『御影ロマンス』ライブレポート
明治から昭和初期にかけての神戸には、居留外国人だけでなく、国内の財界人や文化人も多くの屋敷を構えていた。特に東灘区の御影から隣の芦屋市にかけての山側は、今も関西屈指の高級住宅街として知られているエリアだ。阪急御影駅から坂を10分ほど登っていくと、そんな閑静な家並みのなかでもひときわ古く立派な建物が見えてくる。普段は人気の結婚式場として知られている、ザ・ガーデン・プレイス・蘇州園。かつて旧財閥の別邸として建てられ、今年で築85年となる3階建ての和洋折衷建築だ。
春の訪れが迫っていた3月21日、神戸を拠点とするイベンター・カウアンドマウスが『港町ポリフォニー』に続いて企画するフェスイベント、『御影ロマンス』がここで開かれた。お寺や教会など、イベントホール以外での企画を得意とする彼らにとっても規模の大きい特別なイベントだ。今年で2年目となるその模様を、それぞれのステージごとにお届けする。
ステージは会場敷地内の全4か所。庭に面した1階の角部屋・ガーデンルームと、その真上にあるオリエンタルルーム、床の間が立派な2階のラウンジ、そして、広い庭の奥に建つ離れのチャペルだ。まずは、この日筆者が最初に足を運んだガーデンルームの模様から。
The Garden Room - YeYe
筆者が最初に見たのは、開演時間ぴったりに始まったYeYeのアクトだった。京都で活動を開始、オーストラリアへの移住を経て、現在はふたたび日本で育児と音楽活動の両方に勤しんでいる彼女。この日は現行の最新作『MOTTAINAI』(2017)の収録曲のほか、大阪の盟友ANATAKIKOUの“うろこのない魚”などのカバーも披露した。MCでは財閥にちなんだクイズで観客の笑いを誘ったりもしたのだが、そんな軽やかな関西弁トークも、歌がはじまった途端に凛としたウィスパーボイスに変わる。その変化のしなやかさからは、暮らしも音楽も同じ土俵にある彼女の今のスタンスが垣間見えた。
式場という場所がら授乳室などの設備が整っているからか、この日はYeYeと同じように育児真っ最中の家族連れもたくさん来ていた。ガーデンルームには庭に通じる出入り口があるので、観客や出演者に混じって庭で遊ぶ子どもたちがしきりに出入りする姿が見られる。親戚の家で遊ぶように自由な彼らを見ていると、普段はよそ行きの場所であるこの格式高い洋館が、はじめの印象よりもずっと気さくに思えてくるのが新鮮だった。
The Lounge - ICHI / Rachael Dadd
元々庭で演奏する予定だったICHIとRachael Daddが場所を移したのが、2階の中央に位置するラウンジ。朝方の雨で濡れた地面がまだ乾いていなかったのだ。ラウンジがある棟は蘇州園のなかでも和風の趣が強く、長押や天井の木の風合いからは、この屋敷の長い歴史がつぶさに感じられる。14時すぎ、隣のテラスルームでアイスクリームを買っているとにぎやかな楽器の音が聞こえはじめた。向かってまず目に飛び込んできたのは、木琴、鉄筋、ウッドベースなどの楽器を合体させたクラフト感あふれるセット。その主・ICHIは、昨年の第1回にも出演していた1人バンドだ。ラッパやテルミン、メガホン、果てはタイプライターの打鍵音や紙を裂く音、歯磨きのシャコシャコ音まで、両手両足をフル稼働して鳴らされる小道具が老若男女(特に子どもたち)を魅了する。ゆるりとしたMCに和まされつつも、聞いているうち音と音楽の境界がなくなっていくようなその感覚は、今ある前衛音楽とは少し違う意味で鮮烈なものだった。竹馬に乗る登場シーンを見逃してしまったのは、正直ちょっと悔しい。
同じくラウンジ、開始時刻よりもだいぶ早くから現れ、リハーサルがてら人々を楽しませていたのは英ウィンチェスター出身のシンガーソングライター、Rachael Dadd。日本語と英語を交えたMCとともに披露されるカントリー・フォークは柔らかな歌いまわし、爪弾くバンジョーやアコースティック・ギターの音の粒立ちも心地よい。折り返されたデニムの裾にはシェイカーが仕込まれているようで、足踏みのたびに歌に軽やかなリズムを添えていた。ほぼ1年前に7インチとCDを同梱したEPが出ており、今回それぞれ“長靴”と“お日様の曲”だと言う新曲も披露していたので、アルバムの発売もそう遠くないのかもしれない。互いにパートナーでもあるレイチェルとICHIは、1年の半分をイギリスのブリストル、もう半分を日本の尾道で過ごす生活を送っている音楽家だ。家族とともに思い思いの暮らし方を突き詰めることの心地よさが、2人のアクトからはありありと感じられた。
The Oriental Room - スカート
ガーデンルームの真上にあるオリエンタルルームは、観客が南側、つまり神戸の街を見下ろせる向きでステージが組まれている。昼過ぎ、観客に混じって静かにステージへ向かった大きな背中は、ご存知スカートの澤部渡だ。現在新しいアルバムのためにハードな製作をこなしている彼が1曲目に選んだのは、『ひみつ』(2012)収録のメランコリックなバラード“おばけのピアノ”だった。以降、初期の代表曲と近作を織り交ぜて披露したが、特筆すべきは2曲の新曲だろう。1曲はまだタイトルもついていないという出来たての曲で、もう片方には“ずっとつづく”というタイトルであった。特に前者は(筆者の記憶が正しければ)ハネたリズムのミドルナンバーで、桜の風景が歌いこまれつつも彼らしいほの寂しさを帯びたあたたかな曲だ。その後の“ランプトン”や“遠い春”とともに、花曇りの日の光が射し込むこの日の気候にしっくりと馴染んでいた。
この屋敷を取り囲む樹木たちはどれも大きく、屋根より背が高いものも少なくない。おおはた雄一や浜田真理子が出演した同ステージの夜の時間帯、窓の外には枝葉の隙間からわずかな家明かりがちらつくのみであった。最寄りの阪急沿線だけでなく、JR線、さらに南の阪神沿線まで、このあたりはほとんどが閑静な住宅街だ。日当たりの良かった昼間に対して、夜のオリエンタルルームは照明が減らされとても暗いのが印象的だった。街の喧騒と無縁のこの立地だからこそ、その暗さと静けさは、生活、もとい人間の身体本来の活動リズムに沿ったとても安らかなもののように思えた。
The Chapel - 平賀さち枝
さまざまな樹木が植えられ小川が流れる、蘇州園の広い庭園。教会は、その奥に建っている小さな別棟だ。蘇州園本館よりも新しいのであろうこの建物は、教会でありながらも現代的で宗教色のない内装となっている。老若男女幅広いこの場所で網守将平と梅沢英樹の筋金入りの前衛音楽が聴けたことも嬉しかったが、中でも特に惹かれたのは、Homecomingsとのユニットでもおなじみのシンガーソングライター、平賀さち枝だった。
一見かわいらしい彼女の声の奥底には、ゆらぎを巧みに操るフォーク・シンガー然とした力強い息づかいが潜んでいた。これまで筆者の耳が取りこぼしていただけかもしれないが、この会場の豊かなリバーブのおかげで際立っていたものではないか、とも思う。特に先日から参加しているというプロジェクト・曽我部恵一 抱擁家族にちなんで披露した曽我部恵一の“6月の歌”、1月にLP盤が発売された『さっちゃん』(2011)収録の“恋は朝に”は、自身のパーソナルな部分も含めて覚悟とともに曝け出す、金延幸子さながらの無頼ぶりが頼もしく眩しく思えた。
Last Scene - ゑでぃまぁこん
とっぷりと日が暮れた時刻、屋外の気温はみるみる下がり、スプリングコートを着込んでもなお肌寒い。フードエリアのオニオングラタンスープで身体を温めたあと、筆者はこの日の最後の場所として1階・ガーデンルームを選んだ。
ケガで入院中の朝倉円香(Cho.)に代わって、水谷ペルサモ康久(Sax. / etc.)の実娘・水谷藍がコーラスを務めていたゑでぃまぁこん。ベースの輪郭、スネアのブラシ使い、スティールパンのエフェクトからサックスの音の減衰にいたるまで、彼らのきめ細やかなアンサンブルは、コードワークなどからアシッド・フォークと呼び切ってしまうにはあまりにも澄んでいる。昨年に発売された6年ぶりのフルアルバム『眩暗眩花』の1曲目“午前十時の銀の群”から演奏が始まり、曲が進むにつれ場内の照明がじわじわと暗くなっていった。窓の向こうには鬱蒼とした暗闇が広がり、枝葉にまぎれた屋外の明かりと、薄暗い部屋の照明の反射、それら無数の光の粒が窓ガラスに灯っている。心地よく疲れた身体を木製の椅子に預けてそんな光景に目をやっていると、室内楽的な彼らの佇まいもさながら夢のように感じられた。花火大会の帰りでまどろんでいた子供の頃のような、優しくあたたかく、しかしどこか現実離れした夜。終演後、松明が煌々と燃える正面玄関を抜けて帰路につく、その道中の家灯りもまた安らかな温もりを帯びていた。
おわりに
今回レポートをステージ別に分けたのは、このような音楽イベントが、本来イベント用ホールではないこの蘇州園という場所で開かれたことに大きな意味を感じたからだ。蘇州園は結婚式場である一方レストランとしての営業もしており、神戸市内では特別な日に行くレストランの定番としても知られている。この日はフードブースや会場案内を担っていた蘇州園スタッフの楽しそうな様子もまた印象的で、蘇州園が暮らしの延長線上で愛されている場所であることを実感させられたのだった。普段彼らは声を上げてフードブースの呼び込みをしたりはしないだろうから、もしかしたら、文化祭のような非日常の感覚を味わっていたのかもしれない。シンプルに、笑顔の数が多ければ多いほど場の幸福感は上がる。
ライブにまつわる巷の言説の頻出ワードである“体験”、しかし実際とても曖昧なその中身を、かくも誠実に追い求めたイベントは決して多くはないだろう。重複が多くなるように組まれていたタイムテーブルも、心地よい過ごし方を決めるのにはむしろ良かったのではと思うし、フェスイベントでよく見られるアーティストごとの観客の偏りも、ここにはほとんど見当たらなかった。要するに、観客たちはみな、特定のアーティストが目当てというより会場、そして企画者を信頼してここに集まっているように思えたのだ。ひょっとしたら、そんな場で終始せかせかと歩き回っていた筆者の過ごし方も、ある意味本懐ではななかったのかもしれない。もっと食べ物や飲み物に舌鼓を打ったり、庭の木や鯉をのんびり眺めたりすれば良かったな、と思わなくもない。来年の楽しみにとっておこうと思う。
フォトレポート
掲載順:高井息吹、真舘晴子、Gofish、網守将平と梅沢英樹、YOSSY LITTLE NOISE WEAVER、角銅真実、平賀さち枝、東郷清丸、Achico、王舟、おおはた雄一、湯川潮音、浜田真理子
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WRITER
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'92年新潟生まれ岡山育ち。大学卒業後神戸に5年住み、最近京都に越してきました。好きな高速道路は北陸道です。
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