【Dig! Dug! Asia!】Vol.6 前編:パキスタンの「文化の床」Coke Studio Pakistan
アジアのアーティストを今昔問わず紹介する『Dig! Dug! Asia!』第6回は、特集『文化の床』に紐づく特別編。土地や楽器における時代とともに変わりゆくアイデンティティを辿る「アイデンティティのねじれ」に連ね、パキスタンの音楽番組 Coke Studio Pakistan をとりあげる。前編では、古代文明から続く悠久の歴史に育まれたパキスタン音楽が、近代の社会情勢の影響で危機にひんしながらも Coke Studio Pakistan という新たな文化の床でさらに発展し全世界へ発信される様を追う。
「台湾のシーンが熱い」と透明雑誌が日本のインディーシーンを騒がせて、早くも10年近くになるだろうか。その間にもアジア各国を行き来するハードルはどんどんと下がっていった。LCCの就航は増え、フェスなどのリアルな場、そしてSNSや各種プラットフォームが整備されていくことで、文化的な交流も随分と増えたように思う。
その中で日本はどうだろうか?十分に交流が生まれているだろうか?アジア各国からの発信を待つだけでなく、もっとこちらから知ることが必要ではないか。なぜならとっくのとうに、アジア各国はつながっているから。アジア各国からの発信を待つのではなく、こちらからももっと近づきたい。
そんな思いからはじまったこの連載。アンテナのライターが月替りでそれぞれにピンときたアジアのアーティストを今昔問わず紹介することで、読者の方とアジアのシーンにどっぷりつかってみることができればと思う。
今回は特集「文化の床」にひもづく記事として、悠久の歴史のなかで育まれたにも関わらず、近代の社会情勢の影響で危機にひんしていたパキスタン音楽を再興する一因となった音楽番組 Coke Studio Pakistan、そしてそこで育まれたパキスタンアーティストたちについて書いていく。
紹介する番組:Coke Studio Pakistan
拠点:パキスタン
放送開始:2008年 –
公式サイト:https://www.cokestudio.com.pk/season2020/index.html
YouTubeチャンネル:https://www.youtube.com/user/CokeStudioPk
コカ・コーラとパキスタンの意外な繋がり
もはや世界中の共通飲料と言ってもいいであろうコカ・コーラと、自分にとってあまり馴染みがなかった国、パキスタン。あまり結びつきを考えたことのなかった2つが、音楽を通してつながっている。そのことを知ったきっかけは、各地の伝統的な音楽に興味を持ち、YouTubeを探索していたときだった ※1 。伝統的な歌い方の一つ「カッワーリー ※2 」の雄大に伸ばした歌声に惹かれ、それが今も親しまれているというパキスタンの音楽を調べていて、次の動画を見つけた。
雄大な長音が特徴的な歌声、ドラムセットの現代的なリズムとパーカッションの土俗的な音、エレキギターの歪む電子音とエキゾチックなメロディ。およそかけ離れているように思うものが数多く組み合わされた構成だ。そんな伝統と現代が混ざりあった楽曲が1つの番組で何曲も発表されている。この番組がどういう背景から生まれたのか、興味を惹かれてしまった。知られざるパキスタンの音楽と Coke Studio Pakistan への入り口だった。
豊かな音楽とそれを破壊した社会情勢
正式にはパキスタン・イスラム共和国。インドの北西隣に位置しており、米中央情報局によると2020年7月での推計人口は2億3,350万人、宗教は90%以上がイスラム教徒だ ※3 。国内を流れるインダス河を中心に、世界四大文明の一つであるインダス文明が興った地であり、古くは文化的にも大変進んだ場所であった。それは音楽についても例外ではない。イスラム教の実践形態の一つとして9~10世紀に流行したスーフィズム(イスラム神秘主義) ※4 が、神と一体になるための修行の一つとして、詩の歌唱や楽器演奏を取り入れていたため、それらが広く親しまれるようになった ※5 。神に賛美を唱えるための歌唱法であるカッワーリーや楽器演奏が、師匠と弟子の関係を通して、長い歴史の中で広く発展していったのである ※6 。
近代になり音楽が発展する大きな要因となったのが映画産業だ。イギリス領インド帝国の一部として支配されていた1930年代にインドでトーキー映画 ※8 の製作がはじまる。パキスタンでも映画鑑賞が流行。1947年にパキスタンがインドから分離独立すると独自の映画製作も本格化し ※9 、最盛期である1960年代には年間130本以上の作品が製作された ※10 。これは当時日本 ※11 インド(ボリウッド) ※12 や、アメリカ(ハリウッド) ※13 、についで世界第4位の製作本数であり、インドとの国境付近にある主要都市ラホールは「ロリウッド」 ※14 と呼ばれた。
ちなみに当時の流行はミュージカル映画であり、インド映画 ※15 からの影響を色濃く感じる。パキスタンでも映画が当時最大の娯楽にまでなれたのは、インド作品の主言語の一つであったヒンディー語が、パキスタンの現地語であるウルドゥー語と似ていて理解できたからだけでなく、古来より音楽が浸透し、親しまれていたゆえにミュージカル映画が受け入れられたという点もあるだろう ※16 。当時パキスタンで製作された作品を観ると、ほぼ全編に渡ってBGMが流れ、登場人物が衝撃を受けたときには大げさな効果音、二者が意見の応酬をするときにはしゃべる者が変わるたびに曲調が変化するなど、感情を音楽で表現する傾向が現在より非常に強い。
※8 トーキー映画とは映像と音声が同期した映画のこと。今はほとんどの作品がこれに当たる。映画が発明された当初はすべてサイレント映画だったところ、音声を同時に再生できるようになった当時そう呼ばれた。
※14 インド映画がミュージカル一色なのは、伝統的なインド演劇であるサンスクリット劇 ※17 の主流が歌舞劇で、トーキー映画を作る際にそのまま踏襲したからという説がある。
それとともに劇伴音楽が発展し、俳優が口パクをするために劇中歌を出演者の代わりに歌う「playback singer」も定着した。パキスタン国民最大の娯楽となった映画を舞台にして数多くの歌手や演奏家が活躍していた。
しかし1971年にはじまった第3次印パ戦争や、77年の陸軍のハック参謀長によるクーデターなどで社会が不安定化。映画産業も壊滅的となる。その混沌の中で樹立したハック大統領政権はイスラーム化を指向する政策を掲げ、1979 年に発布された国家教育政策では音楽の禁止も制定されてしまった ※18 。
ここで一つの疑問があがる。パキスタンはもともとイスラム教の国で、音楽はその実践のために使われていたのではなかったのか。実はスーフィズムを除けばイスラム教は音楽を禁止しており、厳格な信者からはスーフィズムは異端視されているのである ※19 。同じ宗教によって発展した音楽が窮地に立たされるのだから、これほど皮肉なことはないだろう。ハック政権は88年に大統領自身の事故死で幕を閉じたが、99年にはムシャラフ陸軍参謀総長がまたもクーデターによって大統領に就任。2007年には非常事態宣言を出して憲法を停止させるなど混乱が続いた。
映画産業の逆境はそれだけではない。1969年から上映されていなかったインド映画が2007年に解禁。インド映画が観られるようになると、パキスタン映画の人気は自国民にとっても下火となった ※20 。2010年代からは、第87回アカデミー賞外国語映画部門パキスタン代表に選出され日本でも公開された『娘よ』(2014) ※21 や、パキスタン映画ではハリウッドで初めてプレミア上映された『 Karachi Se Lahore 』(2015)など、海外でも評価される良作が少しづつ公開されているのは救いだが、以後現在まで1年に10〜20本ほどの製作本数に留まっている。
映画の本数が減れば劇伴音楽の需要も減り、それまで映画産業に依存するようになっていた、従来の音楽産業も縮小した。更に変容するニーズに応えて伝統的な楽器から西洋の楽器に移行する奏者 ※23 や、そもそも伝統楽器ではなくシンセサイザーやエレキギター、キーボードなどの電子楽器を手に取る若者が現れ、伝統音楽は衰退の一途を辿って行く ※24 。
コカ・コーラのあり方を表す Coke Studio Pakistan
そんなパキスタンの音楽にとっては逆境が続く中で、2000年代後半に放送開始されたテレビ番組が Coke Studio だった。2007年にブラジルで放送された『Estúdio Coca-Cola』が前身で、異なるジャンルのミュージシャンが共演するライブ映像と、リハーサルの模様を収めて放送するという内容だった ※25 。それが好評だったことを受けて、当時コカ・コーラのマーケティングディレクターだった仕掛け人の Nadeem Zaman ※26 は番組の取り組みをそのまま、当時ペプシコーラにシェアを圧倒されていたパキスタンで制作することを企画する。ラホールを拠点に活躍していた音楽家 Rohail Hyatt をプロデューサーに迎え、2008年に『Coke Studio Pakistan』 を開始した。伝統音楽に再び注目を集めるため、カッワーリーの歌い手やタブラやサーランギーなど伝統的な楽器の演奏者に出演をオファー。その他ロックやポップ、フォークなど様々なアーティストを集め、番組独自の新曲や、既存曲のカバーを綿密なリハーサルのもとで共作し、スタジオで演奏する模様を放送した。
『Coke Studio Pakistan』の特徴は、有名無名にかかわらずパキスタンの注目すべきアーティストを自ら探し出して招聘し、世代も知名度も超えてその音楽を融合(フュージョン)させることだ ※27 。近年のシーズンではサブタイトルを<Sound of the Nation>と打ち出している。第11シーズンのインタビューでは「パキスタン全土の多様な文化と言語を Coke Studio Pakistan で披露することを目指す ※28 」と語り、各地の伝統的な音楽を訪ねる『Coke Studio Explorer』を放送した。
世代もジャンルも違う者たちのフュージョンを生み出すことで歌手や楽器の新たな魅力を引き出し、発信することで、かつてパキスタンの音楽の土壌が育んできた豊かな文化を次世代に、そして世界に伝えている。その姿勢と楽曲のクオリティが人気となり、2008年から休むことなく2019年まで全12シーズンが放送されている。この番組のバックコーラスからキャリアをスタートしているポップ歌手の Zoe Viccaji ※29 など、人気アーティストも輩出している。
第7シーズンからは公式YouTubeチャンネルを開設し、ライブ映像やリハーサル風景が手軽に見ることが出来る。公式サイトにはそれらの動画がまとめられている他、メインアーティストからゲストミュージシャン、バックコーラスまでプロフィールを掲載する力の入れようだ。そこには「音楽を通してパキスタンの良さをパキスタン国民にも、世界中の人たちにも知ってもらおう」とする気概がある。かつての古代文明のもとで育まれた芸術には素晴らしいものがあるにも関わらず、私たちが持っているパキスタンへのイメージは少し暗い部分もあるのではないか。2001年の3.11同時多発テロ以降、アルカイダのメンバーが潜伏したのもパキスタンだった ※30 。そんな先入観以上に、自分たちの国には良い文化がたくさんあるということを、音楽から発信していこうというミュージシャンたちの思いがCoke Studioにはある。それが奏功し、現在では隣国インドのほか世界中180ヶ国以上でYouTube動画が視聴されている ※31 。
そしてそれは、世代も性別も国境も超えて親しまれてきたコカ・コーラの精神をも体現しているのではないだろうか。そもそもこのCoke Studioは、2006年からはじまった「Coke side of Life」のキャンペーンからアイデアが生まれている。これは世界各国のデザイナーが作ったポスターのイラストを、他の国でも使っていいとするもの ※32 。つまり「良いものは皆で共有しよう」という意思だ。
「Coke side of Life」は日本では「コークのきいた人生を」と訳された。パキスタン音楽のアイデンティティとして連綿と受け継がれてきた伝統音楽が、他のジャンルと混ざり合うことで、国境も飛び越え音楽シーンへの新たな刺激(コーク)になっている。またCoke Studioを土壌として世界中の音楽を吸収して発展していくパキスタン音楽の様相は、アトランタの薬局から世界中のニーズを飲み込み席巻していったコカ・コーラ自身の姿にも通じるようにも思う。そのうちパキスタン音楽が、ビルボードのヒットチャートを揺るがす日も来るかもしれない。
日本とパキスタンの結びつきは意外にも強い。戦後すぐから良好な関係を築き、綿花の貿易を行ってきた。それにパキスタン国内で乗られている車の多くが日本製。スポンサーではないだろうが、パキスタン映画で登場する車にも「TOYOTA」のエンブレムを見ることが出来る。しかしそれらの結びつきを知っているのはパキスタンの側のみで、「パキスタンから日本への片思い」とまで言われるほどだ ※33 。日本からもパキスタンに興味をもつきっかけとして、『Coke Studio Pakistan』を覗いてみてはいかがだろう。遠く離れていても、宗教が違っても、音楽とコーラが好きなのは変わらない。
2020年の『Coke Studio Pakistan』は、日本の音楽業界と同じく新型コロナウイルスの影響を受けたのだろう。従来より規模を縮小し、都市部在住のアーティストのみで新曲12曲をレコーディングし、12月に配信開始された ※34 。2021年も、その時できる方法を用いて、パキスタンの音楽の土壌として感動を届けてくれるだろう。
※参考文献
さまざまな民族の声〜世界の音楽(2)〜NHK 高校講座 学習メモ
- パーキスターン 266号(p.21〜28)
- パキスタン・イスラム共和国 基礎データ – 外務省
- 南アジアにおけるヒンドゥーとスーフィー – DSR MUSIC
- 新井 裕子 著『イスラムと音楽 〜イスラムは音楽を忌避しているのか』株式会社スタイルノート 刊
- パーキスターンのイスラーム聖者信仰における師弟関係の宗教実践をめぐる一考察――聖者廟命日祭における舞踏儀礼ダマールの分析を中心として――
- ハルモニウム – TIRAKITA.COM
- トーキー時代の弁士―外国映画の日本語字幕あるいは「日本版」生成をめぐる考察
- The storied career of filmmaker AR Kardar – Death anniversary special – DailyHunt
- 「ロリウッド!-パキスタンの映画ポスター展」福岡アジア美術館 | 福岡県 – Internet Museum
- 過去データ一覧 – 一般社団法人日本映画製作者連盟
- インド映画産業の生産・流通システムと空間構造 ムンバイを中心に – J-STAGE
- 1970年代における米国映画産業復活の諸要因に関する一考察 ─―パラマウント同意判決とTV放送による影響の検証を中心として─―
- Sound of Lollywood: To Palestine, with love from the great Pakistani star Neelo – Images
- 映画:独自の道を歩むインド映画 – 大東文化大学国際関係学部
- 「アジア城市(まち)案内」制作委員会 著『パキスタン004ラホール ~東方イスラム世界の「華」 まちごとアジア』まちごとパブリッシング 刊
- インドの演劇――サンスクリット劇とは――
- パキスタン・イスラム共和国 基礎データ 年表 – 外務省
- 神秘主義/スーフィズム – 世界史の窓
- Pakistan bans Indian films. But can they survive without 70 per cent revenue from Bollywood? – India Today
- パキスタン映画『娘よ』公式サイト
- Pakistan Energy Situation – energypedia
- Interview: Rohail Hyatt, Producer of Coke Studio – Newsline
- サラーム海上 著『ジャジューカの夜、スーフィーの朝 ワールドミュージックの現場を歩く』DU BOOKS
- Coke Studio as a CSR of the Coca-Cola Company and Consumer Psychology(Introduction) – Academia
- Your partners at Uppshot (Nadeem Zaman) – Uppshot
- 7 Reasons Why Coke Studio Pakistan is Better than Coke Studio India – Brandsynario
- 7 reasons we are looking forward to ‘Coke Studio Season 11’ – THE EXPRESS TRIBUNE
- Zoe Viccaji
- パキスタン・タリバン運動(TTP) – 国際テロリズム要覧2020
- The making of Coke Studio: The 120-person crew, a wannabe Deepika and other fun facts – Images
- 世界規模で展開されるユニークな試み「the Coke side of life」 – MdN Design Interactive
- 池上彰が明かす!イスラムビジネス入門 パキスタン編 – まとめ 06 – 日経BP Special
- An exclusive preview of Coke Studio Season 2020 through the words of its maestro Rohail Hyatt- Images
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92年生。「役者でない」という名で役者してます。ダンスやパフォーマンスも。言葉でも身体でも表現できる人間でありたいです。
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