INTERVIEW

【実は知らないお仕事図鑑 P7:アーティスト】 副産物産店・矢津 吉隆 / 山田 毅

面白い道はどっちだ?カウンター精神で選んだ美術の道で演劇に出会う

──

山田さんは映画の制作がしたくて武蔵野美術大学に進学されたんですよね。

山田

映画が好きだったのもありますし、母が武蔵野美術大学の出身で実家も大学に近かったので、自然と進路の選択肢に美術大学がありました。それと、僕が通っていたのは進学校だったんですが、同級生が一般的な大学を目指す中、大多数の流れに乗りたくないというカウンター精神も働いて、それで予備校の映像コースに通って映像科を目指しました。結局、映像科には合格せず、芸術文化学科という、社会とものづくりの世界をつなげるような人材を育てる、学問としての芸術を教える学科に入りました。学芸員や教員、編集者や企業の企画職とかを輩出しているところで、周りがみんな美術好きなので、その中でも結局、映画好きの僕はマイノリティーになったんですけど。

──

そんな中で、在学中は映像表現と舞台芸術に取り組んでいたとお聞きしましたが、どのような表現活動をしていたんですか?

山田

僕が付いていた先生はドキュメンタリーの先生で、4年間ドキュメンタリーの手法を勉強していました。演劇に出会ったのは大学3年生の時で、劇団むさびという演劇サークルに所属している、テニスコートという一つ先輩のコントユニットの公演を観た時です。「世界を救うために集められたおまんじゅうを食べよう」っていうすごくくだらない内容なのに、のべ500人くらいの観客が泣いたり笑ったりしているのを目の当たりにして、こんな世界があるんだと衝撃を受けました。

 

演劇はお客さんの反応がダイレクトに返ってくるのも面白くて。表現の手法として演劇を選んでからは、お客さんがお題を言ってそれに答えてその場を成立させる即興演劇や、お客さんが主役になるような演出を取り入れたりして、舞台という場所でどう演出したら面白いかを考えるようになりました。それが今でも表現の原点です。僕は己のエゴをドロっと出すような作品は作って来なくて、みんなで作った何かが作品だと思っているので、今の副産物産店も、いつもやっているロングランの舞台をやっているような感覚があります。

点じゃなくて、面で働きたい。

──

大学には10年ほど在籍されていますが、なぜ京都で只本屋を開くに至ったのでしょうか。

山田

大学卒業後は研究室スタッフを6年間、その後2年間は出身の科で、映像と演劇を非常勤講師として教えていました。大学って変にカテゴライズされていて、僕の科はアーティストを育てる科じゃないので、生徒の中にはアーティストを目指す子もいたのに評価をしてあげられなくて。そういう大学の教育システムに疑問を抱いていた時に、同じように学生時代にコントユニットを組んでいた後輩が、株式会社モーフィングというクリエイターと社会をつなぐような仕事をする会社を経営していたんです。彼は当時、TYMOTEというすごく売れているクリエイティブユニットのメンバーでもあって、クリエイターの裏側で彼がどんな仕事をしているか知りたくて、頼み込んで会社に入れてもらいました。そこでは、様々な仕事を経験し、アーティストやクリエイターの使われ方や、社会の仕組みも知ることになります。

 

そして2011年の東日本大震災がありました。東京もけっこう揺れて、僕は大学で仕事中でしたが、咄嗟に守ったのが自分のパソコンのハードディスクと、自分に指示をくれる上司の安否でした。生命の危険を感じるような事態だったのに、その夜「守ったのが仕事か…」と違和感を感じて。30歳手前で、この後どうやって東京という街で生きていくんだろうと思い始めて。震災と原発の事故で東京の活動が止まる状況を目の当たりにして、危機感を覚えたんです。親族もみんな東京だし、一拠点でしか暮らしたことがなくて、点を面にするように、違う土地で場所に頼らない新しい働き方を見つけようと思って、2013年に京都に来ました。

──

なぜ京都だったんですか?

山田

さっき話に出ていた後輩が京都に進出しようと考えていたタイミングで、芸大もいっぱいあるし、美術の仕事もあるかなと。あとは東京人の軽い発想で「そうだ京都、行こう」と(笑)。一年間は特に何もせず、美術館に行ったりふらふらしている時に、もともとダムタイプの活動をしていた美術家で、京都市立芸術大学教授の小山田徹さんに出会いました。小山田さんと共同研究がしたいなと思ったのと、美術の勉強を改めてしたいと思って、ファインアートの専攻で学びたくて、それで大学院に入って彫刻という領域の中で場づくり的なものを学ぶことにしました。

 

その頃始めたのが、フリーペーパーの本屋・只本屋でもあるんですが、フリーペーパーはもともと東京にいた時に、うちの会社で全国の美大生と一緒にフリーペーパーを作るプロジェクトで『PARTNER』という媒体を作っていました。そこで出会った関西の学生の子たちが関西にもそのムーブメントを作りたい、文化を作りたいと提案してくれたんです。だけどムーブメントは一過性で終わってしまうので、それならずっと続けていける活動を目指して、フリーペーパーを扱ったコミュニティーを作ろう、ということで只本屋を始めました。僕が社会人で一番年上だったこともあって、代表となりました。

 

矢津さんとの出会いは、kumagusukuで場を作りはじめた矢津さんに大学院の研究対象としてインタビューをしたことがきっかけです。矢津さんはその時kumagusukuは表現じゃないと言い切っていたんですけどね。あるときに小山田さんが「美術っていう技術を使っていろんなことをできる人が美術家なんじゃないの」とおっしゃっていて。僕の文脈ではkumagusukuは表現だと思うし、僕も演劇や只本屋という場作りをしているから、お互い重なり合う部分があって、副産物産店に発展していきました。

一度物流の仕組みから離れたものだから、副産物として価値がある

──

山田さんが点だけでは生きていけないかもしれないとおっしゃった話に繋がるのですが。「人生を変えるためには最初に住む場所を変えなさい」という言葉がありますよね。それは場所が変わるとその人が持つ社会的な役割と機能が変わるということではないかと思っていて、副産物産店のやっていることは集めてきたアーティストの副産物や断片に場所や人に合わせてキャラクターを与えていく行為なのかもしれないと感じました。主産物と分断させることで、作品そのものの文脈から切り離されていろんな場所や人との関係性が生まれている。

矢津

副産物は、作品でないことがすごく重要です。作品だと、僕らは作品であることの価値を尊重しなきゃいけないし、それを変えることはやってはいけないと思います。ゴミになって自由になったものをいろんなシチュエーションに持っていくことで、価値のあり方を変えていくってところに繋がっている。それと、アーティストの副産物の価値について、ピカソの使っていた鉛筆だからめちゃくちゃ価値があるという考え方は、価値の転化にはなっていないので、副産物産店の価値の作り方ではないです。アーティスト自身の価値から一度切り離されてゴミになってしまったからこその価値が肝ですね。

──

マガザンキョウトのインタビューで、場所や買い手によって売れ方と値段が違うとおっしゃられていました。買い手の価値基準で値段が異なるということかと思うのですが、お二人は副産物のどんなところに価値を感じますか?

矢津

2つの価値があると思っています。まずは、アーティストの作品にもよりますが、制作の過程で生まれたものが貴重で、見たことがないしどこに行っても買えないものという希少性の価値。もう一つは、見た目そのものは魅力的なものではないが、コンテクストがあること。例えば、合板の欠片は、ホームセンターなどで売っているものとほぼ一緒だけど、一旦、物が売られる流通の仕組みからアーティスト側に行ってからこちらの手元に来たものなので、出自が違うものになる。端材や合板の欠片など特別じゃないものの魅力を探る時、手がかりとして僕らは副産物を別の価値に転換させるのですが、それがコンテクストです。

山田

本質的には、「ものの価値って不思議だよね」って単純に共有できるお店を作りたい。「コンビニで買い物する時に、その値段の価値とか考えている?」という問いかけに近いですね。僕たちはその入り口をアートという、表現の手法として目立ちやすいものにしているけど、みんなの中にあるものだと思います。僕らは副産物産店という形にしているけど、別に古道具屋でもよくて、海外で拾った錆びた鍵を、かわいいから買うみたいなことあるじゃないですか。「それってなんでなんだろう」という面白さを改めて世の中に問うてるところが強いですね。

矢津

僕らが価値をわかって出品しているよりは、僕らも一緒に考えているんです。一つの副産物を商品にするのに毎回悩むし、副産加工品として加工する時もパッケージの仕方一つでも正解を探している。副産物産店は、買う人も含めてものの価値を考えていく仕組みの一つだと思っています。

山田

僕にはものの価値について考えるようになった原体験があって。武蔵野美術大学の時に、大きな石から家具を削り出す彫刻家がいて、作品作りで50トンの石から20トンまで削り落とすんだけど、50トンの石がだいたい50万円くらいするから30万円くらい捨てることになりますよね。ある時疑問に思って「30トンから始めることはできないの?」って聞いたら、「それできない」って。削る中で生まれるその30トンがすごく重要で、経済とは違う価値観の世界があるんですよ。

──

商売だったら、コスト削減とかいかに儲けるかを考えますね。

矢津

似たような話で、丸太1本から木を削って作品を作る課題が学生の時にあって、友人がノミでひたすら削って小さな指輪を作って、当時付き合っていた彼女にあげたんです。丸太を削る時間、彼女のことを考えていたわけで、その時間も含めて作品だったわけですよね。副産物にも想いやストーリー、思い出みたいなものがあるんです。

──

想いの詰まったものを受け取って、お二人が手を加えて副産加工品としてアップサイクルの商品を作っていますが、加工時、どんなことに気を付けていますか?

山田

商店って、生産者との信頼関係のもとに成り立っているじゃないですか。ベースには、アーティストはみんな主たるものを売って身を立てていきたいという想いがあります。でも僕らはそれ以外のことに面白みを感じたから手を付けているけど、それをよしと思っているわけではないんですよね。僕らもいわゆる主産物という作品を作ることもあるし、そういう意味でも副産物産店と言いつつ、最終的には主産物を作っているアーティストの世界に還元したいと思っています。

──

アーティストの環境が良くなるように?

山田

例えばアーティストのスタジオってブルーシートを引いて養生したりするので、使わなくなったのを副産物として僕らが買い取ってアップサイクルで売って、そのお金で新しいブルーシートを作家に還元できたら面白いですね。経済じゃなくてもので循環させられるのが理想です。こういう活動の先にはアーティストの環境を変えられたり、アーティストじゃない人も、ものの価値について考える世界を作っていきたいですね。

ゆくゆくは無人販売所のように、誰でも参加できる流れを作りたい

──

今後の副産物産店の動きと、新たにオープンさせたこの場所<kumagusuku SAS>の今後の展開を教えてください。

矢津

今まで集中して副産物を加工する場所がなかったので、腰を据えて副産物と向き合ってそれを商品化する仕組みを作ろうとしています。アーティストが作品を作っている現場にも興味があるので、リサーチして繋がりも作っていきたいですね。スペース的にもコンパクトだけど使いやすい空間になったので、オンラインの販売だったり、BUYBYPRODUCTS(バイバイプロダクツ)という副産物をパックして商品化したものの生産を本格的に進めています。

山田

BUYBYPRODUCTSは、全国の美術館のミュージアムショップに置いてもらうことが目標です。京都の美術館だったら京都の副産物をパッケージングして、沖縄の美術館だったら、沖縄の作家の副産物を詰めて、現地のアーティストに還元していけたらいいですね。あと、今は副産物の自動販売機のプロジェクトも進めています。

──

自動販売機ですか。料金設定はいくらくらいの予定ですか?

山田

¥9,999まで設定できるから、意外とすごく高いものがあっても面白いなと思います。今は副産物に対して、どのアーティストのものかっていうのを言ってないんですけど、誰かの副産物が買えるってなったら価格を上げられると思うし、例えば展覧会をやっている人とコラボレーションしたりできる。自動販売機は、「なんでこんなのにお金払ってるんだろう」が楽しい世界だと思うんですよね。「¥5,000つぎ込んだのに木くずかよ。」みたいな。適正価格がないものを楽しむという仕組みを作っていきたいですね。

矢津

ゆくゆくは、無人販売所みたいに機能させられたら面白いなと話しています。

山田

勝手にゴミとか置き出す人もいたら面白そうですよね。僕ら以外の人も関われる仕組みが作れたら面白い。「うちも廃材あるんですけど、置いていいですか?」みたいなやり取りがしたいです。

矢津

もともとこのプロジェクトのきっかけが、京都市立芸大の移転プロジェクトとして、芸大のゴミ捨て場を面白くできないかなと思ったところから始まったから、移転先の地域に無料販売所とか作ったり、地域の人たちと関わるツールにできるんじゃないかなと考えています。副産物産店にはこうしないといけないという決まりもないので、これからもその都度話し合いながら決めていくと思います。「とりあえずやっちゃえ」で色んな人を巻き込んでいけたら面白いですよね。

──

本日はありがとうございました。

クラウドファンディング

 

アートホステルとは全く違う、新しい形のkumagusukuが始まろうとしています。アートスペース<kumagusuku SAS>と副産物産店の活動を支援するクラウドファンディングは2020年7月31日まで。
詳しくはこちら

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