
僧侶 鵜飼ヨシキにとってのインタビューって?― 人は目で、身振りで、しゃべって「語る」第3回
インタビューは楽しい。普段は話せないような人に、普通じゃ聞けないようなことも聞ける。けれどそれって、不自然な行為でもある。改めて考えると、インタビューとはどういう行為なのだろうか。この連載では、日常的にインタビュー(的な行為)をしている人々への取材を通じて「インタビューとは?」を見つめ直してみる(全10回を予定)。第3回は僧侶の鵜飼ヨシキさんに話を聞いた。
鵜飼さんを訪ねて、京都・裏寺町通の極楽寺へ向かった。なんとなく、僧侶という仕事は人の「語り」を聞く機会が多いであろうと思ったからだ。それに、鵜飼さんはPodcast番組「私より先に丁寧に暮らすな」のパーソナリティを務め、日常的にお悩み相談を受けている存在でもある。典型的なインタビューではなくとも、ヒントとなる点が多いのでは、と考えた。鵜飼さんは、どんな風に人の「語り」を聞いているのだろう。
写真:浜村晴奈
鵜飼ヨシキ

1986年生まれ。大学職員、ウェブライター・編集者、書店員等を経て、京都・極楽寺の僧侶となる。一般的な僧侶としての業務に加え、寺を活かしたイベント企画・運営も積極的に行う。僧侶としての活動の他、Podcast番組『私より先に丁寧に暮らすな』パーソナリティ、夜喫茶ドボン、音楽ユニット「馬(mar)」、アンビエント念仏セッションなど、活動は多岐にわたる。
Instagram:@yoshikiukai
天気の話も極楽の話も聞く
今回、鵜飼さんにお話を聞きたいと思った理由は様々あるのですが、まず、僧侶という職業は人の語りを聞く機会が比較的多い職業だと想像したからです。実際、僧侶の一日って、どんなスケジュールなのでしょうか。
お参りがある時って、午前中が多いんですよ。檀家さんのお宅へ月参りに行ったり、一周忌、三回忌、七回忌みたいな法事に行ったりして、お経を読む。行って、30分お経を読んで、また帰ってきたら、それだけで午前中が終わるんですよね。
想像されている通り、お経を読んで終わりじゃなくて、その後に少し話をすることも多いです。法事が終わってから、お茶を飲みながら檀家さんの近況を聞いたり、ぽろっと悩み相談をされたり。そういう時間も含めて、お寺の活動なんやろなと思っています。
僧侶として人から聞く話は、例えばどんなものがありますか。
世間話に近い話が多いですよ。最近あったこととか、世の中への愚痴とか。コロナ禍の時なんかは、「人と会えなくて大変ですわ」みたいな話もよく聞きました。そこから、もうちょっと深い話になることもあります。「極楽ってどういうところなんですかね」「私も行けますかね」みたいな。
一般的なインタビューよりも、もっと自然な流れで人の語りを聞くことになるんですね。これまでで、印象に残っているやり取りはありますか。
8月のお参りの時期に、あるおばあさんに「私が亡くなったら、母に会えますかね」と聞かれて。むっちゃ考えましたね。極楽というものがあるという前提で言えば、「会えますよ」と言えるけれど、表面的にそう答えるだけでいいのか、って。
教義をそのまま返すだけですまない、切実な問いに聞こえますね。鵜飼さんは、どう返されたんですか。
その時に言ったのは、「あなたがお母さんのことを思っている時点で、2人の関係はこの世に存在しているんじゃないか」ということ。浄土宗では、亡くなって極楽に行き、仏さんになった後、またこの世に戻ってきて、生きている人たちを手助けするような存在になるという考え方もあるんです。シンプルに「亡くなったら会えますよ」という回答ではないけれど、亡くなった人との縁も終わらへんって伝えたくて。
僧侶は感情を引きずられてはならない
「むっちゃ考えた」とおっしゃっていた通り、向き合うのにエネルギーの要る語りを聞く機会は多そうですね。
若くしてお子さんを亡くした方の話を聞く場面なんかはまさにそうです。お葬式ももちろんつらい場ですが、それよりも後の行事の方がしんどかったりします。四十九日、百箇日、一周忌、とあるんですけど、百箇日あたりに重い悲しみを感じる方が割といて。話しながら、うるっときたりする方はいますね。
そういう時、鵜飼さんはどんなふうに相手の「語り」を聞くのでしょうか。
僕は、笑ってますね。というのも、浄土宗の教えでは亡くなるって、極楽に行くことなんですよね。だから、実は悲しくないはずなんですよ。とはいえ、人間として悲しいという気持ちもあって。この矛盾を抱えてるのが坊主なんです。お葬式の場などで感情を共有するようなことはできないのですが、それでも話を聞き続けるようにしています。それもある意味、寄り添いなのかなと思っています。
人の「語り」に揺さぶられないようにするのって難しいと思います。鵜飼さんはもともと感情の波が大きくなかった?
いや、二十代前半の頃までは泣くわ叫ぶわで、結構荒っぽかったし、わがままでした。大学時代の友達に聞いたら、「なんでそんな優しくなったんだよ」って言われます。
でも、いろいろな経験を経て、30歳くらいから感情に左右されすぎると、状況がきちんと読めないと思うようになって。自分のことばかり考えていると見えないものがあると気づいた。同時期に瞑想の道場に行き始めたので、その影響もあるかもしれませんが。ある程度、感情をコントロールできるようになると、相手とのチューニングがしやすくなる。
相手とのチューニングというと?
人の話を聞くとか、人と話すとかするとき、相手と全て同じ感情になったら、あんまり意味がないんですよ。「なんかこの人は私の気持ちを全部分かってくれる」って思うと、喋る必要を感じなくなるというか、抽象的な会話だけでもなぜか納得して進んでしまうというか。そうじゃなくて、ちょっとしたズレがあるくらいの方が、驚きとか発見があって、対話が長く続くと思うんですよ。「面白いけどわからへん」みたいな状態。自分の感情をコントロールして、相手に引きずられすぎないようにチューニングできると、聞く・話すが楽しめると思います。
「いいこと言わな」から脱して
話を聞く側だけでなく、「聞かれる」側になることも多いですよね。
そうですね。だから最初は檀家さんから話しかけられた時、よく緊張していました。「いいこと言わな」みたいな気持ちもあって。でも、最近はいいこと言おうという気持ちはなくなりました。
それはどうしてですか?
いいこと言ってる時って、自分に酔ってるだけなんですよね。自分ではうまいこと言えた気になっていても、相手には全然伝わっていないこともある。
「いいこと」を言っている時は、自分に酔っている……。
「いいこと」って自分で主体的に作るもんじゃなくて、相手の受け止め方だなと気づいて。そこから変えた方法としては、何か聞かれたら、一度質問で返すようにしています。「それってどういう状況なんですか」とか、「こういう理解で合ってますか」とか。そうすると、本当に相手が聞きたい、話したいと思っていることがわかるというか。
いきなり答えるんじゃなくて、相手にもう少し話してもらうんですね。
そうそう。人に何かを聞いている時、質問している本人もまだ何が聞きたいのかはっきりわかっていないこともあるんですよ。情報をもらいつつ、相手の疑問とか前提から一緒に整理していく感覚ですね。
聞くことはスポーツに近い
直接話せる檀家さんとのやり取りとは違うかもしれませんが、Podcast「私より先に丁寧に暮らすな」でのお悩み相談への回答する際にも、前提のすり合わせを大事にされている印象があります。
確かに。ただ、Podcastの面白さは、語り手の「前提」を理解するというよりは、僕らが勝手に妄想して広げていく部分にもある気がしていて。文章だけでは分からないことは確かにあるけれど、かといってリスナー本人がその場にいたら面白いとも限らない。あれは、前提の確認ができなくて、僕らが勝手に考えるからこその良さかもしれません。
鵜飼さんは人の悩みを聞くのが得意なのではと思っていたのですが、そう捉えられていたんですね(笑)
僕は結構、相談を受けるのが得意な自覚があるのですが、それはある種、無責任だからだと思います。
何かを相談してくる人って、すでに頭の中に10個、20個と回答を持っているんですよ。そして、その中で良さそうな答えも実はわかっている。それでも誰かに相談するのは、後押しをして欲しいか、別の選択肢が欲しいとき。でも、僕は後押しをするような人間じゃないから、別の選択肢を提示する。そうなった時に、「こんな可能性もあるよね」と好き勝手にアイデアを出せるから楽しいんだと思います。
Podcastでは、自分の発言には責任はありますが、あくまでも「答え」ではないという意味では言いやすいかもしれません。
Podcast以外にも、「夜喫茶ドボン」やお寺での企画など、様々な人と話す機会が多そうです。人の話を聞くこと全般、得意なのでしょうか?
いや、コンディションにもよりますが、最初は実はめっちゃ緊張してます。根はすごい人見知りなんですよ。 コミュニケーションにカロリーを使いすぎる。
でも、Podcastでも「人の話を聞いて、他者に伝える方が好きかもしれない」といったことをおっしゃっていましたよね。どんな心境の変化が?
うーん、スポーツが好きな気持ちに近いかもしれない。やっぱりなんか体力は使うんですよ。だけど、うまくいくと、達成感があって、帰り道にニヤってしちゃう。逆に反省もめっちゃします。
よくよく考えると、昔から自分を出すタイプではなかったんですよ。「自分の話を聞いて!」と思うこともなかったし、「主人公」的な存在になることは重視していなかった。それよりももっと他の人の人生を見たい気持ちがある。いろんな人の人生が語られることで、「同じようなことが起きたらこうしよう」と参考にできたり、「これを幸せやと思ってる人もいるんだ」と発見になったりする。僕もそういう話に助けられたことがあります。だから、自分が媒介者として人の人生を伝える方がやりたいと思ったのかもしれません。
人の語りを聞いて、伝えることが誰かの役に立つと、考えられているんですね。
そうですね。あとは、人が自分に自己開示してくれる瞬間が好きというのもあります。「これ、鵜飼さんに話したかったんよ」って言われた瞬間、すごく簡単に喜びます。色々な人と関わっている中で、自分を選んで話してくれるってすごいことやし、ありがたい。ちゃんと話そうとしてくれている人を目の前にしたら、僕もちゃんと聞こうという気持ちになります。
仕事として成り立っているのだから当たり前なのだが、「誰かの語りを伝えることが誰かの役に立つ」と言われ、喜んだ自分がいる。僧侶という職種をしていれば、縋るような思いで話しかけてくる人に出会うこともあるだろう。インタビュアーはなかなか、そこまで切実な思いを聞くことはない。それでも、どこかで、自分が話を聞いたことやそれを伝えたことが役に立っていたら、それ以上に嬉しいことはない。
これまでの「人は目で、身振りで、しゃべって「語る」」
この連載について
インタビューは楽しい。普段は話せないような人に、普通じゃ聞けないようなことも聞ける。けれどそれって、不自然でもある。改めて考えると、インタビューとはどういう行為なのだろうか。この連載では、日常的にインタビュー(的な行為)をしている人々への取材を通じて「インタビューとは?」を見つめ直してみる(全10回を予定)。
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- ライター
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長野県生まれ。フリーランスのライター・編集者・インタビュアー。本、山、ひとり旅、おいしい食べ物が好き。好きな食べ物はみかん、柿、桃、洋梨、辛いもの、お茶、その他いろいろ。
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