自に発展したソビエト映画音楽

ソビエト時代に生まれたロシア人であるアントン・ミルチャさんが、「ソビエト人代表」として登場する。事前にメディアに配られた資料によると、アントンさんはシベリアのノヴォシビルスク(現在のカザフスタン共和国)出身。地元の大学を卒業後に来日し、大阪の大学院を修了するジェンダー研究者で、今も大阪在住なのだそうだ。

満面の笑みを浮かべ、颯爽と歩く姿を見た瞬間「この人、陽気やな」とわかった。口をへの字に曲げ、やや影のある雰囲気をまとっているという、自分の中のロシア人男性のイメージが早くも壊れる。子供の頃に見聞きしたソビエト関連のニュースや、共産圏に関するなんとなく怖い印象が勝手なイメージを作り出していたのかもしれない。

 

流暢な大阪弁を操るアントンさんは、まず簡単なロシア語の挨拶を教えてくれた。「リーアス」「パカパカ」「スパシーバ」。他にもあったが、残念ながら難しすぎて筆者には聞き取れない。じゃあまたね、というニュアンスの「パカパカ」が特にかわいらしくて気に入った。

「ソビエト連邦とは、1917年のロシア革命から1991年のソ連崩壊までの74年間にわたって行われた、人間の実験なのではないか」と、アントンさん。父のような存在だと思っていたレーニンのこと、厳格なおじいちゃんにアニメや欧米の映画を見ることを禁じられたこと、それでも優しいおばあちゃんのおかげでこっそりアニメを観ることができた話など、その時代に生きた人にしかわからない思い出が次々に語られた。日本でもおなじみのチェブラーシカは、やはりロシア人にとっては象徴的存在のようだ。この後のライブでは、チェブラーシカ誕生のきっかけとなるアニメ『ワニのゲーナ』より、“私はチェブラーシカ” という挿入歌が演奏されるとの紹介があった。

 

続いて、独自の発展を遂げたソビエト映画と、映画音楽のことが語られる。ソビエト映画は、検閲が厳しかったこともあり、プロバガンダ的な戦争や国の英雄についてのエピソードや、悲劇的なストーリーが主流だそう。戦争で恋人を失った女性を描く『鶴は翔んでいく(旧題は戦争と貞操)』という作品は、1958年のカンヌ映画祭でパルムドールを受賞し、日本でも公開されている。

私はチェブラーシカ

このほか、次のライブで演奏される映画音楽についても解説が。SFとお伽噺が融合した代表的な映画作品『魔法使い』に登場する“3頭の白い馬”は、ロシアで最も寒い11月~2月を表す言葉で、馬のように早く寒い冬が過ぎてほしいとの願いも込められているそうだ。『カーニヴァル』は田舎育ちの女の子が女優を目指すも、俳優の専門学校にも入れず、失恋も経験するほろ苦い物語。主人公が歌う“私に電話ちょうだい”は、片思いとわかっていても愛する人の声を聞きたいという気持ちが込められている。「でも、ハッピーエンドですよ!大丈夫ですよ!」とのフォローで会場は和やかな雰囲気になった。最後は「パカパカ」ではなく「スパシーバ!」で締めくくられた。

テルミンと箏が奏でる日露交流的ソビエト映画音楽

世界最古の電子楽器と言われるテルミンの奏者・児嶋佐織さんと、日本の伝統楽器・箏奏者の今西紅雪さんによるユニット・短冊に、パーカッショニストの田中良太さんが加わった特別編成のアクトが始まる。ウィーーーンと電子的に呻るテルミンと、和楽器の箏の組み合わせは、まさに日露交流だ。アントン・ミルチャさんからも紹介があった “私はチェブラーシカ” では、哀愁漂うメロディをテルミンと箏が交互に担当。アンテナが立っている箱に手をかざすという、テルミンの不思議な演奏法にも目を奪われる。

MCでは、児島さんがテルミンの成り立ちを説明してくれた。発明したのは、ロシアの物理学者であるレフ・テルミン博士。ガス圧を測る機械を開発する際にでるノイズが、手をかざすことによって音程を変えられることを発見し、「これ、楽器にできるんちゃうん!」と閃いたことが楽器の誕生に繋がったのだという。当時の指導者・レーニンの前でのデモンストレーションも行われ、「これめっちゃええやん!」ととても気に入られたのだとか。「ちょお(ちょっと)、オレにもやらせて」とレーニン自身も演奏するほどだったと児島さんは語る。ロシアの歴史がコテコテの大阪弁で再現されるたび、笑いが起こった。

続いて演奏された “3頭の白い馬” は、この後DJを務める安井麻人さんが製作したという打ち込み音にのせて、力強いパーカッションと共にテクノポップ風にアレンジ。疾走感あふれるリズムに、テルミンと箏のメロディが重なり合う。短冊のオリジナル曲 “LOOP” は2つの楽器が心地よく調和する優しい音色が印象的。今西さんの朗々した歌声のあとに緊張感あふれるセッションが繰り広げられる “辻斬り” は、物騒な曲名にふさわしい鋭さが会場を飲み込んだ。最後は、映画『カーニヴァル』より、”私に電話ちょうだい”。哀愁を漂わせつつも、主人公の芯の強さを感じられる曲が演奏され、大きな拍手が沸き起こった。

ソビエト・ディスコってなに?超絶技巧の「TJ」にどよめき

旧共産圏の電子音楽を紹介する書籍『共産テクノ』の著者として知られる音楽発掘家の四方宏明さんと、在日ロシア連邦大使館付属ロシア人協会理事のヴェロニカ・カザンセヴァさんによる、「ソビエト・ディスコ」についてのトーク。スライドで当時のソビエト・ディスコの様子が映し出され、四方さんが解説する。ディスコで流れる音楽は「西側の音楽が20%を超えてはならない」というルールが存在していたことや、当時は検閲が厳しかったため、国有のレコード出版のほかに地下出版によるインディーズ的な活動が行わてれていたことなど、ソビエト時代の音楽事情についての説明があったほか、ディスコへ行く際の勝負服がどんなものだったのかも紹介された。マジックテープで止めるスニーカーが流行していたという話を受け、「小さい頃、お母さんが履いてました。外国製のものだったので、買うのがとても難しかったそうです」と、ヴェロニカさんが現地情報を補足する。

ソビエトディスコの様子がわかる音源として、ナタリア=ヌルムハメドヴァの一曲を挙げ、音楽がかけられた。身体を揺らしたくなる軽快なリズムと、思いのほかエネルギッシュな女性の歌声が響き渡る。四方さんはロシア・ハバロフスクの一人旅での思い出に触れ、「知らないおばちゃんにディスコに連れて行かれて、“オレンジジュースと交互に飲めば大丈夫よ”なんて言われながらウォッカを飲まされたんだけど、僕に踊れと言うのに結局おばちゃんは踊らなかった」と会場の笑いを誘った。

 

ソビエトにはかつてDJならぬ「TJ(テープジョッキー)」が存在したという話題に及んだ際は、会場にどよめきが。オープンリールのテープを使い、スクラッチもこなす「Mr.Tape」のプレイが動画で流され、その華麗な技に会場は大いに盛り上がる。このほかにも、ソ連版のレディ・ガガのようなジャンナ・アグザラワによる映画音楽や、ソ連時代へのノスタルジーを感じさせるドラマ『エイティーズ』の挿入歌を、貴重な動画を交えて紹介。80年代の懐かしい雰囲気と、ソ連の音楽の多様性を知ることができる貴重な時間となった。

本日のロシア料理で乾杯

隣のホールで、ビュッフェ形式のロシア料理が準備された。実行委員の古池さんからは「領事館は日本ではありません。飲み過ぎたらシベリアに送られるかもしれませんので、くれぐれも適量で!」とユーモアをまじえた注意事項のアナウンスも。ロシアに興味はあるが、シベリア送りはさすがに嫌だ。それ以前に、筆者はほとんど下戸のため、今回用意されたアルコール類は遠慮することにする。

 

ウォッカやロシアのフルーツ飲料「モルス」、ライ麦パンを発酵させて作る微炭酸飲料「クワス」など、ドリンクもロシア流。赤白のワインも用意されていた。料理は日本人にも馴染み深いピロシキのほか、ハンバーグのような「コトレータ」、旧ソ連圏で人気があるという串料理「シャシリク」、ロシアの餃子「ペリメニ」、クレープのような「ブリヌイ」など、ロシアの伝統的な料理や前菜がずらりと並ぶ。

リャボフ・オレグ総領事による乾杯のあと、色とりどりの料理を堪能した。ベリーから作られたモルスは、ベリー強い甘みとほのかな酸味が感じられて飲みやすい。クワスは独特の酸味と発酵臭があり、好き嫌いはわかれそうだ。料理は全般的に優しい味付けで、スパイスや素材そのものの主張もそれほど強くない。現地に行くことがあっても、飽きずに食べられそうな気がする。サワークリームが添えられたペリメニや、香辛料やハーブに漬け込んでいるというシャシリクはワインに合いそうだ。ピロシキは、日本人がよく知る揚げたものではなく、ロシア流に焼いたもの。現地では肉や魚、野菜、ジャムなど、具もさまざままだそうだ。この日はひき肉のミニピロシキが用意された。どれも美味しくいただいたが、特にペリメニが一番気に入った。いつかまたロシア料理を食べる機会があれば、真っ先に注文したいと思う。

腹ごしらえが終わったところで、再び最初に案内された会場へ。いよいよ、領事館が完全にクラブ化する。

三者三様のDJが盛り上げた「CLUBソビエト」

重低音が鳴り響き、暗がりの中で人々が楽しそうに身体を揺らす。30~40代の落ち着いた雰囲気の男女が多く、普段クラブで踊り慣れているような人は少なそうに思えたが、それぞれ思い思いの場所でゆるやかに踊っていた。会場の後方には椅子席も設けられ、物珍しそうにあたりを眺めながら談笑する姿もちらほら。

 

戦車や戦闘機、宇宙ステーションといった「いかにも共産圏」なアイテムが現れては消える壁面の映像は、クールで少しノスタルジックだ。クラブのようなディスコのような、不思議でどこか懐かしい空間が誕生していた。
DJは前半でトークも担当した四方宏明さん、主催者の1人でもある音楽家の安井麻人さん、自身の音楽講座で旧ソ連圏の音楽を取り上げたこともあるという音楽ライターの吉本秀純さんの3人が担当。トーク内で紹介された曲や、80年代を思わせるちょっと懐かしい雰囲気のテクノのほか、いかにもクラブらしいクールな選曲など、三者三様のプレイを披露した。音源はわからないが、日本語まじりの曲もかけられることも。ときにゆるやかに、ときにアッパーな熱を帯び、ホールのあちこちでダンスが発生する。冒頭のトークを務めたアントンさんを中心に輪ができ、ぐるぐるまわりながら踊る人たちの姿もあった。暗いのでお互いの表情はよく見えないが、きっと満面の笑みだったのではないかと思う。「暗い、怖い、寒いというステレオタイプなイメージを打ち破りたい」と主催者の古池さんは語っていたが、そのねらいどおり、自由でハッピーな空間が広がっていた。最後は主催者からの簡単な挨拶があり、約2時間のDJタイムは幕を閉じた。

おわりに

今回のイベントの発案者は、普段は会社員である古池麻衣子さん。ロシアが好きで、旅行はもちろん領事館で定期的に催されるコンサートにもたびたび足を運び、「自分もここで何かできたら」と考えたそうだ。当初は映画音楽をテーマにしたクラシックなものをイメージしていたが、ロシア領事館側の「いつもと違ったエンターテインメント性が欲しい」という要望もあり、今回の「総領事館のクラブ化」が実現したのだとか。

 

「おそロシア」などという造語が誕生するなど、ロシアやソビエト連邦にはなんとなく暗いイメージがつきまとう。しかし、そんな一方的なイメージの向こうには、フレンドリーなロシアの人々や、ロシアをもっと知ってほしいという熱意を持つ実行委員会の方々の姿があった。「クラブ化」という酔狂な響き以上に、このイベントはその素朴であたたかいもてなしに支えられていたように思う。ソビエト時代の音楽や文化に触れるにつけ、どの国の人たちも、人生を楽しみたい、音楽に触れたいという想いは共通なのかもしれないと考えるようになった。今原稿を書いている瞬間も、私のPCからはYouTubeで見つけたソビエト音楽が流れている。あの不思議で酔狂な1日が、また同じ場所で味わえたらと願う。

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