俺の人生、三種の神器 -辛川 光 ③はじめての夏フェス編-
▼俺の人生、三種の神器とは?
人生の転換期には、必ず何かしらきっかけとなる「人・もの・こと」があるはずです。そのきっかけって、その当時は気づけないけれども、振り返ると「あれが転機だった!」といったことはありませんか?そんな人生の転機についてアンテナ編集部で考えてみることにしました。それがこの「俺の人生、三種の神器」。
折角なのでもっとアンテナ編集部員ひとりひとりのことを知ってもらいたい!そんな気持ちも込めたコラムです。これから編集部員が毎週月曜日に当番制でコラムを更新していきます。どうぞお楽しみに!
今までの人生で誰かに注目されるような成績を残したことがなかった。小学生時代生活の中心だった野球でも、ヒットでチームに貢献したことよりも、送りバントを成功させベンチに帰る際、「これで良いんだ」と活躍を熱望するもう1人の自分をうまく言い聞かせた記憶の方が濃い。
しかし、音楽活動を始めたことにより脇役ではなくなった。それは目立ちたいという欲求からくるものではなく、自分の音楽を伝えるためには主人公に徹するほかなかったからである。そのような心持ちで活動を続けていたが、2019年に人生で初めて他者との競合の末、表舞台に立つ経験をする。私がやっているバンド「知らないひと」がオーディションを通過し、長野県で開催されている野外音楽フェス、「りんご音楽祭」への出演を果たしたのだ。
他人に認められた瞬間
りんご音楽祭のライブオーディションは北海道から福岡まで、全国14都市で開催されている。二次審査では主催者自らが全国各地に足を運び審査を行うという、個人が主催するフェスだからこその演者と主催者の距離の近さだ。良い音楽を直接、自分の目で確かめたいという純粋な思いが、長野の地で2009年から続く音楽フェスティバルの土台である。一次審査を通過し、7月に京都GROWLYにて二次審査が行われた。オーディションといえども、いつもどおりのライブをすることを心がけた。最終的なゴールはりんご音楽祭で「ライブをする」こと。自分たちの持つものを出し切ることが大切だ。
7月の半ば、りんご音楽祭の出演依頼メールが突然届いた。思わず手が震え、涙が出てきた。褒められることはあれど、なにか形が残るものとして認められたことはなかったからだろう。楽曲制作に行き詰まって自分の才能に絶望した日々が報われた気がした。いつもお世話になっている人たちに出演が決定したことを伝えると、彼らは自分のことのように喜んでくれた。いかなる時も、周りの人たちが徐々に前へ前へと導いてくれたのだなと実感した。
選択をしてくれた知らない人たち
出演前日、深夜の高速道路を走る車は長野へと向かった。早朝に到着し、朝風呂に入る。いつもと変わらない遠征の光景に安心感を覚えたが、会場となる松本市アルプス公園に到着するといつもの遠征とは違う非日常の夏フェスの光景があった。学生の頃から何度か足を運んだ夏フェスに、今日は出演者として足を踏み入れている。自分の人生でそんな体験をするとは思いもしなかった。会場を行き来する、音楽を楽しむべく全国各地から来場した人たち。子ども連れの家族も多い。「数年後、僕も家族で夏フェスにいけたら良いな。その時、今日出会った子どもがステージに立ってたりして」なんて妄想もしながら。もしかすると、今日の私たちの演奏が彼らの思い出の一部になるかもしれない。音楽の持つ無数の可能性に思いを巡らせながら、名前も知らない人たちを見つめた。
いよいよ本番を迎えた。山がすぐ側にあり、木々が揺れている。りんご音楽祭の会場内で一番小さなステージだったが、全ステージに行くために必ず通らなければならない一本道があり、人通りも多い。1音目を出すと一気に視線が集まった。大きい音を出したのだから当たり前かもしれないが、私にとっては自主企画でも味わったことのない未知の体験だった。なぜならば、会場にいる人、ほぼすべてが知らない人たちばかりだったからだ。他の大きなステージで人気アーティストも同時に演奏する中、私たちを選んだ理由はなんだろうか。もちろん、「この会場でひと休憩したかったから」という理由もあるだろう。それでも、今日まで私たちのことを知らなかった人たちが、耳を傾けて身体を揺らしている。私たちの音楽を選択して「聴いている」のだ。別のステージに向かっていた人たちが、音に引き寄せられて会場内に流れてくる光景も、心底嬉しかった。
あっという間に夢のような時間は流れていった。この場の数百人の記憶の片隅にでも、私の人生の積み重ねによって生まれた曲が残ってくれるように演奏した。はじまったら終わりがあるけれど、またどこかで会えるように。私たちの出演をきっかけに長野まで来てくれた友人とファンの方、そして音楽の世界に導いてくれて、応援してくれている両親の前で演奏できたことはなによりも幸せだった。様々な思いを込めて最後に演奏した“さよなら薄れて”。ギターのチューニングも狂って喉も枯れ、ふらふらになりながらも誰かの思い出になるように歌った。曲が終わり、客席に目を向けると、みんなが満面の笑みを浮かべていた。光景を目に焼き付けながら「必ず戻ってこよう」と決意し、ステージを降りた。
人々の選択肢に残り続けるように
夏フェスへの出演の記憶は一番の宝物になっている。「もっと上を」と誓った2020年は予想外の展開を迎えることになるが、「あの光景をもう一度」と、今も私を突き動かす昨年の体験は間違いなく「俺の人生、三種の神器」と胸を張って言える。しかし2020年も半分を過ぎた現在、3月に渋谷TSUTAYA O-nestで行った、りんご音楽祭にオーディション枠で出演したアーティストのグランプリを決めるライブが、私たちの最後の演奏になっている。
今はできることを少しずつ積み重ねていきたい。自身の音楽が他者も自分自身も動かしていくようなものになるように。人々の数ある選択肢の中に、私の音楽が存在するように。言葉と楽器の響きが誰かの記憶に残り続ける。音楽はなんて不思議で可能性があるものなんだろう。私はこれからも、正解も終着地もない道を進みながら音楽をつくり続けていく。
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WRITER
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1994年生まれ、鳥取県育ちの左利きAB型。大学院をサッポロビール片手に修了。座右の銘は自己内省ポップ。知らないひと Gt.Vo
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