CASIOトルコ温泉のMTG(以下、千紗子)とneco眠るのBIOMAN(以下、純太)によるユニット・千紗子と純太の待望の1stアルバムだ。両バンドが所属するこんがりおんがくから昨年リリースされたファースト・12インチ・シングル『夢の海』と異なり、本作はこのために純太が立ち上げた自主レーベル・FANO recordsからのリリース。二人は両バンドとはまったく異なるコンセプトを持ったポップ・ユニットなのだ。
収録曲10曲のうちちょうど半分は、5月にリリースされた王舟 & BIOMAN名義の『Villa Tereze』にも通じるエレクトロ・ポップ。残る半数が、ストリングスやピアノを含む生楽器編成で書かれた楽曲となっている。歌詞は全曲それぞれが独立したシナリオを持っており、失恋の虚しさをストレートに歌う“Dispersed Ego”、こじれた男女関係を描いた“You know who we are”を筆頭に、登場人物のパーソナルな生活圏を舞台にしたものが目立つ。千紗子の抑揚をコントロールした実直な歌いまわしも相まって、一人称ながらも普遍性をもった感情表現が強く耳に残るアルバムだ。
しかし、唯一MVが制作されているポルトガル語朗読“小道 – Nós uma estrada -”と、純太の実兄・オオルタイチ作曲のアンビエント・バラード“骨拾い”の重厚な存在感、そして時おり登場する固有名詞にも触れないわけにはいかない。本作の一番の特徴は、それらを含めた歴史的・宗教的マイノリティにまつわるシビアなモチーフと、先に述べた明るくポップソング然とした曲や詞の佇まいとが共存しているところにある。
最終曲“若光物語 (Album Version)”の”若光”は、元は高句麗の王族だといわれている奈良時代の豪族・高麗若光(こまのじゃっこう)のこと。“ガルート”(“ウェイブライダー”)と“ディアスポラ”(“Dispersed Ego”)は、歴史の波に揉まれて故郷パレスチナから離散したユダヤ人たちを指す言葉だ。いずれも、土地や宗教のしがらみで複雑な立場に置かれた人々を表している。それは“小道 – Nós uma estrada -”で強すぎる信仰心ゆえに居場所を失った“君”にも通じているし、さらに連想するなら、“骨拾い”の転調を繰り返すメロディ、歌の合間にかすかに鳴り響く鐘の音も、禁教期の長崎で歌い継がれた“マイノリティの歌”としてのグレゴリオ聖歌を彷彿とさせる。“小道 – Nós uma estrada -”の朗読をポルトガル語ネイティヴではない日本人DJ・speedy lee genesisがあえて担当しているのも、そういった立場に寄り添う視点からのようだ。
登場人物たちの土地や歴史、宗教を超えた喜びや虚しさが群像劇としてクローズアップされることで、その立場の境界は次第に曖昧になる。最後に残るのは、ただ等しく愛や孤独を抱いて生きる人々――若光や“君”や私達――の姿だ。唯一シナリオを持たない“千紗子と純太”の悲観と楽観の両方を愛おしむ詞は、それら異なりを超えて漂う感情の数々を一手に引き受けている。
同じように群像劇の手法をとったアルバムでいえば、直近ではシャムキャッツ『Friends Again』(2017)が思い浮かぶ。そちらで描かれていたのは、2016年以降の多様と尊重を重んじる価値観と、生活のなかで正にも負にもなる感情とをなめらかに繋ぎ、今における誠実な愛の形を作ろうとする人々の姿だった。用いたモチーフこそ本作とは異なるが、多様性にまつわるテーマを普遍的な感情でもって見つめ直す姿勢は共通しているのではないだろうか。歌詞におけるストーリーテリングがお世辞にも多数派とはいえない今だが、それでもミュージシャンが言葉で社会を見つめる方法は独白や散文詩のみではない。それどころか、かくもダイナミックかつ丹念な道だって残されていたのだ。そう心強く思わされる1枚だった。
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'92年新潟生まれ岡山育ち。大学卒業後神戸に5年住み、最近京都に越してきました。好きな高速道路は北陸道です。
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