
【本の連載】自分とは別の「私」をさがして – #3『わたしはおかねではかれない』
身近なカルチャーやアートを通して、社会性・政治性を新たに見出す場をつくるプロジェクト『Candlelight』のアリサさんによる、書評連載(月1回の更新を予定)。独立系出版社から発行されている書籍やzineの中から“自分とは別の「私」が生きている本”をテーマに選書と文章を寄せていただきます。第3回目となる今回は『わたしはおかねではかれない』(著 つちやりさ / つちや温水プール)という2025年発行のzineをご紹介します。
おかねのことは話しづらい?
zine『わたしはおかねではかれない』の作者・つちやりささんは、『つちや温水プール』という屋号を名乗り、バラバラの「私」が集うことで生まれる「熱くないけどぬるくあったかく。特別じゃないけどちいさくほっと」するような場や時間をつくっている。
『つちや温水プール』として発行されているzineの多くは、つちやさん一人きりの語りでなく、つちやさんの近くに集まってくる複数人の語りで構成される。『つちや温水プール』という場所では社会的な立場・役割・属性などは役立たずで、生身の「私」そのものになった人々がどこまでも対等に集う。まさに、水着1枚で無防備にぷかぷか浮かぶしかない温水プール状態だ。
そのぬくぬくとして楽しそうな温水プールでも「おいでよ、私はこうやって浮いてみるよ」と呼びかけてくれる人をみんな欲していて、それをやっているのがつちやさんというわけだ。
そんなふうに勇気ある呼びかけ人を幾度となく引き受けてきた作者であっても、発表するまでにためらいがあって時間を要したというのがこのお金にまつわるzine。
「これは、2021年にわたしが作りかけていたzineに、まえがきとあとがきを加えたものです」
「このzineを見て、かつてのわたしが感じていたこと・悩んでいたこと・怒っていたことが、突然いっきに思い出されました」
zineより引用
どうして、お金のことで私たちはこんなにも心を掻き乱されるのだろう?
『おかねでわたしははかれない』という叫びの奥には何があるのだろう?
はじめは父が社会だった
少し話が変わるようだが、つちやさんに誘われるようにして私も自分の話をせざるを得なくなってしまったので、お付き合いいただけたら嬉しい。
私は幼少期のいつからか今まで、父が何か言動するとまるで自分の身体がよじれるような心地がすることがあった。それは時に、自らの肉体をつねったり殴ったりしたくなるほどだったが、これをいわゆる「反抗」や「嫌悪」と呼んでしまうのもなんだか違う気がしていた。自分が父に愛情のようなものを注いでいることにもどこか気づいていたのだ。
この葛藤を年上の友人Aについ最近喋ったら、「アリサとパパって全く違う人間やで」と言われたのだった。Aが「境界線が溶けてる感じがする、自分とパパが同じ人間と思いすぎちゃうか〜」とさらっと言うので初めは驚いたものの、少し考えてみると父との境界線について問題を抱えていることがみるみると明らかになってきた。
物心ついたときには「家の中にいる母」と「外で稼ぐ父」という記号で親を眼差していて、自分のその狭い世界観では父は身近で最も強力な社会的存在だった。私は学校や習い事の場などでも集団に馴染むのが上手でなく、周囲から関心を向けられていないかもしれないという心細さを常に感じていた。だから、こんな自分でもきっとこの世界に関係しているはずだということを信じたくて、父というパイプを通して社会と自分を接続することが必要だったのだ。
たとえば不安を感じやすい寝る前の時間、暗闇で独りきりになった子どもの自分はいつも父にハグされることを想像していた。きっと「社会との接続」を象徴する父に認められることを通して、自分がこの世界にいて良いことを確かめたい気持ちだったと思う。そうした不安定な気持ちから、じわじわ父との適切な境界線を失っていってしまったことに、大人になった今ようやく気づいたのだ。
とはいえ、母も家に閉じこもっていたわけではなく、毎週のように外に出かけて何かを経験しにいくという意味では社会性のある人だった。だが「社会との接続」という点で母と父に大きな違いがあるとしたら、それが「金銭的な支払い能力」だったのではないかと思う。
そこでこのzineに話を戻すと、作者もこんなエピソードを語っている。
「母がレジで支払いを済ませて、こちらへ戻ってきます。きれいに布袋に包まれた指輪をわたしに手渡します。わたしは言いました。「ありがとう!」すると、母は言いました。「パパのお金だから、パパに言ってね」」
zineより引用
最後のセリフに身に覚えがある人は少なくないだろう。私も一言一句そのまま、母から言われたことがある。ここで作者が指輪を買ってもらったのと同じように、素朴だけど世界との繋がりや広がりを知るには十分な経験を、私は子ども時代にたくさんさせてもらったと思う。だが同時に、それらの経験はいつも「パパのお金」とセットになってしまっていた。自分と世界を結びつけてくれるのはやっぱり「外で稼ぐ父」で、それはつまり「金銭的な支払い能力」なんだということを知らずのうちに学習してしまったのだ。
なにでもはかれないその存在を
『わたしはおかねではかれない』というタイトルからは、「自分に向けて支払われる金銭的対価はいくらか」というジャッジメントの苦しさに思いを重ね合わせた人も多いと思う。もちろん、その点に関しても私も同じように苦しく思っている。
だが、父との間にあった境界線の問題を掘り起こすことで見えてきたのは、むしろ「自分がいかに金銭的な支払い能力を持っているか」ということのほうに、私たちはより心を悩ませているのではないかということだ。
金銭的な支払いをすることでしか社会と繋がっている実感を得られなかったり、金銭のやりとりが伴わないと居場所が確保しにくかったりするという社会全体の問題が、1997年生まれの自分としてはずっとあるように感じる。お金を支払えるかどうかで、そんなふうに自分が「いる」ということ自体が脅かされるとしたら、心を掻き乱されるのも当然のことだろう。
さらに、「勝ちたい/負けたくない」とか「成功したい/失敗したくない」などというお金を得ることと結びつきやすい欲求でさえ、元を辿れば「社会の一員でいたい」とか「居場所がほしい」などという、どこか消極的だけど根本的な「存在の肯定」を希求する気持ちに近いものが見えてくる気がするのだ。
「あかねさんもやよいちゃんも、ゆうたくんも、いる。わたしだって、いる。いなかったことなんて一度もない。みんな、いる。おまじないみたいだ。みんないる。」
zineより引用
結局私たちはいつでも、ただそのまま存在していることを何よりも先に認められたいと思っている。そのシンプルで切実な叫びが『わたしはおかねではかれない』というタイトルから新たに聞こえてこないだろうか。
お金にまつわるzineの最後でひたすらに「いる」という実感を噛み締める作者のことばがあるのはあまりに必然だ。そして、こんなふうに生身のままで「いる」ことを一緒に確かめ合うために『つちや温水プール』へと足を運ぶ一人ひとりの姿と声を、zineの読者も想像せずにはいられない。
わたしはおかねではかれない

著者:つちやりさ
出版社:つちや温水プール
発売:2025年
価格:¥440(税込)
Webサイト:https://tsuchiyaonsuipool.stores.jp/items/69454ebf615df6acb8867df7
購入可能サイト:https://candlelight-atinynoisybookshop.square.site/product/-/LOK2NJVYBVBWSPROPNG6OCDG
内容紹介
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お金をもらわないで活動しているあいだ、いちばん傷ついたのは、軽視されていると感じたときだった。たとえ小さくとも、経済をまわしていないと、まるでそこになかったかのようにされてしまう。いないことにされてしまう。
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会社員を辞めてつちや温水プールを始めた当初、わたしは「とにかくお金をもらわない」で活動していました。イベントを開くときのお菓子やお茶はバイト代から出して、作ったかるたも無料で配る。その理由は、簡単に言ってしまうと、お金で価値をはかるところから遠ざかりたいと思っていたからでした。
そのとき/2021年に感じたことをメモしながら、作りかけていたものがあったような気がする…と今年/2025年になって思い出し、パソコンの中から掘り出してみると最終更新日は2021年11月2日。当時書き留めていた部分はほとんど手を加えずに残し、そこにまえがきとあとがきを加えて、4年越しに完成させたzineです。
どうしてこんなにおかねではかるんだろう?わたしはおかねではかれない。はかられてたまるか!と思っていたとき(いまもですが!)の悲しみ・怒り・喜びがぎゅっとつまった一冊。 おかねではかられたくないわたしへ。おなじきもちでいるあなたへ。届くとうれしいです。
(公式サイトより)
これまでの【本の連載】自分とは別の「私」をさがして
小さな本屋 Candlelight

この連載で取り上げた書籍やZINEもお取り扱いしています。お近くの方はぜひお立ち寄りください。
営業時間:13:00~20:00 火曜日・木曜日定休
住所:東京都杉並区成田東5-35-7 白い家西店舗
(丸の内線 南阿佐ヶ谷駅から徒歩4分 / JR 阿佐ヶ谷駅から徒歩11分)
Google Map:https://maps.app.goo.gl/9A1keaGEdAQ9Mjaz6
Instagram:@_candlelight_pj_
WRITER

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1997年生まれ。『Candlelight』の発起人・主宰。
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『Candlelight』として2023年に初回イベントを渋谷〈WWW X〉で開催して以来、哲学対話と弾き語りのシリーズ企画『Where shall we go by weaving our voices together?』をはじめとし、1つの型に囚われない、自由で編集的な視点からアート・カルチャーと社会をゆるやかに接続する場を開く。2026年2月に同プロジェクトとしての拠点〈小さな本屋 Candlelight〉を開業。そのほか、〈本屋B&B〉のトーク企画なども行う。
