僕の長年の疑問として、ロックンロール・スターは歳をとるのか、というものがある。ロックを成り立たしめるとされる、すべてをなぎ払う衝動や果てしない怒りは歳とともに、風化はしないまでも形を変えてしまうからだ。彼らはある意味で永遠に若さを保ち続けなければならない。1年に1つずつとる歳ではなくて、ロックという音楽によって触発される時間の流れがたしかにある。この曲をかけてみな、いつでも14才にしてやるぜ、と甲本ヒロトが宣言していたように。
星の王子さまたちによる新譜『Beautiful』の1曲目を再生した瞬間、”17才” という曲のアウトロを聴いているとき、最後の曲が鳴り終わる間際、僕はいつもの疑問を頭の中でくりかえしていた。これを演奏している人たちは、いったいいくつなのか、と。
初めてボーカルのアントニオさんに会ったのは今から5年前で、彼はライブハウスのステージの上だった。ギタリストのギターの不調で演奏がままならなくなったとき、彼はギタリストにギターを置くように言った。そればかりか、曲の途中であるにもかかわらず、メンバー全員に演奏をやめるように言った。いや、正確に言うと彼らは演奏をやめていなかった。ずっと頭上の何か、ミラーボールのむこうの何かを見上げて、歌い続けていた。楽器なんて、歌詞なんて、メロディなんてそこには必要ではなかった。そんなのはただの媒介にすぎない。個人的な思い出を語ってしまったが、『Beautiful』のなかの迷いのない歌とそれを支える確かな演奏は、あの日のステージを、僕の目にいまだに鮮烈に蘇らせてくれる。
だが、もっと僕にとって重要だったのは、語弊をおそれずに言えば、彼らの「老い」だ。たとえば、4曲目の “ブルー” で語り手は「あのときのブルー」を思い出すことができないし、10曲目の “and young” では「わたしのがらくた」は「大人になって」いってしまう。僕ははっとした。そうだ、もちろん、ロック・スター自身は老いていくのだ。
そしてまた同時に、目の前のものから新しい息吹をふきこまれもする。たとえば、1曲目の “beautiful boy”だ。アルバムタイトルを冠したこの曲のなかに、アントニオさんの近況を知らずとも、子をもつ親の心情を聞き取ることができるはずだ。「できれば笑っていてほしい」。あの日のロック・スターはいつのまにか父になっていた。リスナーはここに、時間の経過を感じるとともに、若いときとはまた違った衝動を見つけることができるのではないか。それはもしかして歌い手が、自分の失われた若さ、すなわちロックのくれた時間を、目の前の赤ん坊の「すきとおった目」のなかに再び見出したからなのではないか。ロック・スターにとって、その赤ん坊はおそらく、あの日の彼自身とまったく同じ「むき出しの声」で叫んでいたのであろう。たとえそれがいつか形を変えてしまおうとも。生まれたての感情と純粋な衝動。
(なお、この赤ん坊の声は12曲目の “beautiful” で聞くことができる)
そう、ロックは歳をとる。けれど、それ自体を丸ごと表現することもできる。14才には14才の、17才には17才の、そして40才には40才のロックがあるのだ。そのつど新しいロックンロールが。
星の王子さまたちHP |
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神戸の片隅で育った根暗な文学青年が、大学を期に京都に出奔。
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アルコールと音楽と出会ったせいで、人生が波乱の展開を見せている。