
答えを求めず、迷子になることのススメ『去年マリエンバートで』―思い出せない映画たち #3
「すごく良い映画だった……」その感覚だけが残り続け、内容を語ろうとするとなぜだか言葉が出てこない。あのシーン、あの表情、あのセリフが記憶の中で燻り続けている。あの時間はなんだったんだろう?
幼少期から観た映画が15,000本を超えても「もっと映画を観たい人」として活動する川端安里人が、“思い出せない映画たち”を振り返り、あの日の感覚の正体に迫ります。
あなたもあります?そんな映画。
第3回:『去年マリエンバートで』(1961年)
これは映画好きあるあるかもしれないが、たまに知人から「思い出せない映画があるからタイトルを教えてほしい」と相談を受けることがある。
「男の子が主人公で……深海魚みたいな宇宙人が出てきて……人が砂に飲み込まれて……」と具体的なシーンやストーリーを教えてもらえば、AIいらずで「あぁ、トビー・フーパー監督の『スペース・インベーダー』だよ」と答えることができる(もちろんわからないこともある)。
自分の頭の中に現存しているレンタルビデオ屋の棚から、ビデオを一本引っ張り出すような感覚で映画のことを思い起こすことは決して難しくない。
しかし悲しいかな、私にとって高校時代より前の記憶はかなり朧げだ。一応付け加えておくと、自分なりにエンジョイしていたはずである。なのに旧友との会話で思い出話になろうものなら、しばしば「そんなことあったっけ?」となってしまう。大半のクラスメイトは名前も顔も思い出せない……もはや映画の記憶に押しのけられた彼らは忘却の彼方。全くもって薄情なものである。
このように人の記憶とは不思議なもので、20年前に観た映画のことは容易く思い出せるのに、10年前に何をしていたのかはさっぱり忘れてしまっていたりする。覚えているはずの出来事が抜け落ちていたり、逆に実際にあったことなのか、自分の頭の中で作り上げた記憶なのかすらわからなくなったり。
そんな記憶の迷宮をそのまま映画にしてしまったような作品が、今回紹介する1961年公開のフランス・イタリア合作映画、アラン・レネ監督の『去年マリエンバートで』である。
会ったことあったっけ?
内容自体は至極単純だ。まるで宮殿のようなホテルで、男性が女性に「私たちは去年マリエンバートあたりで知り合って、今年再会する約束をしましたよね?」と言い寄る。しかし女性は「あなたと会ったことなどない」と言い続け、女性の夫がその様子を覗いている(この映画のキャラクターたちには名前すら与えられていない)。
本当に、それだけである。
そう聞くと恐ろしく退屈そうな映画と思えるかもしれない。ところがこの映画にはとてつもなく強力な引力とも言うべき不思議な魅力が満ち溢れている。65年前の映画だが今観ても新しい発見ができる作品なのだ。
また本作はヴェネツィア国際映画祭で金獅子賞を受賞しており、しばしば“映画史上最も難解な映画”の一つとしても名前が挙げられる。
では、なぜ難解と言われているのか。
例えば、主人公の女性が振り返るシーンがある。画面中央で女性が振り返る。その一瞬の動作を境に、背景も衣装も瞬時に変わってしまう。現在だったはずの場面がいつの間にか過去になり、過去だったはずの場面が現在へとシームレスに戻ってくる。そもそもが曖昧な記憶を舞台にしている作品なので、それが現実か空想かもわからない……そんな時間と空間の飛躍が何度も何度も繰り返される。
さらに、ホテル内では人物たちがまるで時間を止められたかのように静止しているのに、その間をカメラだけがぬるりと移動していく。時間が空間を置き去りにしており、普通の映画とは違う流れ方をしている。
過去と現在、記憶と想像、現実と空想。その境界線の曖昧さこそがこの映画を“難解映画”たらしめている。
そして面白いのが、この映画を作ったアラン・レネ監督と脚本を担当したアラン・ロブ=グリエの両人ですら、作品に対する捉え方にも違いがあったことだ。
レネにとっては、記憶の曖昧さや、過去と現在、現実と想像が揺らぎ続ける物語。つまり「あったかもしれない」物語を監督しているのに対して、ロブ=グリエは、男性が女性に「存在しなかった過去」を信じ込ませようとする、ある種の記憶の操作、あるいは洗脳の物語として脚本を書いている。つまり、作り手の段階ですでに「これは何が起こっている映画なのか」が一つに定まっていないのである。
さらに付け加えると、モノローグなど脚本の時点では限りなく言い寄っている男性が物語の主導権を握っているのに対して、カメラは女性をメインに写し続ける…。おそらくこの違いは、内容だけでなく「誰の物語なのか」という主人公の捉え方にまで及んでいるのではないだろうか。
映画の魔法にかけられて
しかし、私はこの映画を観る時「難しい映画……」とは思わない。違う言い方をすれば「結局二人は去年、実際に会ったのか?」という答えを必死に探す必要もないと思っている。
観客自身が男性と女性の記憶の間に放り込まれるこの映画では、男性の言っている事が本当なのか。女性が忘れているだけなのか。それとも男性の記憶そのものが間違っているのか。映し出される光景は現実なのか、それとも誰かの記憶や夫の空想なのか……その答えは迷宮の奥底に隠されたままだ。レネ監督もコメンタリーなどで「各々で答えを見つけてください」と言っている。
そもそも映画というものは、本来なら現実には不可能なことを簡単にやってのけるメディアである。時間を切り刻み、過去と未来を自在に並べ変え、別々の場所を一瞬で繋ぎ、存在しない時間と空間を本物のように創り上げることができる。そんな映画の魔法をこれ以上ないほどフル活用したのが『去年マリエンバートで』なのではないだろうか。
だから難解な映画に対して、解き明かさなければいけないと構える必要はない。迷路の醍醐味は脱出ではなく迷う行為そのものだ。これは記憶の迷宮を彷徨う映画なのだから、その魔法にかけられて迷子になってもいいじゃないか。
You May Also Like
WRITER

- ライター
-
超映画好き・変な映画愛好家
OTHER POSTS
通称“もっと映画を観たい人”、鑑賞本数1万本を越えた所で数えるのは辞めたけどまだまだ観足りない。クラシックからカルト映画、ドキュメンタリーからホラーまで古今東西有名無名問わず雑食気味に摂取してます。
自宅の棚は一杯なのに映画のソフトは増量中。

