食とことばをめぐる冒険 誰もが無関係ではいられない3作品を読む
特集『言葉の力』の企画「#食とことば」では、人と食との間に生まれる言葉を探っていく。食べることは普遍的な行為でありながら、至極個人的な行為でもある。同じものを食べても感じ方は人それぞれ。ならば食についての表現も、それぞれに違ったものになるはずだ。「食とことば」の自由な表現を求めて、ZINEやインディペンデントマガジンを販売するお店にお願いして、おすすめの1冊を教えてもらった。
雑誌コーナーに並ぶシズル感たっぷりの料理写真。足をとめて何冊か手に取り「おいしそうだな」と眺めながら、少しだけ物足りない気持ちになることがある。食べ物の知識は満たされているはずなのに、どこか既視感があるのだ。もっと自由な視点はないのだろうか。そういう視点を持つ個人が作ったZINEやインディペンデントマガジンにこそ、食に関する唯一無二の語り口があるのでは?そこで3つのお店にご協力いただき、「食とことば」にまつわる作品について伺った。
集まった3冊は、どれもおいしいものを紹介する既存のグルメ雑誌のような価値観から逸脱したもので、私が思い描いていた食のイメージを軽々と飛び越えた。例えば、あるZINEには嘔吐のスラングが登場する。ものを吐き出すことを食の概念でくくってしまう発想の突飛さが愉快だし、作者だけでなく選ぶ側のユーモラスな視点が垣間見えるのも面白い。
また、それぞれの作品を読めば、食べるものの味や香りを想像するだけでなく、書いた人や登場する人がどんな場所に住み、どんな暮らしを送っているのかを考えずにはいられない。たとえ作者と同じ環境にいなくても、食べることにおいて全く無関係でいることは不可能なのだ。あなたとの接点もきっとどこかにあるはずの3冊を通じて、「食とことば」の自由な表現を楽しんでほしい。
crevasseが選ぶ1冊
ありふれたくじら Vol.6:シネコック・インディアン・ネーション、ロングアイランド / 是恒さくら
『Ordinary Whales ありふれたくじら』は、美術家である是恒さくらが各地をフィールドワークして鯨にまつわる伝承や逸話をその土地に生きる人に尋ねて集め、自身の刺繍作品を添えて収録したシリーズ。本作vol.6は、ニューヨーク州ロングアイランドで、先住民シネコック・インディアンと鯨の物語を尋ねた記録です。
世界の海を回遊し、それぞれの土地に物語を残す鯨という存在。それらの物語は多様で、語られる言語も異なります。ある土地では食料に、ある土地では信仰の対象に、または環境保護運動の象徴にもなります。時にいさかいのもとともなるその違いは、人類における鯨のイメージを散り散りに引き裂き、関係を遠くしました。
食べるか / 反対するか、とメディアが伝える二項の関係は複雑なもつれに感じますが、細かくひもとけば無限の個々人の生活の中にあることが本作を読むと伝わります。面と向かえばわかる通りに、この世界に実際に存在するものはそういった「小さな物語」です。出所もわからないような情報があふれ真偽を確かめる労力が増していく世界において、「その人に直接尋ねる」フィールドワークの意味はとても大きいと感じます。
本作の前書きでは「文章を表す“text”も織物を表す“textile”も、語源は同じラテン語の“織る”という動作を表す“texere”だった」と記しています。各地の人々から集められた言葉と向き合う時、読者は、引き裂かれた鯨のイメージをもう一度織り直すことを迫られます。
個人が持つ小さな物語がこうして本となって伝わるとき、それは単なる「小さな物語」を超えた「手渡しの歴史書」となりえるのです。
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crevasse
crevasse(クレバス)は茨城を活動中心にするZINEのナノ・パブリッシャー。オンラインのセレクトショップをベースにして、国内外のアートブックフェアに積極的に参加し、現地で新たな“crevasse=深い谷にいる”アーティストとその出版物の発掘も行っている。
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Manila Books & Giftが選ぶ1冊
THE UREG TO REGURGE / Sanaa Khan(サナ・カーン)
アメリカの食べ物が描き込まれたポケットサイズのZINE、『THE UREG TO REGURGE』。この全てのイラストに一言英文が添えられているのですが、これがなんと嘔吐に関するスラングばかり!聞いた事のないスラングが並んでいる様子は愉快だし、緻密でおいしそうなイラストとのミスマッチが刺激的なんです。裏表紙に胃薬の小瓶が描かれているところも、粋でユーモアたっぷりですよね。
ZINEの発行元であるTiny Splendorは、バークレーとロサンゼルスにスタジオを持つリソグラフ※での自費出版を中心とした出版社です。本作の他にも面白いZINEやポスターなどを多く手掛けているので、興味がある方はぜひサイトを覗いてみてください。もちろん『THE UREG TO REGURGE』も全てリソプリント。一枚一枚手で刷ったような、インクの細やかな風合いが楽しめるのも魅力です。印刷手法も含めて食べ物のイラストが美しいからこそ、スラングとのコントラストがはっきりするのだと思います。
作者のSanaaは、婉曲表現やスラング、特に恥ずかしい行為や見苦しい行為に人がどんな名前をつけるのかに興味があって本作を制作したそう。最後は彼女の言葉で締めたいと思います。「嘔吐の婉曲表現を集めて、ミスマッチな食べ物と一緒に並べてみました。面白い作品になったと思っています。だって心を込めて食事を楽しんだのに、それをあるべきところに収めることができないということは、おかしくて誰にとっても心当たりのあることですから」
※リソグラフとは、孔版を使用した高速デジタル印刷機のこと。スクリーン状の版に穴を開け、そこからインクが用紙に押し出される仕組みで、デジタルながらアナログ印刷のような味のある仕上がりになる。
ご紹介したZINEはInstagramのDMからもお買い求めいただけます。
Manila Books & Gift
愛知県名古屋市新栄に店舗を構える、海外アーティストのZINEやグッズ類の専門店。「海外のようにZINEが身近な存在になる場所を」というコンセプトのもと作られた店内には希少な輸入ZINEやポスター、Tシャツなどが並ぶ。
住所 | 〒460-0007 |
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営業時間 | 月:13:00~19:00、金・土・日:12:00〜20:00 |
WANDERLUST BOOK STOREが選ぶ1冊
NEUTRAL COLORS 1 / 加藤直徳
『NEUTRAL』や『TRANSIT』を生み出した編集者がつくる、オフセット※とリソグラフを融合させた新雑誌の創刊号。テーマは「自分でつくると決めたインドの朝」で、この記事のテーマである「食」はコンテンツのメインではありません。でも僕が最も印象に残っているのが、東京・桜新町でカレー屋「砂の岬」を営む佐々木克明さんの「砂の岬に降りつもるインド料理の記憶」だったのでした。
佐々木さんの日記を元としたこの記事では、彼がインド中を渡り歩きながら、行く先々で料理を教わる記憶を断片的にたどっていきます。高級レストランから市井まで、食を介して出会う多くの人々と、それにまつわるエピソードたち。ぽつぽつと語られるインドの食堂や民家での記録は、決して感情を煽るような言葉ではないものの妙に胸に迫ります。
これは、ある種の青春なのかもしれません。彼がインド訪問を始めたのは29歳のとき。価値観が揺さぶられる体験を青春と呼ぶのなら、それは若者の専売特許ではなくて、大人になった僕たちだって遭遇することがあるということ。
「いまの僕は、インドから大きく人生を変えられるものはないかもしれない。あの頃29歳だったからこそ、考え続けた長い時間のなかで脳と身体がインドになじんだのだろう。42歳になったいま、大きなうねりが身体に起こることはなくとも、小さい波動で心に響いたものを掬いとっていきたい」
価値観の揺らぎが「大きなうねり」となって彼を形成したのであれば、インドでの食事体験は、身体の内側から変化を促す揺らぎそのものなのだと思います。
※オフセットとは、パンフレットや書籍などに用いられる印刷のこと。版から直接印刷するのではなく、一度版に付いたインクをブランケット胴と呼ばれるローラーに転写(オフ)してから、紙に印刷(セット)する行程から、オフセット印刷と呼ばれる。短時間で鮮やかな仕上がりになるため、商業印刷に幅広く利用されている。
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WANDERLUST BOOK STORE
ANTENNAが運営するインディペンデントパブリッシング・リトルプレス専門のブックストア。普段はオンラインショップmallのレーベルとして、月末の土日はCON-TENNA内のオープンスタジオとして実店舗も営業している。店内では商品にあわせてセレクトしたビールも販売中。
住所 | 〒604-8261 |
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営業日 | 毎月末の土日 13:00~20:00 |
オンラインストア | |
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千葉出身、東京在住の天然パーマ。いなたい古着と辛すぎないカレーを求めてうろうろしています。旅先で本屋さんと喫茶店に入りがち。ごはんをおいしそうに食べます。
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