COLUMN

京酒場の音楽論

「京都っぽさ」とは何か

「京都っぽさ」という言葉で、あなたはどんな音楽を連想するだろうか。垢ぬけなさ、奇抜さ、泥臭さ、新鮮さ、人懐っこさ、よそよそしさ。年代、ライブハウス、コミュニティ、サークルなどでそれぞれ思い浮かべる内容は異なるかもしれない。僕はといえば、この言葉を聞くときはいつも、そこにかすかにアルコールの匂いをかぎとってしまう。泥酔して視界のゆがんだ、それでいて鮮やかな記憶とともに。

 

ほんらい芸術という理性を超えた営みが酒の神バッカスとともに歩んできたのだとしても、京都という街がささえてきた音楽と酒の絆はかなり特殊なものだといえるのではないか。南には酒造の聖地である伏見をしたがえ、やんごとなき古来より洛中では毎晩のように酒をともなう管弦の宴が催されてきた。最古の舞台芸術としての神事にしたって、御神酒は現世的な秩序から逃れ出るための欠かせないアイテムだった。時代が下って、いわゆる軽音楽をみても、酒文化とは切っても切れない関係にある。たとえば、最古のライブハウスと名高い〈拾得〉も、日本のロックシーンの立役者である〈磔磔〉も、もともとは酒蔵である。思い返せば、京都の音楽のお伴には、いつもアルコールがあったのではないか。

アルコールの匂いのする音楽

〈拾得〉や〈磔磔〉という場所は際立って、アルコールの匂いのするルーツミュージックと呼ばれる音楽のメッカだった。べつにルーツしか認めない、という凝り固まった思想をもつ店ではまったくない。おそらく場所に根付く音楽の亡霊たちが、そうしたアナログな人間くさい音楽を欲していたせいだろう。

 

〈拾得〉で定期的にライブを行っている音楽家たちはみな、そうした亡霊の虜になってきた。それはたとえば思い出す限りでも、Pirates Canoe、ラヴラヴスパーク、モンスターロシモフ、MOJO SAM、獣ヶ原、イナヅマホーンズ、ザ・ノックダウンズ、カサ・スリム、ゴトウゆうぞう、豊田勇造、吉田省念、下村ようこ、等々。じつに枚挙にいとまがない。

 

なかでも、2021年に亡くなった孤高のシンガーソングライター、野村麻紀はその象徴だった。昭和の歌謡曲をベースに、アコースティックギター一本で情緒あふれる日本語詞を歌いあげた。ステージに登れば誰もが認める「京都の歌姫」であり、酒場のカウンターでは「酒の女神」だった。気に入らない者があれば相手の貴賤を問わず食って掛かり、泣き言をいう者があれば叱咤激励しながら、気持ちのいい酒を飲んでいた。ときに酔っ払いの鼻唄のような、ときに心にぽっかり空いた穴を垣間見せるような歌をうたっていた。7月に〈拾得〉で行われた追悼イベントでは、ステージに数え切れないほどの酒瓶が並び、かつての彼女の恋人たちは肩を抱きあって泣いたという。

 

僕自身、〈拾得〉にはたびたびお世話になってきたし、いまでも年に一度はイベントを開催させてもらっているが、木製の重たい扉を押開くたびになにか特別な場所に来たような気持ちになる。自慢じゃないが、以前そのイベントを行った際、たまたま客席が盛り上がったせいか、その夜〈拾得〉に用意されていた瓶ビールをお客さんたちが全部飲み干したことがあった。この事件は下手な音楽雑誌に取り上げられるよりも嬉しかった。自分だけの手柄ではないにせよ、正直に言って今でも勲章のように思っている。

打ち上げと鴨川

もちろん酒を飲むのはライブ会場だけではない。打ち上げである。何度となく隣に座った人間と乾杯を繰り返しながら、ダメ出しや賛美の言葉を飛び交わせ、ああでもないこうでもないと音楽談義に花を咲かせ、厳しい社会環境についての人生相談をふっかけ、あるいは地方からきた巡業ミュージシャンをねぎらう。なにより互いの音楽を、そして音楽そのものを称える場なのだと思う。音楽と酒は脳科学的に相性がいいという研究結果があるそうだが、そんなこと科学に言われる前から誰でも知っている。この二つは理性的な秩序をあふれ出る、混沌という動力をもっているからだ。百万遍、今出川、三条、河原町、木屋町、西院。ギグバッグを担いだ背中がつれだってネオン街を飲み歩く姿は、まちがいなく現代の京都の原風景を作っている。キセノン、大丈夫、Carole King、USAGI、field、The Stones Kyotoなど、現役ミュージシャンが経営する飲み屋も多い。

 

そして深夜、行く当てのないミュージシャンにとってありがたいのが、鴨川である。どんなに疲れて京都の街に帰ってきたとしても、鴨川を歩くときにはすこしだけ歩調をゆるめる。夜風にあたりながら水面にうつる街の明かりをしばし眺めたりする。時間があるときには三条のローソンで缶ビールかチューハイを買って、川沿いに腰かけてじっくり晩酌をする。今日はたいしたことなかったな、とか独りごとを言いながら。

逆風、そして

ところが、そうした京都のアルコール文化はいま、逆風にさらされている。

 

たとえば、各大学の文化祭では酒提供禁止の流れができてきているし、サークルの飲み会でも急性アルコール中毒者を出さないように配慮がなされるようになってきた。大学の自治などという言葉は時代遅れとなり、個人の自由よりは社会に要請される形でのパターナリズムが重視されているようだ。京都を内側から受け継いできた大学生文化全体に、ある種の安定性や秩序を遵守する「健全化」が起きていると言っても過言ではなかろう。

 

また、新型コロナウイルスの感染拡大によって、まっさきに標的にされたのが「ライブハウス」と「酒場」であったことも記憶に新しい。音楽とアルコールが特別なコミュニケーションの場を作り出してきたからこそ、「密」になるという理由をつけて、ことさらに社会から問題視されてしまったのだろう。じっさい、水際の感染防止対策がどのようなレベルで行われるかは運営組織の判断にゆだねられていたし、一部の無秩序な運営があたかも全体の態度であるかのように受け取られることで、社会からの目はつねに厳しいものだった。

 

もちろん飲酒を強要するような文化や、そこに介在しうる年功序列や性差別などの古い価値観は捨て去られるべきであろう。ドラッグや暴力などの後ろ暗い過去もまた、時代の遺物として置いていくべきだ。しかし、かくも深い酒とのつながりがいっさい断ち切られたとしたら、音楽文化は根本的にそのあり方を変えてしまうのではないか。そして私たちは、その瀬戸際の状態を目撃しているのではないか。

 

その一方で、僕はなんとなく、京都の音楽の底力を信じてもいる。たとえ、いったんこうした文化が灰燼に帰したとしても、積み上げられた歴史が更地になったとしても、血液の中から一滴残らずアルコール分が抽出されたとしても。京都という街は若者たちという新たな原動力を得て、またいきいきと復活するのではないか、と。これまでも京都の文化を作ってきたのは、暇で退屈で、生産性なんてくそくらえと思いながら、「しらふ」であることに疲れた若者たちだったではないか。そう、音楽の亡霊たちが憑依するのは、いつだって不健康な魂なのだ。

松葉ケガニ

ミュージシャン、ライター。神戸の片隅で育った根暗な文学青年が、大学を期に京都に出奔。アルコールと音楽と出会ったせいで、人生が波乱の展開を見せている。

イラスト:竹浪音羽

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