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『君の名前で僕を呼んで』 アンチ・バイブル ~21世紀のルネサンス~

(C)Frenesy, La Cinefacture

『君の名前で僕を呼んで』もうご覧になっただろうか。アンドレ・アシマン原作の同名小説を映画化した本作は米アカデミー賞脚色賞を受賞し、日本公開されると劇場は連日満員になるなどの大ヒットとなった。

映画.comによる解説は以下のものだ。

1980年代のイタリアを舞台に、17歳と24歳の青年が織りなすひと夏の情熱的な恋の行方を、美しい風景とともに描いたラブストーリー。アンドレ・アシマンの同名小説を原作に「日の名残り」「眺めのいい部屋」の名匠ジェームズ・アイボリーが脚本を執筆、「胸騒ぎのシチリア」などで知られるルカ・グァダニーノ監督がメガホンをとった。第90回アカデミー賞で作品賞ほか4部門にノミネートされ、アイボリーが脚色賞を受賞した。「インターステラー」「レディ・バード」のティモシー・シャラメと「コードネーム U.N.C.L.E.」「ソーシャル・ネットワーク」のアーミー・ハマーが主人公カップル役で共演。83年、夏。家族に連れられて北イタリアの避暑地にやって来た17歳のエリオは、大学教授の父が招いた24歳の大学院生オリヴァーと出会う。一緒に泳いだり、自転車で街を散策したり、本を読んだり音楽を聴いたりして過ごすうちに、エリオはオリヴァーに特別な思いを抱くようになっていく。ふたりはやがて激しい恋に落ちるが、夏の終わりとともにオリヴァーが去る日が近づいてきて……。

ゲイのカップルを描いた作品ではあるがLGBTQ作品にありがちなゲイであることに起因する社会的、個人的苦悩といったものはほとんど描かれておらず、自然な恋愛として描かれていること、そして登場人物の美しい風貌、美しい風景などからヘテロセクシャルの観客にも受け入れやすい「少年のひと夏の恋物語」として観ることができる。筆者も腕をだらんと下げて自転車で手放し運転をしながら田舎道を走るオリヴァー(アーミー・ハマー)の姿にうっとりとしてしまった。

 

脚本を手がけたジェームズ・アイヴォリーは「映画はほぼ原作通り」と語っているが、実際にはアカデミー脚色賞を受賞している訳で、原作小説にはない映画的描写がいくつかあり、そしてそれこそが本作をより重層的魅力に満ちた作品へと昇華させているので、今回はそのあたりについて論じていきたい。

以下、作品の内容、結末に触れているので本作を観賞後にお読み頂きたい。

その前にまず原作と原作者アンドレ・アシマンについて触れておく必要があるが、それについては町山智浩氏もラジオの解説で語られているようにエリオ、オリヴァー、エリオの父それぞれに各年代の原作者アシマンが反映されているととれるという裏話がある。ラスト近くのエリオの父による長いスピーチはほぼ原作通りで、本文中にある「少年時代にいて欲しかった大人になれ」という言葉をなぞるように少年時代のアシマンに現在のアシマンが語りかけているように感じる(実際のアシマンの父もかなり進歩的な考えの人物であったらしいが、ゲイであったかは語られていない)。

 

因みにアシマンは本作劇中にてゲイのカップルの一人を嬉々として演じている。ただし映画版においてはアシマンが実際にゲイであるかはそれほど重要ではない。

原作になかった「旧約聖書」のモチーフ

それではここから原作にはない脚色面について筆者が気付いたことを記していこう。

 

まず原作と比べると宗教的モチーフ、特に旧約聖書の創世記を思わせる描写が数多く発見できる。エリオ達が過ごす北イタリアのヴィラでの優雅な生活は楽園、エデンの園を思わせる。ご丁寧に果樹園まであり、劇中、ある特殊な状態の桃をオリヴァーが齧るのだが、その後エリオとオリヴァーは二人だけでローマへと向かうこととなる。禁断の実を齧って楽園を追放されたアダムとイヴのように。ただしそこに悲壮感はまったくない。

 

またエリオが公園のような場所で思いの丈を初めてオリヴァーに告げる直前で空を見上げるシーンがある。カメラはエリオの視点となって空を映すのだが、聖堂の屋根に立つ十字架が目に入ると一瞬でカメラは視線を下げる。後ろめたいことでもあるかのように。

エンドロールから「ある動物」の意図を読み解く

そして本作を観ていて要所要所に出てくるある動物が気にならなかっただろうか。ハエだ。筆者が確認したところエリオがオリヴァーを想い自慰行為をするシーン、エリオがオリヴァーの水着をかぶるシーン、エリオとオリヴァーの初めてのキス、エリオが一度関係を持った少女を拒むシーン、そしてエンドロール前のエリオが暖炉に向かい泣いているシーンの全部で5つのシーンにハエの姿、あるいは羽音が登場する。

 

エンドロールでVFXのクレジットが確認されることから、あのハエの姿はCGの可能性が高い(本物のハエであればテントを張ったエリオのパンツの先端や泣いているエリオの服に止まったりといった都合のいい演技をしてくれないであろう)。羽音に関しては海外の映画の撮影事情、つまりドルビーデジタルなどの劇場の音響環境に対応するため、撮影現場で収録した音声はほとんど使われないことを鑑みれば、これも後から付け足されたものだ。なぜそこまでしてハエを登場させたのか。

西洋世界でハエというと「ベルゼブブ」を思い起こされる。ゴールディングの小説『蝿の王』にもモチーフとして登場するそのものずばりハエの姿をした悪魔の一人だ。旧約聖書においては悪魔とされるベルゼブブであるが、元々はペリシテ人(古代ギリシャ人をルーツに持ち、ヘブライ人の入植前からイスラエルの地に住んでいた民族)が信仰していた豊穣の神「バアル・ゼブル(気高き主)」であるとされている。バアル・ゼブルの崇拝者は豊穣を祈る性的な儀式を行っていたそうだが、それを嫌ったヘブライ人たちはバアル・ゼブルと語呂の似た「バアル・ゼブブ(蝿の王)」と呼んで蔑み、後に悪魔化した(他の宗教の神を一神教が異端、あるいは邪教として悪魔化することは多い)。上記のハエの登場するシーンはほとんど聖書的倫理観に反するものだ。だがラストのオリヴァーを失い泣いているエリオの肩に止まるハエはどこかエリオを優しく慰めているようにも見えないだろうか。

アンチキリスト?ヒントはオープニングに

このように本作は一見聖書をなぞっているように見えると同時に逸脱してもいる。そもそもホモセクシャルを描いている時点で聖書に反しているのだが、なぜ映画版ではそのような脚色がなされたのか、ヒントはオープニングのタイトルバックにある。

本作のタイトルバックではシンプルなピアノのリフレインが響く中、様々な古代ギリシャ・ローマ時代の彫刻(ローマ時代の彫刻もギリシャの職人によるものなので以下「ギリシャ彫刻」と表記する)が映し出されている。本編でも重要な場面でギリシャ彫刻が出てくるが、原作にはそういった描写はない。原作では大学教授であるエリオの父の専門が文学であるのに対し、映画版では美術に変更されていることからわかるように、これはかなり意図的だ。そもそもなぜギリシャ彫刻なのか。ギリシャ時代では同性愛、男色の文化が一般的であったということもあるだろうが、さらに深読みすると「ルネサンスの精神」に行き着く。

キリスト教(カトリック)的価値観、倫理に支配され、魔女狩りやペストの流行もあって「暗黒時代」とも呼ばれた中世ヨーロッパで、キリスト教がローマ帝国の国教になる以前の多様性のあった古代ギリシャ・ローマ時代の文化を復興しようとする文学、美術、音楽、建築、医学にまで跨いだ、イタリアを発端とする「人間中心主義」「人間賛歌」を掲げた文化運動、今風に言えばカウンターカルチャーであるルネサンスを本作ではより映画的、ヴィジュアル的に映えるギリシャ彫刻に象徴させたのではないだろうか。と考えると主人公エリオがオリヴァーの持つギリシャ彫刻の腕と握手するシーンは本作の精神を最も象徴しているシーンとも言える。

このように反聖書的、ルネサンス的精神を内包した本作を観て筆者は『異邦人』『ペスト』などで知られるカミュが『反抗的人間』に記した「反抗は、すべての人間の上に、最初の価値をきずきあげる共通の場である。われ反抗す、ゆえにわれら在り。」という言葉を思い出した。

説教臭くなくない人間賛歌!

昨今「ポリティカル・コレクトネス」「ダイバーシティ」「多様性」といった言葉が声高に叫ばれ、J-POPの歌詞は相変わらず「ありのままの君でいいんだよ~」と歌っている。確かにそれは正しい。人種や性別、セクシャリティで差別する気はさらさらないが、「とりあえずポリコレとダイバーシティに配慮しときました」といった出来の悪い表現に食傷気味になっているのも事実だ。しかし本作はそれを実にスマートに、説教臭くならず、かつ美しい青春映画に仕上げた素晴らしい人間賛歌である。

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