『スーパー!』 – ジェームズ・ガン
『スーパー!』なんてことないタイトルの上、主人公は目に狂気が垣間見えるものの、ただの冴えない中年。脇にリヴ・タイラー、エレン・ペイジ、ケヴィン・ベーコンとやたら豪華ではあるが、「妻をドラッグディーラーに奪われたことを契機に主人公が手製のコスチュームに身を包み街の犯罪に立ち向かう」というあらすじを聞いて「はーん、よくある低予算インディーのコメディね。ていうか『キックアス』まんまじゃね?」と思われる方も多いだろう。かくいう私もそうであったが好きな監督・脚本家であったので劇場へと足を運んだ。そしてオープニングのアニメーションで一発で心をもっていかれることとなる。
ポップな絵柄で容赦ないゴア描写。この作品が後に「ポップを装ったタクシードライバー」と評されるのも納得である。
「罪とは?正義とは?」といったよくあるテーマは強くは掲げず、普通のスーパーヒーローコミックや映画では描かれない「コマとコマの間」を執拗に、そして痛々しく描く本作。もちろん『キックアス』のような爽快なエンディングを迎えようもない(なんなら主人公は物語冒頭より不幸になっている)のだが、果たしてそれをバッドエンドなどと断ずることができるのか、観るものの判断に任せている・・・なんて陳腐なことはせず、ラストでは主人公に対し監督の優しい眼差しが向けられている。
監督は劇場用パンフレットに掲載されているインタビューにおいて「ウィリアム・ジェームスが1902年に著した『宗教的経験の諸相』にもかなりの影響を受けたよ。『スーパー!』はその本を映画化した作品とも言える」と述べている。『宗教的経験の諸相』をかなりざっくりと要約するならば「宗教や神秘主義は信ずる当人にとってはリアリズムそのものであり、外部の者が合理的に判断できるものではない」といった内容なのだが、前半部の主人公が神に選ばれた(と思い込んでいる?)シーンにそのあたりはっきりと描写されている。それだけではなく、冒頭では2枚しかなかった「完璧な瞬間」の絵がラストでは壁一面を覆うほどに増えていることから、神秘体験のみならず「幸福」といったものの尺度も当人の判断でいかようにも変わることを示唆している。
こういったニュートラルな視点は監督が保守的なミズーリ州で敬虔なカトリックの家庭に育ちながらも、西海岸や東海岸、そして非倫理的ということに関しては極北ともいえるトロマ(代表作は『悪魔の毒毒モンスター』など)で映画を学んだことも大きく関わっているのであろう。
小難しいことをだらだらと書いたが、監督の持ち味であるオフビートなギャグもこの作品をより豊かにしているのも忘れてはならない。
監督の名前はジェームズ・ガン。トロマ時代から脚本家として注目され『スリザー』でメジャー監督デビューするも興行的に振るわず、インディーに立ち返って作られたのが本作であり、これをきっかけにマーヴェルの『ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー』の監督に抜擢されることとなる。
「嘆きの階段」という場所をご存知だろうか。エルサレムにある「嘆きの壁」のことではない。京都九条にある老舗ミニシアターみなみ会館のロビーに出入りするための階段のことである。そう呼んでいるのは私だけかもしれないが、ここに行くと直前に観た映画を頭で反芻しながらうなだれるように壁に手をつく、または放心状態で壁にもたれかかっている人を見ることができる。2011年秋に『スーパー!』を観た私もまさにそのような状態で劇場を後にした。
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プロフィール“19XX年、京都府北部に落ちた隕石の落下現場にて発見され施設で育つ。
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14歳の時にカート・コバーンに憧れ施設から脱走。紆余曲折を経てシアトリカル・テクノ・ポップ(TTP)バンド「マグナム本田と14人の悪魔」を結成。
京都のバンドシーン関係者8割くらいから嫌われている。
https://youtu.be/1tYuVpXR1qY