いちやなぎの『naked.』は一曲ごとに、今、ゆうべ、いくつか前の季節、そしてあの頃へと聴き手の意識をさかのぼらせる。目を閉じて記憶をたどると、景色、風、匂い、もう会えない人が瞼の裏に現れる。いちやなぎの美しい歌声と懐かしい記憶に陶酔するうちに、心が浄化されて本来の自分が“naked(むき出し)”になっていく。それでも、いちやなぎの歌は決して甘いだけではない。
どこか飄々と、ほどよい距離感で
京都を拠点に活動するいちやなぎは、アコースティック・ギターの弾き語りを中心に、2017年からソロ活動を開始。京音やナノボロフェスタなどに出演し、注目を集めている。飾ったところがなく、どこか飄々とした印象のいちやなぎ。ステージ上でも部屋で歌っているようなリラックス感を大事にしているためか、基本的には裸足で、時にはステージにあぐらをかいて演奏する。透き通るような声はどこか懐かしく、古いアルバムをめくるような愛おしい気持ちにさせてくれる。それでいて聴き手にほどよい距離感で寄り添ってくれる一方で、バンドスタイルではカントリー・ミュージックのように変化するから面白い。
もの寂しさと、郷愁と、甘美さと
そんないちやなぎが2018年に発表した『naked.』。その前作『みゅう』(2017年)では、バンド編成とアコースティックの弾き語りから構成されていたが、『naked.』では、“夏跡(かせき)”と“グッドナイト”の2曲で吉田悠樹(NRQ)による二胡を取り入れている以外は弾き語りに注力している。弾き語り音源集だけに、彼の息づかいや手触りがシンプルに感じられるのだ。
1曲目の“カレーライスは風に運ばれて”は、夕方17時の帰り道という一瞬を描き出している。しかし曲中に「カレーライス」は登場しない。ファルセットのきいた美しい歌声だけで、帰り道にどこの家からか漂うカレーライスの匂いが鼻をかすめた時の情景を描く。そこには幼少期に帰りたくなるもの寂しさも感じさせるのだ。
続いて、軽やかなストロークで“ホームソング”が始まる。「どうか笑って生きてよ 泡のように消える今を どうか忘れないでいてくれよ」と祈りにも似た言葉が散りばめられる中、「思い出せるのは ゆうべのめし」というフレーズがくり返し登場する。曲中で際立った印象を受けるこのフレーズがスイッチとなり、聴き手は「昨日の晩御飯、なんだったけ?」と、ついついゆうべに思いを巡らせてしまう。
大事な人との別離と、その人の健やかな日々を願う気持ちをさらりと歌った“とんでゆけ”。歌詞にもう会うことのない大切な人への祈りを込めた点では、太田裕美の“木綿のハンカチーフ”(1975年)を彷彿させる。また曲中のフレーズより、大事な人との別れからいくつかの季節が巡っていることを読み取ることができる。
4曲目の“夏跡”では、「夏が去ってもうあの頃の風はもういない」というフレーズからゆったりと始まり、いちやなぎの声と二胡の音色がすっと溶け合う。その瞬間、もうだめだと言わんばかりに、涙が溢れて止まらなくなった。あの頃の夏の情景とともに、郷愁の念がこみ上げてくる。
今日も生きていくから
いつまでも優しく甘美な、あの頃の記憶に浸っていたい。それでも、「あの風景はもうフィルムの中にしかない」から、今から目をそらさず生きていかなければならない。例え、いつまで続くか分からない、息をひそめるような鬱屈とした日々であってもだ。いちやなぎの歌はほどよい距離感で聴き手に寄り添ってくれるが、甘美な記憶に埋没させることなく心の芯をじんわりと強くしてくれる。
「今日も生きていくから」“カレーライスは風に運ばれて”
私もnakedになった心で、そう決意表明をした。そして疲れた時にはまた本作を聴いて、“グッドナイト”とともに明日にそなえるとしよう。
いちやなぎ『naked.』
定価:1,000円(税込み)
フォーマット:CD
HOLIDAY!RECORDS購入リンク:HOLIDAY! RECORDS
1.カレーライスは風に運ばれて
2.ホームソング
3.とんでゆけ
4.夏跡(二胡もいっしょに)
5.グッドナイト(二胡もいっしょに)
いちやなぎ
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WRITER
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91年生、岡山出身、京都在住。平日は大阪で会社員、土日はカメラ片手に京都を徘徊、たまに着物で出没します。ビール、歴史、工芸を愛してやみません。
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