俺の人生、三種の神器 -新原なりか ③島暮らし編-
▼俺の人生、三種の神器とは?
人生の転換期には、必ず何かしらきっかけとなる「人・もの・こと」があるはずです。そのきっかけって、その当時は気づけないけれども、振り返ると「あれが転機だった!」といったことはありませんか?そんな人生の転機についてアンテナ編集部で考えてみることにしました。それがこの「俺の人生、三種の神器」。
折角なのでもっとアンテナ編集部員ひとりひとりのことを知ってもらいたい!そんな気持ちも込めたコラムです。これから編集部員が毎週月曜日に当番制でコラムを更新していきます。どうぞお楽しみに!
人生設計というやつが苦手だ。いくら先の計画を立てたって、その時々でなるようにしかならないし、どんな状況でも意外となんとかなるし、それでいいじゃん、とどうしても思ってしまう。座右の銘は「結果オーライ」。予想外の展開も、これはこれでいいなと思えれば人生ハッピーじゃなかろうか。
そういうわけで、私は新卒で入った会社を1年で辞めた。先のことなどなにも決めずに。そんな時たまたま見つけたのが、瀬戸内海に浮かぶ離島の美術館スタッフの求人だった。「俺の人生、三種の神器」新原の最終回は、その後の人生を大きく動かした「島暮らし」について。
島、行ってみるか
瀬戸内海の直島といえば、「アートの島」としてご存知の方も多いかもしれない。あるいは「草間彌生の南瓜」のある島といえばピンとくるだろうか。
会社を辞めて、次の仕事どうしようかなーとぼちぼち検索していたところ、行き当たったのがこのページだった。直島、豊島、犬島という近隣に位置する3つの島での美術館運営の仕事の求人だ。
「それぞれの『よく生きる』」という言葉は、やりたくない仕事を無理やりやって自分を見失っていた私に、なにかこれからの生き方の指針を与えてくれそうな気がした。残念ながらこの求人自体は募集が終了していたのだが、調べてみるとアルバイトスタッフを募集している。
社会人1年目の夏休みの一人旅で直島には行ったことがあり、「いいところだったなー、しばらく島で人生見つめ直すのもいいかもなー、美術好きだしなー」、くらいの気持ちで応募。直島勤務を希望したものの、配属は行ったことのない豊島(てしま)になった。それもそれで、後から考えたら結果オーライ。
島暮らしはつらいよ
南北は香川県と岡山県、東西は小豆島と直島の間に位置する豊島は人口約800人、面積はちょっとがんばれば自転車で一周できるくらい。その中にいくつかの美術館が点在している。おだやかな瀬戸内海と棚田がつくる景観が美しく、おいしいみかんやオリーブが採れる文字通り豊かな島。しかし産廃業者による不法投棄事件により一昔前までは「ゴミの島」とも呼ばれ、住民の闘いにより調停が成立した現在もなお後処理が続くという負の側面を背負わされた島でもある。(「豊島事件」の詳細はこちらを見てみてほしい。)
私たちスタッフは、島内の古い民家をそのまま利用した寮で共同生活を営む。島にはスーパーはおろか、コンビニさえ一軒もなく、お菓子やカップラーメン、冷凍食品などを売っている小さな商店があるだけ。飲食店は数件あるが、最終便の船が出てしまった後の夜の時間はほとんど開いていない。休みの日には船に乗って岡山の宇野港へ出て、リュックいっぱい、両手いっぱいの食料を買い溜めた。
職場も寮も自然に囲まれまくりで、深夜に鳴り響くウシガエルの低い鳴き声(最初は隣の家で牛を飼っていると思っていた)や、季節ごとに移り変わる多種多様な虫たちに辟易としながらも付き合っていくしかなかった。
でもそんな不便を補って余りあるほど、たくさんのあたたかく美しいものにも触れた。近所の人たちがおすそわけしてくれるスイカやイチジク、人懐っこいたくさんの野良猫、仕事終わりの散歩で目にする息をのむほどの夕焼け、灯りのない真っ暗な道で見上げた流星群。どれもこれも今の私の心のよりどころとなっている。
人見知りから話好きへ
この島で得たものはたくさんあるが、一番大きかったのは「私って人と話すのが好きだったんだ」と気づけたことだ。
職場のひとつの美術館では、鑑賞者とスタッフの対話に重きを置いており、人見知りを自認していた私は初めは戸惑い、固まっていた。しかし、作品や島のことを勉強していくにつれ、伝えたいこと、お客さんに聞いてみたいことがどんどん出てきて、気づいたら、アンケートに私との会話が楽しかったと書いてくださるお客さんが続々と現れるほどになった。
海外からのお客さんも半数近くいたが、慣れない英語でのコミュニケーションも、「話さなければ」、「話したい」、という思いで楽しみながらなんとかやりきることができた。
また、一緒に暮らし働くスタッフとの会話もいつも楽しく実りあるものだった。みんないろんな人生の中でいろんなきっかけで島に来ていて、働き方や生き方の選択肢を大きく広げてくれた。
今ではひとりで飲みに行って偶然隣り合わせた人やお店の人と会話するとか、知らない人と新しく知り合って話すことが大好きだが、島でのこの経験がなければ自分のこんな面には気づけなかったかもしれない。
直感を信じること
島で働いたのは約半年だったが、その後、美術館で働いたという経験を活かして美術を扱うWebメディアで仕事をし、それが結果的に今の編集・ライターという仕事につながっている。人と話すのが好きになったことも、インタビューをする上でとても役立っている。そして、こうやって流れに身を任せて生きていくのが向いていると気づけたこと自体、島に行ったことがきっかけだ。
求人を見つけたあの時、「今私に必要なのはこれなんじゃないか」という直感に身を委ねた自分に拍手。いろいろ考えることは自分を納得させるためにも必要だ。でも直感にはやっぱりなにかがある。それを忘れないようにしたい。
これからもずっとこんな感じで直感を大切に、結果オーライで生きていきたい。でも来年で30歳。もうそんなわけにはいかないのかな。どうなんだろな。
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WRITER
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ライターや編集を中心にいろいろやっているフリーランス。大阪市在住。蚕とクミンが好き。京大総合人間学部卒の人間性フェチ。
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