
雨降り「ハレ」の日。熊野寮の「ケ」を守るために – 京都学生狂奏祭2025
2025年8月10日、『京都学生狂奏祭』最終日。3回目の開催となった今回は、イベントが浸透してきたからこその、熊野寮生による試行錯誤や本音が垣間見えた。『狂奏祭』の存在意義とは何なのか。出演者はこの場所にどんな気持ちを持ち寄るのか。来場者は何を持ち帰ればいいのか。雨の日、限られた場所に人がギュッと集まったからこそ感じられた、人間臭く愛おしい〈熊野寮〉での「ハレの日」の記録。
京都市バスを降り、小雨の中〈熊野寮〉へ足を進めていると、次第に雨風が強まってきた。気付けば、足元が瞬く間に川状態。筆者がズボンの裾を上げながらようやく寮の正門の前に辿り着くと、昨日まで掲げられていた『京都学生狂奏祭』の横断幕が見当たらない。玄関口までのスペースには、この日も野外の「幻野ステージ」となるはずだった鉄パイプの骨組みが佇んでいる。建物の玄関前まで歩いてふと見上げた壁に、門にあった横断幕が移動していた。
あいにくの天気に見舞われた、今年で3回目の開催となる『京都学生狂奏祭』の最終日。寮内ロビーのどこかから、「人、来てくれるかなあ」という声が聞こえてくる。不安に思うのも無理はない。予報によると一日中雨で、雨雲レーダーの赤色が京都市南部をすっぽりと飲み込んでいた。
この2日前から行われていた『狂奏祭』だが、初日途中から雨が降り始めて以降は、野外でのライブが屋内での開催に急遽変更。この最終日も強い雨と小雨を繰り返していたが、寮の中は時間が経つごとに人で賑わっていった。
1965年に設立された〈熊野寮〉は、京都大学に籍を置く学生が自ら運営する自治寮。寮で生活をしていくために、寮生の一人一人が様々な役割・責任を担う。寮での生活に誰よりも近い寮生本人が中心となることで、より柔軟で解像度の高い寮の運営を実現させてきた。そんな〈熊野寮〉は、同じ京都大学の〈吉田寮〉をはじめ、全国の学生自治寮が抱える廃寮化の波と戦っている。この『狂奏祭』も、自らの意志でこの場所で暮らすという自由や、〈熊野寮〉という居場所を守るという目的で「寮外連携局」によって開催されているイベントだ。
受付では、ハンドアウトを手にした寮生が座っている。昨年と同様、『狂奏祭』来場者全員に、〈熊野寮〉が自治寮としてどのように活動しているのか、なぜこのイベントを行うのかを説明しているとのこと。来場者が何名か集まってから説明を始める、受付ブースを複数作るなど、バラバラに来た人々が途中から参加するのではなく、全員が初めから聞けるようにする工夫が見られた。来場者の中には、ライブを楽しむために来たという人も少なくないかもしれないが、寮生は一人一人の顔を見ながら丁寧に説明をし続ける。その姿からは「皆さんにもここを守る一員となってほしい」という、妥協のない想いが伝わってくる。この『狂奏祭』というハレの日は、〈熊野寮〉での日常、いわゆる「ケ」を守るためのメッセージがこめられたお祭りなのだ。
広がる狂奏祭、伝えるべき熊野寮
第1回目から中心となって運営してきた局員によると、イベントが浸透してきたのを感じる一方で、ある課題も浮き彫りになってきたという。
「前はXでエゴサするときに「#熊野寮」の方が検索にヒットしてたんですけど、「#狂奏祭」ってポストの方が増えてきて。イベントとしては嬉しいことだけど……。『狂奏祭』ってものだけが独立しちゃうと、〈熊野寮〉から離れちゃうから。本来のメッセージが伝わりづらくなっちゃうだろうなって」
また別の局員によると、『狂奏祭』を立ち上げた当初は何もかもが未知数だったが、2年経って広く認知され、「自分も出演したい」という声も増えた。過去の出演者からも「また出たい」と言ってもらえる。確実に力のあるイベントになっているのを実感しているとのこと。彼は、さらにこう話してくれた。
「ただそれが、なんで〈熊野寮〉で実現できているのか?とか、『狂奏祭』にも毎年協力してくれている〈吉田寮〉と〈熊野寮〉とがどう連携していて、どういうところが違うのかみたいなところまで、伝えきれてなくて……。説明することはできるんですけど、実際にこういう良くない状況があって、もっとこうしていきたいんだというみんなの実感に落とし込めるレベルまではまだできていない」
一方で、今年から中心となる役割を継いだ局員の一人からはこんな声も。
「今日のイベントは、めちゃくちゃ入り口のイベントなんです。たとえばみんなで大学の窓口に行くとか、あるいは何かしら署名の提出行動をするとか、そういう運動よりももっと敷居の低いイベントではあるので。「少しでも知ってくれている人が増える」こともすごく重要だと思う」
話を聞いていると、『狂奏祭』における想いのアウトプットの仕方が、局員間で少しずつ異なるように感じる部分もあった。「〈熊野寮〉を守りたい」という強い想いを全員が同じだけ持っているからこそ、〈熊野寮〉という存在の伝え方について様々な試行錯誤が続いているようだ。
〈熊野寮〉が抱える問題や自治に関するすべての事柄を、一朝一夕で理解するのは難しい。さらに〈熊野寮〉が世間で取り上げられる際に多く出てくる言葉は、「機動隊」「バリケード」「家宅捜索」など、インパクトの強い非日常的なもの。寮はプライベートな生活空間ということも相まって、他人の生活には踏み込まない方がいいのではないかという遠慮もあるだろう。つまり「理解しようという状態になるまで」の壁が多く存在するのだ。
美味しい、踊れる、歌える、体が揺れる……そういった単純な体験を、寮内外に関係なくみんなで共有すること。そして不本意に広がってしまった〈熊野寮〉のネガティブなイメージを少しずつ覆すこと。それらもまた本イベントの目的であり、思い出に残るような楽しいイベントであり続けることも重要なポイントであるように思える。
つまり、イベントの楽しみ方やメッセージの伝え方について白黒を決めることが必ずしも正解ではない。局員をはじめとする熊野寮生たちのように常に頭を動かし、自らの意志や生活について終わりなく考え続けることこそが、自治の姿なのではないだろうか。
この日、初回の『狂奏祭』から舞台に立っている出演者たちもまた、それぞれの想いを〈熊野寮〉に持ち寄っていた。次章ではそんな彼らが狂奏祭をどう受け止め、どんな思いを重ねていたのか、ライブの模様とともにお伝えしたい。
「楽しい」が続いていくこと、場所に想いが宿るということ
2023年の『狂奏祭』初開催から3年連続出演のサブマリン。いつもは栄養満点の寮食が並ぶ食堂に作られたステージに登場した。1曲目の“のらりくらり”では、笠浪悠生(Gt / Vo)の声が真っ直ぐに飛んでいき、タカノ(Gt)の厚みのある心地よいギターサウンドが響き渡った。食堂にこもった熱気が、爽やかな海面のように揺らいでいる感覚に包まれる。
2025年3月に立命館大学卒業式のエンディングムービーで起用された“シュガータイム”は、大切な場所に宿る思い出が蘇ってくる楽曲。普段は〈熊野寮〉の何気ない日常が流れているはずの食堂という空間で聴いていると、寮生の暮らしがより身近に思えてくる。当たり前すぎて無色透明なのに、どうしようもなく尊い。そんな守りたい時間や場所の輪郭を描けるサブマリンならではのアプローチが、この『狂奏祭』に見事にハマっているのかもしれない。
最後は新曲“good morning”を披露。バンドで鳴らす音の絡み合いが美しく、食堂を飛び出して〈熊野寮〉全体に行き届いているようであった。
昨年、自身の入院と手術により出演が叶わなかったタカノ(Gt)は、「リベンジをしに来た」と話す。2023年の初出演時のライブ映像を“まぼろし”のMVに使用していたり、当時買ったという『狂奏祭』のオフィシャルTシャツを着用してこの日のライブに臨んだりと、楽しい記憶が詰まった思い入れのあるイベントであることがうかがえる。
またタカノは京都育ちではあるものの、最初は〈熊野寮〉に対して「少し怖い」という印象を抱いていたと語る。第1回目の『狂奏祭』に出演したことがきっかけとなり、初めてこの場所に踏み込むことができたという。彼は、出演後にこう話してくれた。
「思想や政治云々みたいな話が目立つことがあるけど、どう考えているかはあまり関係なく、重めの使命感みたいなものも背負う必要もなく、そのまま参加してもよかったってところが、俺は楽しかったって思ったんかもしれへん」
誰でもボーダーレスに楽しめる体験が、毎年思い出という形になって残る。それをふと思い返すたびに、自由や自治について少しでも意識する。そういった「保存型のきっかけ」となりうることが、『狂奏祭』の魅力のひとつであり、可能性でもあるように思う。
Akane Streaking Crowdのキタザトユタカ(Ba / Vo)は、ステージで眉間に皺を寄せながらこう言った。
「3年連続で出てるのに、フライヤーの僕たちのアー写がなぜかいちばん小さいというね……。次は『狂奏祭』のヘッドライナーとして、1枚デカデカとフライヤーに載りたいです!」
こんなことが言えるのも、京大生としてずっと〈熊野寮〉に親しんできたからこそ。初期の楽曲は地下の音楽室でレコーディングしたり、ストイックに何度も練習を重ねたり、〈熊野寮〉で音楽を鳴らした時間は、東西問わず人気を集める彼らの血肉となっている。
“Akma”では、イントロでベースの音が大きく弾け、滑らかなギターの速弾きで一気に惹きつけられた。エンジン全開はもちろんのこと、「自分たちも音楽を通して〈熊野寮〉のために何かしたい」という気概がAkane Streaking Crowd全員に漲っているようだった。
その勢いのまま始まった“KARATE!”でフロアいっぱいの観客が踊り狂う様子は、まさに『狂奏祭』。“2001”では立本純嗣(Dr)の正確で淀みのないツービートがフロアをさらに熱気で包み、最後はライブの定番となっている”深夜特急”から“新快速”までの流れを駆け抜ける全力疾走コース。熱気のこもった食堂。キタザトのベースとからっきい(Gt)のギターのボディには、汗が滴っている。
キタザトはライブ中にとある京都の大先輩の言葉が浮かんできたと、ライブを終えて筆者に語ってくれた。
「去年、〈GROWLY〉(2024年に閉店した京都二条のライブハウス)が閉まったじゃないですか。そのころのライブで、内田秋さん(No Fun / ピアノガール)が『最高な場所とか楽しい場所みたいなのは、自分らで守っていかねえと』って言ってて。その言葉がライブの時に頭の中にあったな。場所がなくなるみたいなのって、ちゃんと目の当たりにしてるから。それは起こりうることなんだなあっていうのは、身に染みてわかってるから。やっぱり〈熊野寮〉がなくなったら嫌だよねって思います」
MCでは『狂奏祭』へのカンパを積極的に呼びかけるなど、当イベントそのものや〈熊野寮〉に対しての強い想いを一貫して示したAkane Streaking Crowd。音楽を通じて繋がったかけがえのない場所を守るために、ヘッドライナーとしてまた帰ってくる日はそう遠くないのかもしれない。
続いていく「人繋ぎ」のホームパーティー
アニメ『ONE PIECE』の主題歌“ウィーアー!”が流れ、観客の大合唱から幕を開けたのは、今年の大トリ、砂場泥棒のステージ。4人のメンバーは全員、この〈熊野寮〉の住人である。
“冬の夜の海”からしっとりと始まったかと思えば、間奏では体の芯まで響く轟音。曲終盤は風が嘶くような、どこか泣いている声のようなコーラスで締められる。展開が予測できない超変則的なスタイルの演奏に、目と耳が釘付けになった。
8月1日にリリースされたばかりの1stシングルに収録の“花”、リズミカルでメロディアスなベースラインで体が自然と揺れる“てあそび”と続く。裸足でたくさんのエフェクターを踏み分ける加藤仰明(Gt / Vo)の姿を見ていると、「彼らは今、自分たちの住む家でたくさんの観客を前にライブをしているんだ」と改めて不思議な気持ちになる。
そして砂場泥棒のライブで最も盛り上がったのは、“花”とともにリリースされた“骨”。加藤が「首振って踊れ!踊れ!」と歌い叫ぶと、鳴り響く重低音に合わせて観客がヘッドバンギング。メンバーが演奏しながら大きく横に揺れ始めると、その動きに合わせて観客も肩を組んで揺れる。妖しさとグルーヴ感が同居する唯一無二の砂嵐に飲み込まれているうちに、砂場泥棒がまだ結成わずか1年目のバンドであることを忘れてしまった。
「ほんとに、一人じゃできないことばっかりです。バンドも、このステージも、『狂奏祭』も。でも、みんなでやればできることばっかりだなって思います」
演奏が終わると、加藤は感慨深そうな目で真っ直ぐに前を見つめながらそう話し始めた。楽器の音が止んでもなお、観客の温かい視線がステージに注がれている。加藤は、みんなで同じ体験をした時間を振り返りつつ、力強い言葉を放ってこのステージを締めた。
「みんな3日間、同じもの聴いて、同じ踊りを踊って、同じ歌歌って、同じもん食って、同じ飲みもの飲んで、同じ汗かいて、同じ雨に当たって……まあ(このイベント)、政治色とかありますね!普通に!俺らには確固たる思想がある。自分たちのことは自分たちで決めるし、自分たちの踊りは自分たちで踊る。その自分たちが踊る場所、自分たちが踊る音楽は、全部自分たちで作る。誰にも邪魔させない。そういう場所をこれからも作っていこうとするお祭りでした!」
自由を自由に考える
「自治」。果たしてそれは、難しい話なのだろうか。生活のために、より豊かな人生のために、自分のことは自分で決める。大切な居場所も、自分で守る。それって、自分には関係のないことなのだろうか。
2025年8月、老朽化した棟などの明け渡しをめぐって裁判を行っていた〈吉田寮〉と〈京都大学〉との和解が成立した。吉田寮生が6年半ものあいだ求め続けてきたのは、争いではなく対話。寮の存続と和解に向けた話し合いの場がついに実現したのだ。筆者はこのニュースを見たとき、ふと熊野寮寮外連携局のとある局員が呟いた一言を思い出した。
「僕は本当は、イベントを通してみんなと友達になりたかった」
『狂奏祭』での寮生の笑顔を見て思う。〈熊野寮〉に住む学生たちもまた、大きな争いや身近な人々との対立を望んではいないと。ただ、自分たちの当たり前の生活を守りたい。ボーダーレスに、誰とでも楽しい時間を過ごしたい。自分たちのことを知ってもらう努力をしたい。大きく見えるハードルを超えることは、音楽ならできるんじゃないか。美味しいご飯を一緒に食べれば、通じ合えるんじゃないか。他にもこれができる、あれができそう……。寮生・局員たちは、〈熊野寮〉で様々な形の「楽しい」を実現させながら、みんなで築く自由自治のカタチを模索し続けている。
また『狂奏祭』は、実際に〈熊野寮〉の住人ではなくても、それぞれの形で想いをアウトプットできる機会でもある。サブマリンは、初回からの出演を通じてかけがえのない場所となった〈熊野寮〉の温もりを、純粋で抒情的な音楽で浮かび上がらせた。Akane Streaking Crowdは、バンド活動のなかで身に染みて感じた「居場所を一つ失うこと」の喪失感をパワフルな演奏と言葉に変えて、寮存続のための協力を訴えた。
来場者も然り。入り口で寮生による説明を聞いた後にパンフレットを見ながら自治について話し合う来場者や、終演後に「来年は自分たちも出たい」と意気込む京都の若手バンドの姿もあった。
このイベントで来場者や出演者との何気ないコミュニケーションの場も大切にしたいという局員は、この場で大きな集団を作ろうとするのではなく「小さな団結を増やしていくのがちょうどいい」と話していた。
みんなで一緒に楽しむ祭りという面を大切にしながら、自分たちで決めて作る生活について、自由に考えてみる。『狂奏祭』は、そんな流れが肩肘を張らなくても自然に生まれうるイベントだと思う。
いつもの日常、「ケ」を守るための「ハレ」の日、『京都学生狂奏祭』。
来年は晴れますように。
写真:鈴木里菜
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2001年梅雨生まれ。音楽の流れる景色を描くようなことばを紡ぎたい。
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