
理解できなくても、「つながり」は生まれる。 謎の日本人Fujita Harukaが歌うインドネシアのパンクソングと、 国や言語を超えた連帯の謎を追う
本連載は、現在インドネシアをフィールドに研究を行っている大学院生の阪口諒祐が、インドネシアに息づく文化を「音楽・映画・芸術・文学、宗教」などさまざまな観点からお届けする企画。本稿では、前回の記事でも取り上げたTasawuf Underground(タサウフ・アンダーグラウンド)のメンバーとの出会いをきっかけに知った“謎の日本語版”の楽曲を手がかりに、その背後で交差していたパレスチナへの連帯、インドネシアの政治への怒り、そして日本語という言葉との思いがけないつながりを追っていく。
フィールド調査中、前回の記事でも取り上げたTasawuf Underground(通称、TU)のメンバーが、同コミュニティの創設者であるハリム・アンビヤ氏とともに活動の紹介を行う場に立ち会う機会があった。路上の若者たちにスーフィズムを通じた支援を行ってきたハリム氏。講演の最後にはパンクの精神とイスラームの精神の双方を尊重する彼らの姿勢を示す一曲を、TUのメンバーたちが披露することになっていた。
何を歌うのかに関しては彼らに一任されている。メンバーたちはいくつかの候補を挙げ、アンビヤ氏がときおり口を挟みながら、その場にふさわしい一曲が何かを探っていった。そこで彼らが意識していたことは、単に盛り上がる曲かどうかではない。パンクの精神を失わず、それでいてイスラームの実践と矛盾しないこと。その両方をどう示すかが、彼らにとっては重要だったのである。
そのやり取りの末、最終的に選ばれた曲のひとつがLuka Negara(ルカ・ヌガラ)と呼ばれるアーティストの「Bertahta Diatas Tanah Mereka(ブルタフタ・ディアタス・タナ・ムレカ)」であった。Luka Negara(直訳すれば国家の傷)は、西ジャワ州タシクマラヤ出身のパンク系アーティストである。社会に対して批判的なテーマを持つ楽曲を多く発表しており、今回TUのメンバーたちが選んだ「Bertahta Diatas Tanah Mereka(通称、BDTM)」もまた、その代表的な一曲に数えられる。
タイトルは直訳すれば「彼らの土地の上に君臨する」といった意味合いだ。この曲についてLuka Negara自身は、イスラエルによるパレスチナ侵攻を歌ったものだと説明している。歌詞では、家を壊され、生活を踏みにじられ、それでもなお他人の土地の上に支配者のように居座る存在への怒りが、かなり直接的な言葉で表現されている。抽象的な政治スローガンというより、土地や家、身体の破壊を歌うことによって暴力の現実を告発する楽曲だ。だからこそこの曲は、単に“場が盛り上がるパンクソング”としてではなく、抑圧や支配に抗う感情を託す歌として、TUのメンバーたちにも響いていたのだと思う。
“謎の日本語版”との出会い
もっとも、私の関心をさらに強く引いたのは、この楽曲には日本語で歌われた別バージョンが存在し、しかもYouTube上ではかなり広く流通していることだった。インドネシアの若者たちの怒りや連帯の感情を宿したこの曲が、なぜ日本語というかたちを取って聴かれているのか。私の関心は、次第にその奇妙な回路そのものへと向かっていった。
TUのメンバーから「この曲、日本語でも歌われているよ」と聞かされ、半信半疑のままリンクを辿ってみると、画面の向こうから流れてきたのは、聞き慣れた日本語。しかも、調べてみると、この日本語版は単なる転載や非公式カバーではない。Luka Negara側は少なくとも2023年に「Bertahta Diatas Tanah Mereka (feat. Fujita Haruka)」を配信しており、日本語版は公式流通の一部として扱われている(ように見える)。
LUKANEGARA - BDTM 彼らの土地を破壊する (Lyric Video) ft. Fujita Haruka
またFujita Haruka名義でリリースされている楽曲はこれだけでない。少なくとも「BDTM」系の楽曲に加えて、Luka Negaraの別曲「Sabar Hai Kawan(サバル・ハイ・カワン)」の日本語バージョンにも、Fujita Harukaの名前が確認できる。その日本語版は「SHK あきらめないで」というタイトルで公開されており、ミュージックビデオでは東日本大震災の津波を想起させる映像も用いられている。
LUKANEGARA - SHK あきらめないで (Lyric Video) ft. Fujita Haruka
私をさらに驚かせたのは、日本語版のBDTMの lyric video がすでに約800万回も再生されていたことであった。しかも原曲の lyric video( LUKANEGARA – Bertahta diatas tanah mereka (Lyric Video) )にいたっては約1800万回に達している。インドネシアのいちパンクの楽曲が、しかも日本語版まで含めてここまで広く聴かれているという事実は、それだけでこの曲が単なるローカルなものではないことを物語っている。正体のはっきりしない日本語の声が、これほど大きな規模で流通し、インドネシアの受け手たちのあいだで聴かれている。そのこと自体が、まさに“謎”であった。
LUKANEGARA - Bertahta diatas tanah mereka (Lyric Video)
コメント欄に集まる祈りと怒り:パレスチナ、インドネシア、そして日本
日本語版のコメント欄を眺めていくと、そこは単なる音楽ファンの感想欄ではないことがわかる。たとえば「Dengan lagu ini ku persembahkan segelintir do’a untuk mu(この歌とともに、あなたにささやかな祈りを捧げる)」「LAGU INI AKU PERSEMBAHKAN UNTUK PARA PENDUDUK PALESTINA(この歌をパレスチナの人々に捧げる)」といった書き込みに見られる。コメント欄はまずパレスチナへの祈りと連帯の場として機能しているようだ。
だが同時に、「Sekarang lagu ini beneran terjadi di negara Indonesia, semua pejabat berlomba-lomba untuk korupsi!(今この歌の通りのことがインドネシアで本当に起きている。役人たちは競うように汚職している!)」のように、この曲をインドネシア国内の汚職や政治腐敗への怒りへと引き寄せて読む声も少なくない。さらに「Dejavu Hiroshima dan Nagasaki」「Jadi inget waktu mereka ‘Jepang’ jajah Indonesia(日本がインドネシアを植民地支配していた時代を思い出す)」といった反応は、日本語版が当時の戦争の記憶まで呼び起こしていることを示している。
Fujita Harukaという名義の人物が誰なのかは、ネット上のリサーチだけでは正体がつかめない。よくよく聞けば、その声はAIで生成された声のようにも聞こえる。それでもこの曲は何百万回も再生され、複数の文脈を飛び越えて大きな連帯感を生み出しているのだ。だからこそ私がおもしろいと思ったのは、正体不明の日本語版の背後にいる「誰か」を突き止めること以上に、歌っている声が人か、人工物なのか曖昧なものであっても、人びとの怒りや悲しみは託され、連帯は成立してしまうという事実だった。
謎のまま越境する感情:「わからなさ」がつなぐもの
こうした曖昧さは、リサーチする者にとってはもどかしい。誰が歌っているのか、なぜ日本語なのか、どのような経緯でここまで広がったのかーー本来ならそこを明らかにしたい。しかし、今回この曲の出自を追いながら私が感じていたのは、むしろその「わからなさ」こそが、重要なのではないかということだった。
ネット空間では、由来も背景も完全には共有されないまま、それでも“ある声や言葉”に人びとの怒りや悲しみが託され、連帯の感覚が立ち上がることがある。この“謎の日本語版”が映していたのは、日本とインドネシアにおけるわかりやすい文化の交流などではなく、意味が十分に解けきらないまま感情だけが先に越境していく、いまの時代の奇妙な状況だとも言える。
私たちが「つながり」と呼ぶものの多くが、必ずしも整然とした理解の上に成り立っているわけではない。誰が歌っているのかも、どんな経緯で生まれたのかも曖昧なままFujita Harukaの声は、インドネシアの若者たちの怒りや祈りを受け止める器になっている。そこにあったのは、日本語を母語とする私たちが何かを発信し、それをインドネシアの人びとが受け取っている、というわかりやすい構図ではない。むしろこの曲では、日本語が日本人の手を離れ、インドネシアの受け手たちの怒りや悲しみ、そしてパレスチナへの祈りを運ぶ言葉として響いている。
言語はしばしば国家や民族と結びつけて語られる。だからこそ、日本語がこのようなかたちで、私たちの知らない場所で、私たちに向けられたわけでもない感情を託されていること。その奇妙さこそが、この曲をめぐる体験の核心だったように思う。
私たちの知らないところで:この歌は「彼らの歌」でも「私の言葉」でもない
そして今回、TUのメンバーがこの歌を歌い上げたとき、ライブ会場に立ち上がっていた連帯感は、パレスチナへと思いを馳せるものとして観客に受け取られていたように思う。それを単純に「インドネシアという国民的な枠組みを超えられたのは、イスラームの連帯だ」と言い切ってしまうことには慎重でありたい。政治的な共感や、抑圧された者たちへの倫理的な共鳴も重なっていたはずだからだ。
けれど少なくとも、あの場においてこの歌は、インドネシア国内のいちパンク・コミュニティの実践としてだけではなく、より広いムスリムとしての連帯感のなかでも響いていたようには感じている。会場はパンクの熱さと観客の切実な共鳴で満ち溢れていたからだ。
しかし私にとって、その歌は少し違った響き方をしていた。どこかで日本語版の歌詞が心の中に残り続けている。誰が、どこで、どの言語で歌うのかによって、ひとつの歌が帯びる文脈は絶えず揺れ動く。TUのメンバーにとって、この歌はムスリムとしての連帯を確かに呼び起こすものだったのだと思う。だがそれを聞いていた私は、ムスリムではない日本人として、この歌をどのように受け取ればよいのか、言葉にできない戸惑いを覚えていた。日本語版を知っているからこそ、私はこの歌をまったくの外側から聞くこともできない。かといって、会場で立ち上がっていたムスリムとしての連帯を、自分のものとして引き受けることもできない。自己と他者の境目がわからなくなるような感覚だった。
私たちはしばしば、異文化とのつながりを、誰が誰に何を伝えたのかという整ったかたちで理解しようとする。けれど実際には、由来も背景も十分にわからないまま、ある声や言葉が別の場所で別の感情を担いはじめることがある。この“謎の日本語版”は、まさにそうした奇妙な越境の一例だった。そしてだからこそ、この曲の真相は、なお気になっている。もしFujita Harukaという名義や、この日本語版が生まれた背景について何か知っている方がいれば、ぜひ教えていただきたい。
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WRITER

- ライター
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2000年生まれ京都在住。京都大学大学院アジア・アフリカ地域研究研究科。現代インドネシアにおける穏健イスラームについて研究をしている。ANTENNA ではインドネシアで展開されるカルチャーの力強さとその可能性について発信していきたい。
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