
【本の連載】自分とは別の「私」をさがして – #5『茨木のり子全日記 Ⅰ 1949-1952/1955-1962』
身近なカルチャーやアートを通して、社会性・政治性を新たに見出す場をつくるプロジェクト『Candlelight』のアリサさんによる、書評連載。独立系出版社から発行されている書籍やzineの中から“自分とは別の「私」が生きている本”をテーマに選書と文章を寄せていただきます。第5回目となる今回は2026年7月刊行の『茨木のり子全日記 Ⅰ 1949-1952/1955-1962』(katsura books)をご紹介します。
心の奥底を“見てもらえた”恥じらいと喜び
身体としては現世から退いたものの、時間を超えた今もなお人々の生に訴えかけることばを生前残した詩人たちが、嬉しいことに数多くいる。この世界にことばを配り直すために舞い降りちゃった天使のような谷川俊太郎や、深い怒りと悲しみに見舞われながらもその悲しみの跡を確かに世界に刻もうとする石垣りんなど、名前を挙げはじめたらキリがない。
だが、そのような名詩人のなかでも、個人的にどうしても放っておけない人がいる。それが茨木のり子だ。
私と茨木のり子の出会いの一編は「みずうみ」だった。
「人間は誰でも心の底に/しいんと静かな湖を持つべきなのだ」
「田沢湖のように深く青い海を/かくし持っているひとは/話すとわかる 二言 三言で」
「それこそ しいんと落ち着いて/容易に増えも減りもしない自分の湖/さらさらと他人の降りてはゆけない魔の湖」
茨木のり子「みずうみ」より一部引用
この詩をある人から初めて読んでもらったとき、まさに私の心の底にも潜んでいる湖にのり子さんの生きたことばが響いてきた。水面が振動でぶおんと揺れたのがわかった。そんな深いところにまで到達することばとの出会いにどこか恥じらいながらも、「この人には“見てもらえたんだ”」とまんざらでもない気持ちになってきて、そのときから私は茨木のり子という詩人の虜である。
そこで今回ご紹介したいのは、そんな放っておけない人・茨木のり子が生前書いた日記の活字化を実現させた書籍『茨木のり子全日記I』だ。
本書の版元は、織田桂さんが2023年に立ち上げたひとり出版社「katsura books」。織田さんは『作家のおやつ』や『茨木のり子の献立帖』(いずれも平凡社)などの編集も過去に担当し、茨木のり子に関する取材を重ねてきた方である。
そして「katsura books」は、のり子さんが残した1949年から1977年までの27年間の日記すべてを書籍化することを既に計画している。ついに今年刊行された『茨木のり子全日記I』は、そのうち1962年までの日記をまとめたシリーズ第一冊目だ。
聡明なまでの自意識と心配と
茨木のり子が詩人として作品に絞り出したことばには先述の通り類稀なる魅力があるのだが、ただ、のり子さんに対する「放っておけなさ」みたいなものを説明するのには、それだけでは不十分な直感がずっとあった。
のり子さんの一番の肩書きがたとえ詩人でなかったとしても。医者でも、会社員でも、主婦でも、未亡人でも……どんなラベルを背負っていようと、何かしらの仕方でこの人と私は目があってしまったのではないか。まさに「話すとわかる 二言 三言で」という感じが、のり子さんとの間にはしてならなかったわけが、『茨木のり子全日記I』を読み進めてみるとわかってくる。
1951年(昭和26年 25歳)
3月16日 金曜 「小学校で先生にきかされた共産主義はおそるべきだという観念が未だに私の何処かに巣食っているということが、私の何気ない失言のなかに如実に現れていてやりきれない気がした。彼(*補足:夫・安信)は何も言わないが、権力というものに、本能的に反抗しているかのようにみえる。何か気骨がある。私は恥じた」(P72.)
7月27日 金曜 「私も次第に平凡な世話女房型になってきたようで、時々ハッとすることがある。自分というものを主張し、一対一の全き良き結合に到る道はまだまだ遠い。私の心の中に古くさい女が住んでいて、いつも邪魔をする。」(P88.)
本書より引用
有名な詩「自分の感受性くらい」などの強い印象もあってか、茨木のり子は社会への批判性を整然とことばにする「清廉潔白で」「正義感にあふれた」詩人だというイメージを抱かれることも少なくない。
だが、そのするどい視線というのは、いつでも無駄のない綺麗な一直線として成り立っていたわけではない。むしろ頭のなかには常に、ぐねぐねとたくさんの視線が渦巻いていて、時にその視線の先で批判されるのはのり子さん自身でもあった。
「私のほうがずっと悪いやつに思われてくる」(本書 P56.)などとも言って、社会や他者を疑う自分の目のほうは一体大丈夫なのかと、とっくにひん曲がってしまっているのではないかと、聡明なまでの自意識と心配とが耐えないのだ。
「ばかものよ」(「自分の感受性くらい」より)と、社会や他者に対して厳しく律するように呼びかけているようにも受け取られがちな詩のなかで、のり子さんは他の誰よりも自分自身の背中をしゃんと叩くような気持ちだったのではないかと思う。
そして、その頭の内側にある視線の騒がしさゆえに、外の現実世界でのり子さんはうっかりしてしまうことが多い。『茨木のり子全日記I』の発行者である織田さんもお気に入りだというエピソードとして「パーマを当てるのを複数回失敗」したこともあったり、日記を読んでいるといつもおっちょこちょいで金欠だったりもする。
頭のなかと現実世界の比重が逆転しすぎていて、ぽこんと変なことを巻き起こしてしまうのだ。
1955年(昭和30年 29歳)
7月23日 土曜 晴 「お金とぼしいのでしょんぼりしている。茨木のり子さんもだめですよ。」(P166.)
1959年(昭和34年 33歳)
3月24日 火曜 曇 「会計ピンチとなる。心細くて落ちつかない。[……]夕方、原稿料三千四百円とどく。助かった!」(P325.)
本書より引用
かくいう私も、つい考えごとに夢中になると毎日のように通っている場所でも電車の乗り換えを繰り返し間違えてとうとう辿り着けなくなったり、別のことに必死になっている合間にうっかり口座残高がゼロに近しくなっていたり、そういった大小の事件ばかりを日々起こしている……。わかるよ、わかりすぎるよ。無責任な同情かもしれないが、のり子さんの日記を読んでいるとそう言いたくなる。
人間を見抜く力を、読み手のほうが問われている
1955年(昭和30年 29歳)
7月28日 木曜 晴 「詩がほめられると、安信氏のおかげだと思う。詩をかくことを大きく理解していてくれるのは本当にありがたいと思う。」(P167.)
8月11日 木曜 晴 「夜、「詩学」の新人研究に出す五篇の詩をY(*補足:夫・安信のこと)にみてもらう。よかろう皆出してみれと検閲官を通過。」(P169.)
本書より引用
のり子さんの心の頼りとなれるほどにどっしりと構えた印象の「Y」の前では、自身の聡明さも迂闊さもすべて隠さず、心ゆくまでてんやわんやと生活を送れていたであろうことが日記からひしひしと伝わってくる。
だが一方、実は夫以外の「外の人」にはそのような「騒がしいのり子さん」の実態を、生前ほとんど見せなかったそうなのだ。
先日、のり子さんとも直接交流があった御年91歳の田中和雄さん(茨木のり子を含め、数多くの詩人と詩集を出版してきた「童話屋」創業者)と運良くお話する機会をいただけたのだが、田中さんですら、「茨木さんは何も教えてくれない」「笑えるようなおもしろいエピソードは特に無い(一方、石垣りんならあるけれど……)」「きれいに話すのが本当に上手な方だった」などとおっしゃるので、少し驚いてしまった。日記にあらわれている素顔とあまりにかけ離れている。
本人としてどこまでその意思があったかはわからないにしても、このように「器用に隠せてしまった」からこそ、やはり詩人・茨木のり子は読者たちによって清廉潔白な聖人にされてしまいやすい。
仕事仲間かつ友人として、長年そばで関わってきた田中さんに対してでさえ上手く隠せてしまったのだから、今を生きる私たちが詩を通して茨木のり子を神格化してしまうことは、無理もないのかもしれない。
だけど、のり子さんにだって「色々」あったのだ。色々考えて考えて考えすぎて、見せないことにしたことがたくさんあるのだと思う。詩にはその断片すらを、わかりやすく見えるところには置かないように選択したことが、たくさん。
その「色々」を想像する努力を怠りながら、「だってそのくらい器用にお上手な方だから」と言って、神格化されがちなことの要因をのり子さん本人だけに持たせてしまって良いのだろうか。のり子さんという一人の人間を自分の心から遠ざけていたのは、むしろ読み手のほうではないだろうか。
今回の刊行を機に、のり子さんの日記が誰でも読めるようになったことは本当に喜ばしく豊かなことだ。だが、本当は日記を読まずとも、詩のことばの奥底に沈殿するのり子さんの素顔を、のり子さんがのたうちまわった地面の跡を、私たちはこれまでも詩のなかからもっと見つけることができたのではないだろうか。
そして、そのように人間を見抜く力が元来誰にでもあるはずだと、詩人・茨木のり子は信じていたのだと思う。
こんなふうに私はこの人を放っておけず、会ったこともないのり子さんの肩ばかりを持ちたくなってしまう。
茨木のり子全日記 Ⅰ 1949-1952/1955-1962

著者:茨木のり子 出版社:katsura books 発売:2026年7月17日 価格:¥5,500(税込) 購入サイト:茨木のり子全日記 Ⅰ | Candlelight
内容紹介
詩人茨木のり子のニ十七年間の日記を公開するシリーズの第1巻。 結婚し、詩集『対話』、『見えない配達夫』を刊行、東伏見に自宅を建築。 詩人、ラジオドラマの脚本家として送った日々が綴られる。
医師・三浦安信と結婚した1949年11月、大学ノートに日記を書き始めた。 1955年からは日記帳に、詩人たちとの交流、書いた詩のこと、日々のこと、 晩ごはんのおかず、映画や演劇の批評、読んだ本、世相のことを綴った。 そして日記は、1975年、最愛の夫・安信が逝くと空白が目立つようになり、 その二年後、日記帳は閉じられた。 没後二十年の時を経て、詩人茨木のり子の穏やかな魅力ある日々、 ニ十七年間の日記を公開する。全3巻。
巻頭……カラー口絵32ページ、人物相関図、目次 巻末……略年譜、あとがき、人物総索引
第1巻=1949-1952/1955ー1962 第2巻=1963ー1968(2027年春刊行予定) 第3巻=1969ー1977(2027年末刊行予定)
これまでの【本の連載】自分とは別の「私」をさがして
小さな本屋 Candlelight

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WRITER

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1997年生まれ。『Candlelight』の発起人・主宰。
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『Candlelight』として2023年に初回イベントを渋谷〈WWW X〉で開催して以来、哲学対話と弾き語りのシリーズ企画『Where shall we go by weaving our voices together?』をはじめとし、1つの型に囚われない、自由で編集的な視点からアート・カルチャーと社会をゆるやかに接続する場を開く。2026年2月に同プロジェクトとしての拠点〈小さな本屋 Candlelight〉を開業。そのほか、〈本屋B&B〉のトーク企画なども行う。
