俺の人生、三種の神器 -出原真子 ①カメラ編-
▼俺の人生、三種の神器とは?
人生の転換期には、必ず何かしらきっかけとなる「人・もの・こと」があるはずです。そのきっかけって、その当時は気づけないけれども、振り返ると「あれが転機だった!」といったことはありませんか?そんな人生の転機についてアンテナ編集部で考えてみることにしました。それがこの「俺の人生、三種の神器」。
折角なのでもっとアンテナ編集部員ひとりひとりのことを知ってもらいたい!そんな気持ちも込めたコラムです。これから編集部員が毎週月曜日に当番制でコラムを更新していきます。どうぞお楽しみに!
「いつも、すごい顔でカメラを構えるよね」
つい先日、友人にかけられた一言である。
好きなことや夢に向かって頑張る人の表情は、生命力がみなぎり、周囲の人を自然と惹きつける。その効果を狙ってか、ポカリスエットの広告でも若者のひたむきな姿にクローズアップした写真が使われている。
ならば、私は趣味のカメラを構えている時に、一番良い表情をしているに違いない。そんな幻想も、冒頭の一言によってあっさりと打ち砕かれた。友人が撮った自分の姿をみると、なるほど、こりゃひどい。鼻の穴を膨らませ、口元をニヤつかせ、顔の片側をぐちゃっとつぶしながらファインダーを覗いていた。直そうとしたら、顔に意識が集中して撮ることができない。カメラを始めて10年近く、プライベートでも仕事でも、いろんなところでこの顔をさらしてきたことになる。
初回の三種の神器では、そんな「カメラ」について書きたいと思う。
さみしくない人をアピールをするためのお守り
カメラを始めたのは、大学3年生の時。当時はバックパッカーで東南アジアを放浪していた。旅立つ前は一人旅に憧れを抱きながらも、他人から’’友達のいない孤独な人’’だと思われないかと不安になり、バイト代を叩いてコンデジ(コンパクトデジタルカメラ)を購入。カメラを持っていれば「撮影」という目的を持った旅人に見えるはず。だから一人でも怖くない。当時の私にとって、カメラはさみしくない人をアピールをするためのお守りだった。
自分には写真の才能があったのか......
最初に訪れたカンボジアでは何もかもが新鮮で、赤土の道に、屋台、寺院など目に映るすべてを写真におさめていった。物乞いをする子どもたちや、彼らからお金を巻き上げる警察……正義だとか、社会的立場だとか、日本では当たり前に正しいと思っていたことがカンボジアではそうではない。自分の価値観がどんどんぶち壊され、一人旅の洗礼を大いに受けたのである。
ゲストハウスでは大学生から長期休暇中の社会人、写真家、世捨て人まで多くの日本人が滞在していた。中でも写真家グループと仲良くなり、夜な夜な彼らの写真談義を聴講。私がモノクロモードで撮った写真を褒めてもらうと、「自分には写真の才能があったのか……」と天啓に打たれたかのようにモノクロ写真ばかりを撮るようになった。
頼むから、カラーモードで撮ってくれ
モノクロ写真は色彩を排除する分、構図やコントラストなどの表現力、技術力、センスが浮き彫りになる。当時撮ったモノクロ写真は、白飛びしたものや何を伝えたいのか分からないものばかり。鮮やかな袴姿で出席した大学の卒業式でさえ、モノクロで撮っていたから自分でも驚いた。もし当時の自分と話せるなら、「頼むから、カラーモードで撮ってくれ」と伝えたい。バイトに明け暮れるあまり、恋愛や遊びに興じることなく終わった大学の思い出が名実ともに灰色になってしまった。それでもカメラは、私の人生を確実に変えてくれた。
これからも私は、カメラを構え続けるのだろう
カメラは社会に出た後の生活も変えてくれた。美しい京都の情景と秀逸なキャッチコピーで有名な「そうだ 京都、行こう」の広告に憧れて、新卒で入った広告代理店。そこで上司にカメラが趣味であることを話すと、一年目から取材やプロの現場など、多くの仕事にチャレンジさせてもらえた。プライベートでも先輩から一眼レフカメラを譲ってもらい、週末はカメラ仲間と写真を撮るために出かけるようになった。
やがて仕事に疲れたら家に引きこもったり飲みに行ったりするのではなく、外に出かけてひたすら写真を撮ることが多くなった。撮るうちに胸に蓄積した雑念が消えて、本来の五感が戻ってくるようなデトックス効果があったからだ。他人の目を気にせず、顔を歪ませながら撮るようになったのもその頃からだろう。
一人で外に飛び出すためのお守りだったカメラ。気がつけば、カメラが私を外に連れ出して、多くのカメラ仲間や憧れの写真家に出会わせてくれていた。アンテナのライターになったのも、アンテナ京都写真部※に所属するカメラ仲間に教えてもらったことがきっかけだったりする。今、この文章を書いているのも、カメラのおかげだと思うとなんとも不思議だ。
アンテナで自分独自の切り口や企画を生み出そうと奮闘するメンバーに刺激を受けて、私も写真のテーマを模索するようになってきた。いつかどこかでお届けできるように精進していきたい。
これからも私は、カメラを構え続けるのだろう。
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WRITER
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91年生、岡山出身、京都在住。平日は大阪で会社員、土日はカメラ片手に京都を徘徊、たまに着物で出没します。ビール、歴史、工芸を愛してやみません。
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