
違和感を増幅させる、快楽主義グルーヴポップ
んoonが世に出した作品の中でも、本作『Zoo』は最もスリリングで動的、聴き手を置き去りにする仕上がりだ。
まず意表を突いたのは、ブラジリアンミュージック風味の2曲目“MAR”とブレイクビーツが大胆に導入された3曲目の“SEE YA”でガラッと曲調が変わる部分だ。シュールなノスタルジアからの疾走。
その後はしっとりと歌い上げたかと思えば、どっしりとしたベースラインが跳ね回り、ジャムセッションのように目まぐるしく各パートが主導権を握り合い……。息つく暇もなく表情を変え、リスナーを翻弄する。
本作に限らず、んoonが鳴らす音は、唸ってしまうほどに気持ちがいい。グルーヴも、ポップネスも、身体にすっと入ってくる。鼻にかかったような気怠い歌声も、間を刻むパーカッションも、ごくわずかに遅れて腹に沈み込むベースも、フロアでこの音が流れてきたら思わず歓声を上げるくらいの快楽だ。通常であればそんな快楽に触れてしまったら、多くの人は踊ったり何かの動作をリズムに合わせたくなる。ところが、本作では決してリスナーにそうさせてくれない。
というのも、本作で鳴らされている音楽は、聴き手のアクションを画一化しないからだ。4つ打ちのダンスミュージックや盆踊りのように、参加者の身体反応が同期しやすい音楽とは対極である。むしろ、本作が生み出すグルーヴはダンスフロアよりも、路上で自然発生する祭に近い。例えば、ラテンアメリカのカーニバルや日本の神輿と御囃子――。これらは一見するとリズムが統一されているようで、参加者それぞれの解釈や身体の揺れ方が共存している。微妙なずれや解釈の違いが主導権を奪い合い、徐々に全体でのグルーヴが生まれていく。
アルバムを通して聴いた時、『Zoo』の楽曲は間違いなく整合性がとれている。それと同時に、聴き手が身体を揺らす動きやリズムはかなり個人差が生まれるであろうと感じた。この小さなズレは、リスナーにとってある種の「違和感」として脳裏に刻まれるはずだ。
バンドの身体性が反映されたアルバム
過去にインタビューで、積島直人(Ba)がKORNについて触れている。KORNの出自がヘヴィミュージックにあることから、んoonと共通の文脈で語られることは少ないだろうが、本作を聴くと、「快楽と違和感の同居」という感覚の延長線上にあることが伺える。
両者の共通項は、既存の文法を自らのアノニマスな音の一部に組み込んでしまうこと。んoonがネオソウルやR&Bを骨格に持ちつつ、ジャズやドラムンベースの身体性を肉付けしているように、多彩な音楽のKORNはメタルの肉体性に、ヒップホップやベースミュージックの聴覚的快感をパーツとして自らの音に組み込んでいる。両者の共通項は、「気持ちよさ」と「得体の知れなさ」を両立した違和感だ。
そして、このアルバムでは、そんな違和感がアルバムの構造そのものとして顕わになった。思い返してみれば、『Freeway(2018年)』と『Body(2019年)』のEP2作は、実にさらりとしていた。曲ごとに不協和をにじませながらも、作品を通したムードは穏やかに進行する。誤解を恐れずに言えば、ドライブやコーヒーブレイクの最中に聴いてもしっくりくる。続くEP『Jagon(2021年)』からは、曲ごとのアプローチに大きく変化がつけられるようになり、2024年にリリースされた最初のフルアルバム『First Love』は曲ごとのムードが目まぐるしく入れ替わる、本作に近い路線だ。ただし、2作ともバレアリックDJのように曲ごとの繋ぎが滑らかに作られていた。
それに比べ、緩急を前面に出し、曲単位でリスナーの感じるズレを増幅させていく、確信犯的なアルバムがこの『Zoo』。違和感が膨れ上がりながらも、そこに引きずり込まれてしまうのは、それだけ抗いがたい魅力を彼らの音がもっていることの裏付けでもある。
過去の作品群がすべて伏線であったかのようにも感じられる本作。聴きながらほくそ笑んだ好奇者も多いことだろう。だが、それ以上にニヤリとしているのは、スピーカーの向こう側にいる彼ら自身なのかもしれない。
試聴リンクはこちら
Zoo

アーティスト:んoon
仕様:デジタル
発売:2026年4月1日(水)
試聴リンク:https://friendship.lnk.to/zoo_hoon
収録曲
01. CALLING
02. MAR
03. SEE YA
04. IO
05. HITSUJI
06. HEBITORA
07. CACTUS
08. Vapored HITSUJI
09. OTODO
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後ろ向きな音楽、胡散臭いメガネ、あまり役に立たない文章を愛でています。旅の目的地は、何もないけれど何かが起こりそうな場所。
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