死を想い生を見つめる、残された者たちのポップソング|テーマで読み解く現代の歌詞
特集『言葉の力』の企画「#テーマで読み解く現代の歌詞」。サブスクリプションでのリスニング・ライフが主流となる中で、歌詞を見ながら音楽を聴くことが以前と比べて少なくなった気がする。逆に気になった楽曲を調べて歌詞を見ることは増えた。つまり「歌詞を味わう」ことがより能動的な行為になってきているのかもしれない。ならばいっそ、その能動性にフォーカスして、歌詞を軸にして現代の音楽を紐解いてみようじゃないか。
本企画では8人のライターがそれぞれ現代のポップ・ミュージックの歌詞を捉えるためのテーマを上げ、それを象徴している4曲と共に解説してもらった。
2011年3月11日に日本を襲った大災は、一見終わりのないような自分たちの日常がいかにはかないものであるかを私たちの根幹に深く刻みつけていった。そこから10年がたち全く別種の災禍に見舞われる今も、たとえば雇用や自殺に関する報道、社会保障の責任を軽んじるような政治家たちの言葉を見るたびにそれが疼くのを感じる。日常で起こりうる心身の病や貧困の内実についても、昨今はSNSやウェブ媒体を通して、より可視化された情報が大量に流れてくるようになった。
どうやら、命の危機というものは日常にある無数の選択肢のどれかの先にいつもいて、知らずしらず背後から擦り寄ってきたり、あまりにあっけなくエンカウントしたりするものらしい。そんな認識が共有されつつある今、私たちは“死を想う”ことがとても身近になった社会を生きているといえないだろうか。
“死”にまつわる歌謡曲/ポップスといえば、よく挙げられるのは荒井由実“ひこうき雲”やちあきなおみ“喝采”だ。しかし、たとえばコブクロ“蕾”や宇多田ヒカル”花束を君に”など、お茶の間のヒットソングでも死別というテーマが珍しくなくなったのは2000年代になってからだろう。米国で広く読み継がれてきた詩に新井満が曲をつけ、秋川雅史が歌って一大ムーブメントとなった“千の風になって”(2006年)はその最たる例だ。いずれも“残された者の痛みに寄り添う”という役割をもって生み出され、ゆえに歌詞の上ではっきり述べてなくとも、書き手自身のパーソナルな経験(死別)とセットで語られることが少なくなかったように思う。
ここに挙げたのは、そんな作り手自身のパーソナリティ、または鎮魂歌としての強烈な役割にとどまらない拡張性を持った4曲だ。聴き手の期待を超え、心の水面下をとらえてみせるような歌詞は、時に聴き手をいざなうように時代の矢面に立つことがある。身近な“死”への想いを経由して初めて手の届く“生”への問いかけこそ、2020年代の重要なポップソングのテーゼとなるかもしれない。
寺尾紗穂 “北へ向かう”(2020年)
父・寺尾次郎の葬儀のあと、喪服のまま金沢のライブ会場へと向かう道中でできた曲だという。幼少からほとんど同居しない曖昧な間柄であった父と自らを彼女は自著で彗星にたとえたが(『彗星の孤独』2018年)、この歌詞にもその距離感が反映されている。相手の死によって行き場をなくした、愛憎だけでは決して片付かない澱のような感情。彼女本人だけでなく此岸のあちこちに漂うそれら全てを“祈り”と言い換える懐の深さが、「私」「わたし」「僕ら」と移ろう一人称にあらわれている。
dodo & tofubeats “nirvana”(2021年)
故人の記憶が少しずつ薄れる寂しさについて滔々と言葉を尽くすdodoに、その寂しさをなめらかに自らの生の回顧に繋げているtofubeats。故人に宛てながら、どこか互いの往復書簡のようでもある二人のリリックの中には、“けど地獄も天国に できる俺らの特技”、“10年前に作った物もいまだに越えられてもないし”と、音楽制作業としての二人の矜持がちらちらと光っている。ひとつひとつの生のはかなさと、生に誠実であろうとするスタンスが表裏一体でしたためられた一曲。
台風クラブ “下宿屋ゆうれい”(2020年)
死んでなお漂っていた何者かとのさらなる別れの物語が、匂い立つような情景とともに描かれる。喪失のあと、腰が立たないまま月日ばかり過ぎるような無力感が散りばめられた歌詞は、後半からは“お前”がいなくなった先の生活を思い、何度も“間に合わない”と繰り返していく。戸惑いをゆっくりと噛み締め消化していくかのようなその構成には、後ろ髪をひかれながらもふたたび自分の生に焦点を当てていく、ささやかな回復の過程が含まれているように思えてならない。
折坂悠太 “朝顔”(2019年)
震災遺族である法医学者の奮闘を描いたドラマ『朝顔』での2期にわたる主題歌起用、さらにいくつかの音楽番組出演を経て、ドラマの枠を超えて震災10周年を象徴する一曲へと大成したナンバー。この歌詞の宛先は、時には故人であり、時には今をともに生きている誰かだ。それぞれへの手紙を交互に折り重ねたかのような構成、J-POPの定型を踏みながら鮮烈に繰り返されるサビのリフレインは、ドラマで描かれたような親子3世代のみにとどまらず、あらゆる間柄のなかで交わされる願いの入れ物となる。懐の深さと筆圧の強さをあわせ持ち、死を胸に留めて生きるすべての人を鼓舞する圧倒的な“生”の歌だ。
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'92年新潟生まれ岡山育ち。大学卒業後神戸に5年住み、最近京都に越してきました。好きな高速道路は北陸道です。
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