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【Behind The Music of Asia】Vol.1 : South Korea 前編

MUSIC 2020.08.16 Written By Sleepyhead

BTSやBLACKPINK(ブラックピンク)をはじめとするK-POP人気の世界的な拡大をSNSを通じて目にしたり、台湾やタイのインディーロックバンドが日本の音楽フェスで観客を惹きつけたりする光景も珍しいことではなくなってきた。もはやアジアの音楽シーンの盛り上がりは一過性のトレンドに留まらず、確実に歩みを進めてきた結果を多くの国に見ることができる。

 

昨今の音楽シーンの隆盛は決して一朝一夕で作り上げられた訳ではない。現在各国で活躍するアーティストたちのルーツを辿れば、政治的・社会的な苦境を乗り越えて音楽を届け続けた偉大な先人たちの姿が見えてくる。

 

長い歴史のなかでアジアの音楽に何が起こり、何を乗り越えたのか。今まさに世界に向けて花開こうとしているアジア諸国が歩んできた道と、僕らが暮らす日本の現在を照らし合わせると、成熟した欧米のマーケットの様相と比較するだけでは気がつかなったことを発見できるはずだ。

 

日本を含めたアジアの国々のアーティストたちは、各国の音楽シーン誕生から時代が下るごとに徐々に世界へ目線を向けてきた。特に若い世代は、自国に軸足をおきながらもグローバルな活動を視野に入れた活動をしている。すでに輪郭を帯びつつあるアジアの音楽シーンが、世界の中で大きな音楽的ムーブメントを形成する未来がすぐそこまで来ているのだ。

 

そんな勢いをつけ始めているアジアのアーティストが生まれた背景に対する理解を深めるべく、連載『Behind The Music of Asia』では、各国で重要な役割を果たしてきたアーティストを紹介しながら、読者のあなたとアジア各国の音楽史に飛び込んでみたいと思う。

『Behind The Music of Asia』第一回は、韓国の音楽について前後編の二本立てでお届けする。前編となる本記事では、韓国におけるロックミュージックのオリジネーターを起点に音楽の歴史を紐解いていく。

 

韓国といえば、あなたはどんなイメージを持っているだろうか。ソウルは日本人の海外旅行渡航先ランキングでは近年上位を保ち、化粧品やグルメを楽しみに気軽に出かけられる観光地として知られている。また、近年では『パラサイト 半地下の家族』がアカデミー賞を4部門で受賞し、Netflixでは『梨泰院クラス』が日本でも人気を博しているなど、映画やドラマなどのエンターテイメントを通じて身近に感じる人もいるだろう。

 

韓国における文化産業の柱の一つといえば音楽、特にK-POPだ。もはや一つの大きなムーブメントとして世界的に認知されている。またインディーロックも目覚ましい発展を遂げており、Hyokoh(ヒョゴ)やSay Sue Me(セイ・スー・ミー)、OOHYO(ウヒョ)やADOY(アドイ)など、国内外から影響を受けたバンドがグローバルな人気を獲得し始めた。2010年代に大きな発展を遂げ、優れたアーティスト、バンドが次々と登場する土壌が培われている。

韓国ロックとの出会い

僕が韓国の音楽に興味を持ったのは2年前。レコード屋を巡る一泊二日の韓国への弾丸旅行で出会った、あるレコード屋の店主に話を聞いた時だ。キムさんという店主は60年代から70年代の世界中の音楽が好きで、たまたま立ち寄った私に、韓国の音楽にまつわるストーリーを丁寧に語ってくれた。

 

その時彼が教えてくれたアーティストがシン・ジュンヒョン。韓国のロックを語る上では外せない偉大なミュージシャンだが、当時発売禁止となったレコードは希少価値が上がり、今では高額で取引されるらしい。世界中からレコードを求めてやってくるマニアも絶えない。

 

「韓国ロックは当時冬の時代だったんだよ。政治がロックの発展を止めてしまったんだ。」とその店主が語っていたことを思い出す。身近な隣の国の出来事なのに、韓国の音楽にどんな過去があるのか私は知らなかった。しかも政治が音楽業界に深く介入し、コントロールしようとしたセンセーショナルな出来事をだ。

 

現在の日本の音楽業界を見てみると、新型コロナウイルスの感染拡大によってライブハウスやクラブの営業が制限されている。しかし、政府から営業自粛を依頼するが、閉業中の経済的な補償はされず音楽施設の運営が苦境に立たされているなど、政府の決定や政策に振り回されている現状が見えてくる。一方で、音楽と政治は切り離すべき、音楽は純粋なエンターテイメントして独立しているべきだ、という意見をリスナーのSNSで見かけることも多い。

 

日本の隣国である韓国が、前述のような音楽業界の危機をどのように乗り越え、現在の音楽シーンに行き着いたのか。歴史を辿り、当時の才能溢れるアーティストを交えながら、音楽と社会や政治の関係を紐解いていく。

ロックミュージックとフォークソングの萌芽

1953年以降、今も休戦期間の続く朝鮮戦争。2020年6月12日にケソン工業団地の南北連絡事務所の爆破解体で一時緊張が走り、休戦から60年以上たった今でも、韓国と北朝鮮は二つに分かれたままだ。Netflixで公開されている韓国ドラマ『愛の不時着』で描かれていたように、両国間の文化や経済の明らかな違いに驚いた人も多いだろう。

 

休戦協定の締結後、軍部出身のパク・チョンヒ大統領が開発独裁を進めた1960年代。当時腕に自信があったミュージシャンは、駐在米軍基地でのコンサート、通称「米8軍舞台」のオーディションを受け、駐在する米軍人の前で演奏をしていた。ラジオを通じて中継されていたため、駐在の軍人だけでなく、韓国全土にクオリティの高い音楽が届く仕組みだ。

 

1960年代以前はトロットやポンチャックと呼ばれる韓国歌謡が音楽業界の主流だったが、「米8軍舞台」出身のアーティストはロックやロカビリーなどのアメリカの音楽に影響を受け、出演するアーティストは、エルヴィス・プレスリーや、ブリティッシュ・インヴェイジョンの波で当時のアメリカを席巻していたThe Beatles(ザ・ビートルズ)などのカバー曲を演奏していた。そんな、アメリカ文化の発信地から登場したアーティストがシン・ジュンヒョンだ。

 

後に「韓国ロックのゴッドファーザー」の異名を取る彼は「米8軍舞台」をベースに国内のリスナーへ音楽を届けるようになり、韓国最初のロックバンドといわれるAdd4(アドフォー)を1962年に結成する。シン・ジュンヒョンのサウンドは、1960年代のアメリカやイギリスで流行したサイケデリック・ロックがベース。後期ビートルズを思わせるファジーなギターサウンドと、5音階を基調とした韓国歌謡のメロディや、ファンキーなリズムを組み合わせて、この国のロックの基礎を築いた。

 

彼の代表曲“美しい山河”は、男女混成の重なりがドラマチック。いなたいメロディーとよれたリズム、8分以上という曲の長さや展開の壮大さは、韓国歌謡がロックと混ざりあう韓国ロックの黎明期を感じさせる。また、シン・ジュンヒョンがロックやサイケ、あるいはファンクなど多様な音楽を取り込み、韓国人としてのフィルターを通して表現しようとした実験の跡が、彼の作品から伝わってくる。

 

 

また、彼はプロデューサーとしても敏腕を振る。当時The Zombies(ザ・ゾンビーズ)の“I Love You“を韓国語でカバー、ロック色の強いサウンドで人気を誇った女性デュオ、Pul Sisters(パール・シスターズ)の楽曲も手がけている。自身の活動で韓国のロックミュージックの発展に寄与し、プロデューサーとしてメインストリームにロックを持ち込んだ人物でもあるのだ。また、2000年代後半から2010年代に活躍し、昨年惜しくも解散したチャン・ギハと顔たちのフロントマン、チャン・ギハはシン・ジュンヒョンのサウンドに影響を受けたと公言するなど、半世紀以上たった今も脈々と韓国ロックのパイオニアの精神が現代のインディーシーンの中に受け継がれている。

 

当時の韓国にはもう一人重要なアーティストがいる。アメリカからフォークソングを持ち帰り、韓国にそのサウンドを広めたハン・デスだ。1960年代後半、アメリカで大学を卒業し韓国へ帰国したハン・デスは、ヒッピーを思わせる長髪とジーンズの出で立ちで、代表曲“水をくれ”を発表。アメリカのユースカルチャーを体感し韓国に持ち込んだハン・デスを通して、ニール・ヤングやボブ・ディランなどの同時期に世界的に流行したフォークミュージックが紹介された。そして、韓国歌謡の影響をブレンドした土着的でユニークなサウンドの発展に繋がっていく。

 

 

同じ1960年代、日本ではベトナム戦争に対する批判の高まりに呼応し、フォークゲリラの動きが本格化。70年代前半にははっぴいえんどが登場し、日本語で歌われるロックバンドが出現した時代だ。この頃までは、日本と韓国の間で共通して音楽的ムーブメントが見られていた。しかし、韓国の音楽業界は1970年代に大きな変化を迎える。

独裁政権と歌謡浄化運動

「米8軍舞台」でアメリカの音楽を吸収したシン・ジュンヒョン。アメリカで学生としてユースカルチャーを目の当たりにし、帰国後フォークソングで若者の共感を得たハン・デス。影響の受け方が互いに異なるものの、アメリカのカルチャーにインスピレーションを得た2人が作り上げた音楽シーンが勢いを増していた60年代後半の韓国。

 

しかし、1970年代は韓国音楽史の「冬の時代」といえるだろう。軍部からクーデターで政権を掌握したパク・チョンヒ大統領の開発独裁下の韓国は、「漢江の奇跡」と呼ばれる経済成長を遂げていた。しかしその一方、経済的に豊かになった影響により戦争を経験しない若い世代が自身の主義主張を音楽などのパフォーマンスで発信するようになり、彼らの活発な活動は政権の脅威と認識されることとなる。

 

今では信じがたいことかもしれないが、当時の若者文化の風俗を守るという口実で、男性の長髪や女性のミニスカートを取り締まる法律を制定するなど、文化や人権を制限する戒厳令で国民をコントロールする政策が多数実行される。理不尽な法律で取り締まる必要があるほどに、若者の勢いを恐れていたのだろう。時代を変えるには、常識に染まりきっていない若い力と勢いが不可欠だ。

 

また、韓国では第二次世界大戦終戦後「夜間通行禁止令」が発令され、0時から4時までの外出が禁じられた。対象地域によって時期は異なるものの、全面解除は1988年。現在こそライブハウスが多い若者の街弘大(ホンデ)やクラブカルチャーが盛り上がる梨泰院(イテウォン)だが、長きに渡り「夜間通行禁止令」はロックミュージックやディスコなどのナイトライフの発展を阻害する要因となっていた。

 

日本でも2014年の新風営法の施行までは、夜間にクラブで「ダンスすること」が禁じられていたことを覚えているだろうか。当時のクラブ関係者が旧風営法違反で逮捕され、クラブカルチャーを守るムーブメントが巻き起こったことを思い出すと、合法的なクラブの運営はナイトカルチャーの健全な発展には欠かせないことをイメージできるだろう。

 

カルチャーに対する風当たりが強い中、ソロアーティストとして活動していたシン・ジュンヒョンはバックバンドを連れてバンド名義のセルフタイトル・アルバム『シン・ジュンヒョンと葉銭たち』(74年)をリリース。中でも“美人”は大ヒットとなり、大衆音楽にサイケデリックロックを忍び込ませた「大韓ロック」というジャンルを定義づけた。またハン・デスも2枚のアルバムをリリースし、当時の軍事政権下の鬱憤を抱えた若者に反抗する姿勢としてのフォークソングを届け、影響力を拡大していた。

 

 

しかし、ここで事件が起こる。シン・ジュンヒョンが1972年に「政権を讃える歌を作って欲しい」という依頼を受けるものの、パク・チョンヒ政権のやり方に疑問を持っていた彼はこの話を断った。現代でも、あまりに露骨なプロパガンダ音楽はアーティストの信条と乖離することも無理はない。だがこの拒否は政権に対する反抗と取られ、政府のシン・ジュンヒョンに対する警戒が強まり、1974年、1960年代の米軍基地での活動時のマリファナ使用を理由に投獄されてしまう。

 

これを皮切りにハン・デスをはじめとした多くのロックやフォークのアーティストもマリファナを使用した嫌疑で投獄され、アルバムの発売禁止、音楽活動の停止を余儀なくされた。パク・チョンヒ政権によるアーティスト投獄の一件から「歌謡浄化運動」がスタートし、1975年にはアルバムの発売やライブでの演奏を禁じる「公演禁止歌」として222曲が対象となり、韓国の音楽文化の発展に大きな打撃を与えた。現代であればSNSを通じて声を挙げ、政府に対して反対する意思表明ができるが、当時は民意をクイックに表明し、大きな反抗のうねりを生み出すことができなった。

政治と音楽の関係

1960年代に韓国に大衆音楽のカルチャーが誕生し、1970年代には国民的ヒットを生み出すなど、韓国音楽が発展した様相を見ることができたが、パク・チョンヒの独裁政治の前に潰されてしまった。

 

韓国音楽の源流をたどると、音楽が独裁政権の主権制限と争ってきた歴史が確実に存在している。朝鮮戦争によりアメリカ軍が駐在した結果、「米8軍舞台」での活躍があり、軍部クーデターにより開発独裁政権が生まれ、優秀なアーティストは音楽人生に大きな打撃を食らうなど、政治は音楽に対して、ポジティブに機能する面と、影を落とす暗い一面がある。2010年代から現在に到るまでの韓国の音楽の盛り上がりに勢いを感じる一方で、現代の日本においても、音楽と政治の関係性を正しい形で捉え問題意識を持たなければ、僕らが大好きな音楽が突然損なわれるかもしれない。

 

過去に政治が音楽に対して行った仕打ちを知れば「音楽と政治を切り離すべきだ」とは言えない。互いに作用し、時に敵対する関係であるからこそ、音楽リスナーとして政治を知り、注意を傾けておく必要があるだろう。

 

後編では、シン・ジュンヒョンと入れ替わるように若い世代から現れた、Sanullim(サヌリム)やSong Gol Mae(ソンゴルメ)、現在のインディーロックの火付け役となったチャン・ギハと顔たちを交えながら現在の韓国音楽シーンを読み解いていく。

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